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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第一章 地獄からの這い上がり方?
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第32話 『芽生え』



「アァ"」


 ――呻き声とともに、それは起き上がった。


 首が消失したような少女の遺体。その横で泣き疲れて大の字になっていたホープ。

 寝転んだまま、先程躓いた女性が立ち上がっている光景を見る。ぼんやりと、見ている。


「あなたまで……」


 ため息。

 ホープが躓いた女性は、喉を食い破られて死んでいたはずだ。だがやはり起き上がるのだ。


 ――これから、いったいどうすればいい?


 妹が死んで、ホープの精神はだいぶ参っている。

 まだ自殺願望には届かないものの、胸が刃物で抉られ、その小さな穴から生きる気力がごっそりと流れ出してしまった感覚。


 それほどまでに、ソニとはホープにとって大事な人物だったらしい。

 今までも大事だとは思っていた。

 だが、ソニは毎日のように会いに来てくれる。ホープが求めずとも、彼女の方から来てくれる。


 ソニが隣にいるのは『当たり前』だった。


 でも、その『当たり前』は、もうどこにも存在しない。


 なぜならその『当たり前』の頭部を、ホープが自分の能力で完膚なきまでに吹き飛ばしたからだ。


 ソニは、こんなにも自分の心を揺れ動かす力を持っていたのだ。

 失った後にようやく気づいても、もう取り戻せない。


 ホープは、どこまでバカなのだ。


「アァ"」


「くっ……!」


 寸前まで近寄ってきていた、紫の目に紫の歯の、変わり果てている女性。

 ホープは素早く立ち上がり、そして走り、できるだけ彼女から距離を取る。


 サパカス一家、ドルド、エリン。


 好きか嫌いかは置いておいて、一応お世話になった人たちは、まだいる。


 ホープは自分を理解できていない節がある。

 彼らを失ってから、もしまた後悔するのであれば、ソニとのやり取りが無駄になってしまう気がしたのだった。



◇ ◇ ◇



 息を切らしながら走ったホープは、サパカス一家が管理している牧場へ到着。

 大胆にも柵を超え、放牧場へ踏み込む。

 すると、


「ウォォオ"……」

「ウゥ"……」

「アァア"……」


 既に命を絶った一頭の牛が、何体もの骨の化け物たちに群がられ、奴らの思うさま肉を貪り食われている。


 ――見れば、森から近い方向にある一部の柵が壊されている。

 森からやって来た化け物たちが、欲望のまま柵を破壊して侵入したのだろう。

 しかし、


「あれって……」


 一つ気になるのは、牛を食っている化け物の中に、()()()()()個体が混じっている。

 ホープが見た戦士たちやソニのように、変わり果てた人間としか思えない。

 何だか、サパカス家の次男に、服装や体格がそっくりな気が――


「きゃああああ!!」


 突然、耳をつんざくような金切り声。

 それは牧場と繋がるように建てられた、サパカス一家の暮らす家の方から聞こえてきた。

 ホープが首を向けた瞬間に裏口から現れたのは、サパカス家の奥さん。


「んなっ、痛い、何で!? あの子が、なに、何なのよ!? 何が起こっているの!?」


 ――正しく言えば、手首の噛み跡から血を流しているサパカス家の奥さんだ。

 彼女は、もう手遅れ。


 さらに、


「アカ"ァァッ!」


「うおおっ!」


 続けて裏口から飛び出したのは、干し草用のピッチフォークを握ったままの、後ろを向いたサパカス家のお父さんの背中。

 ――そして、その父親の肩に正面から噛みつく、変わり果てたサパカス家の長男であった。


「あがぁぁっ! っぐぅ、悪ふざけはよさんか……このバカ息子がぁ!」


「ク"ェッ」


 長男の大きな体にのしかかられる中、お父さんは両手でピッチフォークを構え、長男の背中に突き刺す。

 当然、効果は無い。


「どうして! どうしてこんなことをするの!? パパとママが何かしたの!? 教えてちょうだい!」


 未だに何も気づかずパニックに陥るお母さんの方に、牛の味に飽きたのか、変わり果てた次男が迫っていく。

 数秒後にお母さんはきっと背中から襲われ、抵抗もできずにお陀仏だろう。


 何よりも家族を大事にしていた優しい人たちは今、噛みつき合い、刺し殺し合っている。

 サパカス一家の、あまりにも悲しく、哀しく、寂しく――虚しい最期。

 見ていたホープはいたたまれない気持ちになった。


 助ける気力も湧かず、逃げるように牧場を後にして走った。



◇ ◇ ◇



「おい、誰かあああああ――!」


「いやあああ――!」


「この骨、床下から現れ……ぎああああ――っ!」


 依然として状況は好転せず。

 平凡にして平穏だった村は、今や暴力と悲鳴と業火によって満たされている。


 耳を塞いでのろのろ歩くホープの内心は、もう形を保っているのがやっとだ。

 知らない誰かの悲鳴が一つ聞こえるたび、ホープの中の何かが崩れる。

 それはもしかするとホープの中の『日常』が、つまり『当たり前』が消えていっていることのサインかもしれない。


 そして、彼の塞がれた耳は、聞いてしまった。


「あああああ!! 助けてっ! 誰かっ!」


「……あ」


 ――今後の人生を考えるのであれば、この時、絶対に聞いてはならなかった音を。

 知っているあの人の、鬼気迫る悲鳴を。


「……エリンさん」


 聞き慣れた声。考えずとも誰なのかわかったホープは、聞こえた方向へ走る。

 彼女を、自分なんかが助けられるだろうか? 彼女を、助けたところでどうなるだろうか?

