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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第三章 『P.I.G.E.O.N.S.』問題
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第153話 『CAPTAIN』



 片膝と片手を地面につけて、



「ぜえ……ぜえ……」



 全身血だらけのニック・スタムフォードは、サングラス越しに前を見るのが精一杯だった。

 間近で彼を見下ろすのは元部下のニードヘル・ギアーズ。そして少し離れたところから嘲笑してくるのは、



「――はっ、老いぼれ。あんたの時代は終わりだな」



 同じく元部下のプレストン・アーチ。

 元部下の二人は、余裕で元隊長のニックを沈めていたのだ。


「さて、プレストン。そろそろグレネードランチャー部隊に指示を出す時間かい?」


「そうだな。頃合いだろ」


「……了解。隊長殿、世話になった過去もあることだし、情けをかけてあげるよ」


 妙なことを確認したニードヘルが、ニックのリーゼント頭を一発踏んづけてから言ってくる。


「トドメは刺さないでおく。なんたってこれからこの町は爆撃に包まれるからね、アンタだって木っ端微塵さ」


「……!」


「当然、アンタのお仲間もね」


 どこが『情け』なのか全然わからない言葉の羅列だが、ニックは違和感を感じていた。


「そりゃあ……てめえらの部下もだろうが」


「まぁね」


 あれだけニックに自慢してきた、誇ってきた、完璧な部下たちもろとも町を爆破すると言うのだ。



「あんたらは無駄に敵対してくるわ、反逆者がわらわら現れるわ……この町は一度リセットすることにしたんだよ」



 プレストンが踵を返し、ニックに背を向けて歩き出しながらも、説明を始める。

 この町の成り立ちを。



「スケルトンパニックからニードヘルと逃げていた俺は、バーク大森林の中に新たな町として開拓途中の場所があることを思い出したんだ。中途半端な外壁、民家、列車や線路を整備してここまで発展させてきた」


「…………」


「だがまぁ、ここまでだ。仕方無い、俺にとって劣悪な環境になってきたからな」



 かなり身勝手な理由で、プレストンはこの町を爆破して住人も部下も皆殺しにしようとしているという。

 ニックは、背を向けているプレストンに対して、つい口を開いてしまう。



「リセット……か」


「そうさ、俺に都合の悪いものは全部――」


「ゲームか何かじゃ、ねえんだぞ……!!」



 そんな言葉を皮切りに、ブチ切れたニックは素早く立ち上がり、



「ぐぅ……っ!!?」



 片手で、油断していたニードヘルの細い首を鷲掴みにして締める。

 目を見開くニードヘルのその体が、強制的に地面から離されていく。



「がはっ、ぁ、あ……!!」


「…………」



 苦しそうに藻掻くニードヘル。腕や足をバタバタとニックにぶつけてこようとするが、そのほとんどが空を切るのみだった。



「あ……」



 やがて彼女は絞められる首の苦しさに泡を吹き、目を開けたまま気を失う。

 ダラリと力を失った彼女の体を、ニックは近くの民家の中へと投げ飛ばした。



「え……?」



 背を向けたままのプレストンの口からは困惑の一文字がこぼれ落ちる。

 喋るのがやっとだったはずのニックが、いきなりニードヘルを倒したのだ。どこにそんな力が?


「あり得ない……あり得ない、嘘だ……」


「嘘じゃねえよ、何もかも」


 独り言のように呟いた言葉も、一瞬でニックにねじ伏せられてしまった。

 振り向くことができないまま――だが、プレストンにはさらなる奥の手がまだあった。


「こんなこともあろうかと、用意しておいて正解だった」


「……?」


 首を傾げるニックを置いてけぼりにするかのように、プレストンは懐からガスマスクを取り出して装着し始める。

 そして、



「くらえ!!」


「っ!!?」



 彼が叫びながら試験管らしきものを後方――つまりニックの方へ投げてきた。

 すると突如として周囲に白い煙が充満する。霧の中にいるかのようだが、様子がおかしい。


 そこらじゅうにプレストンがいる。


 一人や二人なんてものじゃない。10、いや、20、いやそれでも足りない。


『隊長ぉ』

『どうしたんですか? そんな顔して』

『はははは』

『大変ですねぇ』


 どのプレストンも、しっかりプレストンの声でニックに語りかけてくる。

 数えるのも億劫になるほど増えたプレストンが、ニックの周りをぞろぞろ歩き回っているのだ。



「何だ、こりゃ」



 そう呟かざるを得ない。

 あり得ない。嘘だ。そんな言葉は、この状況にこそ使われるべきものだろう。


「ははは、腑抜けた声が聞こえたぞ。()()()()()()んですかね? 隊長ぉ」


「あ? ……おい、まさか」


 もはやどのプレストンが喋っているのやら見当もつかないが、とにかくどれかのプレストンが言ってきた奇妙な言葉は、ニックにとある仮説を生ませた。



「……『幻夢草』の試作品か?」


「ご名答、です」



 数は少ないもののバーク大森林に自生する植物の一種、『幻夢草』。


 その植物に近づくと、どういうわけか生物は幻覚に苛まれる。

 体を虫が這い回るような古典的な幻覚から、人に斬りつけられたり、無いはずの道が見えたりと、幻覚の種類は多岐に渡るという。


 不思議な幻覚の効果によって、旅人が崖から落ちたり、行方不明になる事件が時々起こった。


 そのため領域アルファ防衛軍は『幻夢草』の可能な限りの除去、そして研究を続けていたのだ。

 さらに兵器として軍事利用できないかとも考えていて、特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』にも一つ試作品が支給されていた。



