第17話 『噂話』
「どうもこんにちは。僕、ジョンって言います!」
今の今までぼーっとしていたホープに、その無邪気そうな若者の声は届いていない。
だがそもそも、
「バカかお前! 労働者に自己紹介する指導者がいてたまるかよ! 真面目通り越してバカだろ!?」
「す、す、すいません! まだ癖が抜けなくて……」
場合によっては殴ったり鞭で叩いたりする対象となるはずの、手錠を付けられた労働者に、ご丁寧に挨拶する目の前の若き指導者の方がおかしい。
「ったく、もういいよ……ジョンが銃弾製作所まで案内して、そのまま作り方も教える。三日前くらいに入ってきた新人だが、こいつもまぁ指導者だ。言うことには大人しく従えよ?」
「……わかった」
労働者としてはホープも新人だし、そもそも彼を見下したりしている余裕は、折れた上に潰れてしまったホープの心には無い。
「ちょちょちょっと待ってくださいよ! 『まぁ指導者』って何ですか!? ぼ、僕だってエドワードさんに認められてここにいるんですが!」
元気のある若者のツッコミは、外までホープを連れてきた指導者には届かず。
その指導者がさっさとどこかへ行ってしまったからだ。ということは、まぁこの若者のことは、信頼していないわけではないらしい。
「じ、じゃあ行きましょうか……えーと、あれ、何さんでしたっけ?」
「……ホープ」
「ホープさんですね。銃弾製作所に行きましょう、ホープさん。僕についてきてください」
労働力でしかないはずの人間の名前まで聞いて、若者は微笑んだ。
◇ ◇ ◇
三日前に入ってきたという目の前の新人は、確かジョンと言ったか。
黒縁の眼鏡をかけ、少しだけ長めの黒髪をしたインテリ風の好青年。
他の指導者は品もなく、若くもなく、口も悪く、暴力的であるのが普通だが、ジョンはどう見ても異常だ。
「……ひ、ひどくやられてしまったようですね、ホープさん。包帯だらけなのはそういうことでしょう? 僕より若いっぽいのに、可哀相だなぁ」
「まぁ、ね」
今だって本当に同情したような表情で、さも当然のようにホープのことを心配している。
彼はどちらかといわなくても、その逆の行動をする立場のはずなのに。
「今向かっている銃弾製作所、見たことあります? 色々と機械が置いてあるんですが」
「……もしかして、倉庫みたいな建物?」
「あ、そうですねぇ、たぶんそれだと思いますよ。ちょっと汚れて見える建物です」
昨日、初めて採掘場に入る前に通った倉庫のような建物。
中からは「ゴウン、ゴウン」と音が聞こえていたが、あれは銃弾を作る機械が発する音か何かだったのだろう。
相変わらず閑静な作業場の中を、ジョンについて歩くホープ。二人が地を蹴るたびに鳴る砂の音が、どこか悲愴感を漂わせる。
前を歩くジョンの頼りなさそうな背中を見ていると、ホープには唐突に気になることができた。
「あの、君は……ジョンは優しくて、強くもなさそうなのに……どうして指導者になれたの?」
「そこやっぱり気になりました?」
「……うん」
「ですよね、気になって当然ですよね。僕ね、耳がいいんです。すごくいいんです。え、エドワードさんに重宝してもらうくらいに――地味な才能ですけどねぇ」
「耳がね……地味かぁ……はぁ、おれには何も無いっていうのに……」
「ん?」
小声で無能を嘆くホープ。聞こえても意味がよくわからず、ジョンは首を傾げるのみだった。
そして、しばらく歩いて、
「はい、着きましたよ。中に入りましょう」
ギギギ、と重そうな扉をスライドさせて、ジョンが中に入る。
少し蒸し暑い銃弾製作所内に、ホープも続いて足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
ゴウン、という音を出す大きな機械がいくつもあって、それに向かって作業する労働者も、何人もいる。
椅子に座って、机の上で自身の指先を使って何やら細かい作業をする労働者もおり、まるで工場のような場所だ。
