第28話 『夜が、始まる』
「んあ……あれ?」
何とか監獄に辿り着き、何とか自身の監房のベッドまで戻ってこれたホープ。
今日という日に自分が起こし引き寄せた全ての災難を忘却の彼方へ押しやって、眠りにつくまでは案外早かった。
眠りについたは良いのだが、
「ちょ……ちょっと待って……何これ」
「あーあ、起きない方がたぶんお前のためになったのになぁ……エドワードさんの命令だ、俺たちを恨むなよ?」
目が覚めたホープは、見たこともない部屋にて椅子に縛り付けられていた。
「ここは……? め、命令……?」
おずおずと問う。
片目が腫れ上がって開かない視界で見回す。ホープがいる部屋は見たこともないどころか檻の中ですらない。石の壁に囲まれていて、ドアも窓も無い。
「監獄のどっかにある『隠し部屋』だよ……誰もが眠りこけてるド深夜に、誰も知らねぇこの部屋で、俺たちはできるだけお前を痛めつけてからぶっ殺すのさぁ! それが命令だ」
「は……!? やめてくれ!!」
時間も部屋も、どうでもいい。ホープの精神は『痛めつけて』という台詞を聞いた直後に、ほぼ半狂乱の状態に。
縛られて上半身が動かないことに心の底から嫌悪と焦燥を感じ、少ししか可動しない両足をバタつかせる。
「い、いぃ、嫌だ! 何で!? 何でこんなことする!? 昼間は俺のこと逃がしてくれて――」
「うるせぇよ! エドワードさんは適当――いや気まぐれだってまだわからねぇか!?」
「わかるよ! わかるに決まってるだろう!? わかるからわかりたくないんだ!」
「はぁ!? てめぇ黙ってろマジで!」
目の焦点も合わない、口から泡がこぼれる。
狂ったホープは床を蹴りまくって椅子を揺らしに揺らす。その光景はさながら壊れた玩具だった。
「気味悪ぃぞこいつ! とっとと殺そうぜオイ!」
「バカ野郎、痛めつけてからだろ!?」
「ちょっと待てお前ら……」
何やら議論を交わす指導者たち。
――ホープの今の状態は、決して彼らを怖がらせるための演技などではない。『痛み』より『死』を望む者の、その末路である。
「何だよぉ! てめぇから先死ぬか!?」
三人組はほとんど喧嘩状態に。
一人はホープを恐れて即刻殺そうとし、一人はあくまでエドワードに忠実、もう一人は静かだ。
「ナイフ出してんじゃねぇバカ! いいよ、俺が痛めつけてやるから!」
エドワードに忠実な指導者が、右の拳を振りかぶる。それは抉るようなフックでホープの横顔を捉え――
「がぶぉっ!?」
られなかった。
「うわあああ、わあああっ、あああああ!!!」
両足を突き出して指導者の腹を蹴りつけたホープは、椅子ごと後方へ倒れる。
今の攻撃は、意識してか無意識か。それはホープにもわからないことだった。
「ほら見ろ、さっさと殺しちまおう!」
蹴られ、悶える指導者を見たもう一人の指導者が、椅子に縛られたまま仰向けになるホープにナイフを持って近づく。
が、
「たす、けてぇぇぇ――!」
「ごっ!」
前かがみになった顎を、暴れるホープの右足に蹴られる。
「い、いでぇ! チクショウ、顎が……割れそうだぁ!」
蹴られて出血した顎を押さえる指導者、カウンターの蹴りに悶絶する指導者、そして金切り声を上げ続けるホープ。
『隠し部屋』内は、もはや地獄絵図。
「おい……」
と、ここで三人目の指導者の冷静な声が響いた。
――彼は横合いからホープを蹴り飛ばし、
「うわっ」
その影響で椅子が破壊され、縄が絡まったままのホープは冷たい床を転がる。
歩み寄ってくる冷静な指導者。後ろから立ち上がるのは、顎を押さえる指導者。
「いい感じだ……んん……そそられる……」
「やってくれたな、てめぇ」
二人とも、ホープへの殺意を放っている――が、おかしな言葉が聞こえたような気がした。
そそられる?
「どっ、どういうつもりで――」
「おら!」
ある程度、気分を安定させたホープの横っ面に容赦無いパンチ。
殴ってきたのは先程ホープを即死させようとした指導者だったが、ナイフを拾っていない彼はエドワードの命令を遵守するつもりらしい。
――これで、ホープに都合の良い者はいなくなってしまった。
「おら、おら! よくもやってくれたなぁ!?」
二人がかりでホープを踏みつける指導者たち。
そして、
「目標まで……あと少しなんだ……」
腹を押さえていたもう一人も立ち上がってきて、ホープの踏み絵リンチに加わる。
そして、いつしか、動けなくなっていくホープ。
そして、いつしか、指導者の内の一人がズボンのベルトを外し始める。
「青髪のガキ……お前、結構いい体してんじゃねぇか。顔は好みじゃねぇが……細身で、それでいて健康的でぇ……」
「ぇ、えぇ……?」
血の塊や血の泡が口の中に溢れていても、ホープは目の前の男に釘付けになる。
冷静な指導者は、どうやら困った趣味をお持ちのご様子。
「てめぇ、またやんのかよ……」
「まぁいい。どうせ苦しめるんだ」
他二人の指導者も呆れてはいるものの、決して彼の信念を否定しない。
まさか。
「な、にを……する……気で……?」
「しゃぶれよ、俺のを。冥土の土産に」
「……っ!!」
最悪だ。最悪の中の最悪の、その中でもさらに最悪級の、最悪の最悪だ。
痛くはないかもしれない。だが、今からホープは様々なものを失ってしまうだろうことは想像に難くない。
「ぅ、くそ……!」
ズボンのチャックを下ろす指導者を睨みつけ、そして目を逸らす。
ホープには、ある考えがあった。
自身の経験則でのアイデアだ。
――痛みや苦しみに勝るのは、過去のトラウマ。
もう懐かしい気もしてしまうが、ホープがこの作業場で初めて目覚めた時だ。
起きて早々蹴られても、大して気に留めなかったあの時。
直前までホープが見ていた夢は、もう取り戻せない過去の悪夢。義妹のソニを絶望へ引きずり下ろしてしまった後悔。
要するに、指導者たちに抗う術とは、
「現実、逃避……」
ホープの中にはそれしかなかった。
◇ ◇ ◇
――――若草色に広がる、平凡な草原の真ん中。ある少年はその場に屈み、たまたま見つけた蟻の行列を凝視していた。
理由は特に無い。あえて言うなら、せっせこ働く蟻を見ていると勝手に時間が過ぎてくれるからだろう。
何か、前方から物音が聞こえた気がした。
顔を上げようとしたその時、
「おら!」
見ていた蟻の行列の一部が、巨大な脅威に蹂躙された。
「いっつも一人でなにやってんだよー! キモいやつだな!」
「『めざわり』なんだよお前!」
「ここは俺たちの遊び場だぞ、でてけー!」
歪に踏み潰された数十匹の小さな命。
だが、別に蟻たちには何の義理も無い。とりたてて悲しい気分にもならず、
「……おれに、なんか用?」
5歳のホープ・トーレスは屈んだままで、少し年上の悪ガキたちを見上げた。




