第211話 『迷子の迷子の』
「お」
左腕を半ばで失っているドラクは、ある男の背中を見つけて近づく。
「…」
「ようエディ」
「…」
ロン毛にロングコート。口元を隠している無口な剣士、エディ。
が、彼もまた、刃が半ばで折れてしまっている自身の剣を眺めていた。
「そりゃ虎に折られちまったんだっけ? まだ使う気なんだな」
「…」
エディは頷く。
訳ありの剣なのか、相当愛着があるのか。どちらにせよ彼は物を大切にする男のようだ。
そして、
「……ジルを運んできてくれたんだってな。ありがとよ」
「…」
きっとメンタルが不安定な上に大怪我までしてしまったジルは、お礼も言っていないだろう。
彼女の分までドラクは感謝した。エディの反応はただ見つめてくるだけだが。
振り返るドラクは遠目にジルの姿を見る。
「…………」
大雑把な治療……応急処置? を施されたジルは大木の根元にだらりと座っている。
ダボダボなパーカーの、正面のファスナーは完全に開いている。下着はつけていない。
その状態だとほとんど裸になってしまうはずだが、今の彼女は胸周りが包帯で覆われてサラシのようになっていて、傷とともに大事な部分も隠されていた。
それでも包帯の隙間から、ところどころ白く艶やかな乳房が見えてしまうが。
「ってかエディさんエディさん怖くね!? 森の中にヤベーのいっぱいおりますやん! ジルみたいにぼっちでいたらどっから刺されるかわかったもんじゃないぞい!? オレのこと守ってよ!? エディさんその頼りない折れた剣でオレのこと全力で守ってよぉ!?」
「…」
すごく呆れた目で見てくるエディだが、仕方が無い。ドラクは相変わらずの弱者だし片腕なのだ。
襲われたら、ひとたまりもない。
――額などに多少の傷、そして胸に重傷を負ってしまったジル。
彼女は森を一人で歩いていたところを黒い服の者たちに襲われ、何とか逃げ出したそうだ。
動けなくなってしまったジルを偶然通りかかったエディが連れ帰り、今に至る。
「近くにヴィクターとかナイトがいたって噂もグループ内に出てるが……今のジルのことだ。仲間が近くにいても遠ざけるだろうな」
そんなふうに見ていると――俯いていたジルが顔を上げてドラクの視線に気づく。
弱々しくパーカーを引っ張って、胸の部分を隠そうとしているようだ。
「……変わっちまったな。オレ相手に何を恥ずかしがってんだよ、バカ……」
今の行為は『ドラクを男として見ている』とか、そういう意味ではないはず。
メンタルが崩壊しているから、何かしら人格が歪んでしまったのだ。要するに病んでいる。本人もよくわかっていないだろう。
と、
「おーい!! サナ! サナぁ!? おい誰か、サナを……娘を見てないかぁーっ!?」
悲痛な叫び声が聞こえた。
なぜか娘の名を呼ぶ、イーサン・グリーンだった。
「サナっちが……どうしたんだ?」
そうだ。精神的に参っているのは、何もジルに限らない。
ドラクと恋人ではなくなってしまったコールもそう。
グリーン父娘もまた、そうなのだ。
◇ ◇ ◇
「ああ。終わりだ……俺のせいだ……」
すっかり意気消沈した様子で座り込んでいるイーサンを見つけ、ドラクとエディが駆け寄る。
「…」
「イーサン!? おい! まだやる気を失うな、オレたちが聞くって! サナっちがどうしたんだよ!?」
妻を失った悲しき男。目は血走り、顔色もどこか青白く見えた。まるで覇気を、生気を感じない。
肩を揺すられた彼は頭を抱えながら、
「……あぁドラクくん……いないんだ……」
「え!?」
「娘が……どこにも……いない……姿を、消してしまったんだ……」
「な、何で急に!?」
どこを見ているのかわからない目で、イーサンは追い詰められすぎてもはや乾いた笑みを浮かべながら、ぼんやりと喋る。
「俺のことが……嫌いだからだろ……」
「そんなことで!? そんなことで、急にいなくなっちまうのかよ!」
「それほど俺のことが嫌い、なんだろ……」
「……確かにずっと口を利いてなかったが……」
イーサンにとっては妻。
サナにとっては母親。
そんなニコル・グリーンを失ってから――父と娘の関係は最悪だった。
サナは賢いからわかるはずだ。
イーサンがトドメを刺したあのニコルは、生きているニコルではなかった。
狂人に転化して、何か別の存在になってしまって、殺さなければこちらが殺されていたことをわかっているはず。
でも、サナは絶対に認めようとはせず、イーサンとは決して口を利かなかった。
廃旅館を出てから、ずっと。
それどころか彼女はホープやドラク、他の仲間たちともほとんど会話しない。
――母親の死。目の前で母親を失ったことを、まだ受け入れられていないのだ。
