第20話 『弱さの種類』
「ナイト――って名前の野郎がオレらの仲間だ。エドワードん下っ端に捕まっちまって、ここにいるはずなんだ」
ホープを助けるから、代わりに自分たちに協力するように言ったドラクは、猛然と詳細を語り始める。
「あのバカが捕まったのは五日か六日くらい前。必死で調査して作業場を見つけたんだが……いやー、エドワード一味の数の多いこと。オレもジルも中に入れなかったんだ」
「そ、そうだね……今も外にいるし……」
内心、ホープは気まずくて仕方がない。
ついさっきホープは望まずに二人を怒鳴ってしまった。当然、他の労働者や指導者に見つからないよう音量は抑えていたが、そこは問題ではない。
仮にも助けようとしてくれているドラクとジルを、場を和ませようと楽しく喋ってくれた二人を、ホープは突然怒鳴ったのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
そんなホープの内心になど目もくれず、喋り続けるドラクは指を一本立てて、
「だが一人! エドワード一味の目をかいくぐって、侵入できた奴がいた。そいつももちろんオレらの仲間で、三日前から潜伏中」
やはりと言うべきか、彼らはだいぶ『閉ざされた地獄』エドワーズ作業場に介入してきている。すごい執念だ。
先程から二人の話を聞いていると、何だか彼らにはもっとたくさん仲間がいそうな気がするが――あれ?
「えっ……三日前!?」
「おう、あいつが侵入したのは三日前だぞ。それがどうかしたのかよ?」
思わず前のめりになってしまうホープに、ドラクが首を傾げる。
ホープは『三日前』というワードに聞き覚えがあった。それも、数分前に。
「その潜入した人の名前、ジョンで合ってる……!?」
あの眼鏡をかけたインテリ風の好青年ジョンは、エドワードに気に入られてここに入ってきたのが『三日前』という話だったのだ。
指導者として作業場にいるのに、妙に柔和な性格をしているのも、ドラクたちのスパイだと考えれば辻褄が合う。
それならば、やはりジョンは味方であり――
「……は? 何を言い出すかと思えば、誰だよそれ。犬の名前じゃねぇの? 普通に違うぞ。潜入してくれたのはブロッグって男だ」
「あ、あれ……?」
肩透かし。
全然、違った。ブロッグなんて名前は聞いたことがない。
ということは――ジョンはただ単にエドワードに気に入られた一般人で、三日前に入ってきたのも偶然で、本当にただの優しい人というわけだ。
彼と協力できるかと思ったのに、残念やら何やら。
「……そっか。おれの勘違いだったよ、ごめん。今のは……忘れてくれていいよ」
無駄に上げてしまったテンションを吐き出すように、早とちりをドラクに謝罪。
するとドラクは腰に両手を当てて、
「ほー、そう来るか……オレ『忘れて』って言われちまうと、三歩歩いてマジで忘れっけど本当に大丈夫かよ?」
「別に……いいんだけどさ。でもちょっと忘れるの爆速すぎないかなあ……?」
「ていうか、それニワトリ」
ドヤ顔のドラクの軽口にホープが控えめにツッコむと、今まで黙っていたジルが補足ツッコミしてくれた。
――よく考えると、ホープはもう普通に喋っていた。
怒鳴ったことをあんなにも後悔していたホープなのに。まるでドラクやジルが、ホープに後悔させまいと振る舞っているように、ホープには見えてきてしまう。
この二人は、優しい人……なのだろうか。
「また話がズレたな。何だっけ? そうだ潜入中のブロッグ! あいつは特殊部隊だったから、超強いんだぜ」
語りを継続させるドラクが、あっさりと真顔でとんでもないことを言い放った。
ホープは『また嘘かも』と考えジルをチラ見するが、彼女は微動だにしない。どうやら真実のようだ。
「ついさっきブロッグから、『ナイトの居場所の見当がついた』って連絡があったんだ。ただ、救出を実行するんなら人手が必要らしいから、それをホープに手伝ってもらいたい。ここまでわかるか?」
「……うん、まぁわかるんだけど……」
どこのどういう特殊部隊か、そもそも特殊部隊とはどんなものなのか。詳しいことはわからない。ただ、ブロッグが凄い人だということだけはわかる。
このままの流れでいくと、ホープは特殊部隊員の男を手伝うことになるわけだが――急にプレッシャーが強すぎないだろうか。
何だか、尻込みしてしまいそうだ。
「確か、地下の扉を開けるためにどーたらこーたら……忘れたけどまぁ大丈夫だろ。ナイトはブロッグより強ぇから、解放さえできりゃあどうとでも――」
頭の後ろに手を当て、笑うドラク。
彼にとっては、ホープの生死など他人事だから適当でもどうでもいいのだろう。だがホープにとっては笑い事ではない。
「そんでな、これが通信機。予備だけどよ」
ドラクは自身のポケットを漁り、手のひらサイズの黒い機械を取り出し、ホープに見せつける。
「これもオレらの仲間……ブロッグでもナイトでもない奴だが、そいつがその辺に落ちてたパーツでちょちょいと作っちまった特製の品だ。操作が超簡単なんだぜ? ここのボタンを押すと画面の数字が変わるんだけど、この数字が他の同型の通信機と繋がるためのチャンネルなわけで――」
ブロッグが特殊部隊の隊員で、ナイトがそれよりも強い。それを聞いてから、どうしてかホープの呼吸が荒くなってくる。
ドラクの話を聞いていられない。
「チャンネル『1』だと、いつもオレが張ってる本体……手持ちのを子機って言うならこれは親機っていうのかな、それに声が届く。オレのイケボ聞きたかったら『1』だかんな。『2』だとジルの甘ーいボイスが聞けちゃう。『3』だとブロッグに繫がるけど、今はこっちからは通信しない方が良さげ。あと、『10』にすれば全員と繫がる――」
尻込みが、もう止まらない。こんな自分が、手伝いなどできるだろうか?
