第155話 『大丈夫!』
『お前の体は、まだ火をつけられて数秒というところだ』
「うぅ……うあう……!!」
忌々しいトラウマで形成された数多の鎖たちが体に突き刺さり、苦悶するホープ。
見た目的には体に突き刺さっているが、実際はきっと心に刺さっているのだろう。精神がおかしくなりそうな、そういう複雑な痛みを感じる。
そんな愚かな宿主を、冷徹に見下ろしていた巨大な赤いスケルトン。
彼は「ギゴゴ……」と文字通り骨の軋むような音を出しながら、どこかを振り向いて、
『付近に水の気配がする――おれにかかれば、お前の体を乗っ取ることも、この最悪の状況を打開することも、容易いものよ』
「うぐぅ……!」
『なぜ気付かなかったのだろう、おれは。とうの昔からこうしていれば良かった』
後悔しているかのように言う赤く巨大なスケルトンだが、どうも違和感。
そもそもホープは、こいつに体を乗っ取られると知った時から――二点ほどの疑問があった。
いや、一点は疑問で。
もう一点は、きっと。
「ゆる、さない……お前、お前なんかに……!! おれの体、やるもんか……!!」
心が燃え上がるような『怒り』を感じた点。
『大きな態度をとって大丈夫か? おれは、お前の記憶を全て熟知しているというのに』
「っ!?」
赤く巨大なスケルトンの言葉を最後に、さらに増えた無数の鎖が四方八方より現れる。
「ああああああ――――ッ!!」
そのどれもがホープの体に――既にボロボロになっている、ホープの心に狙いを定めて。
◇ ◇ ◇
ホープが、他でもない『自分』に翻弄され苦しめられている間。
生存者グループの仲間たちはそんなことは露知らず、この戦場の末路を、あるいはホープの安否を、それぞれ気に掛けていた。
「――ナイトおにいさん、ナイトおにいさーん! 勝ったのに! せっかく勝ったのにぃ!」
「…………」
「熱いよぉ! 燃えて、しんじゃうよー!!」
大火事に拍車がかかる中央本部、その三階。ホープやシリウスと同じ階なのだが、誰も気づかない。
――半裸で仰向けに倒れるナイトの腕を、少女サナが小さく柔らかい手で引っ張っていた。速度は芋虫レベル。
叫ぶ内容はごもっともだし、必死なのは伝わるのだが、
(うるっせェな……ちったァ、休ませろ……)
勝ったなんて、ただの結果だ。
その一つの勝利に、どれだけの重みのある戦いだったのかをサナは知らない。
(……くそ、オルガンティアが……弱ェわけねェだろ)
そもそも、比較したらナイトの方が強かっただけで、オルガンティアは弱いわけではない。むしろ強い。
半端ではないダメージの蓄積。疲労。貧血による目眩と倦怠感。
何よりも、
(くそ……ったれ……)
きっとこの先何年生きたとしても、絶対に癒えない心の傷。
たった一つだけの勝利の代償が、どうしてここまで大きくなければならないのか……
「ァ……てめ、ェ……走って、ここ出ろ……」
「い、いやだよ! ぜったいのぜーったい、いっしょに逃げるんだからね、ナイトおにいさん!」
(クソガキがァ……)
一人じゃ寂しいのか、もしくはナイトが死のうとしていると考えたのか。
理由は不明だが、サナは何を言われてもナイトの腕を引っ張るのをやめないらしかった。
(ホープてめェ、死んでたら許さねェぞ……!)
ナイトは様々な思いを込めて――ホープの生存を願っていた。
◇ ◇ ◇
レイは、走っていた。
仮面の代わりに手袋を付けた両手で顔を覆いながら、レナードやエディを置いてけぼりにして、とにかく走る。
ここがどこか、よくわかっていない。でも走る。
今は、横目で大火事になっている建物が見える場所にいるのだけはわかる。
――そこで、声が掛けられる。
「あれ? レイっち!?」
「……ドラク」
いかんせんレイの視界はほとんどが両手で隠されているから気づかなかったが、その大火事の建物を見上げるドラクの姿があった。
棒立ちになっている彼は、脇にジルを抱えているようだった。
「あんた、何してんの? こんな所で」
「いやいやお前こそ顔隠して――待てよ? そういや仮面どこやったん? 話聞こか?」
ドラクの勘づいたそれこそが問題であり、つまりレイの目的としては、
「話なんか聞かなくていいから、カーラの居場所を知ってる!? 仮面が壊れたから新しいのが欲しいの!」
『発明家』と呼ばれた女、カーラの力を借りて新たな仮面を作ってもらおうと考えていたのだ。
ドラクは少し考え込んで、
「……わかんねぇ」
「役立たず!!」
「何だそのストレートな罵倒!!? ……まぁキャンピングカーに乗ってんだろうけど、なにせ車だからな。そりゃもう壁の中ヒャッハーしてんだろうぜ」
――何となくそんな気はしていた。
レイもわかっている。ドラクが使えない奴なのではなく、仕方が無いことなのだと。
「っていうか、あたしが先に質問したでしょ!? あんたここで何やってんの?」
「あぁ、オレ……」
再び問われたドラクは頭を整理するように視線を下にやり、そしてレイに向き直る。
「変なおっさんが『サナ』とか『ホープ』とかブツブツ言いながら走ってるのを見かけてさ、ホープ知ってんのかって尋ねたわけ。そしたら『娘と一緒にいるかも』って言いながらここ入ってったもんだから……」
「……だから?」
「要約すると、こん中にホープいるらしい」
「!!」
ドラクが大火事の建物を指差して、あっけらかんと言い放った瞬間、建物の一部が大きく崩れ落ちた。
レイは――嘘だと思いたかった。
「こんな場所で……生きられるわけ、ないわ」