サナは8歳かそこらだ。それ自体は仕方がないとも言えるが、
「ちょっと、おいたが過ぎるんじゃねぇか?」
失踪までしてしまってはマズい。とドラクは思っている。
そんなことをして、父親が取り乱さないとでも思っていたのか。
サナは、あの賢い女の子は、本当にそんなことまでわからなくなってしまったのか。
「……ジルちゃんは……森で何者かに襲われたんだろ……サナも今は一人のはず……もうすぐ殺される……殺されっ、殺さ、殺されぇぇぇ……!!!」
「落ち着けって! だったら早いとこ探そうぜ!」
「……お、お、俺が追いかけても……どうにもならない……サナは俺を避けて……もっと逃げる……あいつは……ニコルに似て頑固だ……ああ、俺か、頑固は……ハハ、ハハハッ……」
「……っ!」
確かに、今の『おいたが過ぎる』サナだったら、イーサンが心配して追いかけても当然のように逃げるだろう。
そしてもっと遠くに行ってしまう。
「……ニコルすまない……俺は、俺には……父親の資格なんか――」
「しゃーねぇなぁ!!」
「は……?」
突然ドラクは大声を出して立ち上がり、勝ち誇ったように歯を見せて笑う。
親指で自分を指し示して、
「このドラク様が一肌脱いでやるとするぜっ!!」
カッコよく言った直後――こっそり振り向いてエディに助けを求めるような視線を送った。
ドラクが神様のように輝いて見えて、一瞬喜びそうになったイーサンだが、
「い、いや、でもそんな……もし君たちが、俺と娘のせいで怪我でもしたら……もし……殺されたりしてしまったら……俺は……」
「何言ってんだ、しょぼくれパパ。お前らとオレらを切り離して考えんな!」
「……!」
「オレたちは仲間。サナっちだって仲間だ。それに、こちとらスケルトンやら狂人やら植物の大怪獣やら、吸血鬼やら特殊部隊やらと戦わされてんだ! 今さら普通の人間なんかに遅れは取らねぇよ!」
あり得ないことだが、ドラクの言葉にイーサンは無言で涙を流している。
「何てったって――隻腕キャラってのは、強キャラなのが定石なんだぜ!」
「……ぅ……すまない……ありがとう、ドラクくん……娘を、頼むよ……」
前にホープにも言った気がする、ドラクが決め台詞として定着させつつある決め台詞。
イーサンはもう、頭を下げるしかなかったようだ。
もちろんエディにも来てもらうが。
◇ ◇ ◇
ドラクとエディは森の中の、ある程度整備された道を進む。
捜索を開始してすぐ、
「ウ"アァ」
「出やがったなスケルトン」
張り切っているドラクは右手にトンカチを持ち、近づいていく。
「りゃっ!」
頭部を狙った一撃は、空振り。
「やべっ!?」
「オ"ォ"オオォ」
「どわぁあ!」
噛まれそうになり何とか避けてすぐに後退するが、スケルトンは当然突っ込んでくる。
木の幹に追い詰められるが、片足で何とかスケルトンの体を押し返す。
「おぉぉお……ぉお……!!」
やはり、身体の一部分が欠損していると感覚がおかしくなる。
トンカチを空振ることは今までそうそう無かったし、力比べをしている今も思ったように踏ん張れない。上手く体のバランスが取れない。
このままでは噛まれて――
「ウ"ォッ」
「…」
スケルトンは後頭部に刃折れの剣を突き立てられ、倒れた。
エディが助けてくれたのだ。
「うぉぉ、た、助かった……ありがとよ」
「…」
「クソ、スケルトンたった一体でもこんなんとは……オレ弱すぎだろ。度を越してるぞ……」
「…」
「なぁ、エディ? お前がいてくれるから大声出してサナっち探してもいい?」
「…」
エディは無反応だが、ポジティブなドラクは肯定されたとみなし、
「サナっちやぁぁぁぁい!! どこだぁぁ!! ドラクおにいさんが探してるぞぉ!? すぐ出てこないと、隻腕ドラクくんの悪口暴言トルネードサイクロンタイフーン作戦が発動しちゃうぞお前ーっ! お前の形変わってしまうぞお前ーっ!?」
スケルトンが来てもエディが何とかしてくれると調子に乗り、ドラクは有言実行で叫びながら闊歩していく。
しかしサナが現れる気配はまだ無かった。
◇ ◇ ◇
「い、今のって……ドラクおにいさん……?」
父親と離れたくて、勢いで飛び出してしまったサナは――心細くなってきていた。後悔し始めていた。
そんな折、ドラクの声が聞こえる。ハッキリとした声だが距離がありそうだ。
安心してしまった。良かった。迎えに来てもらえる。死ぬほど謝ろう。全力で謝ろう。
そう思っていたのに、
「……え?」
すぐ近くの茂みが揺れる。
スケルトンだろうか? さっきから何体か見かけたが、気づかれる前に逃げた。
いや、もしかすると自分の距離感がおかしいだけでドラクが!?
