第214話 『魔界の番犬・ケルベロス』
なんだろう…内容も色々と良くないですね。調子も上がらないし。
約1年放置したこと、そして1年待たせた上での最近の展開や投稿ペース?で、失望した方は確実にいらっしゃるようです。
こんな僕に、何を求めてくれていたのでしょうかね…ブックマーク0件とかなっても、結局僕は書き続けるような気もしますが…
迷っている方はこの機会にブクマ外してくれて全然構いません。本当、色々申し訳ないです。
10メートルを超える体。
荒れた毛並みの色は、暗闇のような真っ黒に見えたが、焦げ茶も混ざっている。
命を刈り取るような、湾曲した爪。
魂をも食い散らかしそうな、鋭く禍々しい牙。
ボタボタと垂れる涎。獲物を欲して自身の口を舐め回したり、口の外に放り出されたりする、舌。
どこを見ているのかわからない、目玉ども。
――三つの頭。
「「「…………!」」」
リチャードソンから『魔界の番犬・ケルベロス』という名前が飛び出した後。
三人は黙って怪物を見ていた。名前を出した張本人すらも、見ているだけ。
無知な人間たちは、沈黙によって自分に問うている。
――これは現実なのか?
――あんな生物が、実在して良いのか?
この世界。
元から、獣人がいる。リザードマンがいる。魔法を使う鬼がいる。人の血を吸い、翼を持つ鬼もいる。他にもたくさんいる。
今となっては。
人を食らう骨が歩いている。それに噛まれると狂人になる。
5メートルの熊がいる。
心臓を止めても自力で起き上がってくる最強の人類がいる。
謎は尽きない。
日々、自分で自分を試さなければ生きていけないような、修羅の世界である。
だが今、羅列したものは、見た目だけならどれも人間や動物の骨格からは、さほど逸脱していない。
あのケルベロスはどうだろう。言葉が通じるわけもないし、頭が三つあり、装甲車よりも一回りも二回りも巨大。
『生物』の根底が覆される。
――逃げ切れるのか? 勝てるのか?
まだ逃げ始めてもいない内から、葛藤だけは始めなければならない。
三人はそんな精神状態に陥っていた。
なのに、
「あぁ……ケルベロスだっけ? 走っててもいいけど、ボクの食事の邪魔はしないでよね。それだけはホント面白くないから。キミ強いんでしょ? 後で遊ぼうね」
彼は呑気だった。
目の前でケルベロスが追ってきているのに、ヴィクターは未だに装甲車の上のハッチを開けて、中にいる傭兵の血を吸おうとしている。
「ちょっとー吸血鬼さーん!? こっちに逃げた方がいいんじゃねー!?」
「キミが血をくれるの? 顔は良いから美味そうだけどねぇ、不眠症って不健康そうでさ」
「心配してんのにー……」
コールがわざわざ窓から身を乗り出して心配したが、不要だったらしい。
そんなヴィクターの一瞬の余所見を、
「ふんっ!」
「あ?」
敵は突いてきた。
半開きのハッチから腕が伸びて、ヴィクターの足を掬い、彼を装甲車から転げ落としたのだ。
片方の前輪がパンクしていてスピードが死にかけている装甲車。転がり落ちたヴィクターに迫るのは、
「グルルラァァァアア――ッ!!」
「あぇ?」
とっくに追いついていたケルベロス。その頭の一つが恐ろしい咆哮を上げながら、大口を開けてくる。
六つの目玉はそれぞれ滅茶苦茶な方向を見ていたはずなのに、噛みつく瞬間だけはギョロリと全てが獲物を見つめて爛々と輝いた。
口は当然、ヴィクターの全身を包み込むほどの大きさ――
「ッ!!」
閉じられる直前、ヴィクターは宙空で体を回転させながら刀を振るう。
「ギャン!」
「ガアッ!!」
口内を斬り裂かれた頭が下がると、すかさず隣の頭が迫る。
ヴィクターはそれの頬も一発斬りつけてから頭を踏み台にして、軽やかに装甲車の上へ舞い戻った。
「……さて、ボクをさっき落としやがった不届き者はどいつかな? いつまで人の原型を保ってられるか見ものだね」
「「……!」」
正直あのまま食い殺されてしまうのではないかと考えていたコールとリチャードソンは、吸血鬼ヴィクターの強さを改めて見せつけられ、絶句するしかなかった。
が、
「お、おい……何だこの音……」
ケルベロスの身体から、聞いたこともない、妙な音がする。
『ジュウゥゥ』と。それは非常に生々しくてグロテスクな、まるでドロドロに溶けた肉と肉が混ざり合うような――
「あれ見ろ! ケルベロスの傷……」
「再生……してんのかー……?」
今しがたヴィクターに斬られたばかりの二つの頭の傷が、蒸気のような煙を出しながら元通りになる。
車のエンジン音も上回るほどの大きな音を出しながら再生とは。そりゃ速いわけだが、どれだけワイルドな再生能力だ。
「「「グルルルァァアアアアッ!!!」」」
次の瞬間、
バゴオオオオォォォン――――ッ!!!
