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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第五章 吸血鬼の国
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第221話 『路地裏の猛獣』

たぶん矛盾は無いと思うのですが…

作っておいた大まかな設定を見ながらではあれど、書いている時はどうしてもパッション頼りで話を増やしたり減らしたりもしちゃうので(特にこういう過去編)、また修正したらその時はごめんなさい…










 怯える少女。

 それを見据える少年、ナイト。


 ナイトは気づいている。自身の背後からの、両親の視線に。

 父親が一歩近づいて、腰を折って囁いてくる。


「できない――とは言わせないぞ、ナイト」


「っ!!」


「『吸血鬼』とは人間の血を吸ってこその種族だ。息子よ……我が息子よ? 俺の顔に泥を塗るな。わかっているだろう」


「っ……」


 肩に手を置いてくる父親。その囁き声は柔らかなものでありながら、隠しきれないほどの圧が混じっていた。

 肩に置かれる手が、グッと力強くなり、ナイトは前へ押し出される。


 少しだけ振り返る――父親は無表情で見下ろしてきている。

 母親は……父親の言うことを否定できまい。死んだ目をしている。


 ナイトが歩き出す。


「ひぃっ」


 両親に縋り付いていた少女が足音に気づいて、一瞬だけこちらを見てまた怯え、また親の胸に顔を埋めてしまった。


「お、おい……大丈夫だよ。そんなに怖がるな。お前が血をあげるのは初めてだが、あの吸血鬼の男の子だって血を吸うのが初めてだそうだよ」


「あなたが怖がってると、向こうだって不安になっちゃうわ。ほら、ちゃんと親御さんが手順を教えてくれているはずだから、落ち着いて」


 少女の両親が、彼女を必死で励ましている。その言葉に勇気を貰えたのか、少女も数回頷いて、おずおずとナイトと向き合う。


 ナイトは近づいていく。

 踏み出すたびに床の軋む音がして、またその音が不気味で、気持ち悪い汗が噴き出してくる。呼吸が乱れる。


 だが、そうだ――吸血の手順はしっかりと教わった。

 5歳になり、人生初めての吸血。それは全ての吸血鬼に共通する通過点。

 みんなコレを経験する。吸血鬼の基本中の基本。失敗したなんて聞いたことがない。つまり、そんなに難しいことではないのだ。


 そもそもナイトは吸血鬼という種族に生まれたのだから、吸血に失敗するようなことが起こるはずがない。

 自分を奮い立たせる。呼吸を整える。

 ナイトは少女と向き合う。


「…………」


 少女はナイトと目線を交わしてから、背を向けてくる。

 長い茶髪を自らの手でどける。

 ――首筋が露わになる。


「…………」


 ナイトは優しく手を添えつつ、首筋に顔を近づけていった。

 口を開け、二本の牙で明確に狙いをつけ、


「……っ!」


 噛みついた。


 少女は一瞬だけ体を震わせたが、その程度は初めて吸血された人間の反応としては想定内。

 牙を突き立てた箇所以外に傷は付いていない。

 あとは流血してしまう前に吸い出してしまえばいい。




(……あれ?)




 5歳の少年は、あることに気づいた。

 気づいてしまった。


(俺ははじめての吸血で……え? こういうときの相手って……()()()()()()がやってくれなきゃ……)


 大人たちの怠慢だ。

 不慣れな幼い吸血鬼が初めての吸血を行うのであれば――そんな不安定な吸血鬼の相手は、安定した人間に任せるべきでは?

 同じように、人間の少女も初めて吸血されるのであれば、吸血に慣れている熟練の吸血鬼にしてもらった方がいいのでは?


 面倒だからといって、今回は吸血鬼ナイトの独り立ちと、この少女の独り立ちと、両方を同時に済ませようとしたのではないか?


 もちろん上手くいけばいいだけの話だ。


 だが幼い子供たちに対して、少し雑な扱いではないか?

 吸血する側もされる側も不安定で……もし、どちらかが失敗してしまったら?


 ――吸血を開始するまでの短い時間で、ここまでの逡巡をしたナイトであったが。


 緊急事態は起こった。



「う……ぅぅっ……!!」


「?」



 少女が奇妙な声を発し始めた。

 目を開けても首筋しか見ることができないナイトは、状況が飲み込めない。

 けれどもやることは一つ。さっさと吸血を済ませて――



「うああああぁぁぁん!!」



 少女が泣き出した。

 すすり泣くなんてレベルではない、絶叫を上げながらの号泣である。


(え……? え……?)


 痛いのか? 良くない部分を触ったか? 自分の血を吸われることが怖くなった? ナイトのことが嫌いになった?

 わからない、わからない。ナイトはもう集中できなくなっていた。


「ナイトッッ!! 続けなさいッ!!!」


 父親の怒号が響く。

 しかしそれすら掻き消えるほどに少女が大音量で泣いている。

 ナイトの脳内は滅茶苦茶になった。


 牙を半分抜き取りながら、少女のその先の景色を見据える。

 少女の母親が頭を抱え、父親の方が少女の口でも押さえようとしているのか駆け寄ろうとしていた。


 いや、それとも彼はナイトを引き剥がそうとしているのでは?

