第164話 『ウルフェル編:再起』
今にもウルフェルの命を刈り取ろうとしていた笑顔の吸血鬼は、表情を変えないまま手を止めていた。
「お待ち下さい――そこまでです」
彼の背後では、深緑色の髪をした長身の男が弓を引いている。
言葉少なく、無表情で。
「レ……レナード……!?」
ウルフェルはその男を知っている。
いつまでも立ち直れない自分に愛想を尽かせて去ったはずの、レナード・ホークであった。
もちろん大切な友人だが、もう会えないのかと思っていたから驚いているが。
「『無意味な殺生』ほど虚無で無価値な物は、この世に存在しないと自分は思います」
弓をむけたまま、レナードは吸血鬼に言葉をかける。
「へぇー、そうかな? キミはバカだね。この世に意味や価値のあるものなんて、一つだってありはしないさ」
「成程。そちらが貴方様の考え方なのですね」
対する吸血鬼も笑顔とペースを崩さず、ウルフェルからも目を離さず、背後のレナードと会話する。
レナードは彼を否定しないが、
「自分は『愛の奴隷』でございますが、流石に友人が何の理由もなく殺されるのを、見過ごすことはできかねます」
かといって攻撃態勢をやめることもない。
「そりゃ面白くないことだね――でもキミ、ただの人間の割に頭は悪くなさそうだ」
「お褒めに預かり光栄です」
「だって、その矢の先端から嫌な感じがする。何か塗ってるでしょ?」
「ご明察。ええ、毒を塗ってあります。毒ガエルの体液――皮膚を覆う粘液を」
ただの人間であるレナードが、頭のおかしい吸血鬼と対等に喋っているだけでも、覚悟が決まりすぎている話だ。
なのにレナードが対等なのは口だけではないらしく、ウルフェルは呆然とするしかなかった。
「人間であれば、ひとたび掠るだけで死に至ることでしょう」
レナードが無表情で簡潔に説明すると、吸血鬼は呆れたように微笑んで、
「脅しのつもり? ボクは吸血鬼なんだから、全然話が違うん――」
「いえ、吸血鬼だからこそ受けない方がよろしいかと」
「は? 吸血鬼にだけ特別効く毒なんて聞いたこと――」
さすがに吸血鬼が動揺するが、
「人間ならば即死級の毒。その倍強い吸血鬼ならば、死にはしなくとも長く苦しむことになります。少なくとも一週間は、死ぬか死なないか……そんな状態を続けることになるでしょう」
「…………」
レナードは、やはり何の感情も込めずに言い切った。
中途半端に体が強いからこそ、コロリと死ぬこともできず長く苦しむ。
本当かどうかはわからないが、
「さて『死ねない苦しみ』が『死』に勝るのかどうか……自分も気分は乗らないのですが、貴方様は試してみますか?」
一切、迷いのないレナードの言葉や表情から、それが本当だと信じさせられてしまう。
「はぁ……面倒臭い奴を相手にしちゃったなぁ」
「自覚はあります」
吸血鬼はため息を吐き、刀を鞘へとしまう。それでもレナードは油断せず弓矢を構えたまま。
吸血鬼は肩をすくめ、
「まったく。無表情でボクを責めてさ、それなら勝てるとでも思ったの? 面白くないな」
「さぁ、どうでしょう。貴方様のようなタイプならば、この方が恐怖を与えられるかと思いまして……実際、何の効果も無かったとは考えにくいですしね」
「……ウザいよキミ」
吐き捨てるように言って、吸血鬼は心底嫌そうな顔をしながら歩き去っていく。
バーク大森林の闇の中へ――その姿が消えてもまだ、しばらくレナードは警戒を怠らなかった。
人間のレナード・ホークが、吸血鬼を撃退した瞬間である。
◇ ◇ ◇
呆然としているウルフェルは、遠目で『あるもの』の方を見た。
――熊だ。
倒したはずの熊は、首から血を流しながらも立ち上がり、のそのそと壁の外へ出ていくのだ。
「くっ……」
下を向いたウルフェルは、歯ぎしりならぬ牙ぎしりをする。
なぜなら、
「情けねぇ……オレ様……どこまで中途半端だよ……」
魔導鬼の女には普通に敗北した。
親友のティボルトは救えず。
特に因縁も無いが、襲ってきた熊は仕留め損ね、完全に油断していた。
頭のおかしい吸血鬼にはあと一歩で殺されかけた。レナードがいなければ終わりだっただろう。
「ウルフェル様」
俯く狼の獣人に、レナードは優しく言葉をかける。
「自分がウルフェル様に愛想を尽かせた、などとお思いになられましたか? それは誤解でございます、申し訳ありません」
「へ?」
「一人で頭を冷やす時間というのも必要なので、ウルフェル様のために一旦それを作ろうと思っておりました」
「ああ……」
やはり、この男には何もかもお見通しというわけか。
レナードはウルフェルの杞憂を全て的確に言い当て、しかも払拭してくれたのだ。
「自分は元々……ウルフェル様が強いから、格好良いから、などという理由で行動を共にしているのではございません」
「…………」
「僭越ながら自分はウルフェル様に『そばにいてほしい』と強く願います……この感情に理由を付けるのは難儀なもので、説明など不可能なのです」
「…………」
「旅を、続けましょうか?」
遠回しなのか、素直なのか。
いや、素直すぎて遠回しっぽくなってしまっているのか。
わからないが――差し出されたレナードの手に、少なくとも嘘は無い。
「……おう! 行こうぜ!」
その手を取り、ウルフェルは次の一歩を踏み出すことにした。
レナードの眩しい笑顔とともに。
「……って、イデデッ!!!」
「おや……いけませんね。斬られて負傷した左足、治療しなければ」
まだちょっと、歩き始めるのは延期らしい。