「「っ!!?」」
再生しつつ限界まで振りかぶった三つの首を、ハンマーのように叩きつける。
傭兵が入った装甲車も、ヴィクターも、紙っぺらのように吹き飛ばされて、森の木々を倒しながら消えてしまった。
「え……?」
一瞬にして様々なものが消えた。
コールたちとケルベロスとの間には、もう何も無い。あるのは少しの距離だけ。
「に、に、ニック……スピードを」
「ずっと最速だ」
逃走など無意味。
その距離は一瞬で詰められる。ケルベロスにとっては数歩だったのだ。
「あ」
叫ぶこともできない。
黒い毛並みが窓いっぱいに広がり、強い衝撃とともに車が回転し上下が逆になる。
車は森に突っ込み、偶然にも斜面だったらしく、しばらく転がり落ち続けることになった。
乗っている三人の体は、鉄の箱の中でひどく打ちつけられた。
◇ ◇ ◇
「あ……ぐ……?」
ひっくり返った状態で、コールは目覚めた。目覚めた途端、頭がズキズキと痛む。
「いっっっ……てー……」
触ってみると手には血が付着する。
頭を打って少し流血しているようで、ぐわんぐわんと脳が揺れている感じがする。
「んー……?」
いつまで経っても不明瞭な視界で、辺りを見渡す。
自分がひっくり返っているのは車もひっくり返っているからだ。しばらく斜面を転がって平地に着いたようだが、どれぐらい下まで落ちたのだろう。
割れたフロントガラスをおもむろに見て、
「っ」
息を飲む。
――巨大な目玉と、目が合ってしまった。
「ひっ、ひっ……むぐ」
声を出しそうになるコールの口を、大きな手が包みこんだ。
ニックだ。すぐ隣に仲間がいる安心感はコールを冷静にさせた。けれども冷静になったせいで、
(なんで。なんで、なんで、なんでぇー!? なんでここまで追いかけて来てる!? 動物ってこんなに執念深かったかー!? いやだ、もう、こんな世界いやだ!!)
この理不尽さに、気づいてしまう。
だいぶ斜面を転がり落ちた車を、ケルベロスは追いかけてきたのだ。
ひどい。こんなの……あんまりだ。
車は逆さまでボロボロ。走れるわけもなく、潰れているからドアすら開けられるかわからない状態。
詰みだ。
(終わった……)
一人、絶望に打ちひしがれるコール。
ケルベロスは動くたびに巨大生物特有の気味の悪い音を出しながら、車をじっくりと検分しているようだ。
一歩でも外に出たら死ぬ。出なくても、待っていれば普通に死ぬ。
「グルル……」
「ガルルル……」
「……ガアアアッ!!」
何を思ったか、けっきょく車に齧りつこうとするケルベロス。
だがその前にリチャードソンが、ニックとコールの近くまで這いずってきて、
「目ぇ塞げっ!!」
「「「ッ――!? アアァガッ!!」」」
車の外へ投げられ、宙を舞った『閃光手榴弾』がケルベロスの鼻先で炸裂。
眩い光に六つの目が焼かれ、
「ギャアアアッ」
「ワフッ! ワフッ! バウッ」
「ゴアアアゴアァァァ!」
地面を転げ回って悶える。
三つの口がそれぞれの悲鳴を上げているので、非常にやかましい。
巨体なので地響きも凄まじい。
そんな中、ニックがフロントガラスを蹴破る。リチャードソンがコールを抱える。
走り出す二人は、大した怪我は無かったようだ。
「あそこに研究所のような建物がある。さっさと逃げ込むぞ」
「あんな空想上の怪物みてぇな野郎に、文明の利器がいつまで効くか、誰にもわからんからな!」
もっと距離を離したいところだったが、森の中を走ってる途中に奴に追われてしまえば一巻の終わり。
犬だから鼻が利く可能性は高いが……距離が近いとしても建物内に隠れた方が、いくらか安全に思える。それが彼らの判断だった。
