第158話 『手遅れになる前に』
意識が朦朧とするホープは地面に転がされ、
「ばふぉあっ!?」
どてっ腹を踏み潰される。
体の中に飲み込んでしまった大量の水を、強制的に口から排水させられた。
「げぇほっ……ごほっ、何する……」
「ああ? 感謝しやがれ。どういう訳かわからんが、俺が遅れてりゃあ、てめえは溺死だったんだぞ」
全く遠慮などせずにホープの腹を蹴りつけたのは、リーダーのニックだ。
確かに溺死は最悪だ。こっちの方がマシかもしれない。
ふと自分の足を見ると、
「うお!?」
切り落とされたシリウスの手が、ホープの足をガッチリと掴んでいた。
気味が悪い。硬直した指をどうにか引き剥がし、池に投げ捨てる。
紆余曲折はあったが――どうやらホープは『同志たち』に勝利したようだ。
「……よく生き残ったもんだ」
「…………」
地面に座ったまま、崩れゆく中央本部を眺めていたホープ。
その隣に少し間を空けて、葉巻をふかすニックがあぐらをかいた。ホープに言葉をかけながら。
「……褒めてるの?」
「ああ。そうだ。てめえは俺が課した任務を忠実に遂行した、褒めたって良いだろう」
「……別に、君のために戦ったんじゃないけど……体じゅう傷だらけで、痛いし」
「ああ」
ニックは「そんなことわかっている」とでも言いたげに、適当な相槌を打ってきた。
サングラス越しにホープの体を横目に見て、
「全身に軽い火傷、数か所の殴られた傷……ってところか。てめえにしちゃあ随分と体を張ったな」
「……そんなに可笑しい?」
「いいや? ただ、考えちまうのは――これが『愛の力』ってやつなのかと」
「っ!?」
ここ最近、意味不明なことにばかり遭遇している気がして、もうホープは頭がパンクしそうだ。
中でもニックの今の発言は最高級に意味不明だし。
「レイ・シャーロット……あの女を引き合いに出した瞬間、てめえは体を張り、ボロボロになりながら敵を打ち倒した」
「……!」
そういえば、彼女を殺すと脅されたからホープは自殺をしようとしなかったし、戦いにも勝たねばならなかった。
途中、諦めかけた時もあったが。
「いつも我関せずなてめえだが、レイという一人の女のためだけにここまでやりやがるとは」
「君のせいだろう? 君がそうさせたんだ」
「任務を課したのは俺だ。しかし、任務を遂行したのはてめえだろうが」
「……!」
「無視しても良かったんだぜ? 女の命がどうでもいいんなら、な」
自分では特に深くも考えなかったことだが、確かにホープは任務遂行に夢中になっていたかもしれない。
レイを殺すと脅されても、レイの声援を聞いたとしても、別にさっさと自殺したって良かったのに。
なぜか……できなかったのだ。
「つまり、てめえはレイが好きなんだ。ただの仲間じゃねえ。愛していて、守りたいと思っている」
「……っ! ……!」
認めたくない思いもあるが、かといって否定もできない。
ということは、真実ということなのか?
「……でも」
でも、だ。
「おれのせいで、レイとはものすごい大喧嘩して、たぶん絶交みたいになって……それから口も利いてないんだよ? なのに『愛』とか、そんなこと言える気にならない」
あそこまで壮絶な口論をして、お互いに見限るような言葉を投げつけ合って。
それでどうして『恋』だの『愛』だの『好き』だの言えるのだろうか。
レイには、絶対に嫌われた。
きっと中央本部の中で聞こえたあの声援は、『破壊の魔眼』との精神勝負によって頭がおかしくなって聞こえた幻聴だろう。
「くっ、くくく……」
「は!?」
深く悩み込んでしまい、地面とにらめっこを始めたホープの耳に届いたのは……押し殺せていない嘲笑だった。
もちろん笑う者などこの場にはニックしかいない。
とても腹立たしくなったホープは、
「笑い話じゃないぞ今のは! ゲホッ……はぁ、はぁ……ふざけるな……!」
ニックに向かって怒鳴り声を上げる。咳が出て、息が続かなくなってしまうほどに。
だが、
「そう必死になるんじゃねえ。若僧が」
「何……!?」
ニックは微塵も動揺しておらず、不気味にニヤついているままだ。
なぜなら、
「ふん、この俺に土下座までさせたてめえだ。実は経験豊富なのかと思いきや――見た目通りじゃねえか」
「!」
「てめえら若者からすると大問題なんだろうが、俺からすると可愛くて笑っちまうんだよ」
かわいい?
