第196話 『勇気』
「ふっ……はぁ……はぁ……」
バーク大森林を掻き分けられて作られた、そのはっきりとした一本道を、ホープは走っていた。
「オ"ォ」
「フ"フゥ」
道端で人間の死体を、スケルトンたちがムシャムシャと貪っている。
荒い呼吸、バタバタとした全力疾走。
ホープは奴らに気づかれる。
「カ"ァッ!」
「はぁっ……はぁっ……」
だが、見向きもせず振り切る。
ホープは全力疾走を止めはしない。たとえ肺が壊れても。
「ふっ……はっ……」
走り続けて30分ほど、ようやく『目的』を見つける。
ホープの顔は怒りの一色に染まっていた――
◆ ◆ ◆
「……カーラ……」
腹に銃弾を浴びたカーラが、ホープの目の前で倒れていく。
ホープの視界で最後に映ったのは、赤いツインテールが靡きながら下へ消えていく光景だった。
「……カーラっ!」
カーラが倒れた。その事実を認識するのに数秒が必要だった。
弾かれたようにホープは屈んでカーラの頭を抱き上げて、変わらずミニガンを構えているエムナスの方に背を向ける。カーラを庇う形だ。
「も、やめろっ、お前ぇ!!」
「…………」
背中越しにエムナスを怒鳴りつける。彼女は、なぜか何もしてこなかった。
ミニガンの銃口を下ろしたようだ。
――だが、今はどうでもいい。
「バ、カ……てめぇ……っ、何やってる……早く……に、げろ……ホープ……!」
カーラはもう、虫の息だった。
顔や胸にはシールドの鋭い破片が突き刺さり、腹にはくっきりと三つの風穴。流血も凄まじい。口からも当然のように流血している。
彼女はもう長くない。
誰の目にも明らかだった。
けれど、
「逃げろよぉ……!」
痛みに涙を流しながらも、カーラはホープの胸を押して、執拗に逃がそうとする。
ホープより歳下の少女が健気に――
「にげない……おれの命なんかどうだっていい……」
「て、め……」
「何で庇った!? ふざけんなクソ!!!」
前半の『何で庇った』はホープにとっては当然の疑問だが、後半の暴言はカーラに言ったわけではなく、もはや対象はわからない――強いて言えばこの世界か。
カーラは薄く微笑む。
「……仲良く、なっただろ……おれ、たち……」
「だから庇うって?」
「そうだ、よ……」
拍子抜けしそうなぐらい単純な答えに、ホープはもう、言葉を続けられそうもなかった。
「なぁ……ホープ……? てめ、ぇ……知ってるか……? 人間の、一番大事な、『部品』を……」
「…………目とか脳とか? 左腕とか?」
「ち、ちがう……」
ほとんど脳死で喋っているホープの答えを、カーラはきっぱりと否定。
彼女は弱々しく握り拳を作り、
「ここだ……!」
ホープの胸をトントンと叩く。
「ほんの少しの『勇気』で……状況は変えられる……てめぇなら乗り越えられる……!」
本来ならば『無理だ』と即答したい。だが死にゆくカーラに言うのは酷すぎる。
それだけの理由で、ホープは黙った。
カーラはおもむろに、自分の口元を覆い隠す黒いマスクに手をかける。
「……あとさ、おれの……『カーラ』って、本当の名前じゃ、ないんだ……」
黒いマスクを下にずらす。
涙を流しながら笑う、彼女の口腔内には――明らかに人間とは違う、鋭い牙が並んでいた。
「おれ……ホムラ、っていうんだ……」
それを最後の言葉としてカーラは――いや、ホムラは、息を引き取ってしまった。
とっくのとうに『勇気』など折れ、枯れ果てているホープの顔には、虚無だけが残った。
彼にあるのは、後にも先にも『自殺願望』のみ。
「…………エムナス」
「あ?」
「殺せよ」
「あぁ?」
「早くおれを殺せよ!!!」
「おけ」
虚無顔のホープは跪いたままエムナスの方へ向き直り、両腕を広げた。
困惑を一瞬で終えたエムナスはミニガンをホープへ向けて構え――
「…………」
「…………」
構えた。
「………………」
「………………」
撃たない。
「……何でだよ! 何やってんだよ! 今お前、了承しただろ!? 急に怖くなったのか!?」
「…………」
「目的は『赤い目を持つ人間』だろ!? おれだっつってんだろ見せてやろうか!? いいから殺せよ!」
「…………」
エムナスは、とうとうミニガンを下ろす。
疑問符と怒りしか浮かばないホープに対し、彼女は決定的な一言を放った。
「殺すことが目的だなんて、ウチ言ってなくね?」
え?