◇ ◇ ◇
鍵がかかっていなかった鉄のドアから、寂れた研究所のような建物へ入る。
リチャードソンは落ちていた空き瓶を手に取り、ドアノブの部分に置いていた。
「身を隠すんだ。銃は使うなよ」
ニックがわざわざ忠告したのは、廊下の先に狂人の集団が見えたからだ。研究員のような白衣を着ている個体も見られる。
「ウ"ゥ」
「アアア"」
とはいえ大した数ではなく、ニックは無言で突っ込んでいく。
コンバットナイフで次から次へと頭部を刺して殺していくが、
「っ……」
最後の一体を始末しようとした一瞬、彼の手が止まった。
リチャードソンは周囲を警戒していて気づいていない。
コールには、ただのゴーグルや指輪や腕輪のようなアクセサリーをジャラジャラと着けた狂人にしか見えないのだが。
「…………こんな、所に」
けれどもニックは普通にトドメを刺し、ド派手な狂人が倒れた。ほんの少し何かを呟いて呆然としていたが、走り出すリチャードソンに釣られて彼も走った。
その時、微かに空き瓶の割れる音がした。
「入ってきたな……!」
◇ ◇ ◇
「何だ今の? 何が割れた!?」
ボロボロの体で研究所に入った『十三人の傭兵団』ウォレスは、何らかの罠が作動したのかと焦った。
しかし、ただ音が出ただけらしい。
「……ウォレス……! 大きな音出しやがって」
「フィッシャー!? 先に入ってたのか! あぁ痛ぇ、頭打っちまった」
「声が大きいっ。またあの化け物が追ってきたらどうすんだ……」
先に逃げ込んでいたフィッシャーは、コールたちも入ってきていたのを見ていた。だが今は奴らと戦っている場合ではないのかもしれない。
「バケモノって? どっちだよ。吸血鬼か、デカくて頭が三つある犬のことか……」
「どっちもだ。装甲車は?」
「車体は潰れちゃいないがパンクさせられたし、ひっくり返っててどうにもならん」
「クソ……」
まさか、せっかくの装甲車が全く役に立たない事態になるとは想定外だった。
ここはそう大きい建物でもない。隠れ場所も少ないし、このままだとホープの仲間たちかバケモノか、少なくともどちらかと戦闘になるだろう。
「どうする?」
「……やるしかねぇだろ。人外どもに勝つのは難しいが、この薄暗い建物の中なら、数人の人間ぐらい殺せる」
「少しでも敵を減らして生存率を上げるってわけか。じゃあ俺は……っ!?」
「ッ!!?」
二人は、壊れた窓から首を突っ込んで見回してきている、ケルベロスの顔を見つける。
(ウォレスお前っ!! 追われながら来やがったのか!?)
(い、いや、そんなつもりじゃ……)
(やってくれたな……!)
隠れつつ、そそくさと逃げるしかなかった。
◇ ◇ ◇
入り口から離れた位置にある部屋。
リチャードソンが先に入って検分した後、連れてきてもらったコールは手頃な椅子に座らせてもらうが、
「んー……?」
ニックが率先して周囲を探索してくれると言われ、今は待機していていいのだが、テーブルの上に研究資料のようなものが色々置いてある。
そこには日誌のようなものもあり、興味本位で見てみると、
『第八代エリアリーダー……世界の歴史は千年ほどしか……』
「何だこりゃー?」
ところどころページが破られていてよくわからない。そもそもここが本当に研究所かもわからないし、そうだとして何を研究していたのだろうか。日誌からも全く読み取れない。
でもページをめくり、読み進めてみる。
『私は世界の果てを見た……自分の目が信じられない……信じたくない……』
「は……?」
世界の、果て?
フーゼスが適当なことを言っていた覚えがあるが、本当にそんなものが実在するというのか?
