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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第四章 障害に次ぐ障害
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第164話 『ウルフェル編:再起』



 今にもウルフェルの命を刈り取ろうとしていた笑顔の吸血鬼は、表情を変えないまま手を止めていた。



「お待ち下さい――そこまでです」



 彼の背後では、深緑色の髪をした長身の男が弓を引いている。

 言葉少なく、無表情で。


「レ……レナード……!?」


 ウルフェルはその男を知っている。


 いつまでも立ち直れない自分に愛想を尽かせて去ったはずの、レナード・ホークであった。

 もちろん大切な友人だが、もう会えないのかと思っていたから驚いているが。


「『無意味な殺生』ほど虚無で無価値な物は、この世に存在しないと自分は思います」


 弓をむけたまま、レナードは吸血鬼に言葉をかける。


「へぇー、そうかな? キミはバカだね。この世に意味や価値のあるものなんて、一つだってありはしないさ」


「成程。そちらが貴方様の考え方なのですね」


 対する吸血鬼も笑顔とペースを崩さず、ウルフェルからも目を離さず、背後のレナードと会話する。

 レナードは彼を否定しないが、


「自分は『愛の奴隷』でございますが、流石に友人が何の理由もなく殺されるのを、見過ごすことはできかねます」


 かといって攻撃態勢をやめることもない。


「そりゃ面白くないことだね――でもキミ、ただの人間の割に頭は悪くなさそうだ」


「お褒めに預かり光栄です」


「だって、その矢の先端から嫌な感じがする。何か塗ってるでしょ?」


「ご明察。ええ、毒を塗ってあります。毒ガエルの体液――皮膚を覆う粘液を」


 ただの人間であるレナードが、頭のおかしい吸血鬼と対等に喋っているだけでも、覚悟が決まりすぎている話だ。

 なのにレナードが対等なのは口だけではないらしく、ウルフェルは呆然とするしかなかった。


「人間であれば、ひとたび掠るだけで死に至ることでしょう」


 レナードが無表情で簡潔に説明すると、吸血鬼は呆れたように微笑んで、


「脅しのつもり? ボクは吸血鬼なんだから、全然話が違うん――」


「いえ、吸血鬼()()()()()受けない方がよろしいかと」


「は? 吸血鬼にだけ特別効く毒なんて聞いたこと――」


 さすがに吸血鬼が動揺するが、



「人間ならば即死級の毒。その倍強い吸血鬼ならば、死にはしなくとも長く苦しむことになります。少なくとも一週間は、死ぬか死なないか……そんな状態を続けることになるでしょう」


「…………」



 レナードは、やはり何の感情も込めずに言い切った。


 中途半端に体が強いからこそ、コロリと死ぬこともできず長く苦しむ。

 本当かどうかはわからないが、



「さて『死ねない苦しみ』が『死』に勝るのかどうか……自分も気分は乗らないのですが、貴方様は試してみますか?」



 一切、迷いのないレナードの言葉や表情から、それが本当だと信じさせられてしまう。


「はぁ……面倒臭い奴を相手にしちゃったなぁ」


「自覚はあります」


 吸血鬼はため息を吐き、刀を鞘へとしまう。それでもレナードは油断せず弓矢を構えたまま。

 吸血鬼は肩をすくめ、


「まったく。無表情でボクを責めてさ、それなら勝てるとでも思ったの? 面白くないな」


「さぁ、どうでしょう。貴方様のようなタイプならば、この方が恐怖を与えられるかと思いまして……実際、何の効果も無かったとは考えにくいですしね」


「……ウザいよキミ」


 吐き捨てるように言って、吸血鬼は心底嫌そうな顔をしながら歩き去っていく。

 バーク大森林の闇の中へ――その姿が消えてもまだ、しばらくレナードは警戒を怠らなかった。


 人間のレナード・ホークが、吸血鬼を撃退した瞬間である。



◇ ◇ ◇



 呆然としているウルフェルは、遠目で『あるもの』の方を見た。


 ――熊だ。

 倒したはずの熊は、首から血を流しながらも立ち上がり、のそのそと壁の外へ出ていくのだ。


「くっ……」


 下を向いたウルフェルは、歯ぎしりならぬ牙ぎしりをする。

 なぜなら、



「情けねぇ……オレ様……どこまで中途半端だよ……」



 魔導鬼の女には普通に敗北した。


 親友のティボルトは救えず。


 特に因縁も無いが、襲ってきた熊は仕留め損ね、完全に油断していた。


 頭のおかしい吸血鬼にはあと一歩で殺されかけた。レナードがいなければ終わりだっただろう。



「ウルフェル様」



 俯く狼の獣人に、レナードは優しく言葉をかける。


「自分がウルフェル様に愛想を尽かせた、などとお思いになられましたか? それは誤解でございます、申し訳ありません」


「へ?」


「一人で頭を冷やす時間というのも必要なので、ウルフェル様のために一旦それを作ろうと思っておりました」


「ああ……」


 やはり、この男には何もかもお見通しというわけか。

 レナードはウルフェルの杞憂を全て的確に言い当て、しかも払拭してくれたのだ。


「自分は元々……ウルフェル様が強いから、格好良いから、などという理由で行動を共にしているのではございません」


「…………」


「僭越ながら自分はウルフェル様に『そばにいてほしい』と強く願います……この感情に理由を付けるのは難儀なもので、説明など不可能なのです」


「…………」


「旅を、続けましょうか?」


 遠回しなのか、素直なのか。

 いや、素直すぎて遠回しっぽくなってしまっているのか。


 わからないが――差し出されたレナードの手に、少なくとも嘘は無い。



「……おう! 行こうぜ!」



 その手を取り、ウルフェルは次の一歩を踏み出すことにした。

 レナードの眩しい笑顔とともに。



「……って、イデデッ!!!」


「おや……いけませんね。斬られて負傷した左足、治療しなければ」



 まだちょっと、歩き始めるのは延期らしい。



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