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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第四章 障害に次ぐ障害
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第173話 『老人の教え』



「圧迫骨折……?」



 それは、ガイラスの今の状態をハーラン医師から聞いて出た、ホープの呟きだった。


 ここは廃旅館の西棟。


 思いの外時間が掛かったが、拠点に帰り着くことはできた。

 高熱に侵されたガイラスはベッドに横になり、腰を手で痛そうに押さえている。


「恐らく、の話じゃ。尻餅でもついて、胸椎か腰椎にダメージがいっとるのじゃろう……こんな廃旅館にゃ検査する設備も無いんでな」


 横の椅子に座るハーラン医師が医者らしく淡々と話すと、オリバーが不安げに、


「骨折したから熱が出てるってことか? 手を貸せば一応歩けたみてぇだが」


「熱の原因は不明じゃの、骨折の方はそこまで酷くないようじゃからな。まぁ治すためには二週間は絶対安静じゃが」


「マジかよ……ガイラスめ、運が良いのか悪いのか」


 オリバーの最後の一言にホープも黙考。

 ――背後からスケルトンに襲われ、腰を痛め、水ぶくれ狂人に囲まれ、汚水を大量に飲み、その状態でジルを助けるためスコップを振って……あんな状況でも死なずにこの程度で済んだガイラスは、ある意味で幸運かもしれない。