今ホープの言った大問題の、どこが可愛いというのか。もう永遠に話すことも無いかもしれないのに。
「――ホープ、てめえ『友達』いたのか?」
「えっ……は?」
「友達だよ。いたのか、いなかったのか?」
「……いなかったけど」
妙な質問が飛んできた。
聞いたことがあると感じたが、そういえば少し前にリチャードソンからも聞かれたことだった。
確かその時は『ニックも同じだ』という話で……
「じゃあ俺を先輩だと思え――よく考えろ。恋愛どころか喧嘩する友達すらいなかった奴が、人の関係について知った口を利いてんじゃねえよ」
淡々と語られる真実が、ホープの心をピン止めするかのように突き刺した。
◇ ◇ ◇
葉巻を吸い続けるニックが、普段とは打って変わって饒舌だ。
度肝を抜かれながら、ホープは彼の話から気を逸らすことができずにいた。
「俺は人生に失敗した……てめえも似ているが、てめえはまだ道の途中。だから、黙って聞け」
今のホープの気持ちを素直に表現しよう。
「――――物心ついた頃にゃあ、俺は大都市アネーロの路地裏暮らし。記憶もねえが親は俺を置いて消えちまったらしい。毎日、俺より一回り体の大きな浮浪者やチンピラをブチのめし、いつも血まみれでうろついていた」
……ニックの話に、とても興味がある。
「てめえと同じような年頃で、領域アルファ防衛軍の連中に捕まった。よく覚えちゃいねえが、取り調べだの裁判だの面倒臭えことを色々され、結局は『精神異常者』と判断され、また路地裏へと戻った」
「え……」
「晴れて自由の身ってわけだ。行くあても、帰る場所もねえがな」
少なくとも、どうやらニックは自他共に認める異常性を持っているのは間違いないらしい。
「間もなく、俺の狂いっぷりに惚れ込んだという一人の防衛軍のお偉いさんが、声を掛けてきた……『その有り余る力を正義のために使わないか』とな」
「――――」
「何が正義だ。そうやって世界の全てを嫌っていた俺だが、暇だから話に乗ってやった」
「――――」
「俺の成績は言っちまえば『優秀』だった。理由はある。訓練でも何でも、周りの奴らは友情を育みながらやっているのに対し、俺は常に孤独で、筋力でも学力でも、自分の成績を上げる以外にやることがねえからだ」
「――――」
「親しげに声を掛けられても無視した。ちょっかいをかけてくる奴がいりゃあ、半殺しにした……だから俺は恐れられていた。嫌われていたんだ」
最後の言葉を紡ぐとき、ニックは持っていた葉巻を握り潰してしまう。
火傷を負ったからか、感情に流されて葉巻きを無駄にしてしまったからか、小さく舌打ちが聞こえた。
態度には出さないが、ホープは彼の話に夢中になっていた。
「成績がズバ抜けて優秀だった俺は、10年前に創設された特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』の隊長に抜擢される。やりたくなかったが、強制だった」
「――――」
「チームワークの欠片も知らねえ奴が、いきなり隊長ときてる。おかしいとは思ったが、俺は全力を尽くした。なぜなら……他にやることがねえからだ」
とにかくニックは暴力的で、一つのこと以外に興味を湧かすことのできない性格だったようだ。
それが軍人として成功した秘訣だったのだろうか。
「指導者という立場も初めてだった俺は、やはり『ぶん殴って体に教え込む』という指導方法しかできなかった……今もそう変わっちゃいねえが」
「まぁね」
「誰からも他人との付き合い方を教わらず、経験もねえ俺に、まともな教育などできるわけがなかったのさ」
やっと謎が解けた。
ニックが暴力的で排他的な思考を持っているのは、それ以外の考え方を知らなかったから。
可哀想だとも言える、ただそれだけの理由なのだ。
