第188話 『不穏の歯車回る回る』
西棟にて、玄関からは逃げられないと知ったホープは二階までたどり着く。
後ろの階段からもスケルトンどもは迫ってきているが、もう一つの向こう側の階段からは既に侵入してきていて、
「ドラク、コールさん!」
トンカチを振り回すドラクと、拳銃を撃ちまくっているコールと合流。
二人は、確か今は恋愛関係だったか。だから一緒にいたのだろう。
「おぉ、ホープ……無事だったか! 一階の様子ってわかるか!?」
「……ダメだ」
「はんっ! そんなこったろうと思ったぜ!」
目の前の狂人の頭をヤケクソみたいに叩き割りながら、ドラクは愚痴った。
一階は死者で埋め尽くされ、正面玄関も裏口も近づくことさえできない。
「他に出口って無いの!?」
マチェテを抜きつつホープが聞くと、
「……東棟の二階なら、非常口があるって聞いたけどー……西棟には無いらしいよねー……」
「え! そんなことある!?」
銃を撃ちながらも、ゆっくりとした口調でコールが答えてくれる。
こちらの西棟だけ不遇な扱いではないか。
「……こんな森の奥にポツンとある旅館さー、そんなに信用したってしょうがないだろー……」
「東棟への道は!?」
「もー……こっからじゃ渡り廊下行けないなー……」
コールの指し示す方向を見ると、スコップを振り回す老人スコッパーが目に入る。
「青髪の若旦那! この量は埒が明かんな……! くっ、人手が少なすぎるわ!」
「閉じ込められてるのか、おれたち……」
彼が渡り廊下への道を開こうとしてくれているのは明白だが、スケルトンの量が多すぎて無理みたいだ。
ホープもスケルトンを始末しつつも、打開策を考える気にもならないこの状況に絶望する。
「……なんか、さー……さっきカーラが向こうにいてー、『ラボから発明品持ってくる』とか言いながらー、ダリルと一緒に行ってたんだけどー……あいつがどこまでやれるかだよねー……」
「カーラが……?」
裏切り者を追いかけてたのは結局どうなったのかわからないが、カーラもさっきまではこの近くにいたようだ。
意外だが彼女もホープと同じく西棟にも非常口があるものだと勘違いしていたらしく、それで焦って武器を取りに行ったのだという。
奇想天外な発明武器とはいえ、どれぐらい期待をして良いものか……それはコールも測りかねているらしい。
時に、
「……コールさん、調子悪いの?」
ホープが気になったのはコールの喋り方。
普段から気怠げで、言葉の最後を伸ばす変わった喋り方ではあるが――今は、どうも喋りづらそうというか、体調が悪そうな印象を受けた。
それもそのはず。
「ごめんなー……アタシさー……朝とか昼間は、ちょっと弱いんだよねー……」
「あ……」
「昼寝だって浅い眠りなのにさー、まさかこんなことになっちゃうなんてねー……参ったよー……」
コールは不眠症。
普通の人が眠るはずの夜には眠れず、昼に浅い眠りを少しだけする。それが彼女の生活リズムだ。
ホープは最近は割とちゃんと眠れており、少し前のストレスの塊のようだった時期にも、かろうじて睡眠障害を患ったりはしなかったようだ。
だが、コールはそうもいかない。ホープと違って、昔からずっとそんな生活なのだ。
眠れないなんて大変そうだなぁと、今までも他人事なりに同情していたが、
「どこまで我慢できそう……?」
「……さーねー……」
休息の時間など、スケルトンや狂人がくれるはずもない。彼女にとってはホープやドラクよりも生き地獄にいるような心地だろう。
少しフラついたコールに、後ろからスケルトンが音も無く近づく。
「オラッ!」
「ル"ァ"」
横からドラクがトンカチを振り下ろし、守る。
「ホープ、オレたちがカバーしてやらねぇとな! カーラとダリルが戻ってくるまでの辛抱だ! 持ち堪えるぞっ!」
「う、うん……!」
「ごめん、ホントにー……」
初めて見る、申し訳無さそうなコールを背にしてホープもマチェテを構え、
「コ"ァァァ」
「ふっ!」
「ァ"コ"ッ」
スケルトンの顔面を刺突。一体殺しても、後から後から次々、死者たちは眼前に迫ってくる――
◇ ◇ ◇
東棟三階より渡り廊下を走り抜け、西棟三階へと出た裏切り者。
ニック・スタムフォードに追われる中、
「……む? おい、待つんじゃ!!」
降りるための階段の近くにいたのはハーラン医師。
間違いなくその態度は、顔を隠すこちらを疑っている。無視して通り過ぎようとしたが、
「このっ!」
横を通り抜ける寸前で、ローブを引っ剥がされてしまった。つまり顔を見られ――