あの時バカにしていたリチャードソンにもこの内容について聞こうかと思ったが、その前にコールの手はページをめくってしまっていた。
そのページは、
『世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て世界の果て――――――』
「うわあっ!?」
その迫力に、コールは椅子ごと後ろへひっくり返ってしまう。
同じ言葉が、グチャグチャに大小さまざまに、尋常ではない量で敷き詰められていた。
ところどころページに血が滲み、引っ掻いたり破った跡もあり、書いた者が完全に狂ってしまったことは想像に難くない。
『世界の果て』に、いったい、何があったというのか――
「コール!! リチャードソン!! そっちに行ったぞ!!!」
爆発音のようなものとともに、響き渡るニックの声。
そして地響きがこちらへ近づいてくる。ものすごいスピードだった。
どうやらコールの驚く声が聞こえてしまったようで、
「「「グルルルァァァアア!!」」」
その巨体で廊下の壁や天井を削りながら、ケルベロスが襲い来る。
「クソッタレ!」
「ガウゥッ」
コールの前に立ったリチャードソンが、マグナムリボルバーで応戦。
痛がる仕草は見せるのでノーダメージではないのかもしれないが、傷は再生して立ちどころに塞がってしまうので、あまり効いていると思えない。
高火力の銃の前に怯みはするケルベロスだが、少しずつ距離を詰めてきて……
「ガアアアッ」
「ウウー……」
今度は、ケルベロスの横方向からハンドガンの音が連なる。
ニックが駆けつけたのだ。
「こっちだ! 来やがれ!」
「ガルァァァ!!」
しつこく肉体を傷付けてくるニックに怒ったケルベロスは方向転換し、追いかけ始める。
ニックも走っているようだが、これは危険すぎる。すぐに追いつかれてしまうだろう。
「あいつめ、無茶を……!」
「リチャードソン行ってくれー!」
「なっ……コール? だがお前さん一人で……装甲車の奴らが来たらどうする!?」
「ケルベロスはアタシが引き寄せたんだ! 本当はアタシが囮にならなきゃ『筋が通らない』けど、アタシは今ケガしてて役立たず……せめて、ニックを死なせないように助けてやってくれー!」
「くっ……! ――よし、わかった」
言いたいことは多々あるだろうが、飲み込んでリチャードソンは走り出す。
逆にコールは部屋に残るわけで、
「バカな女だ。この時を待ってた」
「ッ!!」
すぐ近くの物陰から傭兵フィッシャーが飛び出し、鎌を振り上げてくる。
コールもハンドガンを取り出すが撃つのは間に合わず、銃身で刃をガードするしかなかった。
「うぐっ……!!」
攻撃は防いだものの、銃が弾かれて飛んでいってしまう。武器を失ったコールに迫る鎌。何度かギリギリで避ける。
そして鎌が大きく空振りされたところで、
「っ」
「どわっ」
「てぇーぃ!!」
振り下ろされたフィッシャーの肘に鉄槌打ちを入れて体勢を崩し、手先を蹴って鎌を吹き飛ばした。しかし、
「おらあっ」
「ぐうッ!!」
素早い裏拳を頬に食らい、コールは地面に倒される。だが近寄ってくるフィッシャーの膝に、すかさず蹴りを入れて片膝をつかせる。
コールは立ち上がって拳を握りしめ、
「ふんっ!」
向こうが先にパンチを放ってくるので、それをもう片方の手で制してから、
「っ!!」
「おぶ」
コールは、とうとうフィッシャーの土手っ腹に拳を入れる。続けざまに顔面を一発殴打、顎にアッパーまで決めて、追い打ちでフックも入れてしまった。
「うぉっ……!?」
短時間で脳みそがぐわんぐわん揺らされたフィッシャーが倒れ、立ち上がろうとしつつコールを睨みつける。
――さぞ驚いていることだろう。目の前の華奢な女性が、まさかここまで格闘ができるとは思うまい。
睨まれたコールは鼻血を拭いながら、歯を見せて笑う。
「地元じゃ、ケンカ……負けたことねーんだわ」
「なるほどな……」
しかしフィッシャーも強い。傭兵を名乗るだけあって戦闘に長けている。
裏拳の一発だけで、フラつくほどのダメージを受けてしまった。さらに、
「あぐ……っ」
フィッシャーの膝が間近に迫り、気づいた時には腹にめり込んでいた。
呼吸が苦しくなり、今度はコールが膝をつく番になってしまった。
「可哀想だな、女」
「っ!?」
歩きながら突然、傭兵が語りかけてくる。今さらになって、同情のようなセリフだった。