嘘だ。
違う。そんな。まさか。
嘘だ。
そんなわけが。
「頼まれてんの『生け捕り』なんだわ。殺しは好きなんだけども」
ダメだ。ダメだ。ダメだ。
あってはならない。
こんな事実は、無い。無いんだ。
こんな事実を認めてしまっては――
「まっ、その女はお前を庇ったんだから無駄死にだわな」
一言一句、エムナスが言ってしまった。
ホープに認めさせてしまった。
「 」
青髪の少年の脳内は△※$□◯♨■↑Σ…………
◆ ◆ ◆
カーラがやられた。
それだけをダリルから聞いたニックは策を講じなければとは思うが、体は動かないし頭も働かない。
そんな時に、
「ん……んぅ……? ダ、ダリルさん……どど、どうか、しました……?」
眠っていた黒人女性ドミニクが目を覚ます。ニックは彼女を見て思い出したことがあった。
『ドミニクはパワーだけは凄ぇよな、わはは』
誰か、彼女と同じ町の住民がそんなことを言っていたような記憶。
曖昧な記憶だし、どれだけのパワーなのかも全く知らない。
だが、賭けてみるのも悪くない。
「ドミ……ニク……」
「え!? ニックさん!?」
「ダリル……を……窓から、突き落とせ……」
「ふぇえ!?」
未だに窓から外を覗いて、凍りついたように固まっているダリル。それを突き落とすように命令したのだ。
「エ? 今、何カ言ッ……」
自分の名前が聞こえた気がして、ダリルが目をパチクリさせながら振り向くと、
「ごめんなさぁい!!」
「エ」
ドドドドドドッと豪快な足音とともに、ドミニクが陸上選手のような素晴らしいフォームで猛烈な勢いで走ってきて、
「えいっ」
「イヤ、チョ、どみに――グホァッ!?」
ぶん回されるドミニクの尻。
爆発的な威力のヒップアタックを正面から食らうと、ダリルの巨体が窓を割りつつ吹き飛ばされた。
リザードマンが、宙を舞う。
「ギャアアアアアア〜〜〜…………」
世にも珍しい光景だった。
◆ ◆ ◆
「んじゃウチと一緒に来てもらう」
「…………」
だらしなく口を開けたまま停止してしまったホープに対し、エムナスは無感情で近づいてくる。
その手をホープへと伸ばし、
「お?」
エムナスとホープの間に割って入るかのように、何か巨大なものが落下してきた。
辺り一帯が土埃に包まれ、エムナスはホープの姿を見失う。
「……?」
口の中を土埃まみれにされたホープも、よくわからないまま座っていたが、
「ヒィィィッ!! 逃ゲルヨほーぷゥゥ!!」
「あ」
土埃の中からドタバタと現れたダリルが、ホープを脇に抱えて廃旅館へまっしぐら。
しかし抱えられたホープは土埃の中のエムナスのシルエットを改めて見て、
「ダリル離せ! 無駄なんだよ、おれを見捨てろ!! 君も皆も殺されるぞっ!!」
「ッ!?」
そう。
――ホムラが死んだ後の会話から得られた情報。それはホープ一人が生け捕りにされれば、仲間たちは関係ないというものだった。
聞いたダリルは驚愕している。
土埃を掻き分けて、エムナスがミニガンを構える。
「ダリル!?」
「――ッテテヨ」
「はぁ!?」
ホープを抱きかかえる力を少しも緩めようとしないダリルを、怒鳴りつける。
声が小さすぎて何を言ったのか聞こえなかったが、
「怖インダカラ、黙ッテテヨ!!」
「え?」
臆病なダリルだが、怖がったり、逃げるためのマイナス方面に怒ることは時々あった。
でも今のこれは……マイナス方面なのか?
