第15話 『薄っぺらい友情』
――今日もまた、朝がやって来る。
昨日が晴れでも曇りでも、雨でも。
変わらず朝は、知らん顔してやって来る。
今日もまた、檻の鍵が開かれる。
今日もまた、指導者が「起きろ」と、全ての労働者たちを怒鳴りつける。
だが今日は、朝食が無い。
「うぅ……」
エドワーズ作業場に閉じ込めてられて二日目。その朝7時前。
昨晩はもちろん団子一個しか腹に入れていないホープは、空腹で死にそうだった。
やはり朝食は抜き。ホープの胃が悲鳴を上げたところで、飢餓感は増していくばかり。
「てめぇも起きろ! 何だ、腹減って辛いか!? 食いたかったら働きやがれ、マヌケ!」
「いづっ……!」
動くことすら辛くてしょうがないのだが、蹴られ、ひっぱたかれてしまったら、もう起きるしかないではないか。
――ほとんど眠れていない。眠れないくらい腹が減っていたし喉が渇いていたから。
ほんの少し食べないだけで、人間の発揮できる能力というのはだいぶ落ちたりすることも。
しかし、何日かくらいなら食べなくても、死ぬことはない。このくらいでは死ねない。
人間とは弱く、そして強く、そしてやっぱり弱い生き物だ。
手錠をかけられたホープは、黙々と歩みを始めた。
◇ ◇ ◇
「おはようホープ、昨日話したことなんだが……」
採掘場に到着して早々、ケビンが走り寄ってくる。
「……っておい、大丈夫か? そういや昨日あんまり鉱石採れてなかっただろ。まさか、一晩飲まず食わずだったんじゃないか?」
成果に期待しているような顔付きだったケビンはすぐにホープの異常に気づき、こちらの顔色を心配げに見てきた。
ホープは彼の質問に事実で答えるべく、
「……だ、団子なら一個……食べた」
と真顔で返す。
「……クソ! 休憩まで辛抱しろよ。お前の分まで鉱石見つけて、水を死ぬほど貰ってやるからな!」
聞いたケビンは歯を食いしばり、いつになく怒ったような様子である。
怒っているのは当然ホープにではなくエドワード一味にだろう。
その怒りを込めているかのように、ケビンはツルハシを昨日よりも断然力強く振っていた。その合間に、
「ふぅっ、ふぅ……ああそうだ、言い忘れてたが、レイの情報はまだ手に入れてない――お前は喋らなくていいぞ。その様子じゃ、道具とか見つからなかったんだろう? 薄々そうだろうとは思ってた」
全くホープに喋らせることなく、早口で事後報告を済ませるケビン。
勘が鋭くなくたって、ホープが望むものを手に入れられてないことくらい、顔を見てれば容易にわかるのだろう。
ホープはアホであるから、言いたいことがすぐ顔に出る。
――『脱走作戦』についての情報交換をしたくてホープに近づいたのだろうケビンは、目的そっちのけでホープの命を救おうとしてくれている。
息つく暇もなくツルハシを振り続ける彼。
そんな光景を少し離れた所から見ているホープは嬉しいような、申し訳ないような気持ち。どちらなのか自分でもわかっていないが。
――何時間かが経過し、ケビンの麻袋が半分ほど鉱石で埋まってきたころ。
ふと、その瞬間は訪れる。
「よぉよぉ、兄ちゃん。鉱石めちゃくちゃ採れてんじゃーん」
「ちょっと中身、見してくんね?」
灰色のツナギ、つまり労働者の男たちがケビンに声をかけた。痩せているというより、やつれているような二人組だ。
ケビンはくだらない会話だとばかりに二人を無視し、ツルハシを振るう両腕に力を入れ続ける。
「――うはっ、マジすげぇ! こんなに採ってる奴は見たことねぇぜ!」
無反応を良いことに、ケビンの袋を勝手に覗き見ては、大はしゃぎする二人組。
半分くらいの量というのは相当な功績であるらしい。
「よぉ兄ちゃん。その鉱石分けてくれよー」
「俺たち痩せ細ってるだろ? 最近は石の出が悪くてな、全然食えてねぇんだよ。可哀相だよなぁ俺たち」
「うるさいぞお前ら、必死に働いてる俺が見えないか? この鉱石は友人を守るためにも必要だ、お前らにやる余裕は無い。悪いな」
「友人!?」
「マジかっけー!」
ろくに働きもせず鉱石をねだる労働者たちを、不機嫌さを隠せないまま追っ払おうとするケビン。