「だよな。そう……思うよな」
「……何? 何かあるの?」
ドラクの発する言葉には、何か思うことのありそうな雰囲気が感じられた。
「無意味なのはわかってんだけどさ――オレ、この建物から目ぇ離せねぇんだ」
「……!?」
不思議なこともあるものだ。
ドラクが遠くの気配を察知したりする能力を備えていないことなど明白であり、本人が一番よく知っているはず。
でも。
「そうよ、死んでない。きっと……死んでないわ」
「え……?」
「死なない。何でか理由はわからないけどね、あいつはいつだって死なないの」
そう信じる。
あんな別れ方をしてしまったけれど――まだ、レイは彼を信じられる。
信じたいから。
生きていてほしいから。
死なないでほしいから。
――寂しいから。
また、いつか。
きっと、もう一度。
信じ合いたいから。
「ホープぅぅぅ――――――っ!!!」
だから、叫んだ。
大火事の建物の中にいるはずの、彼に向かって。姿も見えない、生死もわからない、彼に向かって。
「おおう、ビビった……おいおい急にどうしたレイっち――ゔぇあ!?」
叫ぶことに集中して仮面のことも忘れて、赤い顔を惜しげもなく晒しているレイ。
知ってはいても初めて見るその姿に、ドラクはさぞかし驚いたことだろう。
そんなこと、もう今のレイは気にしていられないのだが。
「ホープが、もし、『死んでもいい』って思ってたとしても!! あたしは!! あんたに、生きててほしい――――っ!!」
これはきっと、ホープ本人にとっては呪いの言葉となってしまうのだろう。
本人がそんなようなことを言っていたから。
でも、これが『呪い』になり得るということは、少なくともホープは、
「あたし、これだけあんたと離れて、やっとわかったわ!! ……あんたは、自分に反してまでも、あたしを守ろうとしてくれてたんだって!!」
死にたいと思っているはずの彼。
何もかもを諦め、投げ捨てて、人生なんてどうでもいいと思っているはず。
なのに彼は、助けられる人を助けてしまう。
仲間を捨てることは、してこなかった。
レイが今、こうして生きているのは紛れもなくホープのおかげだ。
自分は死にたいと思っているのに、仲間を生かすためなら、その願望を一旦捨てられる。
彼を、善とも、偽善とも呼ぶつもりはない。呼ぶ必要も無いだろう。
ただホープはそういう人だというだけ。
「あんたには、あたしの存在が邪魔かもしれないわね!! やっとわかったの!! だから、あたしは、あんたを待つことにする!!」
レイが、二人の距離を離した。
ホープも苦しんだかもしれない。しかし、それ以上にレイが苦しんでいた。
自業自得だ。
だから、待つ。
永遠でも待つ。それが自分への罰となるから。
――とはいえ、
「死んだ人を待つことなんかできない!! だからあんた、とりあえず生きてよ!! あたしの罰が成立するように、まだ死なないでよ!!」
死人に口無しとは言うが……
実はレイにも、もう、自分が何を言ってるんだか、よくわかっていない。
一種の錯乱状態ともいえるか。
つまるところレイの言いたいことは、
「頑張れ――っ!! ホープ――っ!! あんたなら、大丈夫――――っ!!!」
爽やかな笑顔で、でも泣きながら、出したことのないくらいの大声で叫んだ。
これだけが本音だった。
「こんな不器用な女、見たことねぇよ!」
誰よりも人間らしい魔導鬼を見て、不器用が過ぎる男女関係を見て、ドラクは大爆笑しているのだった。
◇ ◇ ◇
「うう……うぅう……!!」
深紅の深淵にて、無数の鎖が体に突き刺さり、頭がおかしくなってしまったホープ。
『破壊の魔眼』の正体である赤く巨大なスケルトンは、
『さぁ……終わりを始めよう』
言い放ち、右目の窪みを赤く輝かせる。
それと同時に、
「う"あ"ぁぁあ"あ!」
ホープが同じく右目を赤く輝かせ、さらに右目周辺に葉脈のような赤いヒビ割れが起き、ついに正気を失う。
人間を捨てたような咆哮が、その証拠であった。
◇ ◇ ◇
――憎きホープをとうとう殺害し、見事に仲間の仇討ちと勝利を勝ち取ったシリウス一行は、中央本部から脱出するため階段を探していた。
(まぁ……俺が死なないのは確定だったんだがな)
走りながらシリウスは考えていた。
殺したあの占い師が死ぬ前に残していった占いのこと。
(あいつは知らないはずの『列車』のことを言い当て、ゼンとキーゾとミロが『列車』の上で死ぬと占って……結果はその通りになった)
妙に不気味な占い野郎だとは思ったが、そういう特殊能力を持つ人間だったのかもしれない。
となると、
(カスパルが死ぬのは『最後の銃弾』で、ダンは『炎の中』で……あいつらは条件が揃ってる)
後ろで走っている二人をチラ見。
弾が一発しか入っていない銃を持つカスパル、そして大火事の建物の中を走るダン。
あの占いが外れているならいいが、当たっているとすれば二人が死ぬのはこの場だろう。
(でも俺が死ぬのは『水の中』……良かった。こんな大火事でどうやって溺死しろって言うんだ? 俺の死に場所はここじゃねぇんだ……)
とにかく今死ぬことはない。
だから安心しきっていて――――
『"歪み"』
おかしい。
今、この三人以外の声が聞こえた。
そう遠くもない。この建物の中で響いていた。
三人揃って足を止め、話そうとした瞬間、
「「「っ!? うわああああ――――――」」」
後方で赤い閃光が弾けた直後、豪雨のごとく瓦礫が降り注ぎ、三人は飲み込まれていく――