「時に……どうじゃった、薬などは? ガイラスに使いたい鎮痛剤も残り僅かなんじゃが……」



 ホープには、ハーラン医師から向けられる視線に期待が込められているようには見えなかったが、


「収穫はゼロだった。食料はあったけど、薬とかは全部持ってかれてて、壁に『P』って書いてあった」


「何? 『P』だと?」


「うん、アルファベットの」


「暗号のようなものかのぉ? 酔狂な……」


 報告するホープだが、ニックやハーラン医師を始めその場の全員が首を傾げた。

 ――聞けば、他の薬局とかを探索したオリバーも『P』を何度も見たそうだが。


「……参ったの。こりゃガイラスも、かなり苦しむことになりそうじゃのぉ」


「ぐ、ゲホッ、うぇっ……」


 心配の眼差しを受けたガイラスは、えずいた。――何かを言おうとしたのかもしれない。


「鎮痛剤の前に吐き気止めじゃな……」


 ハーラン医師は頭を抱える。

 ガイラスの抱えたとある事情に、誰も気づくはずはなかった。



◇ ◇ ◇



 ガイラスの寝ている個室をとりあえず後にして、ホープは俯いてトボトボと歩いていた。

 仮にも自分のことを『尊敬する』と言ってくれたガイラスが、こんな目に遭っている。可哀想だと思う。


 だが、そんなのは上辺なのだろう。

 だってホープは仲間に『序列』をつけて――


「おーい! 青髪の若旦那!」


「……スコッパー?」


 呼び止められて振り返ると、歩み寄ってくるのは老人スコッパー。

 そういえば、とホープは彼の姿を見て思い出す。


「ジルは? 今どうしてるの?」


「あぁ、嬢ちゃんも体調が優れないらしくてな。眼鏡の若造とは違う部屋で横になっとるぞ」


「え、体調が……?」


 嫌な予感がした。

 ジルは、ガイラス以外では唯一、あの汚水に飛び込んだ人物だ。



「……同じこと考えたか、若旦那? 残念ながらワシの言った通りになっちまうかもな……」



 ホープは頷く。スコッパーの『変な病気にならなきゃいいが』という懸念が、現実味を帯びてきた。

 まだ何も確定していないが、汚水に落ちた二人だけに体調の急変が起こっているのだ。


「偶然とは思えない」


 そんなホープの切ない一言に、スコッパーも険しい顔で顎を引いた。

 ――だが、ホープは軽く首をひねる。今はホープから質問したが、呼び止めてきたのはスコッパーの方だった。


「……スコッパー、おれに用があったの?」


「大したことじゃないさ。ただ、若旦那が思い悩んでるんじゃないかと……な」


「え?」


 疑問しか無かったホープが、


「『序列』」


「あ」


 スコッパーが続けた非常にわかりやすいその単語を聞いて、一瞬で思い当たった。

 この老人は、ジルとホープの『あの時』の会話をすぐ横で聞いていたではないか。


「見てりゃわかる。若旦那は、もう起きちまった出来事を、引きずって悩む人間だろ」


「……まぁ」


 見透かされていた。

 そりゃ人生経験はホープより豊富だろうが、彼は単なるホームレスのジジイだ。

 全然繋がりもないホープの人間性をわかっているとは、驚いた。


「あの嬢ちゃんが言ったことはな、気にせんでいいとワシは思うなぁ」


「いや……そういうわけにはいかないよ」


「ん?」


「だっておれが、他人をランク付けできるくらい高尚な人間だと思う? 嫌われ者のおれが、そんな権利……おれは他人を見下してるんだ……!!」


 他人を見下せるほど高い位置にはいない――本気でそう思っているのに。

 無意識にやってしまっていた。そんな自分が憎いが、本当はホープは、自分のことが大好きなのではないか。


 まぁ楽に死にたがっている時点で、完全にその通りなのだが――



「待て待て。こういう時に重要なのは、発想の転換だ。考え方を変えてみることだ」


「……は?」


「いいか、あのジルって嬢ちゃんの気持ちになれ――ドラクって若者が死んだら、取り乱さないか?」


「取り乱すよ、そりゃ」



 今さらスコッパーは何を言っている。そんな当たり前のことを再確認したところで――



「じゃあ……ワシが死んだらどうだ?」


「……!」


「青髪の若旦那、あんたが死んだら? ドラクが死ぬよりも取り乱すか?」


「い、いや、比較にならないよ……!」



 まさかスコッパー自身を、そして悩まされている当事者のホープを例に出すとは。

 ジルの気持ちを勝手に決めつけているのは申し訳無いが、これは『確定事項』だ。


 ジルは、どんな仲間よりも、ドラクが死んでしまった時が一番取り乱すに決まっている。


 それはつまり……



「嬢ちゃんだって、仲間に『序列』はつけているのさ。無意識にな」



 信じられない。

 だって、ジルは、あんなにも仲間一人一人、それぞれのことを大事にして――



「だからって悪人ってわけじゃねぇぜ? あんたや、嬢ちゃんに限ったことじゃない。ワシだって知らない間に『序列』は作っちまってると思う」


「え……」


「人間は誰も皆、人に『序列』を作って生きている――培った信頼。好感度。そういうもんは数値化できんから、責められたもんじゃない」


「で、でも……」


「つまるところ、嬢ちゃんは『言っちゃいけねぇこと』を若旦那に言ったんだよ。だから悩むことはない」



 肩をすくめて、スコッパーは軽く言い放つ。


 言っちゃいけねぇこと――

 別の表現をするならば、言ってもどうしようもないこと。言われても困惑するしかできないこと。

 自分のことを棚に上げないと言えないこと。


 ジルに悪気は無いのだろうが、まるでホープだけが悪人かのような言い方だった。

 彼女だって気づいていないだけで、きっと人のことは言えないのだ。


 スコッパーの言葉で、ホープの憂鬱は少し晴れた気がした。

 何でもかんでも、他人の言葉を鵜呑みにしてはいけない。それを忘れていた。



『信じることも、愛するものも、自分で決めるんだ!』



 かつて、誰かに向かって叫んだ言葉があった。

 どう考えてもホープには似つかわしくない台詞だが、紛れもなくホープの口から出た台詞だ。


「嬢ちゃんとはよく話し合っとけや」


「うん……そうするよ。ありがとう、スコッパー」


「――いいねぇ『若い』って」


 ホープに握手を求めてきたスコッパーは、羨むような、嬉しげなような、そんな微笑みを浮かべていた。



◇ ◇ ◇



 やることの無くなったホープが、どこか暗くて静かな場所でゆっくりしようと歩いていると、


「ほらね? あのビッチ、やっぱり男を惑わせてばっかり!」


「……?」


 西棟二階へと続く階段の、踊り場。

 上ろうとしていたホープに上から掛けられる、怒った女性の声は、



「……シャノシェ?」



 あまり、いい思い出のない仲間のものだった。



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