同じ立場だから大変なのは理解できるが、「かっけー」とか他人を煽る余裕があるなら働けばいいのに、とホープも何となくツルハシを振りながら思う。
ケビンが彼らを突っぱねて終わりかと思ったのも束の間、
「……これ、死活問題だろ? わかってんだろ兄ちゃん? てめぇが鉱石分けねぇってんなら、力づくで奪わせてもらう」
ニヤリと笑って、男はそう言い放った。
次の瞬間、ケビンの背後からぬっと手が伸び、そのまま彼は羽交い締めにされる。
「は!? おい、何の真似を……どうっ!?」
叫んだケビンの腹に、話していた男が拳を打ち込む。
彼の両腕を、後ろでそれぞれ拘束している二人の男も灰色のツナギ。最初に絡んできた奴らは二人組ではなかったのだ。
「うぐっ……おい、やめろ!」
腹の痛みに苦しむケビンをよそに、先の二人組がケビンの鉱石を自分たちの袋に流し込んでいく。
見れば、あの場に続々と他の労働者が集まっていくではないか。全部で六人くらいにはなった。
指導者のみが敵だとばかり考えていたホープだが、労働者も決して味方とは呼べないらしい。
――何ということだ。体が動かない。
まるでホープの脳が、激しい心臓の鼓動が、『行くな』と自分に言い聞かせているかのように、手も足も一つとして停止を揺るがせない。
要は見守ることしかできていないホープだが、
「おぉら!!」
「あだ!?」
ケビンは違った。彼は頭を後ろへ振り、羽交い締めにする連中、その片方の男の顔面に後頭部をぶつけたのである。
鼻血を噴きながら怯んだ労働者を見て、他の労働者も動く。
だが羽交い締めしていたもう片方、さらに近寄っていった内の二人が、ケビンの逞しい腕に殴り飛ばされてしまった。
「っへ、俺はキックボクシングをかじってるんだぜ。技術や腕力はやってた頃より落ちたが、そこらのチンピラには――」
「このやろおおお!」
「――負ける気がしない、なっ!」
「ぶぅ!?」
見事なハイキックで正面から迫る敵の横顔を強打。その後に「いてて……」と股の辺りを押さえてはいるものの、ケビンは相当強そうだ。
あのツルハシを振り続けられる不思議なスタミナも、かじったキックボクシングの賜物のようである。
元々、ガタイは良いと思っていた――どうして指導者を倒さないのかと疑問を抱くくらい、彼は強そうに見えていた。
だがホープはこの瞬間、ようやく理由がわかった。
ケビンの性格を考えれば自明の理だ。彼は自分のみならず友人も大切にする男。つまりホープを、あるいはレイを危険な目に遭わさぬように、今まで抵抗という抵抗をしなかったのだ。
けれども今回は状況が違う。
喧嘩を吹っかけてきたのはあの労働者どもであり、またホープも安全な位置にいるため、ケビンには暴れない理由がないわけだ。
と、どこか冷静に、今も乱闘の最中にあるケビンを偉そうに分析していたホープであるのだが、
「なぁガキ、てめぇもあの黒人の仲間なんじゃねぇの? さっき話してたよなぁ?」
「あっ……?」
後ろから、ケビンと同じように声をかけられる。振り返れば、ここにも灰色のツナギ。
まずい。
「どうなんだ? あぁ?」
「あぁいや、その……おれは……」
両方の掌を男に向けている状態だが、口から肯定も否定も出てこない。
あんなに良くしてくれたケビンを見捨てるなんて、できるわけがない。やってはいけないことだ。
だとは本当に思っているのに、
「らぁ! うらぁ! ぐふっ……おらぁあ!」
向こうで戦っているケビンを見る。
彼は四人ほどの労働者を相手にしていても大暴れを止めず、なお優位には立っている。
しかし彼とて無敵ではない。何度も、何度も顔面や腹にパンチをくらっているのだ。唇も切れたのか出血していて、痛そうだ。
――すまない、ケビン。
痛いのは、死ぬよりも怖いから。
「おれは……違うんだ、おれは関係ないんだよ。あのケビンとは仲間じゃな――」
「名前知ってんじゃねぇか! 死ねコラ!」
「ぁがっ!?」
衝撃。
突然男に顔を殴り飛ばされ、岩肌のカーペットを転がる。手錠付きの手で受け身などできるわけもなく、転がる際には体じゅうの肌が裂け、出血したのは言わずもがな。