「あなたには、主にこの旋盤という機械を使って銃弾を作ってもらいます。溶かして型に入れた鉛を加工するんですね」
よくわからない難しそうな機械を指差して、よくわからない難しそうなことを話すジョン。だがホープの希望よりかハイテクな機械には見えない。
銃弾というのは小さいだろうに。鉛を削るための加工に、かなり自分の手を使いそうな雰囲気。恐ろしい。
「は、初めは難しいと思います。でももしこの持ち場を続けたなら、意外と単純作業ですし、割とすぐ慣れると思いますよ。ちなみに材料の鉛は、あちこちの廃材などから集めたもので――」
ジョンは銃弾製作所を歩きながら、ホープの持ち場について大まかな部分の説明をしてくれているらしい。
だがほぼ思考を停止させているホープは、聞く気すら持ち合わせていない。
無言で俯き気味のホープの様子を勘違いしたジョンは心配げな目をして、
「ホープさん? 具合でも悪いんですか? とりあえず座りましょう。ほ、ほら、ここに椅子がありますから」
「…………」
体の痛みは少しずつ引いてきているが、もしかしたら具合は良くないかもしれない。
全てがどうでもよくなってしまったホープは、自分の体調すらまともに判断ができないのだ。
ジョンが咄嗟に引いてきた椅子に、ホープは素直に腰掛ける。無言で座ったから、当然ジョンは困惑している。
――そんな中、ホープの耳に気になるワードが飛び込んできた。
近くにある別の机に向かう、二人の労働者の会話のようだ。
「なぁお前、こないだ言ってたろ。あの雄叫びはどっから聞こえてくんだって」
「ああ、ウオーッてやつ。何かわかったのか?」
「他の労働者から聞いたんだが、どうやら地下から聞こえてくるとよ」
「は? 地下? 採掘場ってことか?」
「違う違う、採掘場とは別。特別危険な奴を入れる、特別な地下牢があるって噂だ」
「じゃあそっから聞こえてくんのか……」
「あくまで噂な。いつも指導者が一人で立ってるとこ、あんだろ? あの路地の奥から聞こえたっつー労働者と、『特別な地下牢』ってのを指導者の口から聞いた労働者がそれぞれいたってだけ」
――雄叫びとは、先程ホープが飛び起きた原因となった、あの叫び声のことだろうか。
だが、こんなことについて話し合ったって何の得にもなりはしない。
作業場の中に長く囚われている労働者たちには、そんな小さなニュースでも話していると楽しいのかもしれないが。
ホープが考え込んでいる内に彼らの話は進み、気づくと別の話題にすり替わっていた。
「じゃあこれは知ってっか? 夜中に労働者が逃げ出そうとすると、銃で撃たれるって噂」
「マジか!? 銃があんのか!? 知らねぇよ! だが銃声聞いたことねぇし、死体とかも見たことねぇぞ」
「ま、そうだよな」
「そりゃどういう意味だ?」
「これはさすがにホラ話って言われてるからよ。この話をした労働者は『音が小さいから銃はサイレンサー付き!』『死体は朝までに片付けられる!』『俺は運ばれる死体を見た、眉間を撃ち抜かれてた!』って狂ったように叫び回ってたらしい」
「おい、ガセネタじゃねぇのかそれ?」
「っぽいんだけど、一つ気になるのが……」
「何だよ?」
「その叫び回ってた労働者、次の日から行方不明」
「……っ! こ、恐ぇぇぇ!」
――少し声が大きすぎるような気はするが、周囲の機械の轟音でうまくかき消されているようで、他の指導者は誰一人反応していない。
だが、
「……ジョン、今の聞いてた?」
ホープの位置では聞こえた。隣にいるのは耳がいいジョン。聞こえないわけがない。
「はい、全部聞こえました。で、でも大丈夫、彼らやホープさんのことを告げ口したりしませんよ」
ニコッと優しく微笑んでくれるのはいいのだが、ホープが聞きたかったのはそこではなく、
「あの二人……どうして『銃』の話であんなに驚いたの? ……あんなに盛り上がったの?」
「それはですね。このエドワーズ作業場には、銃が存在しないからだと、お、思います」
「え?」
予想外なジョンの言葉に、ホープは多少なり衝撃を受けることになった。