ホープはこのエドワーズ作業場にぶち込まれてから、失敗続きの災難続きだ。殴られ蹴られ、ケビンを見捨て、レイのことさえ忘れようとして――
「あ」
ホープはまたしても、気づいてはいけないことに気づいてしまった。それも、一つではなく。
「で、チャンネルを合わしたらこのボタンを押しながら喋る。これで通信できる。この通信機を利用してみんなで連携取りながら、ナイトを解放してブロッグもお前もオレらも一緒にトンズラ! ってなわけだ。どうだ、わかったか?」
「わ、わから、ない……おれは……」
「え、マジ? しょうがねぇな、もう一回だけ最初っから説明してやるよ。耳の穴かっぽじってよーく……」
「ダメだよ……おれには無理だ」
ドラクもジルも、ホープの訥々とした言葉に目を丸くする。
当たり前だ、また突然なのだから。
――ドラクとジルと話をする中で、ホープは一番大切なことを話していないのだ。
「レイと、ケビン……」
「は? おいホープ何言ってんだ?」
ホープがあの二人を友人だと思っているのなら、いの一番に言っているべきなのだ。
『レイとケビンという、おれの友達も助けてくれ』と。
だが、ホープはまだ言っていない。
このまま言わずに話を終わらせていたら、助かるのはホープだけだったろう。
ドラクとジルの目的は、あくまで捕まっているナイトという男の解放だけ。協力もしなかった他の労働者など、助ける義理もない。
協力したホープだけが、ナイトたちと一緒に助かることになる――
ならば今からレイとケビンの話をして、助けてもらえないか相談すればいい。
普通の者なら、誰もがそう思うことだろう。
だが、
「問題は二人を助けるかどうかじゃない……」
ホープが、今までそれを言わなかったこと。二人を見捨ててそのまま助かろうとしていたこと。
ホープが助かるのに、どうしてあの心根の美しい二人が助からないのか。
そして、
「今も、言うつもりが、おれに無いこと……」
レイとケビンは良い人だと、できれば死んでほしくないと思う。
でも、ただそう思っているだけ。もし彼女らが死んでしまったら、まぁ少し悲しいだろうか……そのレベルまでしかいけない。
――ホープには、やはり心の底から他人を愛することなど不可能なのかもしれない。
現に、ホープはレイと交わした『死なないで』というバカみたいな約束を、エドワーズ作業場にて何度自ら破ろうとした?