――何がなんだか、脳がぐらんぐらん揺れて理解ができない。
「やっほーぅ、加勢しようとしてた味方をぶっ飛ばした俺、鉱石の分け前すげー貰えんだろ! ぎゃははは、ありがとよぉ!」
「ぅお……」
ホープに感謝の意を示しつつ、横倒れたホープの腹を蹴りつけるという矛盾した行動。
もろに蹴りをくらい、ホープの内臓が熱を帯びながらかき回される。
飲まず食わずの自分の体が、救いを求めて悲鳴を上げている。誰にも届かない悲鳴を。
そんな事情も知らない男はさらにホープの顔を踏みつけ、
「にしてもてめぇ今、仲間売ったよなぁ?? サイテーの臆病者だな! さすがの俺も引くぜ、マジで!?」
「……!!」
――気づきたくなかったことを、労働者の男はホープに無理やり気づかせたのだ。
男が一瞬、踏む力を弱めた。ホープはその隙を利用して何とか立ち上がり、
「うぅ、うるさいコノヤロー!」
――ホープが今の自分を正当化させるためには、残念なことにもう怒る他に手段がない。
だから怒りをたぎらせて、手錠で緩く固定された両腕を力任せに繰り出すが、
「雑魚のくせによぉ、ほい!」
「ぶふっ……!」
簡単に避けられ、しかも腹にまた蹴りを入れられて、ホープは後方へ倒れるしかなかった。
――ホープは先程、ケビンを見捨てたのだ。あの憎たらしい労働者の男に言われてようやく気づくなんて。
ケビンは、他の誰でもないホープのために鉱石を死ぬほど集めていたのだ。
今も、その鉱石を守るために戦っている。
自分は……ホープの取った行動はどうだろう?
ケビンに助太刀することもなく、
ただ傍観し、
挙げ句の果てには殴られないために彼を切り捨てようとし、
失言によって結局は殴られ、
逆ギレでやり返してみたが、
やはり、どうにもならず沈むばかり。
「みに、くい……」
醜い、醜い、醜い、醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い。
何が「うっかり友情を育んでしまった」、だ。これのどこが友人だ。
――友とは『助け合える者』という関係だ。
共にバカ騒ぎをして、上っ面で励まし合う、でも肝心な時には知らんぷり。それでは本当の友情とは呼べない。ただ集まっているだけに過ぎない。
友が危険な目に遭ったとき、友が窮地に陥ったとき、本気で、命を懸けてでも助けようとできるのが本物の『友』だ。
いざというときに、それができるか。できないのなら、薄っぺらい関係だ。
頭では、それを理解していたホープなのに。
「お、おれは……」
ホープは、ただただ醜い。
ケビンというお知り合いに、同情の余地すら見つからない行いをしたのだ。
「――何の騒ぎだ!? 静かにしろ!」
「ちっ、来やがった!」
指導者らしき声に、ホープを見下ろす労働者が焦りを見せる。
顔だけを起こしたホープのぼやけた目に、あの恐ろしい鞭が見えた気がした。
「おい、静まれと言ってんだよ! 聞こえねぇのかクソども!?」
さらに大声を張り上げる指導者の男に、ケビンと乱闘していた労働者たちもようやく静まる。
が、ホープの近くにいた労働者は、
「うっせぇのはてめぇだろうが! てめぇが静まれアホー!」
「何だとぉ!?」
今の今まで焦っていたくせに、妙に強気に口答えをする労働者。
それに指導者も乗っかりつつあり、
「真面目に仕事しねぇ奴ぁ、こうだ!」
彼はその手の鞭を、労働者に向かって上から下に振るい、
「うぉ、危ね!」
労働者がその鞭を躱すと、
「ぎゃぅぁぁぁあわぁぁぁぁ――ッ!!!!」
立ち上がろうとしていたホープの背中に、角度、速さ、重さ、威力のどれを取っても完璧な、最強の打撃が打ち込まれた。
つい先日までのホープはこのような生き地獄を、あろうことか望んでいた。
今はその逆、鞭など絶対にくらいたくないという考えになったのに。
皮肉にも、こうして件の痛苦を味わっている。ああ、笑えない。
――異次元の苦痛にホープの思考回路は一瞬でシャットダウン。
全身の筋肉からごっそりと力が失われ、白目をむいて、口から泡を吹き、
彼にとっては不幸中の幸いとなるのだが、ホープは気絶した。




