第172話 『命令拒否』
廃旅館にて、もうすぐホープたちが戻ってくる頃だろうかと当たりをつけていたニックは、
「んん?」
腹を押さえてゆっくり歩く、おかしな様子のリチャードソンを発見する。
「どうした? リチャードソン」
「……あ!? あぁ、ニックか。気にしないでくれ。最近少し、腹の調子が悪くてな」
「ストレスで腸でもやられちまったか」
「そんなとこ……なのかねぇ。詳しくは俺のこのボテ腹に直接聞いてほしいが」
リチャードソンはふっくらとした自分の腹を軽く叩き、軽口とともにゆっくり歩いていった。
見送ったニックは自分の視線の外に気配を感じ、
「……おお」
その方向には――ニックに見つかりたくないかのように――忍び足で歩くナイトの姿が。
見逃すわけがない。
「おい! ナイト!」
「…………」
声を掛けたられたら掛けられたで、ナイトは無言で足を止めた。
『吸血鬼』とか『最強』なんて名ばかりの軟弱者が、ニックの命令に逆らえるわけがない。
ナイトは心なしか拳を握り締め、汗だくの体を小刻みに震わせているように見えたが、
「……何か用か?」
振り向かれる表情、そして言葉や態度だけは毅然としている。あまりに白々しい。
「とぼけんじゃねえアホンダラ」
ニックは歯を見せてニヤつき、
「例の件はどうした? 調べ物をするように、俺は確かに命令したはずだぜ。仲間同士で隠し事なんて寂しいからなあ、と」
「…………」
ニックは少し前、ナイトにとある命令を下した。
それは、とある仲間について――隠し事を秘密裏に調べろというもの。
進捗が全くわからない。ナイトが何も報告してこないからだ。
「――ねェか」
「あ?」
こうやって直接聞いてみたが、どうもナイトの様子がおかしい。
声が小さくて聞き取れなかった部分を聞き返すが、
「仲間に隠し事してんのァ、てめェじゃねェか」
「っ!」
まさかの一言を予期できず、ニックは柄にもなく動揺してしまった。
――確かに『秘密裏に調べろ』なんて、それこそが隠し事ではないか。一理ある。
「俺も、てめェも。あいつとは仲間だろうが。俺ァ、あいつを疑いたくねェ」
「ふん……」
「そんなに興味あんならァ、てめェで勝手に聞け」
「おいおい。ナイト。そいつはつまり……」
今までにない態度。ナイトが絶対に見せることのなかった姿勢。
ニックの中の常識は、青髪の少年に続き、またしても覆されてしまうようだ。
「あァ――今回の命令、俺ァ従わねェ。そう決めた」
命令、拒否。
あれだけ絶対的だったニックの命令を、ナイトは態度でも言葉でも、バッサリと切り捨てたのだ。
だが、この変化。
ニックには――ナイトが『成長した』、『強くなった』ようには到底見えなかった。
「ホープ・トーレスに毒されたか?」
「…………」
「それとも、何もかも放り投げる気か?」
「…………」
グループの中で『最強』であれ、というニックとの約束は未だ守られているだろう。
ナイトより強い者はこのグループにはいない。
しかし、ナイトは『ニックの犬となる』という条件もあってグループに属すことができている。
つまり犬でなくなった彼は、処分されても文句の言えない立場になってしまった。
「――覚悟、できてんだろうなあ?」
「好きにしろ。どうでもいい。俺ァ、もう終わったんだ……」
今のナイトの姿勢は、弱気どころの話ではない。完全に生きること、生きていくことを諦めたかのような、病んでいる者のそれだった。
演技ではないだろう。
そもそもナイトは演技できるほど器用な男ではないことを、ニックが一番知っている。
「…………」
同情というか、いたたまれなくなった、というか。
さすがのニックも今のナイトに追い打ちをかける気にはならず、葉巻に火をつけ、彼の背中を見送るだけであった。
「…………!」
リチャードソンも、影からそれを見ていた。
◇ ◇ ◇
「ったく、コソコソとォ……ッ」
