第212話 『小さな無双』
「っぎゃあああああああやめてよして触らないで菌がつくからぁぁぁぁぁぁ」
サナの声に反応して振り返ったはいいものの、結果としてドラクは大柄なジェンセンに正面から押し倒された。
鎌の一撃が振り下ろされると――
「あああぃぃ……って、あれ?」
「ぐぐっ……!」
鎌は、ドラクには刺さっていない。
すぐ横の床に刺さって、ジェンセンは抜くことができないでいるのだ。
だがジェンセンはすぐに気づく――鎌など抜かなくても、目の前のヒョロい男を殺すなど容易いことである、と。
このまま馬乗りしながら、首でも絞めてしまえば速攻で終わる話だ。
だがその直前にドラクが気づいた――『私のせいでドラクおにいさんが殺される』と思って、絶望の表情で膝をつくサナの姿に。
……死ねない――ッ!!
「ドラク必殺っ!!!!」
「!?」
「目潰しィィィィィ!!!!」
こちらへ向き直るジェンセンの顔に、残っている右手を突き出す。
そして相手の顔面を掴みつつ、親指を眼球にめり込ませた。沈んでいく指。
「うぐあぁッ!!?」
「どけ!!」
惨いことになった左目を押さえながら雄叫びを上げるジェンセンに、蹴りを入れて退かしたドラクは立ち上がる。
トンカチを抜き放つが、
「し、死ねぇッ!!」
「おわ!?」
片膝をつくジェンセンがナイフを取り出して斬りつけようとする。
ドラクはギリギリで避ける。さらに繰り出された突きを回避して、
「こんニャロ!!」
「がっ」
ジェンセンの脳天に、フルパワーのトンカチを叩き込んだ。それだけでは終わらない。
「――エンタテイメンツオブオレだオレだオレだオレだオレだオレだオレだぁぁぁ!!!」
「ごぶッ!? あぐっ! ごぅっ……!」
ガツン、ガツン、ガツン。
トンカチで執拗に頭部をタコ殴り。
「ああああぁぁぁ!!!」
「ぐふッ……あぅお……」
そもそも普通の人間であれば、頭を一発、トンカチで本気で殴られたら致命傷。
最初の一発の時点で勝利は決まっていたのだが。
――しばらく殴り続けるとジェンセンの頭が割れて、とてもグロテスクな見た目に。
床に倒れた大柄な体。手や指が痙攣したようにピクピク動いている。
殺した……
ドラクが殺した。
「ハァ……ハァ……」
「…………」
「ハァ……だ……大丈夫……か……? サナっち……ハァ、ハァ……」
「……もう一人……」
「ん?」
「もう一人、どこいったのかな……?」
「んんっ?」
虚ろな目をしたサナが、ぼんやりとした言葉を紡いで。
衝撃の事実が発覚すると同時――ガチャリ。
玄関とは反対側、つまり裏口のドアが唐突に開いた。
ドラクは期待した。味方の無口な剣士が来てくれたのだと。
ダメだった。現実は厳しかった。
「てめぇらまさか……!?」
ナイフ二刀流の黒服、エド。
なぜか少し負傷している様子だが、ドラクが正面から戦って勝てる相手ではなさそうだ。
……それを、一瞬で判断して。
ドラクは再び『禁じ手』を出す。
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
腹の底から叫ぶ。
目を見開いて見つめる方向、指差すその先に――まるで何かが接近しているかのように。
エドの背後に、まるで何か未確認飛行物体のようなものが存在するかのように。
いわゆる『あそこにUFOがっ!』。
人の本能か。
もしくは『別のもの』を警戒したのか。
エドは――つい、背後を確認してしまった。
ほんの一瞬のこと。
けれど、その隙が命取り。
「こんっの、七色ガングリオンプレミアムどアホ野郎がぁぁぁ!!!!」
「――のぉっ?」
目線を戻した時には手遅れ。
突っ込んだドラクの鋭い攻撃が、エドの喉元を的確に抉った。
それはジェンセンから奪ったナイフ――慣れない隻腕なのに、しっかりと狙った部分に当たったのは奇跡だ。
勢い余って外へ飛び出し、動かないエドの上に覆い被さったドラク。
ナイフが喉に刺さったままの敵が死んだことを確認すると、隣の地面へ大の字に寝転がった。
「は、はぁっ……はっ、はっ……はぁ……」
「…」
「はっ……はっ……はぁ、は、はぁはぁ……」
「…」
敵を逃がしてしまって追いかけてきたエディが、ようやく合流。申し訳なさそうに頭を下げる。
エディを責める気は微塵も無く、笑って流してあげたい。だというのにドラクは全然呼吸が整わない。滝のような汗。会話などできない。
これは仕方が無いことだ。
慣れない隻腕で身体のバランスがおかしいのに、いきなりバカみたいな運動量、しかも人間を一気に二人殺害するというとんでもない所業を行うことになった。
だから――ちょっと情緒不安定になっても許してもらえるだろうか。
「サナ!!!」
「……っ!? ド、ドラクおにいさ――」
「パパんとこに戻るぞ。いいな?」
「っ!」
「いいな!!?」
「……うぅっ…………はい……」
顔を返り血まみれにして、有無を言わさず本気で怒鳴るドラクの恐ろしさ。
唐突に二度の殺人を目の当たりにする。
そしてこれから父親に会わなければならない。
色んな意味で、サナは怖がっているだろう。とうとう泣いてしまった。