「だが『P.I.G.E.O.N.S.』は真のエリートの集まりだった……全員が俺のやり方に食らいつき、適応したんだ。誰一人として隊から逃げなかった」
「――――」
「そして俺は……受け入れてもらえた、と、そう感じちまった。生まれて初めてだ。隊員たちが『家族』のように見えた」
「――君に足りなかったものだ」
「……そう。その通りだな。わかってるじゃねえか」
「うわ、ちょ」
思わず呟いてしまったホープは何に正解したのかよくわからないまま、ニヤついたニックの大きな手に頭を撫でられる。
鳥肌が立ってしまった。割と本気で。
ホープがその手を払いのけると、
「軍での……いや、隊での生活が全てだった。与えられた任務を『家族』と一緒に、時には殴ったり罵ったりしながらこなしていくのが俺の全て……」
「――――」
「そんな中で数年後、出会いが突然にやって来た……あの女との出会いが」
「――え、女?」
唐突に、しんみりとした話が始まった。
「土砂降りの雨だった…………俺はその日、珍しく一人で任務をこなし、軍基地へ戻ろうとしていた」
「うん」
「傘を差すのが嫌いだった俺は、ずぶ濡れで道を歩いていた。するといきなり腕を引っ張られ、喫茶店か何かの前に……屋根のある所に引きずり込まれたんだ」
下を向いていたニックは急に月を見上げ、
「お節介な女だった……」
ホープを置いてけぼりにして呟き、過去に思いを馳せる。
『ちょ、ちょっと。こんな大雨の中、それじゃ風邪をひいてしまいますよ!?』
『……ああ? うるせえな、離せ』
『見てて気の毒なんですよ!』
『知らねえよ。てめえに関係ねえだろ。風邪なんか、俺がなったことあるかどうかも考えたことねえ』
『死んでしまいます!』
『だから、てめえには関係ねえだろ。誰だよ?』
『赤の他人を助けちゃいけないルールなんかありません! あなたは今、急ぎの用があるんですか?』
『任務を終えた。軍基地に報告に戻る。今日んとこはそれだけだ』
『……だったら! 雨が少しでも弱くなるまで、ここで待っていてください! 私も傘を忘れてしまったので、一緒にいますから!』
『あ? いい加減にしろ、どうしてこの俺がてめえの命令を聞かなきゃならねえ?』
今思い出しても、意味不明で面倒臭いやり取りだ。そうニックは続ける。
「俺の質問に、女はこう答えた――『あなたは愛されたことが無いんですね』」
「すごい度胸だなぁ……?」
「怒った俺に、女は更に『私が愛します』と言った」
かなりの急展開だ。
それからというもの。
その女は何かとニックに付き纏い、いつの間にか恋人関係ということになっていて、いつの間にか女の家にニックが住むようになっていた。
ただし、とニックは一本指を立てた。
「これだけは女に約束させた――『俺はてめえよりも仕事を優先させるが、文句を言うな』」
「あ、あぁ……」
「一緒に住んではいるが、まともに話もしない、形だけの同棲生活……何年か続いたんだな」
「へぇ……」
「いつの間にか、あいつの腹には子供ができていた。俺の子だそうだ」
「へぇ……えっ!?」
怒涛の急展開にさすがのホープも驚いてしまう。
路地裏での暴力生活や、特殊部隊長になった経緯などはあんなにも詳細に話していたのに、どうして女の話はこうも怒涛なのか。
「さすがの俺も考えていた。子供が産まれたなら、結婚ってもんをするのか? するべきなのか?」
「――――」
「だが仕事が俺に考えるのを辞めさせた……ある日、強盗が学校に立て籠もるって事件が発生したんだ。俺を含む『P.I.G.E.O.N.S.』総出で事件は解決。学校の外に出た」
「――――」
「すると外は大パニック……その日は、大都市アネーロにスケルトンパニックが発生した日だった」
「っ!?」
また急展開。かなりの不意打ちだ。
この話の流れでスケルトンパニックが出てくるなんて思うわけがない。