 そんなことを思案していると、


「はっ……あんたは、悪魔っ!!!」


 ホープの視界に映ったエリンは下半身を、大量の木片・木材の下敷きにしていた。

 相当重くてびくともしないらしく、彼女が動かせているのは両腕と口だけだった。


「どうして……何であんたなのよ! 他にもっ、村人なら、たくさんいるじゃないのよ!」


「え、あ、でも……」


「ああ私は、どこまで不幸者なのかしら……あんたみたいな役立たずに、最初に見つけてもらうだなんて……!!」


「う……」


 目を充血させ、歯を剥き出しにして怒鳴るエリン。美しい金髪は埃と血で見る影もなくなっている。


 ホープはもう16歳だというのに、エリンの恨み節に泣きそうになってしまう。

 だがこれは幼い頃からほとんど誰とも会話せず、精神年齢がろくに進んでいないホープにとって自然な反応ではある。


「引っ張り出して! 何も喋らず、私を引っ張り出しなさいよ……この悪魔が!」


「うん……」


 エリンに言われるがままホープは彼女に近づき、彼女の右腕を両手で掴んで引っ張る。

 力強く、引っ張る。


「……うぅっ、あ、あぁぁぁ痛い!!」


「えっ、えっ!?」


 激痛が走ったようにしか見えないエリンの悲鳴。

 それに怯えて、ホープは思わず手を離してしまう。そして一瞬、見えた。


「あっ……脚が……!」


 彼女の下半身は、木材によって完全に押し潰されているのだ。こうして息をしているのが不憫に思えるほど、グチャグチャなのだ。


「本当に……私は不幸者よ……安全だ、と聞いたからここに来たのに……誰かの流れ弾で、火矢が当たって……私一人だけ建物が燃えていると気づいて……出ようとしたらこれ」


 いつも強気でヒステリックな彼女とは裏腹の、とても弱々しい語り口。

 木造のこの建物は高熱に耐えかね、ちょうどエリンが脱出しようとしたと同時に崩落してしまったようだ。

 今まで気づかなかったが、見回すとこの瓦礫の山にはいくつもの死体が混じっている。


「……ソニは?」


「あっ」


「あんた、知ってるんでしょう! 言いなさいよ、私の娘はどこ!? 私の唯一の娘は――」


「……死んだ」


「なん、ですって……?」


 また鬼気迫る怒鳴り散らし、かと思いきや、今度は魂の抜け出てしまったような腑抜けた表情をするエリン。

 エリンと向き合うだけでも気が狂いそうなホープは、事実をのべつ幕無しに語り続けるしかなくて、


「追いかけっこしたらソニが森で噛まれて、しばらくしたら死んで、また生き返ったから、おれを食おうとしたから、おれが『破壊の魔眼』でトドメを刺したんだ……!」


「は……?」


 呆然とするエリン。そして彼女は、




「あははははははははははっ! あははははははは、あっはははははははははははは!!」




 嗤った。


「……何が笑えるの? あなたの、娘だろう……?」


 誰がどう見てもエリンは正常ではないのだが、同じく正常でないホープには彼女が正常に見えてしまい、ホープは純粋に怒り、また純粋に質問をしたのだ。


「あははははは、おかしい、おかしいわよ……ねぇ、あんた、ようやく役に立てるんじゃない!」


「えっ?」


