第2話 『杖を取り戻せ!』
――けっきょく仮面についての質問は軽くはぐらかされ、問い詰めるほどでもなし、と呆れたホープは白骨死体の隣のイスに腰を下ろす。
「いてて……」
「あ、あんた大丈夫? ひとまず助けてくれてありがとうだけど、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃ……ないよ……痛みも、貴重な銃の弾も……」
領域アルファ、そのバーク大森林にある小屋の中。
右目を手で押さえるホープは、体の痛みに苦しんでいた。
あのリボルバーの反動はやはり両肩に異常なダメージをもたらし、本日二度も使わされた『眼』も鋭い痛みを帯び始めている。
少女は白骨死体をチラチラと気にしながら、対面に座る。
橙色の髪を異常に大きなツインテールにまとめる彼女は仮面を少し整えて、
「ごめんなさい、この世界で銃弾は貴重よね」
恐らくホープの言う『貴重』とは全く別の意味ととって、素直に謝ってくるレイ。さらに続けて、
「でもあんたとは仲良くしたい、助けてくれたんだから。お礼しなくちゃ……あ、お礼って言っても、食料を分けるとかそのくらいしかできないと思うけど……」
「お礼なんか、いいよ。食料とかは足りてる」
一年間この広大なバーク大森林を歩き回り、こうやって誰も使っていない民家や施設に侵入し、食料を毎日のように漁っているのだから。餓死は苦しいからホープも避ける。
まるで空き巣だが――ほとんどの民家は永遠にもぬけの殻となるわけだし、何よりスケルトンが闊歩するこの世界はもはや無法地帯であるし、そもそも空き巣でもしないと生命が維持できない。
皆がそうやって生きるから誰も咎めないし、死なないためという前提からして咎められる筋合いがないのである。
「……そ、そう? あ、自己紹介してなかった。あたしはレイ、レイ・シャーロット。ちなみに17歳ね、よろしく! あんたは?」
「ホープ」
「ホープ! へぇ、いい名前してるじゃない!」
彼女はテーブルに無気力に置かれていたホープの手を引っ張り、強引に握手して上下にぶんぶん振ってくる。
「そんなにいい名前かなあ……?」
「ええ、あたしはかっこいいと思うわよ。ところでここってあんたの家?」
「違うよ……」
自殺願望以外にも変わった感性は持っているかもしれないホープだが、さすがに白骨死体と一緒に暮らしたいとは思わない。
自殺が未遂に終わり苛ついていることも相まって、どこまでも素っ気なく話しているつもりのホープ。だが反対に仮面の少女――レイはどこまでも明るい。
――山奥の村で生まれたホープにとって、苦手なタイプ。
そもそも苦手なタイプでなくとも、今の状況はホープにとって好ましくない。
何故ならホープの自殺のポリシーは『痛みも苦しみもなく』、かつ『なるべく誰にも見つからず迷惑もかけない』ように死ぬことだからだ。誰とも親しくしたくないのだ。
「……!」
ふいに、二人とも静かにしなければならない時間が訪れる。森の中であれだけ大きな音を何度も出した。当然起きると思ってはいたことだが。
「……静かに」
「え、急にどうしたの、もしかして自己紹介とか握手とか嫌いだった? しょ、初対面でちょっとやりすぎだった? あたし手袋してるから馴れ馴れしさも軽減されるかなって思ったん――」
「自己紹介も握手も好きじゃないけど、今はそうじゃない。群れが来る」
妙に動揺するレイの考えを正す。
銃声に誘われて、バーク大森林に潜むスケルトンの群れがこちらへやって来るのだ。気配を殺し、物音を立てなければ、奴らは勝手に通り過ぎるはず。
スケルトンの習性は、現れて一年経つ現在でもほとんど不明なのだが、奴らは時々群れる。毎回ではないが一体が歩いていると、そいつについていく個体が現れることがあるのだ。それで終わる時もあれば、後ろから少しずつ数が増えていき巨大な群れが出来上がる時もある。
複数の足音が近づいてくる。聞いている感じだと、これはなかなか巨大な群れだ。だが意味もなく小屋に侵入してくることは無いだろう。とにかく伏せて、音さえ出さなければ。
「こ、怖いわね……」
ホープに合わせて床に伏せ、体を小刻みに震わせながらレイが小声で呟く。
彼女は普通の会話中は明るいが、逆にそのせいで、ふとした時に見せる臆病さのインパクトが大きい。どちらが本性なのか。
100にものぼりそうな足音が、小屋を囲むようにしてゆっくりと通り過ぎていく。薄汚れた窓から差す日光が、いちいち途切れる。それほどスケルトンたちと小屋との距離は近いのだ。
二人とも何の音も立てることはなく、無事に群れはどこかへ行ってくれた。
意外と冷静でいられたホープを見てか、レイが首を傾げる。
「今みたいなの、ホープは慣れてる? こんな世界になって一年だけど……あたしは一向に慣れないわ。あんたは怖くないの?」
「……怖いよ。ある人が色々と教えてくれたから対処はできるけど」
服に付いた埃をはたきながら立ち上がる。いつの間にか部屋の隅で体育座りしているレイは答えを聞いて何を思ったのか、こくこく頷いただけだった。