 自分は悪いことをしているのでは?

 明らかに少女は嫌がっている。自分は正しいのか? 自分の父親も、本当に正しいのか?


 吸血鬼? 人間?


 吸血鬼?


 なんだこれ。


 ――ナイトは牙を完全に抜き取った。

 泣きながら少女はガクリと膝をついた。


「あ……あ……」


 ナイトは床に座り込む少女を見下ろしながら、棒立ちになるしかなかった。

 後ろからドタドタと怒りの足音が響き、



「ナイト!!! 何をやってる!! ()()()()!! 早く傷を塞げ!! 早く!!!」



 そういえば、手順を教わっていた。

 『吸血が終わった後』もしくは『吸血の途中に何らかの原因で続行不可能になった時は』――



「おいっ!! 早くしろ!!」



 ナイトの体は動かない。

 もうパニック状態なのだろう。



「間に合わなくなるぞ!!」



 父親がナイトの両肩を掴んで、強く揺さぶってくる。

 少女の首筋には、くっきりと二つの牙の跡が残っている。


 あの傷は、傷付けた吸血鬼にしか塞ぐことができないようだ。

 さらに、時間が経つと塞げなくなってしまうようだった。


 忘れていたわけではない。ちゃんと覚えていた。なのに……


「……出て行ってください。申し訳ないが、今日のところはもう辞めにしてください。騎士様」


 泣き叫ぶ少女の父親が、少女を抱き締めながら、冷ややかに言い放つ。

 彼が睨みつけるのはナイトではなく、ナイトの父親だった。


「……失礼、した……」


 騎士であるナイトの父親は、深く頭を下げ、ナイトを引きずって霧だらけの外へ出る。

 引きずられるナイトはずっと、同じところを見ていた。




 ――あの少女の首筋に残ってしまった、一生癒えることのない傷跡。

 吸血の傷は、直後に吸血鬼が塞がなかった場合、どうやっても治すことができない。





 紛れもなく自分のせいだ。

 ナイトは声も出せないほど後悔していた。



「団長の教えを、お前という奴は……!!」


「…………」



 父親にこっぴどく叱られている間さえ、ナイトは何も言うことができなかった。



◇ ◇ ◇



 その後――父親が(もしくは騎士団が?)吸血の機会を何度も提供してくれた。

 けれどもナイトは全て応じなかった。


「息子よ、お前は……この先、一生吸血せずに生きていくつもりなのか?」


「…………」


「俺と同じ、吸血鬼に生まれたのに?」


「…………」


 塞ぎ込むようになったナイトは、父親の悲痛な訴えにも応じなかった。

 怒ることも、悲しむことも、ナイトにはできなかった。

 どうすればいいのかわからない。実のところ、それだけが本音だった。


 『どうすればいいのかわからない』――

 ナイトの人生はほとんど全てがそうなのだが。



「吸血鬼とは! 人間の血を吸ってこその、誇り高い種族だ!! 吸血しなければ真価を発揮できない!! わかっているよな!?」


「…………」


「吸血しなければ――時が経つにつれ、自我の無い怪物になってしまうともいうぞ!!? 聞いたことがないか!?」


「…………」


「お前はそれでいいのか!?」


「…………」



 父親をずっと無視し続けた。

 母親は相変わらず父親に従うばかりで、何も言わない。


 言うまでもないが、父親の方も呆れて何も言わなくなるまで、そう時間はかからなかった。

 近い内――




「ナイト――お前は吸血鬼に向いてない。きっと、俺たちと家族でいるのが合わないのだろう……悪いことをしたな」




 その言葉を最後に、両親はナイトに見切りをつけた。ナイトの人生から消えてしまった。


 ナイトを一人、ゴミ溜めのような場所に置いてけぼりで、消えてしまった。



◇ ◇ ◇



 そんな調子で――5年が経過してしまった。


 ナイトは変わらず濃霧のスラム街にいた。


 今から巻き起こる『これ』は、彼のよくある日常の1コマに過ぎないことである。



「おぅーい、そこの銀髪のガキよぉ。ずいぶん悪い噂を聞いてるぜ? オイ」


「……あァ?」



 ボロ布を身に纏ったようなナイトが、自分よりもボロい男に声をかけられて振り向く。

 かなり歳のいった、老人と言っても差し支えないような男だ。ところどころ歯が抜けている。


「吸血鬼は刀と共に生きるもんだ。家無しの俺ですら持ってる」


「…………」


「お前は? ん? どうだ? 持ってねぇのかよ」


「……用事がねェなら消えろ」


「小せぇ頃に親に捨てられたんだな、お前! ギャハハ! 刀を貰う前によぉ! そりゃグレちまうわけで――」


 ホームレス男の眼前、血塗れの鉄パイプが豪速で迫った。


「ひょっ、と!」


 だが男は翼を使って軽々と舞い上がり、容易に回避した。

 上空から、


「本気で俺と()る気かよぉ、『路地裏の猛獣』さんよぉ!! ギャハハハッ!」