とても嫌な予感がする。
「通行人の一人が俺を見て、こう言った……」
『あんたの家が火事になってる!!』
ニック自身が、ニックの住んでいる家が、有名でなければ、女との話はただの思い出で終わったかもしれない。
そうはならなかった――だってニックは有名人で、恋人と子供がいるから。
「俺はとにかく走った。何のために走ってるかよくわからなかったが、無我夢中だった」
「――――」
「通行人の情報は正しかった。家は巨大な炎に包まれ、気味の悪い黒煙がもくもくと上がっていた」
「――――!」
「どうやらスケルトンが侵入してきて、女は揉み合いになり、火が点きっぱなしだったコンロに何かが引火し、大火事になったようだ」
「――――」
「……一体のスケルトンが床に転がり、燃えて動けなくなっていた」
「――っ!」
「その隣に座ってる女の狂人が、自分の膨れた腹から何かを引きずり出して、貪っていた」
ホープは、思わず口を押さえる。急激に吐き気が込み上げてきた。
妊婦の狂人の話を初めて聞いた。胸糞悪すぎて、これ以上考えたくもない。
「俺は、何も言わなかった。何も言わず、女の体をナイフで滅多刺しにした」
「――――」
「スケルトンや狂人の弱点などその時は知らなかったが、見たくもなかったんで顔までグチャグチャに刺した……だから、偶然、女は動かなくなった」
そうやって話は終わってしまった。
何だ、この胸糞悪い話は。気分が最悪すぎて、今すぐ茂みへ行って吐きたい。
だが、ニックはまだ何か言いたげだった。
だからホープから聞いた。
気になったことを。
「どうして滅多刺しにしたの?」
「……ああ。俺も自分で理由がわからなくてな、ずっと考えてた」
「うん」
「てめえを……てめえらを見て、わかった気がした」
「え?」
急にどうしてホープが出てくるのか、『てめえら』とは誰のことを指してるのか――
ニックは右手で顔を覆い、
「俺は、あいつを……愛したかったんだ」
絞り出すように言う。
そうだ。
忘れていたがこの昔話は、ホープとレイの話から始まったのだった。
「愛したかった。でも、俺は、人の愛し方を知らねえ。誰からも教わらなかった。教えを請うこともしなかった――どうしたら良いかわからなかった」
「っ」
「もっと、話したかった。ちゃんと付き合いたかった。子供の話もしたかった、結婚についても相談したかった――」
暴露が、連鎖のように止まらなかった。
そして次の一言こそが、ニックと女にとって、ホープとレイにとって、決定的な一言だった。
「俺とあいつは……喧嘩すら、まともにしたことが無かった」
「は……!!」
なぜニックと女の話は、全く中身が無いみたいに怒涛の展開だったのか?
そんなのは簡単なことで――衝撃の出会い以降、本当に中身が無かったのだ。
「だから俺は……てめえらが羨ましいんだ。もっと喧嘩しろ。もっと嫌い合え。もっと話し合え、殴り合え――愛し合え。手遅れになる前に」
「……そっか」
面白いくらい、全てを吐き出したニック・スタムフォードという男。
ホープは、やっと、彼を心から理解し、同時に尊敬した。
彼にどんな言葉をかけても野暮なのかもしれない。けれど、何も言わないわけにはいくまい。
「ニック……暴力的なだけじゃないよ」
「……あ?」
「ありがとう。そんな経験をおれに教えてくれて。これからも、おれのリーダーでいてほしい」
顔を覆っていた手を外したニックは、ホープの口から飛び出した励ましの言葉を、感謝の言葉を、きょとんとした顔で聞いていた。
だが、そんなヘタレな顔をすぐに仏頂面に戻した彼は、
「いけねえ……話が長くなった。俺たちにはまだ、やることがある」
「……ついてくよ、ニック」
その大きな背中だけをホープに見せ、向かうべき場所へと歩いていく。
ホープは、後に続くだけだった。