「ド、ドラクおにいさ――」
「よぉ」
現れたのは二人の人間。
もちろんドラクでも、エディでもない。
黒い服の知らない男たちだった。
「……あ、あの……」
「お嬢ちゃん一人か? 危ないなぁ、こんな森の中で」
「今『ドラクお兄さん』と言ったか。仲間なら教えてもらわなきゃなぁ……」
「いや待て。まずは」
困惑するサナを置いてけぼりにして、黒服の男たちはずっと喋りかけてくる。
「お嬢ちゃんは『赤い目を持つ男』……ホープ・トーレスを知ってるんじゃないか?」
「え、えぇっと……」
「ちょっとそいつを探してるんだよ」
「知ってたら教えてくれないかなぁ」
当然ホープを知っているサナだが、正直になって良いものか判断ができない。そもそも彼らが何者なのかも全くわからないのだ。
オドオドして答えられずにいると、
「じゃあいい。今、大声で誰か探してるバカどもから聞き出すとするか」
「ちょうどいい人質もいることだしな……どのみち全員死ぬんだが」
「っ!!?」
一人は両手にナイフを、一人は鎌を取り出してサナを睨みつけてきた。
恐怖しつつも――彼らの背後から迫るものに気づいたサナは、
「っ!!」
「……逃げたか」
「!? エド、後ろだ!!」
「カ"ア"ァッ」
素早く振り返って逃げる。できればドラクの声のする方へ行きたかったが、考えてる暇が無かった。
エドと呼ばれた男は後ろからスケルトンに襲われる。
「ぐっ!」
「オカ"ァァ!!」
「こいつ……! ジェンセン、あのガキを追え! あいつら皆殺しにしてやる!」
「おう!」
押し倒されたが何とか持ち堪えているエドは、ジェンセンを先に行かせる。
まずはサナを人質として利用してから、聞き出せるだけ情報を聞き出して、その場の全員を殺すために。
「らっ!」
迅速にナイフでスケルトンにトドメを刺したエドが立ち上がると、
「ッ!!?」
「…!」
今度は、刃折れの剣を持ったロン毛の男が森の中から飛び出してきたではないか。
初撃を間一髪で受け流し、エドは逆手で握ったナイフ二刀流を振りかざす。
「うお……クソッ! 何なんだ、次々と!!」
「…」
刃が折れているというのに、ロン毛の男の剣捌きは凄まじい。まさに『命のやり取り』が延々と続いている状況。
そんなエドとエディの、体術を交えつつの戦いはしばらく続いた……
◇ ◇ ◇
サナは偶然にも、追ってくるジェンセンを森の中で撒くことに成功。
古ぼけた民家を見つけ、一応クローゼットに身を隠している。
「……はぁっ……はぁっ……」
恐ろしい。
とても恐ろしかった。
もし黒い男がこの民家を見つけたら、あの鎌できっと――考えたくもない。
息を潜めねばならないのに、荒い呼吸を隠すことができない。
体が震えて、今にも涙が溢れそうで。
少しだけ扉を開けて周囲を覗く。
正面には、元々の住人の趣味だろうか、カウンターテーブルが置いてある。
普通の丸いテーブルやイスもある。もう少し開けて玄関の方を見ると――
(あっ!!)
玄関のドアが、外側からゆっくりと押されて開いていく。
サナも鍵を閉めたかったのだが、壊れていて施錠ができなかったのだ。
「は……はぁっ……! はぁっ……!」
こんなに息を荒げていれば、見つからないわけがない。大きな声で『クローゼットに私がいます』と主張しているようなもの。
きっとジェンセンだ。自分を殺しに来たに違いない。もう終わりだ。
遂に人が入ってきて――
「サナっちぃー……? ま、まさかこんな所には……いねぇか……参ったなぁエディも急にいなくなっちまうし……」
(えっ!?)
臙脂色のツンツン髪にゴーグル。
ドラクだった。
どうやら何の根拠も無く、偶然に民家に入ってきたようだ。
これは助かった。ようやく安心できたサナがクローゼットの扉を開けようとすると、
(あ……)
見てはいけないものが目に入った。
「ドラクおにいさん後ろ!!!」
「は?」
入ってきたばかりのドラクのすぐ背後、ジェンセンまでもがドアから入ってくる。
すごい勢いで鎌を振り回しながら……
「あああああ」
叫びながら押し倒されていくドラク。
サナから見た二人の姿はカウンターテーブルの向こうに消えた。