今、自分は生きている。約束はまだ守られている。
……だが問題はそんな上っ面な結果論では済まされない、ホープの心の在り方の問題。
「ホープ? おい、さっきからおかしいぞ。どうし――」
「おれは、ずっとおかしいよ……!」
また叫んでしまった。最低限押し殺したつもりだったが、どれほどの音量だったろうか。
ホープの心の闇が、喉から舌へ。そして音になって世界を揺らすのだ。
「おれは、弱い……ダメだ。おれに優しくしてくれた人を、みんな見殺しにしてさ……でも、それでもおれは平然としてられるんだ……だから、消えたくなるんだ……」
ドラクもジルも、あまりにも暗すぎるホープの暗黒面に触れて、声を発せなくなっている。
二人とも、自分らが無理解であることさえも理解できていないのだろう。
そりゃあ、そうだ。
この中で最も無理解に溺れて窒息しそうなのは、紛れもなくホープ・トーレス自身なのだから。
「おれなんか……助けるべきじゃないよ。ここで朽ちて、死んでいけばいい……どうせ君たちに協力しても、上手くいくはずないんだからさ……おれなんかが、上手く動けるはずがないんだから……」
「――――」
「やればやるほど痛い目に遭うばっかり……おれはもう、うんざりだよ。協力者なら、他にもっと良い人がいると思う」
「――――」
「君たちはいい人だから、ナイトって人には助かってほしいと思うよ……それだけは本当だ……」
ホープは自分でも、もう何を言っているのか理解できていない。
もしかすると文章の一つ一つが、前後と繋がっていないかもしれない。
『自殺願望』、『苦痛への忌避』、『自分に優しくしてくれた人をいとも簡単に見捨てられる自分』、『約束を忘れようとしていたこと』、『上手くいくビジョンが見えない』、『ブロッグの足を引っ張ってしまう』、『自分の弱さ』……様々な負の感情がないまぜになり、完全にキャパシティオーバーだ。
心が折れただの、潰れただの、そんなことは序の口だった。
自分の『望み』、それに相反してしまう自分の『倫理観』。そしてそのどちらも成立させられない理由である、自分の『弱さ』。
板挟みに板挟みを重ねる状況下で――ホープは壊れたのだ。
「じゃ……また、どこかで会えたら……」
壊れてしまったホープは、仕方なく二人に背を向け、地面に散らばっている道具を拾おうとするが――
「待てよ、ホープ」
呼び止めてきたのは、いくらか低いトーンで発されたドラクの声だった。
「何言ってんだか、さっぱり意味がわかんねぇぞ! どういうつもりだ!? まさかこれで終わらせる気か!?」
ドラクはもうここが閑静な作業場であること、敵地であることも忘れて、フェンスに顔面を押しつけ、力いっぱい張り上げた声でホープに無理解を叩きつける。
「レイとケビンってのは誰だ!? お前の仲間か!? どうして言わねぇんだよ、言ってみろよ!」
「……仲間じゃ、ない。友達ですらない……おれには、そんなものになる資格もない!」
「で、何だ!? 事情は全くわかんねぇけどよ! 自分が弱ぇからって、自分がどうしようもねぇクズだからって、そいつら見捨てんのか!? 全部諦めて『はいサヨナラ』か!?」
「……もう、いいんだよ! もうどうでもいい……放っといてくれよ! 苦しい思いをしてる労働者なら、他にもたくさんいる! ……他を当たってくれドラク!」
声を張り上げてくるドラクに、ホープも湧き上がってくる怒りを隠さずぶちまける。ドラクは口を噤んでしまった。
――そんなことをしていると、気づいた何人かの指導者が怪しみ、こちらへ向かってくる足音がする。
その方向へ顔を向けるホープの背後からまた声がかかり、
「ホープ――あなたの目、まだ、死んでない」
「……死んだも同然だよ」
どこか悲しげなジルの呼び掛けも、軽く流してしまう。
地面に放っていたツルハシやスコップを拾い上げ、建物の裏から出ようとするホープ。
だが、
「納得いかねぇ!! 話は終わってねぇぞホープ! そいつを取りやがれ!」
ドラクがそう叫ぶと、フェンスの外から内へ何かが投げ入れられる――手のひらサイズの、予備の通信機。
振り返るホープが地面に落ちた通信機の画面を見れば、チャンネルは『2』。
ドラクはジルから通信機をぶん取り、それに口を近づけながらも、二人揃ってバーク大森林の闇へと後退していく。
ホープは腕の中の道具そのままに、嫌々ながら通信機を拾い、日の差す方へ歩み出る。
正面、もちろん数人の男たちが立っており、
「労働者! 今、誰かと喋ってたか!?」
「……いや、一人だ。スケルトンがいたから戦って、その時にちょっと声が出たかも」
「おい、本当か?」
「本当だよ。おれみたいにバカで生意気なクソガキなんか……誰も助けに来ない。察してくれない?」
鉄の棒やナイフを向け、警戒する指導者たち。
ホープが――自分でも驚くぐらい――やけに毅然とした態度で否定すると、彼らはあっさりと警戒を解いた。