「……いや違うな。このグループ全員が、ホープ・トーレスという男に巻き込まれた……つまりは『被害者』でしかない」
「……!」
「ご苦労なことだ。本当に同情するよ……今から俺に殺されるお前が、不憫でならん」
別に言い返さなくてもいい。無視して、自分の戦いを続ければいい。
多くの人はそう思うだろう。だが今のコールにはできなかった。
それは、自分との戦いだから。
「……アタシはこの事態を、『せんせー』のせいにする気はねーな」
「仲間思いなこって」
ホープが『カラス』とどんな話をしようが、彼は最初からずっと狙われていた。
それは『破壊の魔眼』のせいであり、その魔眼については、誰よりもホープ自身がずっと悩み苦しんできたこと。
だから、きっと、仲間たち全員が暗黙の了解で、同じ気持ちであるとは思う。
でも今のコールは、敢えて表現したい。うるさい敵に向かって、言ってやりたい。
ホープと『仲間』であり続ける覚悟を――
「だからアタシは、アンタに負けるわけにはいかねーんだよ!! それが『筋を通す』ってことだ!」
「っ」
きっとホープは自分を責めている。
自分のせいで仲間たちを巻き込んだと、傭兵が言ったことをそのまんま考えているはずだ。
その気持ちを払拭してやりたくても、コールにはできない。
だから。だから……せめて、殺されないこと。敵に負けないこと。願わくば勝って、無事に帰ること。
これを貫き通すことで、ホープの心が僅かでも軽くなるのなら。
「うあああああーーーーッ!!!」
「この……っ!!」
互いのパンチが、互いの顔面に直撃。
コールは戦う。戦って、戦って、戦って、そして生きる。生き残る。
殴って、殴られて、蹴って、蹴られて。ありとあらゆるところから出血していても。
「かはっ、けほっ……ド、ドラクにだって……謝って……また、仲良くするんだー……っ!!」
殴られて、どこかわからない奥歯が折られて、口から飛び出しても。
「おああああーーーーっ!!!」
一発でも多く。少しでも強く。血まみれの拳を、傷だらけの足を、敵に向かって叩きつける。
殴った時に伝わる痛みも衝撃も、殴られた時に感じる痛みも衝撃も、全てが。
生きている証である。
――その時。
「「「ガルルルルァァァァァァ!!」」」
「なっ!?」
「……ケル、ベロス……!」
豪快に壁を破ってケルベロスが登場。
ニックとリチャードソンがいない……どうなってしまったのだろうか。
そんなことも考えていられないぐらい、コールは満身創痍だった。
つまり逃げることもできない。なのに、
「ゲホッ……こりゃいい……お前は奴の餌になってもらおう」
「う!?」
「待ってろ……足を折ってやる」
フィッシャーに背後を取られ、羽交い締めにされてしまう。
彼はまだ随分と余裕がありそうで、コールは抵抗もできないほど疲れていた。
正面からケルベロスが突っ込んでくる。
唾液まみれの並ぶ牙たち……今からアレを全身で味わうのだろうか。
「クッッ……ソ……ごめん……せんせー……」
敗北。
そんな二文字しか頭に浮かばないコールの揺らぐ視界に、ニックの大きな背中が映った。
「「「ガァァゥオオオオッッ!!」」」
超至近距離でニックが放ったショットガンの散弾が、三つの頭をまとめて跳ね返す。
さらにリチャードソンが飛び込んできて、フィッシャーをタックルで吹き飛ばした。
「ぐ……マズいっ!! ウォレス! ウォレスどこだ! 行くぞ!」
リチャードソンを振り払い、フィッシャーは全力で逃走。
だが走った方向に待ち構えていたのは、
「吸血鬼……お前もここにいたのか!?」
シルクハットを取ってお辞儀をする、ヴィクターだった。
今の彼からは殺意を感じられない。
「ウォレス? それってさ、もう一人の黒い服の奴?」
「そうだが……まさかお前!?」
「あぁ、あいつね。残念だけどボクに血を全部吸われて死んじゃったよ♪」
「なん……だと……」
突然のウォレス死亡報告を聞かされ、フィッシャーは立ち尽くした。ヴィクターが若干満足げなのは血を吸えたからだ。
背後にはニックがおり、
「どぶうっ!!?」
「餌になるのはてめえだ。あばよ」
「ぉ、ぉ……ぁ……」
感じたこともない威力のボディブローを食らって、その場で悶絶するしかないフィッシャー。
ニックやヴィクターがその場から離れる。ショットガンの傷を癒やしたケルベロスが狙いを定めて舌なめずりをした。
「ぁ……く、くるな……やめろ……」
「グルル……」
「ウゥー……」
「ガルルルァァァッ!!」
「やめろぉぉっ」