「お前は……レオンか!? どうしてそんな格好をして走っとるんじゃ!?」
「……爺さん」
短い金髪も、サングラスも見えて、すぐに正体がバレてしまった。
ハーラン医師とは前の町からの長い付き合いだ、彼も困惑しているようだが、
「このグループが信用ならなかったからよ、サイレンを鳴らしてやっただけだ……俺の目的は特にニック・スタムフォードを殺すことだが」
「……気は確かか!? まさかアクセルやオリバーも仲間なのか!」
「当然だろ。ついでに言っとくとジャンゴを生きたまま焼き殺したのも、非常口を溶接したのも俺だが」
「なっ、何を考えておる!? この外道がっ!!」
ジャンゴについては第一発見者がレオンとアクセルであり、皆を呼びつけ、あたかも元からグループにいる誰かの犯行だと押しつけようとしていたが。
自作自演も甚だしい。ジャンゴを利用して、いったい彼の死を、苦しみを何だと思っているのか。
しかも東棟の非常口を封鎖したと言ったのか。ならばグループの全滅は免れない。
「不平不満を言うだけならまだしも、ここまでやってしまうとは驚いた……失望じゃよ!」
「うるせぇな。ジジイに何言われようが関係ねぇ!」
「ぐぉ!」
もう顔を隠すこともしないレオンが、騒ぐハーラン医師を壁に押さえつける。
ガタイだけならニックと同じくらいのレオンに老体が抵抗できるはずもなく、身動きの取れないハーラン医師だが、あるものを見つけてしまう。
「――お、おい? 後ろじゃレオン! 階段から、階段からスケルトンが……」
とうとうこの三階にも、片方の階段からスケルトンが侵入してきてしまった。
それをレオンの背後に確認し、一人で焦るハーラン医師だが、
「――どうして俺がお前に全部喋ってやったか、わかるかよ爺さん?」
「は!? 知らんわ、おい後ろから……っ!」
レオンは至って冷静だった。
自分の背後から一体のスケルトンが、肉を喰らうために近づいてきているというのに。
「ウ"ゥ"アアッ」
「レオンっ!」
もう目と鼻の先にいるスケルトンが、不気味な動きで骨だけの右腕を振りかぶる。
レオンは微動だにせず――と思いきや、
「お前がここで死ぬからだよ爺さん!!」
突然に横へ移動してスケルトンの攻撃を避け、
「ぐぅっふ……!?」
奇怪な動き方で突き出されるスケルトンの右腕――骨だけのために尖っている指先が、ハーラン医師の腹に突き刺さる。
再び背中を壁に叩きつけられ動けなくなる。
「ウ"ァァッ」
「っ!!」
と言っても所詮は人間の骨格と同じ指先、刃物ほどの殺傷力は無い。今でも刺さってはいるが浅い傷だ。
噛まれさえしなければ転化はしない。ハーラン医師は両腕でスケルトンの両肩を押さえ、紫色の歯の接近を防いだ。
「カ"チ"ッ! カ"チ"ッ!」
「うぅ……!」
当然レオンは逃げて行って助けてくれるはずもない。
刺された腹からは出血、しかも少しでも気を抜けば噛みつかれてしまう。老体には辛い。
しかし、彼はナメていた。
――スケルトンの謎の怪力を。
「ウ"ァカ"ッ! ア"ァァカ"カ"カ"」
「……ぬ!?」
スケルトンも前進はできないながらも――右の指先が刺さっているところに、左の指先まで追加で刺してきた。
「ぜえ……ぜえ……ん!? ハーラン!?」
渡り廊下から、荒い呼吸の口から血を流しながらニックが合流。
病気に体力を削られたニックは、全速力でハーラン医師を助けたくともできず。
その結果。
「ア"カ"カ"カ"カ"ッ」
「うぉお……っ」
スケルトンも老人も、壁際で両者一歩も動かないまま。
ハーラン医師の腹部の中心。10本の指先が皮膚を貫いて体内に。
「っ!? ハーラン!!」
ニックの必死の叫びも虚しく、
「おわぁぁあぁあ〜〜〜〜っ!!!!」
腹部が左右に裂かれる。
内臓は丸見え。赤黒いものが滝のように流れた。
ここでやっとニックはスケルトンに手が届き、
「んんっ!!」
コンバットナイフで頭蓋を刺す。
だが一歩遅かった。腹部が大きく裂かれたハーラン医師は、壁を背にしたまま弱々しく座り込んだ。
「畜生、ハーラン! もう大丈夫だ、俺を見ろ! 死ぬんじゃねえ!」
「……ハッ……ハッ……」
「こっちを見ろ! ゲホッ、意識を失うな!!」
「ハヒッ……ハッ……」
目の焦点が合っていないハーラン医師の顔を何度も叩き、ニックは自分の顔を見るよう声を掛ける。
医者を呼ぼうと思ったが――残念なことに、唯一の医者なら目の前にいる。
「ハッ……ハッ……」
もはや、これは生きていると表現して良いのか?