ドラクは少しだけ呼吸が整ってきて、冷静になってくる。
「泣いてても、いいから……行こうぜ。オレも付き合うからさ」
涙の止まらないサナは肩を上下させながら、コクンコクンと頷くしかないようだった。
◇ ◇ ◇
「……パパ……」
「…………」
「あ……あの……っ」
ドラクとエディの眼前、小さな体を震わせるサナがイーサンに近寄る。
イーサンは平らな岩に座っていて、娘に背を向け続けている。
「わ、私……」
「――なぜいなくなった?」
「えっ」
表情を見せてくれない父親の冷ややかな声に、サナは本気でビクついた。
止めるべきかと考えもしたドラクだが、イーサンは自分よりよっぽど歳上で、何よりあの子の父親である。
暴力でも振るわない限りは、止める資格など――
「……それは……パパが……」
「俺が嫌いだからか?」
「えっ」
「俺が、嫌いだから!! それだけの理由で、遠くに行ったんだな!!?」
「っ」
明らかに激昂しているイーサンが立ち上がり、恐ろしい怒りの顔でサナに近づく。
「っ……!」
そして――かなりの力で平手打ちをした。
サナの頬が赤くなる。
ついでにドラクも制止しようとして顔面からズッコケて、鼻血を噴いた。
泣き出すサナに、
「たったそれだけの理由で!! こんなに皆に迷惑を掛けて!! 恥を知れ!!!」
「うっ……うぅっ……」
「こんな死と隣り合わせの世界で!! なんて浅ましいっ、軽率な行動を!!」
「ううう……」
「泣けばいいと思ってるのか!! 消えればいいと思ってるのか!! それで解決するほど人生は簡単じゃないっ!!!」
完全に泣きじゃくっているサナに対して、らしくないイーサンの本気の説教が止まらない。
子供が相手だから言いすぎに見えるが、正論ではある。それとも子供が相手だからこそ厳しく言わなければならないのか……
しかし流れは変わってくる。
声の激昂具合は変わっていないものの、
「他人の心配する気持ちも考えずに!! この親不孝者の、バカ娘がぁ!!!」
「……え?」
「お前が俺を嫌いで!! 逃げ出したとしても!! 俺が、仲間たちが、お前を探さないわけがないだろうが!?」
「う……」
イーサンが。そして仲間たちが。サナを愛していないわけがない。
どんな理由だろうと、いなくなったら大慌てで探すに決まっている。
「お前は……ほんっとに……心配させやがって……」
「……パパ……!」
「無事で良かった……本当によかったぁ……」
鬼のような自身の態度に耐えきれなくなったらしく、イーサンは情けない顔で泣き始めて、サナを抱き寄せる。
サナも父親の温もりを確かめるように強く抱きしめて、
「パパごめん……キライじゃないよ……大好きだよ……私、まちがえてた……」
「わかってる。お前は強くて賢い……これだけ怒ったのは、お前なら理解して、成長してくれるって……わかってるからだよ……」
「パパがころしたのは――ママじゃなかった。そうだよね?」
「……ああ、そうだよ……俺だって……やりたくなかった……今でも、ふとした時に……ニコルのあの顔が……蘇る……」
「くるしいよね……ごめんなさい、ごめんなさい……『ひとごろし』なんて言って……」
「もういい……もういいんだ……」
心の傷は、そう簡単には消えない。
この親子も、お互いの嫌な面を知ってしまったりして、すぐには前の関係に戻れなかったりするかもしれない。
けれど『幸せ』には――負の面だって必要だ。
悲しみも、苦しみも、痛みも無い『幸せ』なんて、残念だが『おとぎ話』でしかない。
他人の嫌な面を知って、それを曲げたり正すことができない時であっても……それでも、その人の良い面を見ようとしたり、その嫌な面さえも好きになろうとしてこそ……『愛』だ。『幸せ』だ。
だからこの親子は近づいたのだ。
真の『幸せ』に。
「ドラクくん…………ん?」
気恥ずかしくも涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をドラクの方へ向けたイーサンは、少し困惑した。
「うおおおおん泣ける、泣けるぞぉ……!!」
ドラクが号泣しているから。
でも、それに構わず言うべきことを言わなければならない。
「……ドラクくん、エディくん!! 娘を守ってくれて、ありがとう!! 心の底から感謝する!! ありがとうっ!!」
「……っ!」
「…」
イーサンは額が地面にめり込むほどに土下座して、ドラクとエディに感謝を示す。
特に何もしていない、とでも言うようにエディは腕を組んで背を向けたが。
そして、
「ふたりとも!! あとパパ!! 勝手にいなくなって、ごめんなさい!! 助けてくれてありがとうございました!!」
「サナっち……」
「もう、こんなことしません!! ずっとずっと、なかよしでいてください!!」
父親に続いて土下座をするサナ。親子並んで仲良く土下座である。
こんなことをされる柄ではない……とドラクは後頭部を掻くが、
「たまには……こういうポジションも悪くねぇかもな!」
ちょっとしたヒーロー気分に浸るのだった。