「まだわからない? ――あんた、その目で()()()()()ちょうだい!?」


「……えっ?」


 信じられなかった。信じたくなかった。

 ホープは大嫌いな自分の『眼』を、幾度となく呪ってきたものである。

 だが、この時ほどホープが自らの『眼』を強く深く呪ったことは、他にはあり得ない。


「……脚が潰れて、痛いの。この体勢が苦しい。引っ張ってももう、どうしようもない……娘もいない……それなら、あんたに殺してもらえばいいのよ! あっはははははははは、そう思わない!? ああおかしい……あははは!」


 裂けてしまうかと心配になるくらい、エリンは口の両端を吊り上げて嗤う。

 エリンがホープに対して『道具』以下の扱いしかしていない――そんなことはどうでもいい。


 ホープは、今からエリンを殺さなければならないのか?


「おれ、その……おれじゃあ……」


「やりなさいよ」


「えっ、でも……」


「やりなさいって、言ってるのよぉっ!!」


 エリンから笑顔が消える。彼女は目をひん剝き、普段とは比にならないくらいのヒステリーを起こす。


「なんなの!? また私の命令を聞かないの!? ホラ吹き! ペテン師! あのクソみたいな父親とそっくりね! やっぱり、私の言った通りになったわ!!」


「『また』って……」


「追いかけっこしていたらソニが森で噛まれたんでしょ!? ならあんた村の外に出たんじゃない! 命令違反よ、違う!? ソニだってあんたのせいで死んでしまったのよ! 私は間違ってる!? 考えなさい、悩み苦しみなさい、覚えなさい! 私とあんた、どっちが間違ってるの!?」


「おれ……だよ……」


「そうよねぇ! それくらいわかって当然よ、言われなくたって誰でもわかって当然よ! 言われてようやくわかるだなんて、本当に出来が悪くていかにも捨て子って感じだわ! あのクズが捨てるような子は、やっぱりその上をいくクズなのね!」


「あ……」


 間髪入れずにホープを言い責めるエリンに、ホープは何の対応もできずに立ち尽くす。

 ――エリンには見えていないだろうが、彼女の後方、つまり瓦礫の山の向こうから、骨の化け物たちがやって来る。


「で、何!? あんた自分が間違ってたと認めておいて、まだ間違いを犯し続けるの!? 私を殺さずに逃げようと言うの!?」


「……!」


 どうしたらいいのだ。

 ソニの時だって、ホープは『破壊の魔眼』を使いたくなかった。それは決して痛いからではなく、そこにあるのがソニの顔だったからだ。

 使うことができたのは、――ギリギリでだが――ホープが目の前のソニを、ソニではない何かだと思えたからに他ならない。


 だが今そこで身動きの取れないエリンは、どう見ても、どう考えても、目を閉じたとしても、エリンなのだ。


『ダメだ! 人に使ってはならん!』


 こんなドルドの言葉がわざわざ脳内を巡らなくたって、ホープにはそのような行為に及ぶ度胸が無い。


「無理だ……」


「はぁ!?」


「無理だ、ごめんなさい……おれには無理だよ、本当にごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい……!」