呼吸の内に入るかわからないような、か細い呼吸を続けることしかできない。
言葉も紡げない。ニックの顔を見ることすら、ままならないのだ。
まるで水を奪われた魚。
つい数十分前まで、流暢に感染症の説明をしていた人物とは思えない変わりよう。
――それこそが『死』の残酷さだ。
「ハッ、ハッ……ウーッ……ウゥ……」
「苦しいのか……ん?」
か細い呼吸の中に苦痛を訴えるような音声が混じったと思った、その時だった。
ニックの手に何かが触れた。
「てめえ……」
他でもないハーラン医師のその手が、ニックの持つコンバットナイフを掴んでいるのだ。
ニックは驚いて老人の顔を見るが、依然として目はどこを見ているかわからず、時折歯を食いしばって痛みに耐える素振りをするだけ。
「殺せってのか……俺に?」
一瞬、彼が頷いたように見えた。
ニックの考えすぎだったのか、それともハーラン医師の強い意思の表れか。
振り向けば、すぐそこの階段からは、ゆっくりではあるが人食いの死者たちが上がってくる。
ニックだって万全じゃない。多数のスケルトンを相手にすることは不可能。
一刻も早くここから離れなければ食われる。
ハーラン医師を放置していけば奴らの餌。運ぶにしてもどこに? 安全な場所などない。
そもそも、その命はどこまで続く?
「ハッ……ハッ……」
「……!」
ポンポンと、コンバットナイフを叩いて示すハーラン医師。勘違いではないだろう。
――医者として、自分がもう助からないと判断したのだろう。
「悪いな――てめえの授けた知識は無駄にしねえ。そして裏切り者は始末する。誓おう」
「…………」
ニックは、ハーラン医師のこめかみを刺す。
か細い呼吸すら掻き消えた。
「……ッ」
そのトドメの一撃は、これまでで一番重く感じた。まるで自分の胸を刺したかのような苦痛。
なぜなら、
『俺はてめえらと共に生きる。そう決めた。ドラク、てめえらは部下じゃねえ、仲間だ』
『部下』ではなく『仲間』だと。
そうやって認識を改めたからこそ、『仲間』を手に掛けるのが辛い。
感染症の知識もその対策も授けてくれた、ハーラン医師に敬意を払っていたから。
この重さはニックの成長の証だ。
「レオンの野郎だったか。ゲホッゴホ……無事じゃ済まさん……!」
後ろ姿は、かろうじて見ていた。誰かはすぐにわかった。下の階へ逃げたのも見た。
おぼつかない足取りでも追跡を続行する。
◆ ◆ ◆
西棟二階の廊下を走る二人の少女――シャノシェとジル。非常口のある東棟へ行かねばならない。
そのために渡り廊下を目指しているのだが、
「こいつら引き連れて行っちゃっても大丈夫かな……いや、でも考えてる暇無いよね!」
「……ん……」
病気で体力の無いジルの手を引っ張りながら、シャノシェが心配事を口にする。
当たり前だが――彼女らも大量のスケルトンや狂人たちに追われていた。見つからずにいられるわけがなかったのだ。
西棟がこんなことになっている。となると、東棟も無事だとは考えられない。
今さら心配しても無駄か――
「……あ……っ」
「え? ちょっと、あんた!?」
突如、シャノシェの手からジルの手が離れ、二人は別れてしまう。ジルが転んでしまったようだ。
その理由が――
「あ……!」
振り返るシャノシェは言葉を失った。
――ジルの両目から、ドロドロと血が流れ始めていたのだから。
「……? な、にも……みえ、ない……?」
「っ!」
そりゃそうだ。
ただの涙でも目の前が見えなくなるというのに、真っ赤な血で塞がれてしまったら、暗闇に閉ざされているのと変わらないだろう。
これが『ゾルンドナト病』の本領なのだ。
だからシャノシェは、決断した。
「じゃあね。ビッチ」
一人で膝をついてしまったジルを――助けには戻らない。
肉を求める死者たちが迫る中、動けないどころか状況すら見えないジルに――背を向けたのだ。
踵を返し、少女は一人で走り出す。