事情は何も知らないだろうが、ホープを見捨てれば未知の脅威から逃げられるのに。
明らかに関わってはいけない存在が、すぐ背後から攻撃しようとしている。それぐらいはわかっているはずなのに。
ダリルなら、彼ならば。
こんなホープを軽く見捨ててくれると期待したのに……
「邪魔しやがってトカゲ」
「くっ……!」
エムナスが撃ってくると感じ、ホープは咄嗟に腕を広げる。
奴は、ホープのことを撃てない。少しでもダリルの生存率を上げなければ。
「ギャアアアッ! イダァァァイ!!」
結果として、ダリルは数発の銃弾を右肩に食らう程度で済んだ。
それでもかなり痛そうだが、何とかダリルとホープは廃旅館の中へと逃げ込むことができた。
「あのガキぃ!」
もちろんエムナスも入ってくるのだが。
◆ ◆ ◆
「――スコッパーも、カーラも殺され……心臓を止めても立ち上がってくる……か」
ホープとダリルから事情を聞いたニックが葉巻を吸いながら熟考し、最終的に出した答えは、
「お手上げだ」
聞きたくもない答えだった。
誰もがその答えに絶望を覚えるだろう。ホープも必死だった。
「奴はもうこの建物に侵入してきてるんだ! 一人残らず蜂の巣だぞ!?」
「何が……言いてえ?」
「だから、さっきも説明した! おれ一人が生け捕りにされればあいつは帰るんだよ!」
「…………」
ニックはバカじゃない。説明を聞き逃したわけでも、ホープを見捨てる選択肢を考えなかったわけでもないだろう。
なのに、言及しない。
「……何故てめえが……狙われるんだ?」
「そ、それはっ、その…………隠してることがあるんだよ、みんなに言ってないことが……」
「…………『生け捕り』とは言うが……いったい、てめえはどこに連れて行かれるんだ……?」
「知らないよそんなの!」
「…………」
このよくわからない問答の中に、どうやらニックの答えがあったようだ。
彼は葉巻を指に挟んでホープを指差し、
「んな意味不明なことのために、今さら仲間を見捨てるわけねえだろうが……」
「!!!」
口からも両目からも血を流し、サングラス越しの景色すら見えていないだろうニックだが、彼の覇気は未だに健在だ。
ダリルやドミニクも頷いている。
これをグループの総意と呼ぶには、まだ寝ている仲間が多すぎるが。
ホープは、もう――思ったより『仲間』になってしまっていたようだ。
「おい。ダリル、ドミニク。全員起こせ……」
もうすぐエムナスはここにたどり着くだろう。ニックは寝ているメンバーにも動いてもらうつもりのようだ。
「な、何を……何をする気なんだ、ニック?」
庇われてしまったホープは、震える声で問うことしかできない。
反対にニックは歯を見せて笑う。
「他人事みてえに言うな……ホープ、てめえにゃ一番動いてもらうぞ」
「っ!?」
「さっきはお手上げと言ったが――ありゃあ『このまま何もしなければ』の話だ」
ニックが言うには、(当然だが)今この廃旅館にいるメンバーではエムナス・ファトマを迎え撃つことも、逃げ切ることもできない。
彼女の異常な身体能力ならば、ホープやダリルの熱弁で完全に理解したのだという。
万が一逃げられたとしても、奴の目的がホープである限り、逃げ続けなければならない。
スケルトンや狂人、食料不足……問題だらけなのに、殺戮マシーンにまで追いかけられるなど言語道断。
「やはりエムナス・ファトマは……この廃旅館で始末しておく必要がある……」
けっきょく、そういう結論になってしまう。
ならば緻密な計画が必要だ。
「計画、そして……戦力が要る」
そう呟いたニック。『一番動く』ことになっているホープは非常に嫌な予感がしたのだが、
「ホープ……てめえは、ナイトを探せ。ここに呼んで来るんだ」
「っ!!」
今ここにいるメンバーでは話にならない。
そうなると、やはり必要になってくるのは『グループ最強』の男の存在だった。
どこにいるのか、それは誰にもわからない。
「だが、探すしかねえ……俺たちはてめえが出ていくのを援護した後、逃げる隙を伺いながら時間を稼ぐ。なるべく早く、ナイトを見つけてくれりゃあ……被害も少なくなるだろう」
「……!」
