第185話 『感染者たち』
廃旅館の西棟。
グループの仲間たちも隔離の準備等に駆け回る中、ニック・スタムフォードは少しだけ休憩することにした。
「ったく……何だよウィルスってのは……」
腐っても旅館なので色んなところに洗面所がある。適当に見つけたニックは顔を洗い、汗を流す。
――こんなことになるなんて。
スケルトンや狂人、頭のおかしい人間や仲間割れという『敵』が常にいるこの世界。
なのにウィルスという目に見えない存在まで、こうも存在を主張されると滅入ってしまう。
しかも高確率で死に至る上に、感染すると突如として狂人に転化する可能性があるという意味不明なオマケ付きである。
「ふう……ゲホ」
顔を洗い終わり、タオルで水滴を拭き取るニック。一服してから作業に戻ろうかと考えて、
「ゲホ、ゲホッ……?」
どうせ一回で終わるかと思った咳が、なぜか止まらない。何回も何回も咳をして、
「ゴホッ……ゴッホゴホ!!」
――吐血した。
「あ……?」
洗面台に血が飛び散っている。
自分の口に掌を押しつけてから、そこに付着する鮮血をまじまじと見て――
「がああっ――――!!」
全てを理解したニックは目の前の鏡を殴りつける。
砕け割れ、破片が散乱した。
◇ ◇ ◇
「……あんた、死ぬのかよ?」
というのはナイトの言葉である。
彼の表情は険しい。だが落ち込んでいるわけではなさそうだ。
異常な絶叫を聞いたホープが駆けつける頃には、早朝にも関わらず多くの者たちが集まっていた。
まぁ隔離準備をドタバタと皆でやっていたからすぐに動けたのだとは思うが、
「黙れ、ゴホッ……アホンダラの若僧が」
咳と吐血をセットで繰り返す、痛々しい様子のニックを見ると皆が駆けつけるのも当然だろうとは思う。
こんなに弱った彼は初めて見た。
「おいハーラン。俺は人食いの化け物になっちまうのか?」
下を向いたままのニックは、非常に弱気な質問。
「わからんのぉ。ガイラスの遺体を調べたいがうっかり感染してしまうとも限らん、シャワールームに放置された状態じゃ。『U-021』を投与すれば抗体もできるんで、早く欲しいところじゃが……」
どうやらその特効薬は、獲得さえできればその後は『ゾルンドナト病』に怯えなくて良いらしい。
真実なのかどうか……特効薬は見つかったばかりのようだし、感染経路すら曖昧な病気だ。
完全に信頼することはできないが、まぁ希望は見えてくる。ハーラン医師もそんなような雰囲気で話していた。
「とにかくニックさん、あんたも東棟へ行くことじゃな。これ以上感染が広がってはマズいじゃろう」
「……わかったよ」
ニックは振り返り、弱々しく歩き出す。仲間たちの人垣が一斉に後退して花道のようになっていた。
その中でも一際悲しげにしている男が、
「参ったな……ニックまで……」
リチャードソンである。もはや相棒のような存在であるニックのあんな姿は、堪えるだろう。
だが彼は頭を抱えていたその手を外し、
「ク、クソッタレ……おいナイト! あと、そこの無口剣士! このままグループを崩壊させてたまるか、薬を探すぞ。近くの町からシラミ潰しだ!」
「あァ……」
「…」
ナイトと、偶然近くにいたエディを伴って特効薬を探しに出かけることにしたらしい。
あの戦闘力の高い二人を連れて行くなんて、本気で薬を見つけてやろうとしているようだ。
出ていく三人を見送ったハーラン医師は、
「薬は彼らに任せるとして……思ったより感染は広がっているのやもしれん。他に咳が出る者、熱っぽい者……いや少しでも体調に変化がある者はおらんか!? 悪いが誰とも接触せず東棟へ行くんじゃ!」
本当にゾルンドナト病なのか調べることもできない。ハーラン医師も焦っている。
その命令に、10人以上が従っていた。ホープは名前も知らないような人々である。
すると。
「おーい!! 誰か来てくれぇぇ!!」
またトラブルのようで、男の叫ぶ声が聞こえる。聞いた者たちが一斉に顔を見合わせて駆け出した。
(今度は何だよ……?)