「あんたは……あんたはぁぁぁ!!」


 ホープは小刻みに頭を下げながら、虚ろな目でエリンを見ながら、空虚な謝罪を口から垂れ流し続けながら、少しずつ後退。

 ――少年の心の土壌が小さく盛り上がり、『芽生える』兆しが見え始める。


「死ぬまで私の言うことを聞かずに……何なのよ!! 何のために生まれてきたのよ! 邪魔でしかない存在、生きているだけで人を困らす、何のために生きてるの!?」


 叱責を始めるエリン――少年のその感情は、芽生える。


「なぜ、どうして!? ソニのような天使が死んで、私のような女が死にゆくのに、どうしてあんたみたいな何の価値もない悪魔が生きるのよ! おかしいと思わない!? 理不尽な世の中ねぇ! あんたこそ……死ねばいいのに!!」


 ――芽は、すくすくと成長する。茎の脇から、歪で異様な葉が飛び出し始める。


「死ね、死ね、死ね、あんたが死ね! ソニと私の代わりに死ね! 父親と揃って消えろ! 役立たず! 悪魔! 捨て子! 泣き虫、弱虫! 死ね、死ね、死ね、死ねよ悪魔!」


 ――こうして、成長していった感情の先端に、どす黒い花が咲く。


「ウ"ァァァ」

「アァ"ゥ」


「あ、ああぁぁ……!?」


 後ろから骨の化け物たちが近づいてると、ようやく気づいたエリン。

 気づいたところで後ろを振り向けるわけも、もちろん抵抗なんてできるわけもなく、


「ホープ・トーレスぅぅぅ……あぐぁ、あむぅっ、んん……っ!?」


 最期に憎い義理の息子をフルネームで呼んだ彼女の口に、後ろから回る骨の手が侵入。

 骨とはいえ腕二本分がねじ込まれている。苦しいのか、エリンは顔を歪ませる。


「んぐっ……ぁ!?」


 二本の手が彼女の口を無理やり上下にこじ開けようとし、開き切ってもまだ開け続け、ずっと開け続けて、


「んんんんぇぇっ! んんぁっ――」


 擬音にするなら、べりべり、ぶちぶち。


 口を起点に顔が上下に裂かれ、完全に分かたれる。

 ぱっくりと開いてしまったエリンの顔面は、覆い被さって食事にありつく骨の化け物たちによって、見えなくなってしまった。


「あ、あ、あっ……」


 少年は、一瞬も目を逸らさなかった。

 義母の気持ち悪くてグロテスクな最期を、本当に最後まで見届けてしまった。ホープは後悔した。

 ――でも、これは視覚的なトラウマ以前の問題である。



「はっ……おおホープ、生きていたか! よく生き残った……さぁおいで、私と一緒に逃げよう!」



 腰を抜かしてその場に動けなかったホープの手を引いたのは、どこからともなく現れた白髪混じりの黒髪、神官ドルド。

 ソニのことも、エリンのことも知らないだろう彼は無理やりに笑顔を作り、


「最近は忙しくて君に構っていられなかったが、前にも言っただろう? 私は、君のお父さんから君を守るように言われ――」


「守ってくれるくらいなら殺してほしい」


「……ん? な、何と言ったんだ? すまないホープ、聞こえなかった」


 その後、村を脱出するまでに何度問われても、ホープはもう二度とドルドにその言葉を言わなかった。



◇ ◇ ◇



 ――――そうだ。

 これが、ホープが『自殺願望』を持つに至った経緯だ。


 ソニを助けられなかった徹底的な後悔。

 エリンの命令を最後まで聞けなかった徹底的な罪悪感。

 そしてエリンの言い放った、決定的な正論の数々。


 この全てが凝縮されたあの日、ホープは心に真っ黒な花を咲かせたわけであった。


「いいか、大人しくするんだぜ……?」


 ――作戦、失敗である。

 振り返る走馬灯の、スピード調整のミスというべきか。


 ホープは目の前でズボンのチャックを下ろす指導者から耐え難い仕打ちを受ける間、現実逃避をしていたかったのに。

 まだ行為が始まっていないではないか。


 傷だらけの体は、もうほとんど動かない。

 これ以上どうしようもないのだろうか。



 ――コン、コン。



 ホープが諦めかけた、そんな時だった。

 『隠し部屋』に響いてはいけないはずの、場違いなノックの音が響いたのは。













長く険しい道のりでしたが、ここからが本番でしょう。

でもまた少し間が空くかもしれません…

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