「ふん、いいだろう……確かお前は銃弾製作だったな。今は休憩時間だ、とりあえずその道具を採掘場に置いてきたら、その後は見える所にいろよ」
「わかった」
指導者の男たちがくるりと踵を返す。ホープも道具を抱えて歩き出そうとするが、
《――こちらドラク。聞こえるかよ、おいホープ》
ホープの着るツナギのポケットの中の――通信機から聞こえるのは、既に聞き慣れてしまったドラクの声。
《聞こえてたら耳に当てろ。オレからお前は見えてる。振り返らなくても、喋らなくてもいいから、耳に当てろ》
きっとドラクは茂みからこちらを覗いていて、指導者の注目が外れたところを見計らったのだろう。
どうするのが最善なのか、ホープにはわからなかった。だから、とりあえず通信機を耳に当てた。
見張り台からも見えないようにせねばならず、手錠のせいで窮屈な体勢。
それでも今この時だけは、ドラクの言うことに従わなければいけない気がした。
《さっきも言ったけど、お前の事情はさっぱりわからねぇ。何を抱えてんだか想像もつかねぇってのが本音だ》
そうだろうな、としみじみ思う。
自分だってわかっていないホープの内面を、あんなにも混沌としたホープの説明だけで理解できたら、それはもうエスパーか何かだ。
《でも、言いたいことはまだまだある。マシンガン野郎だと思われようが、オレは言わせてもらうぞ》
これ以上何か吹き込まれても、ホープの心にはさざ波も起きないかもしれない。
通信機の電源をオフにしたり、地面に投げつけて壊すというのも選択肢の内だ。
だがホープにはそれができなかった。手錠とかは関係なくだ。
《お前が弱ぇのだけはわかった。だからって何か? ――弱ぇってのを逃げ道にして、このまま動かねぇつもりか?》
「……!!」
結果として、さざ波どころか大波が起きた。
《お前さ、待ってりゃ助かるとでも思ってんの?》
まるで大蛇に食い荒らされているかのような激痛が、ホープの心を蝕んでいく。なぜだ、なぜなのだ。
《何もしねぇ奴なんか、誰も助けねぇぞ》
息が詰まる、手が震える。頭から足先までの全ての肌が粟立つような感覚。
《何もしねぇ奴は、誰のことも助けらんねぇぞ》
ホープはその場に膝をつき、俯く。目をぎゅうっと閉じる。
《自分で動かなきゃ、地獄からは這い上がれねぇぞ――腰抜け。通信終了》
「……ぐぅッ!!」
ドラクが贈るトドメの言葉に、俯いたホープは割れ砕けそうなほどに歯を食いしばる。
――その様子をドラクとジルが後ろから見ているだなんて、すっかり忘れて。
◇ ◇ ◇
「……ドラク、少し言い過ぎ」
ホープの心の揺れ動いている様を見届け、二人は通信機の親機が置いてある場所――つまりは森の中――へ戻ってくる。
戻って早々のジルの忠告にドラクは首を振り、
「んなことねぇよ。よくわかんなかったけど、とにかくホープは『弱い』って自分で認めてんだ、言われて当たり前だ――弱ぇ自分が大嫌いだってあいつの気持ちだけは、痛いくらいわかるけどな」
視線をジルから逸らすドラク、目を伏せるジル。
ドラクだって普通の人間であり、その人間の中でも間違いなく『弱者』の部類。
ブロッグやナイト、時にはジルなんかを見ていると、置いていかれたような感覚に陥ったりもするものだ。
「でもよ、オレだって弱ぇしバカだけど、その分を取り返そうと精一杯足掻くだろ?」
「ん。みっともなく、ドタバタしてる」
「ぐは! 改まって言われるとちょっと傷付く評価ではあるが、よくわかってんじゃねぇか――『みっともなくドタバタ』、弱ぇくせにその程度のこともしねぇってんだ。言ってやりたくもなるだろ」
自他共に認める『弱者』だからこそ、ドラクは頑張るのだ。
一方ホープは自分で自分を『弱者』と名乗り、何もかもを諦めて、何もしようとしない。
『弱さ』の種類が、『弱さ』をどう処理するかが、ポジティブとネガティブで違うのだ。だからお互いに反発し合ってしまう。
しかしドラクはホープを見放したわけではないのか?
それをジルは気にかけ、
「他にも、声かける?」
恐恐と問いを投げる。
ホープは『他を当たれ』と言っていたが、本当にそれでも良いのだ。苦しんでいる労働者が他にもごまんといるのは事実なのだから。
ホープ自身がそう言っている現状、ドラクが数分前に会ったばかりの『腰抜け』ホープを見限ることはごく自然だ。
そう、ホープと出会ったのはほんの数分前なのだ。
だからドラクは――
「いいや、要らねぇと思う。逆に邪魔になるかもしんねぇ。レイとケビンって名前は気になるところだが」
それだけはあり得ないと言わんばかりに首を振ったドラクは、笑顔で腰に手を当てて天を仰ぎ、
「……たぶんホープは、磨けば光る原石だぜ。根拠ナシだけどな!」
「…………」
ドラクの言うことに根拠が無いのは、まぁ、いつものことである。
だからジルは、それについて追及はしなかった。