目まぐるしく変わる状況に、生きているだけで目まぐるしいホープは嫌気が差していた。
◇ ◇ ◇
「何だこれ……」
というのはホープの言葉である。
先程助けを求めたのは短い金髪にサングラス、ガタイの良くてワイルドな外見の男――確か名前はレオン。
その傍らには糸目と刀が特徴のスーツ姿の男がいる――確か名前はアクセル。
彼らは『亜人禁制の町』の住民でも筆頭のような立場だったらしくさすがに存在感があり、ホープでも何となく名前を覚えたりできていた。
彼らの目線の先にあるのは、
「焼死体……?」
真っ黒焦げになって倒れている、人間の死体のように見えた。肉が焼けた強烈な臭いもする。
誰かのそんな呟きにレオンが頷きながら屈み、
「こいつを見ろ」
焼死体の首元へ手を伸ばす。
レオンが手に掴んだのは鉄製のネックレス。それも龍の模様が彫られた特徴的な……
「おいおい、そのネックレス! ジャンゴじゃねぇか!? どうして急に!?」
驚愕の声を上げたのはドラク。短い間だが、夜中に少しだけ一緒に行動した男だ。
ホープも同じ立場。かなり衝撃を受けている。
確かジャンゴは、狂人と化した水道工事業者の男に顔を掴まれて『ゾルンドナト病感染者候補』になっていたはず。
どうなっている?
「焦げててわかり難いが、よく見りゃ口元にはテープみてぇなのが貼ってある。だからジャンゴの奴は生きたまま燃やされても、叫び声一つ上げられなかったわけだ」
「――みんな、わかるよね? 確実に人間の仕業なんだよ。これは殺人事件さ」
それが、元からの仲間を焼き殺されたレオンとアクセルの言いたかったこと。
冷静なように見えるが、言葉の節々から怒りが伝わってくる。
「侵入者……ではないよね。この短時間で、こんなに周到に殺せるわけない。内部の犯行ってことだ」
エンの言葉に皆が納得している。
不審人物やらの目撃情報も無い、仲間の誰かが怪しまれない内にジャンゴを焼き殺したのだ。
それに動機だって、仲間割れなら納得だ。
なぜなら、
「感染者の候補だからって、消毒も兼ねて燃やして始末しちまったわけか……? まだわかんねぇのに早まりすぎだろ」
全員の思いを代弁してスコッパーが呟く。
ジャンゴは、ゾルンドナト病の感染者候補。
もしかすると感染者を焼き殺そうとする頭のおかしい者がこの中にいるかも――静かに戦慄が広がっていく。
それを聞いているか聞いていないかよくわからないタイミングでレオンが、
「怪しいよなぁ……あの三人とか」
「?」
どうにも不穏な台詞だが、
「リチャードソン・アルベルトに、吸血鬼と剣士……足早に出ていったが、やましいことでもあったんじゃねぇか? 信用ならないグループだぜ……」
三人が薬を探しに出かけたのは目にしていたようで、レオンやアクセルは彼らを疑っている模様。
そんなわけない、としかホープには思えなかったが余計なことは言わないでおいた。
元々からグループにいる者たち、そして『亜人禁制の町』の住民だった者たち――今は同じグループなのに。
亀裂が走る予感がした。
「…………」
ところでホープは、
(おれももう少しで、こうなってたのか……)
思い出したくもない『亜人禁制の町』での戦いが脳内に蘇る。
生きたまま燃やされかけた。その熱さや痛みのほとんどが『破壊の魔眼』に乗っ取られたおかげで帳消しになっていたのだが、それは本当に不幸中の幸いだったと思う。
口を塞がれ、抵抗もできず燃やされたジャンゴは、どれだけ苦しかったろう。
普通に気のいい男だっただけに、虚しさが込み上げてきた。
◇ ◇ ◇
「……え、どうしたの……?」
というのはジルの言葉である。
実質隔離されているこの部屋にノックして入ってきた男は、肉体的に……というより精神的に憔悴しきっている様子の男。
巨漢のオリバーだ。
「よう……調子はどうだよ? カワイ子ちゃん」
「オリバー……?」
「お、こんな美人に名前覚えてもらえてるとか、光栄すぎるな」
彼とは、ガイラスやホープたちと一緒に物資調達に行ったことでジルも覚えていた。
だが妙なのは、
「あの、私、感染者……ケホッ、ケホケホ!」
「おっと……」
ベッドから起き上がるジルはゾルンドナト病の感染者候補――いや、今となっては違う。
「カワイ子ちゃんもダメか……」
咳のために口に押し当てたジルのパーカーの袖に、鮮血が付着する。感染は確定だ。
それを見たオリバーも、ため息を吐いた。
「見た、でしょ……オリバー、私といると、ケホッ、あなたも感染して……」
「親友のガイラスが死んで――ニックも感染して、今度はジャンゴが焼き殺されちまってた」
「え……!?」
「ジャンゴとは仲良くてよ、俺。あぁ、俺もう、おかしくなっちまいそうだ」
ニックとジャンゴの件は、横になっているだけのジルは今始めて知った。状況は悪くなる一方ではないか。