「てめェが絡んできたんだろォがジジイ!! 後悔させたらァッ!!」


 煽ってくるのを、ナイトも翼で飛行して追いかける。

 ナイトの飛行スピードは、騎士団でもなければ並ぶこともできないほど凄まじいものだった。


「うおっ」


 男は神速の一撃を避け、抜刀。

 ナイトの首を斬りにかかるが、一瞬にして彼の姿を見失ってしまう。


「どこだ!?」


「――ここだよォ!!」


「ッ!?」


 真上から急降下してくるナイト。


 男は理解が追いつかなかった。どれほど高くから助走をつければこんな速度まで到達するのか?

 あの一瞬でどれほど距離を離したというのだ。しかも最も推進力が必要な真上に向かって。とんでもない翼の力だ。


「ゴフッ……!」


 避けきれなかった背中に一発、鉄パイプの攻撃が入る。

 だが男はまだまだ体力があり、翼を使って体勢を立て直すなど造作もない――



「がァあああああァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」


「うげぁっ」



 止まらない。

 鉄パイプの連撃が、連撃が、止まらない。止まらない、止まらない。


 何なのだ、この勝利への執念は。


 とんでもないバランス力。

 空中で翼を使って体勢を立て直し続け、ナイトは鉄パイプを振り下ろし続ける。


 男は遂に打ち落とされ、石畳の地面に叩きつけられる。

 まだ、まだ終わってない――



「がァあああああァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」


「あぶ」



 一目散に地上に降り立ったナイトが、再び連撃を開始する。

 獣のような咆哮と打撃音が響き渡る。血飛沫が舞う。

 男には逃げることも反撃も許されず、苦痛と絶望に身を委ね、自身の血で染まっていく視界をただ眺めていることしかできなかった……



◇ ◇ ◇



「あぅ……あうぁう、あ……」


 全身の骨が粉砕したかと思うほどボコボコにされた男……だが、信じられないことに生きていた。

 自分で、信じられなかった。生かされていることが。


 あの、戦っている時の恐ろしい表情――あんな10歳かそこらの少年が『路地裏の猛獣』と呼ばれる所以が、身に染みてわかった。


「おい、ホームレス野郎」


「っ!?」


 きっと彼も同じような境遇だろうとは思うが、かなり侮蔑のようなニュアンスを感じた。

 当たり前だが、恐怖も感じた。


 ナイトは完膚なきまでに叩きのめされた男に向かって右手を掲げ、


「…………」


「……は? なん、だよ、こりゃ……」


 男の目の前に、札束が落ちた。

 とはいえ、量は少ない。


「それで医者にでも診てもらえ。俺ァどういう噂されてるか知らねェが、殺人は嫌いだ」


「な……す、少ねぇよ、こんなんで、この大ケガ……足りるかよ……!」


「知らねェよ。それが今の全財産だ」


 ナイトはそれ以上何も言うことはなく、踵を返して歩き去ろうとする。

 が、


「……は、はっ! バカなガキだ……! まんまと金を渡してくれやがって! ありがとよぉ!」


 実はホームレス男は重傷ではあるが動けないほどではなく、金を貰うことまでできた、というオチだった。


「なんだ!? 結局は人を殺す度胸もねぇ、みみっちい腰抜けだ! なのに親からもゴミ溜めの奴からも嫌われて孤立して、お前いったい何のために生きてんだぁ!? お前みたいなクズに生きてる意味なんざ――」


 僅かな金を掴み取って飛び跳ねながら、捨て台詞を重ねまくる男だったが、



「――何とでも言え、カス野郎」


「……ッ!!」



 少しだけ振り向いたナイトの眼力と、言葉の重みと凄み。

 ホームレス男は腰を抜かし、逃げるように退散していった。



◇ ◇ ◇



 ――さらに6年の月日が経つ頃。


 ここは騎士団の団長の部屋。

 大慌てのノックが聞こえ、入室が促される。


「はぁ……はぁ……カーム団長っ! 大変なことにっ!」


「――それは君の様子を見ればわかる。ゆっくり。落ち着いて話してくれ」


「は、はぁ……はぁ……」


 カーム、と呼ばれた団長は、部下の呼吸が整うのを静かに待つ。

 そして部下が話すのは、やはり予想外のことで――


「こ、これまでも、今回も……皆で何度も止めていたのですが……っ!」


「うん」


「副団長が……!」


 いや、これは正直言って『いつか起こることだろう』とカームも考えていた出来事だった。






「ヴィクター・ガチェス副団長が!! 例の『路地裏の猛獣』と戦うと仰って、もう向かってしまいました!!」






 だからカームは、静かに顎を引いた。



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