ここで唐突にホープは気になった。今、膝を抱えるように座っている彼女は、
「もしかして寒い?」
「え? 別に寒くないわよ……?」
全身を衣服で包んでいるような印象だったからだ。
他人に興味がないホープはこれまで特に気にしていなかったが、彼女はこの暖かい時期に長袖長ズボンにブーツ、マフラーと手袋まで着けて、さらに仮面で顔も隠している。まるで一つも肌を出したくないかのような格好をしているのだ。
「まぁ寒くないんならいいけど……」
「あ……もしかしてそういう……!? ――ごめんごめーん、間違えちゃった。寒いわね、今すごく寒い! でもあたしちょっと寒がりだからさ、いつもこんな感じなの。だから気にしなくていいわよ……あ!」
寒い、という自らの感覚をどう間違えるのか。しかもその取り繕い方だと、ただの言い間違いではなさそうだ。
ホープがそのことについて質問するかどうか迷っていると、レイは飛ぶように立ち上がり、
「今ので思い出した! あたし、杖を……武器の杖を落としてきちゃったのよね……」
ホープからすれば、ものすごく唐突な思い出しだ。
寒い寒くないの話から、どうして『杖』を連想できるのか。
「あのぅ、ホープ? もしかしたら杖の近くにスケルトンいるかもだし、あたし武器無いし、あんた強いし……回収するの手伝ってもらってもいいかしら? その後もうちょっと付き合ってほしいこともあるし……」
「……え、嘘でしょ?」
質問をはぐらかしたり怪しげな答えばかりする割に、流れるようなレイのお願い。ホープはとうとう自分の耳を疑ってしまった。
◇ ◇ ◇
バーク大森林を薄暗くさせ、不気味にさせているその木々が、ざわざわと風に揺れる。葉と葉が擦り合わされる音は、どうにも生存者たちの不安を煽る。
――ホープは、けっきょくレイと一緒に来てしまった。小屋からそう遠くない場所だ。別にあの小屋や白骨死体に執着があるわけでもないが。
茂みを少し掻き分けて見てみると、森の中の少し開けた場所に杖が落ちている。嫌なことに、その周りを二体のスケルトンがのろのろ彷徨っている。
「あれが君のか」
杖とは聞いていたが、思ったよりも太くて大きい木の杖だ。一メートル近くあるように見える。先端には白く輝く宝玉が乗っかっているようだ。
「ええ。それよりあんたさっき『おれ強くない』ってめっちゃ否定してたけど、何で来てくれたのよ?」
「ヤケだね」
「ヤケ?」
自殺が未遂に終わったストレスを、あえてストレスの源に付き合ってやることで発散していくスタイル。
面倒な人とすぐさま縁を切らないのはホープにしては珍しい。いや、そもそもホープが他人とまともに会話していること自体が相当珍しいのだが。
腰の短剣を抜き、
「あれを取ってくるだけでしょ? 簡単だ」
「でもホープ言ってたじゃない、『さっきの銃以外でまともにスケルトン倒したことない』って……」
「殺さなくたって、避けて進めば大丈夫」
スケルトンは基本的に走らない、つまり鈍いのだ。だからこれまでもホープは戦闘を避けて生活してこれた。
肩の痛みを我慢して茂みから飛び出す。服と葉が擦れて大きな音がし、二体ともすぐにホープに気づく。姿勢を低くして突っ込むと、一体の横をあっさり抜けられた。
「ア"ァッ」
「……!」
あと少しで杖を拾えるその時。もう一体が横から飛び込んできた。ホープは躱したが、倒れたそのスケルトンに左足を掴まれ、前に倒れ込んでしまう。
そのまま手を伸ばし、杖を掴む。後ろを振り返ってみると、もうスケルトンはホープのふくらはぎに噛みつかんと口を開けているところであった。
「嘘っ! ホープ!?」
――レイの叫びを無視し、ホープは考えた。
このまま杖で突いてスケルトンを殺してしまってもいい。だが、一発噛んでもらってから殺しても良いんじゃないか、そう思えてきてしまった。
痛いだろう。しかし上手くやれれば一発で済む。そうしたら後は勝手に死んで、狂人になって歩き回るだけ。『狂人』というのは痛みを感じないしきっと本人の意識自体は死んでいるはず。なら、死ねるではないか。
レイに見られている。しかしスケルトンに噛まれてしまったということにすれば、仕方がない、と誰もが諦めるだろう。大義名分がある。死ねるではないか。
だがその思いが形になる直前。スケルトンは頭を何者かに蹴られ、さらにその者の短剣による一撃で殺された。
救われたような、そうでないような。複雑な気持ちになったホープが見上げると、そこに立っていたのは二枚目な顔をした金髪の男だった。
「ギリだったな……ってそれはレイの杖じゃないか! 俺の彼女のために、サンキューな!」
「え?」
この男とレイは関係があるらしい。
見れば金髪イケメン以外にも、二人の男がもう一体のスケルトンを押さえ込んで頭を叩き割っている。
「オースティン! ごめんなさい、逸れちゃって!」
「ホントだぜ、心配してたんだぞレイ!」
オースティン、と呼ばれた金髪男とレイは、出会って早々に熱いハグを交わす。
突然現れた三人の男は、どうやらレイと共に行動していたが逸れてしまった仲間たちのようだ。杖の後に捜してほしいものとは、これだったのだろう。