オリバーが精神的に疲弊するのもわかる。だが彼はそれだけではないようで、まだ続ける。
「今、外にスケルトンの群れが通過中ってのは知ってるか?」
「……ん。聞いてる」
「だよなぁ、知ってるよなぁ。レオンたちの計画もそろそろ始まっちまう」
「……え?」
聞き捨てならない言葉が飛び出したような気がして、ジルは体調が悪くとも問い詰めなければならないと考えた。
そんな彼女の考えを潰すかのようにオリバーは距離を詰めてきた。
「みんな、みーんな……死んじまうんだよぉっ!」
「っ!?」
「あんたもだろ……カワイ子ちゃん……どうせ薬もねぇんだから病気で死んじまうんだ……もしくは過激派に焼き殺される、ジャンゴみてぇにな!」
「っ……」
オリバーは顔をジルのすぐ近くまで寄せて、すごい剣幕の大声で怒鳴った。
汗びっしょりの顔を不気味な微笑みに歪ませて、
「なぁ、死ぬ前に抱かせてくれよ」
直後、オリバーはジルが反応する暇すら与えずにベッドへ飛び込んでくる。
もう感染とかもどうでもよく、何も考えていないようだ。
「あ……っ、やめ……」
咳や高熱に体力が持っていかれてるジルは抵抗もできず、全身をまさぐられ、パーカーを脱がされそうになる。
しかし興奮したオリバーの荒い息遣いの中に、ドアを開ける音が聞こえた気がした。
オリバーもその気配に気づき、振り向く。
「ごぁっ!?」
「――引っ込んでてくれないか?」
その瞬間、燃えるような赤髪の男がオリバーの首を片手で締め始めた――エンだ。
エンは自分より一回り大きなオリバーの体を片手で引っ張り、ジルから離して壁に叩きつける。
「ぐ、がっ、ぎぎ……!!」
オリバーの顔がどんどん青くなっていく。呼吸ができていないのだろう。
その原因であるエンの左手を、オリバーは両手を使っても全く引き剥がせないでいる。
「別に片付けてもいいんだ、僕は」
「ぎ、ぃ……!?」
エンは右手に、リザードマンのアクロガルドから奪った鉤爪のような武器を装着していた。
四本の爪がオリバーの顔に突きつけられるも、
「ケホッ……そこまで、しなくても……」
優しい――否、気持ち悪いほど優しすぎるジルは乗り気ではなかった。
「ああ、ジルさんならそう言うと思ったよ。正直僕は呆れそうだけどね」
「……ん」
呆れられることは承知の上。ジルはただ頷き、エンはオリバーを解放する。
失禁までしていたオリバーは死への恐怖で放心状態になって座り込んだ。が、30秒ほどでエンから逃げるように部屋を飛び出すのだった。
「……ありがとう、エン。でも、どうして……」
聞きたいことは色々ある。ジルは飛沫を少しでも抑えようとパーカーの袖越しに喋るが、
「君に聞かなきゃいけないことがある」
どうやら、聞きたいことがあるのはエンの方だったらしい。
彼がこんなにも積極的なのは珍しい。しかも感染症や殺人と、緊急事態ばかりのこの状況で。
ニュアンス的にはオリバーと同じで――ジルが死ぬ前に聞いておきたいということか。
「カーラって女の子のことを、さ」
赤髪の間から片方だけ見える右目。
細く鋭くなった瞳は、まるで蛇のように見え、ジルを射抜いた。
◇ ◇ ◇
「みんな静かに作業を……!」
外を今、スケルトンの群れが通過中だという。
いったい誰がそんな情報をくれたのかホープは知らないが、見張りでもいるのだろうか。
大きな音を出さないように、と注意した誰かの声に従って静かにホープが歩いていると、
「……! ちょうど良かった、ホープ!」
「うぉ!?」
いきなり角から飛び出してきた赤髪ツインテールに黒マスクの少女カーラに胸を押され、壁に押しつけられる。
驚いて声が出てしまったが、まぁ外まで聞こえるほどではなかった……と思いたい。
「一緒に来てくれ。監視に気づいてるのか顔を隠しててよくわかんなかったけど、放送室に妙な奴が近づいてる!」
「え? え?」
何か急いでいる様子のカーラはホープの手を引っ張り、放送室だか何だかに走って向かおうとする。
「電気が通ってねぇから放送できねぇとは思うんだが、とにかく急がねぇと嫌な予感がする。悪いことってのは次々に起こるもんだからな!」
「ちょ、待ってカーラ、放送室だとか電気とか、監視!? とか、全然ついていけないって」
「そうかてめぇは知らなかったか。まぁ事情は後で話すから今はとにかく――」
その時だった。
「━━━━━━!!!」
廃旅館の館内に、爆音のサイレンが流れ始めた。
あちこちに備え付けられている全てのスピーカーから、耳をつんざく甲高い音がする。
「クソッ、間に合わなかったか……!」
目を閉じ、額に手をやるカーラだが、それでもホープを引っ張って走り続ける。
どうしてこんなことに?
昨日からおかしい。常に『最悪』が更新され続けているのだ。
――すぐ外にはスケルトンの大群。
――館内に響き渡るサイレン音。
何が起こるかは、言うまでもないだろう。