ニックとの話し合いを自ら破綻させたナイトは、何もない場所で腕を振り回し、
「……捕まえたぞ」
その掌の中に、小さな羽虫のような存在を掴み取っていた。
だが、その見た目は奇妙で。
「……やっぱり『機械』か」
握り潰すとその感触は鉄のように硬く、『バキッ』と生物ではあり得ない音がする。
粉々になったその物体からは軽く電流の音もするのだ。
ナイトには思い当たる節があった。
◇ ◇ ◇
そこは、何の変哲もない部屋。
つい最近にホープと話をした場所である。
カーラ――あの発明家の女が『ラボ』と呼んでいた部屋の扉を、ナイトは乱雑に蹴破った。
「……礼儀がなってねぇぞ、吸血鬼」
その美少女は部屋の中であぐらをかいていた。キャミソールにショートパンツと露出の多い、この前見たのと同じ格好で。
「そりゃこっちの台詞だ、覗き魔がよォ」
「あっ! おい、ちょっと!」
ナイトはそう言いながら、怪しいと目をつけた物体へと迷わず歩み寄る。
走ってくるカーラが追いつく前に、
「ッ」
布で覆われていた『何か』の正体を、布を引っぺがすことで明らかにした。
――いくつかのモニター、そこにはグループの仲間であったり、森の中であったり、森の中のスケルトンの群れであったり……色々と映り込んでいた。
「てめぇ!」
「ぐォ」
カーラは背後からナイトの首に腕を回し、ラリアットのような体勢に。
そのままナイトの膝裏を蹴りつけ、ナイトを仰向けの状態で床に叩きつける。
「変な挙動の後に映像が映らなくなったと思ったら……あれに気づきやがったのか!」
カーラは仰向けのナイトにのしかかりながら、彼の首を絞め続けている。
「てめェ……いつから監視していやがった。俺だけじゃねェようだが……」
「自意識過剰乙!! てめぇだけなわけねぇだろ! 始めたのは最近だ、あのグラサンリーゼントから命令されたんでな!」
「スケルトンの動向の把握は賛成だが……なぜ仲間のことまで……? ニックの野郎ォ……何考えて……」
「おれだって知らねぇよ! あんなイカレ野郎の頭ん中なんてな!」
カーラの意見は全くもって正しい。
正直、ニック・スタムフォードの考えというのは、側近のリチャードソンですら読めないだろう。
それはそれとして、
「自意識過剰たァ言うが……それでレイとの一件も知ってたんだろ?」
「うぐ……まぁ、途中までしか見てねぇが……」
「クソ。じゃあ何でホープに余計なことォ言いやがった? ややこしいことになっちまった……」
ホープとの関係が悪化してしまったかもしれない――それは本当にナイトは悔いていることだ。
しかし詳細までは話せない。それも口惜しい。
監視していることを必要以上に咎めるつもりはない、ニックの命令が怖くて歯向かえないカーラの気持ちは痛いほどわかるからだ。
ただ、余計なことを言ってほしくなかった。その点だけは追及させてもらう。
カーラはその理由について問われ――マスク越しでもわかる、赤面。
「だってさ、てめぇが可愛いからさぁ。イジりたくなっちまうんだ」
「……は?」
唖然。
まるで頭でも殴られて変な夢を見ているんじゃないかと思いたくなるほど、ナイトに似つかわしくない単語が飛び出してきた。
――『可愛い』と。
「どういう……意味なんだ? そりゃァ……」
「おい、理由聞いといて引くんじゃねぇ色男」
「てめェの目……節穴なんじゃねェか?」
「違ぇよ! おれは別にてめぇの容姿の話はしてねぇんだよ、てめぇの在り方が可愛いってんだよ!」
「……?」
ますますわからないし。
どんどんわからなくなっていく。
カーラは少し、慈愛にも似たものを瞳に蓄えて、
「その、すぐ一喜一憂しちまうところとか――下手すりゃホープよりもその傾向強いぞ、てめぇ」
「ッ!?」
感情的。自分のことをそういうタイプかもしれないと思ったことはあったが。
ホープよりも落ち込みやすい、他人の影響を受けやすい。そんな風に思う人もいるとは。