真ん中の頭がフィッシャーの腰元を咥え込み、上下の牙でプレスする。
「おぼああああああああ」
口の両端から滝のように鮮血が絞り出される。
フィッシャーの上半身と下半身が千切れて別れそうになりながらも高く掲げられ、今度はケルベロスの左右の頭がそれぞれ近づく。
「ガアァッ」
「ガルルル」
バタつく足を、叫ぶ口を、停止させるようにバクリと噛みついた。
フィッシャーの体が三等分に引き裂かれ、三つの口が美味そうにムシャムシャと、行儀悪く血肉を撒き散らしながら咀嚼している。
「……!」
もちろん距離を取りながらだが、ニックやリチャードソン、コールは戦慄を覚えていた。
一つの頭が食事をしているのだから、他二つの頭は満足したり、別の生存者を狙ったりしてもいいはずだ。
なのに、三つの頭には個別に膨大な食欲があって、目の前にある獲物を奪い合うように貪っているのだ。
常軌を逸した見た目通りなのだが、なんと貪欲な獣であろうか。
またしてもリチャードソンに背負われてしまっているコールには、謝罪や感謝、色んなことが頭を駆け巡っていたが、
「……そこのキミさぁ! 思い出したんだけど」
「えっ……?」
ヴィクターが、走っている三人には到底追いつかないスピードでゆっくり歩きながら、声をかけてきた。
こっちは急いでケルベロスから離れたいというのに、本当に呑気な男だ。
「ドラク……だっけ? あの三枚目みたいなうるさい奴と恋仲じゃなかった? 最近気まずそうだけど、もしかして別れたのかな?」
「え……い、いやー……」
「その反応は図星ってことか、それともハッキリしてない感じか。ボクは失望したよ」
「えー……?」
「あんなカッコよくもない奴と、キミみたいな顔の良い女が付き合うなんて、ちょっと面白いことかもなぁ、と思ってたのにさ。こんなにもすぐ別れるなんてね……」
後ろを振り向いていたコールの目と鼻の先、ヴィクターの刀が――
「面白くないんだよ」
「てめえがな」
斬られそうになった瞬間、ヴィクターの「は?」という声が後方へフェードアウト。後ろからニックが掴んで、ぶん投げたのだ。
さらにその後ろからは食事の終わったケルベロスが突っ込んでくる。
「……キチガイリーゼント野郎!! ボクまであいつの餌にする気だってのか!? 別にあいつと遊ぶのはいいけどキミの性根が気に食わない、今すぐに殺してやる!!」
「やってみろアホンダラ」
ヴィクターの怒りの矛先はニックへと変わり、駆け寄るケルベロスに勝るとも劣らない速度で斬りかかる。
が、
「うおおおっ!?」
刃がニックに届くより先にリチャードソンに銃撃され、ヴィクターは直前で上体を反らして回避。
マグナムリボルバーでしっかりと頭部を狙ってきたのだ。
「ちょっとキミやりすぎじゃないか!? ボクを殺すつもり!?」
「どうせ当たりゃしねぇだろ」
「そうだけど頭おかしいんじゃないの!?」
口の片端をつり上げて悪戯っぽく笑うリチャードソン。
二人とも、ヴィクターが死なないと踏んだ上で実行しているのだった。
「「「グルルルァァァッ!!」」」
「うわ! 本当にボクを身代わりみたいに扱ったな、キミら覚えとけよ!?」
ケルベロスの一つの頭の大口を正面から手と足で押さえつつ、襲いかかる二つの頭を斬りつけるヴィクター。
さすがに焦っている彼を背に、三人は研究所からの脱出を果たした――
◇ ◇ ◇
車がなくなってしまったので、三人は徒歩で現在のキャンプ地まで戻る他なかった。
背負われていることしかできない、腫れ上がった顔のコールは、
「ごめんなー……アタシ、役立たずでさー……」
唇も腫れており、喋りづらそうに謝罪をした。
「…………」
「…………」
ニックもリチャードソンも、敢えて何も言わないでおいた。
彼女は今、複雑な心境にある。でも彼女には解決する力がある。そう信じているかのように。
「せんせー……アタシなりに『筋を通す』ってことが……できたかなー……」
どうしようもないぐらいの青空を見上げて、コールは手を伸ばす。
「……あ……あとさー……それとは、別でさー……アタシの我欲で……」
「ん?」
予想外の切り出し方にリチャードソンが疑問に思っていると、
「気を失うまでぶん殴られたら……久々に寝れるかもって……思ったんだけどなー……」
「……ぶわっはっは!!」
何だかよくわからないジョークのようなものに、リチャードソンはつい笑ってしまった。
今夜は、よく眠れるのかもしれない。




