第16話 『急浮上、再び』
――ああ、自分は、またしても夢の中だ。
もういいや。
起きたらまた痛い目に遭う。また痛いことをされる。どんどん死にたくなってくる。
だったら起きない方がいい。
この夢がどれほどの悪夢だったとしても、このホープ・トーレスは、快くそれを享受しようではないか。
「……あれ?」
開閉させる自分の掌は小さく、手足は短く、目線も低い。
幼い頃の自分みたいだ。
「……あ、ソニ」
草原に立つ幼いホープの前には木造の家屋があり、開いた扉の先から、同じく幼いソニが外のホープを見ていた。
そして彼女の後ろから、一人の女性も姿を表す。
「…………」
女性はホープを冷ややかな目で見ながら、その長いスカートの後ろにソニを隠す。
ホープからソニを見えないようにしたのだ。
「あ」
ホープは、その女性を、呼ぶべき名称で呼ぼうとして、
「お母さ――」
「私を母親だなんて呼ばないで。悪魔」
「じ、じゃあ、エリンさ――」
「私の名前を呼ばないで。この、悪魔……!」
幼いホープを睨みつけるばかりの女性――エリンは、ドアノブに手をかける。
外開きのそれを、彼女はゆっくりと閉じられるべき場所へ戻しながら、
「今日もよ。日が落ちるまで家には入ってこないように。ソニにも近づかないで」
「……うん」
業務連絡かと勘違いするほど、端的に言い放つエリン。
そのままホープの返事に被せるように、バタン、と無慈悲に閉じる木の扉。
幼いながらも、どこか悲しげな表情をするホープの義妹――ソニ。
それとは対照的に、こちらを憎たらしそうに睨むホープの義母――エリン。
二人ともの顔が、たった今ホープの視界からシャットアウトされてしまったのだ。
二人とも、一年前にホープが殺したようなものだ。
――最悪だ。
幼い頃の夢だから、前回より楽に見ていられると思ったのに。
忘れていた。否、記憶から消そうとしていたのだ。
スケルトンなんか地面から出てこなくたって、元々ホープの生活は――
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!!!」
◇ ◇ ◇
初日から変わっていない、自身の牢屋。
そのシミだらけのベッドの上で眠っていた……というより気を失っていたホープを飛び起こさせたのは、
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!!!」
「え、な、何だ!?」
耳をつんざく程ではないが、聞いている者を震撼させ、仰天させるような大声。
驚くのは『声量』に、というよりも『気迫』にだろう。
近くから聞こえたわけではない。何となく、結構遠い所から聞こえたものに思える。
なのに間近で聞いているような錯覚に陥る、そんな威圧感のある叫び声であった。
「いづっ……何だ、体じゅう痛い……」
ほぼ全身を、包帯らしき物で乱雑にぐるぐる巻きにされている、ホープの体。
顔であったり腹であったり、あちこちが痛いが、中でも主張の激しい痛みは背中だ。
背中の傷は、鞭で叩かれたことによるもの。それ以外は、労働者の男から殴る蹴るされたところだ。
「そうだ、鞭で……叩かれて……おれ、気絶したんだ」
外を見てみると、まだまだ明るい。
ひょっとして一日か二日経ってしまったかと焦るが、
「お、目覚めたな。二時間とは、意外と速ぇじゃねぇか……」
「二時間?」
「あ? そうだよ、9時頃お前は鞭でシバかれて、今は11時だ。二時間だろうが」
檻の外の廊下を通りかかった指導者の男が、ホープが気絶してどれくらい経ったかを教えてくれた。
まだ今日は、閉じ込められてから二日目のままだそう。
「――んん? 確か、ケビンとかいう黒人の労働者がお前のこと言ってたな。喉が渇いてる……だっけ?」
「……あ! ああ、ああそうだよ! 忘れてたけど渇いてる! も、もう死にぞっ……ぐふっ、おぇ……」
「ちっ、仕方ねぇ」
言われて喉の渇きを思い出し、喋っている途中にその渇きに限界がやって来たホープ――頼んだ労働者の名に関しては、聞かなかったことにした。
指導者は小さな筒を投げ入れてくる。
一瞬で全部飲み干し、ひとまず命を繋いだホープは先の獣のような咆哮が気になった。
水筒を返しつつ、
「あの声は……?」
「あ? 俺もよく知らねぇよ。ただ五日くらい前から毎日のように聞こえてるぞ。何者か想像もつかんが、懲りねぇもんだ」
「毎日、か……」
ホープがエドワーズ作業場に閉じ込められたのは昨日から。なのに叫び声を聞いたのは今日が初だ。
まぁホープは寝坊したり気絶したりとずっと忙しかったし、もしかすると、地下の採掘場にはあの声が届かないという理由もあるかもしれない。
「……っていうか……どこから聞こえてるの?」
「それも知らねぇ。エドワードさんは適当……じゃなくて自由な人だからな、作業場内の情報は知ってる奴と知らねぇ奴とバラバラだ」
作業場のどこかから聞こえている、というのは正しいのだろうか。
――いや、こんなどうでもいい情報を突き詰めて、いったい今の状況の何が変わるというのか。現実逃避に過ぎない。
「はぁ……世間話は済んだか、ガキ? お前の元々ヒョロヒョロの体がさらにボロっちくなっちまって、もう力仕事には期待できねぇってんで、持ち場を変えることになった」
「……持ち場を?」
「そうだ。銃弾の製作所に移ってもらう」
「へぇ……そうなんだ」
たぶん空返事だ。
ホープは、自分が指導者の話を聞いているのか聞いていないのか、それすら判別できていなかった。
痛い思いばかり経験して、トドメにケビンを見捨てたことで、労働者たちに指導者たち、何よりも自分への怒りが頂点に達した。
が、その怒りさえすぐに萎んでしまった。
全身が傷だらけで痛いのは、当然。だが今、ホープという人間を蝕んでいるのは目には見えない傷だ。
一年前からとっくに折れているはずのホープの心は、閉ざされた地獄の中で、もうほとんど粉のように擦り潰されていた。
自分の持ち場が変わるなど、どうでもいい。
もう、何もかも、どうでも――