「てめぇのそういうとこ見るたびに思うんだ――やっぱりまだ『完成品』には程遠い、ってよ」
「あァ? 『完成品』?」
いかにも発明家っぽい言い回しだが、自分にそれが向けられると全く理解できない。
カーラは依然としてナイトの首を絞めながらも、
「おれはこう思う――『諦める』ことが、『死ぬ』ことが許される奴ってのは、人生を存分に全うした奴だけだって」
「…………」
「色んな経験、知識、教養を得て。体験して、挑戦し続けて、ベストを尽くす。自分の限界まで、いや限界を超えても、何でもやるんだ。そうじゃねぇと――」
「…………」
「『諦める』『死ぬ』という行為に。そして、その行為を選んできたこれまでの全ての人たちに――失礼だ、って思うんだ」
「…………」
響かせたい。ナイトは今の自分の摩耗した心に、カーラの言葉を響かせなければならなかった。
だが――不思議なことに全く響かず、ただただ冷静であった。
「人生を全うした奴が『完成品』ってことか?」
「ああ。これがおれの考え方ってだけの話だ、聞き流してもらっていい」
「諦めることを『許されない』かァ……その許すのは誰だ?」
「さぁ? 神様とかじゃね? さて、と……秘密を知られたからには始末しなきゃな」
軽い質問に、同調するように軽く答えたカーラは、首を絞める力を強めて――ナイトが口を開く。
「てめェ、良い匂いするな」
「っ! ……っ!? んなぁっ!!?」
確かにカーラは首を絞めるために密着していて、赤い髪もナイトの顔に何度か触れたりしていたが……
一瞬、脳死したように動きを止めたカーラは、直後に何を言われたのかだけ認識し、顔を真っ赤に紅潮させて飛び退いた。
「てっ、てめっ、はぁ!? はぁ!? キモい! 普通に、キモッ! にゃんなんだてめぇ!? そういうタイプだったっけキモッ!?!?」
「……落ち着け」
慌てるカーラをよそに、ナイトはゆっくりと立ち上がって距離を取った。
「……は!? ま、まさかおれを動揺させるために……クソ、引っかかっちまった! クソぉ……心理戦や頭脳戦で、よりにもよってコイツに遅れを取るなんて……クソぉ」
ブツブツと自分を責めているカーラは放っておいて、ただ『虫を象った超小型カメラ』の真相を知りたかっただけのナイトは退室しようと扉へ向かう。
と、
「お……おい! ナ、ナイトぉ!」
自分の名前を呼ばれる。
いつもなら『色男』とか『てめぇ』のはず。呼んできたカーラの方を見る。
「ジルから聞いたことだけどよぉ」
「……パーカー女か」
「ホープも、エドワーズ作業場ってところで、今のてめぇと同じような状態に陥ったらしい」
「ッ!?」
「へへ、驚いたか? ――だが、ドラクってお喋り野郎がそれを立ち直らせた。あいつらはそういう関係なんだ」
「……そうか。そうだったのか」
ホープの話が出たり、自分と比較されたりすると、どうにもナイトは調子が狂ってしまう。
作業場でそんな一幕があったことも驚きだが。
「なぁ、ナイト……てめぇには、ドラクのように立ち直らせてくれる人がいるかな?」
「ッ!?」
「おれの考えを聞かせてもダメで……きっとドラクに、作業場での一件と同じことを言わせたって効果は期待できねぇなぁ?」
「…………」
「立ち直れるといいな、てめぇ」
「……大きなお世話だ」
キャンピングカーや『ラボ』に閉じ籠もっているだけの発明家が、どうしてそんなに情報通なのだ。
立ち直れるなんて微塵も思っていない。ナイトは正真正銘、終わってしまったから。
カメラでも心の中まで見れると思うなよ――そう吐き捨てる気も起きない。
「あ……あと! さっきのキモい言葉……あんな嘘、二度と言うんじゃねぇぞ! 他の女だったらマジで縁切られるぞ!」
「……嘘を言ったつもりはねェ」
「んなぁっ!!?」
そんな、表面上だけコミカルな会話で締めくくられて――ナイトは『ラボ』からゆっくりと逃げた。