ホープ、そしてナイトにのしかかる責任が重い。かなり重い。重すぎる。
ニックやジルなんか、感染症のせいで立つことすらままならないだろう。生きていることがもう奇跡だ。
ついでに言うとイーサンは咳が出始めている。感染した可能性が高い。
そうでなくても、みんな次々と襲いかかる障害に心も体も追い詰められているのだ。
エムナスに立ち向かわないとしても、全員が逃げ延びるのは……現実的ではない。
俯くホープに、声が掛けられた。
「……ぉ……ホープ、か……?」
「ドラク……」
まだ無事かの判断は早いが、今のところ転化はしていないドラクが目を覚ます。
とはいえ、もう彼に駆け寄る気力すら湧かないホープなのだが、
「ありがと、よ……あの場にいたのが……オレの腕を切るって場面にいたのが……ホープ、お前で良かった……」
「……ど、どういう意味……」
「あの場にいたのが……今の、腑抜けちまったナイトだったりしたらよ……今のあいつじゃ、オレの腕なんか切れねぇから……」
「ッ!?」
「だから、ありがとな……あと、ごめんな……ホープ」
そう言ってまた気を失ったドラクは、コールに背負われてどこか安心した顔になる。
ドラクの言葉に衝撃ばかり受けて、どういう感情になればいいのかさえわからなかったホープだが……言われたことをただ噛み締めた。
◆ ◆ ◆
――その後、西棟の仲間たちがエムナスの注意を逸らしてくれている間に、ホープは東棟へ回って廃旅館から脱出した。
『出てこいガキぃぃぃ!!!』
恐ろしいエムナスの怨嗟の声を背にして走るのは、心苦しかった。
だが、どこにいるかもわからないナイトを探すとなると、アホほど走り回ることになるのは想像にかたくない。
元からの体力が少ないとはいえ、一番体力が余っているのがホープだった。
それに廃旅館の中にホープが残ってしまうと、簡単に捕まってしまうだろう……とニックたちは語った。
別に捕まってしまってもいいのだが……そんなことを思っているのはホープだけだったようだ。
――30分、森の中を全力で走り回り、ホープはとうとう見つけたのだ。
ボヤケた視界の中に、見覚えのある吸血鬼の姿を。
「ちィ……」
なぜか首から血を流しているナイトは、傷を手で押さえながら一人で切り株に座っている。
彼はおもむろに立ち上がり、廃旅館と反対方向へ歩き出そうとする……
負の感情のエキスパートであるホープには、彼の意図がわかった。
――グループから逃げようとしている。
「ナイトぉぉぉぉぉ」
「……あァ?」
肺も、両足も、壊れそうだが、勢いに任せて突っ込んでいく。拳を振りかぶる。
ナイトが困惑した様子で振り返り、
「――――!!!」
ホープの全身全霊を込め、これまでの全てのストレスや怨念を含んだ、その渾身の一撃。
ホープのこれまでの人生で、間違いなく一番の威力のパンチが。
ナイトの頰に炸裂した。
「ォ……」
――ズザッ。
ホープの中で最強のパンチに殴られたナイトの体は、たった数ミリの等速直線運動。
ナイト本人もほぼノーリアクション。
数秒間の沈黙の後、
「てめェ……今何した?」
「はぁ、はぁ……」
「舐めやがって……今の俺ァ、終わってんだぞ……」
「はぁ……はぁっ……」
「――――てめェのことも本気で殺せちまうほどなァァァ!!!」
首から噴出する血も無視したナイトが刀を抜き、凄まじい威圧感で迫ってくる。
このままホープが動かなければ、本当に首をはねられると思うが、
「……約束」
「っ?」
ホープの呟きに、ナイトは速度を緩める。
「忘れたのか? ナイト……君が先に言ってきたんだぞ、『俺を殴れ』って」
「て、てめェ……!?」
「おれは今、約束を果たしただけだ!!」
初めてエドワーズ作業場で出会った時。
首を絞めてきたり、投げ飛ばしてきたり、あの時のナイトは荒れていたから、ホープの印象に強く残っているのだ。
『てめェ、青髪――俺を殴れ』
『え、い、今なんて? 『殴れ』って言ったの……? おれが……君を……?』
もはや懐かしい話だ。
まぁ、約束という判定でいいだろう。
――こうしてホープの、ナイトをグループへ連れ戻すための戦いが始まった。