「スケルトンパニックの直前……学校立てこもり事件。懐かしいですね」


「あの時は……」


「そう。ブロッグさんがこの試作品を持ってた。が、あんたが犯人に使おうとしないから残っていた」


「てめえがそれを……」


「騒ぎに乗じて盗んだんです。ブロッグさんに気づかれないようにね」



 巡り巡って『幻夢草』の成分は、今、プレストンがニックを殺すために利用された。

 つまり――最悪の巡り合わせである。


 ガスマスクで幻覚の影響を受けないプレストンは、コンバットナイフを取り出してニヤついた。


(ニードヘルはやられたが……このナイフで心臓を一突きにすれば、隊長ももう終わりだ)


 ニックのナイフの煌めきを堪能しながら、ニックの周囲をぐるぐると歩き回る。

 彼は今、幻覚に取り囲まれていて、わけがわかっていないはず。声を出さずに歩き回ることで、暗殺など容易にできるというものだ。


(そろそろか)


 歩き続け、そして止まる。

 念入りに調整をする。確実に、一撃で仕留めるために。ナイフを最後に確認するためニックに背を向ける。そして、


「……!」


 おかしい。

 足音は消していた。声も出さず、息も殺していた。ニックは幻覚に苦しめられているはずだ。


「……? ……?」


 でも、困惑しているのはニックではない。プレストンの方だった。

 ――背中に、しっかりと視線を感じるのだ。


「そこにいるのはわかってる」


「……え? 何で? げ、『幻夢草』の効果は……」


「ああ、ちゃんと幻覚は見えてる。大量のてめえが喋りながら、そこらじゅうを歩いていやがる」


「は? 大量の俺? そこらじゅうから俺の声も聞こえてるんじゃ……じゃ、じゃあ何で俺の場所がわかって……?」


 戸惑い続けるプレストンの質問に、ニックの答えは的確でかつ、簡単なものだった。




「言ったこと無かったか? 俺は、『P.I.G.E.O.N.S.』の隊員たちを家族だと思っていた」


「……え?」




 だがそれはプレストンにとっては逆で。


 意味不明、理解し難い、子供っぽい、ニックらしくない、そこまで深い思い出も無いはず、嘘か、いや嘘だとしても突拍子もなさすぎる――


 語彙の限りを尽くして、プレストンの脳裏は回路が焼き切れるほどに、どうにか今の状況を表現しようとする。

 けど、できない。これほど難解なことはない。


「たとえてめえらのようなアホンダラでも、俺は愛していた。本当に……家族同然に思っていたんだ」


「違う。そんなの知らない! 嘘だ!」


「家族の……姿形を、声を。てめえだったら間違えるかプレストン? 幻覚と見分けがつかねえか? 俺は間違えねえ自信がある」


「嘘だ!!」


 そうは叫ぶプレストンだが、焼け付くような視線を背中に感じ続けている。

 今もなお幻覚に惑わされているはずの、ニックの視線である。



「プレストン」


「はぁっ……はぁっ……!」


「おい、てめえ、こっちを向け」


「っ……! はぁ……嫌だ!!」



 呼吸が荒くなってくる。頭を抱える。

 今すぐにでもしゃがみ込みたい。でもそれをやるのはプライドが許さなかった。



「プレストン、おい」


「黙れ!! 話しかけるなぁ!!」


「俺を見ろ」


「やめろ……!!」



 足音が近づいてくる。

 幻覚の霧の中を、大量にいるというプレストンの幻影と幻聴の中を、一歩も迷わずこちらに近づいてくるのがわかった。


 そして、次の一言は、決定的だった。



「プレストン――てめえはクビだ」



 プレストン・アーチという男の人生を、決定づける言葉だった。

 もう、すぐ背後に、隊長の気配を感じる。


 明確な敵意。



「もう隊長でも隊員でも何でもねえ。てめえは、俺の仲間たちを傷つけ、殺した、『敵』だ」


「はぁッ……はぁッ……!!」



 荒くなるばかりの呼吸。

 息苦しくてたまらなくて、乱雑にガスマスクを外し、猛然と脇に投げ捨てた。



「はぁッ……おいグレネードランチャー部隊!! 応答せよ!! 町を焼き尽くせ!!」


「おい、プレストン」



 無線機に向かって怒号を飛ばす。

 なぜだ、誰に掛けても応答が無い。まるでこの世界に一人ぼっちで取り残されたかのよう。



「こっちを、向け」



 とうとう辛坊たまらなくなり、



「あぁ……わかったよぉ……!!」



 プレストンは、ほぼヤケクソで振り向




「んぬぅぅぅぅぅぅ――――――――――!!!!」




 振り向いた瞬間、一呼吸する間も無く拳が飛んできて、顔面に突き刺さるようなパンチ。

 その一撃に、目も鼻も口も凹み、すべての顔の骨からメキメキと音が鳴り、形が歪む。


 パァンッと破裂みたいな音とともにプレストンの体が宙へと舞う。

 大の男の体が、鼻血を噴出させながら、嘘みたいな錐揉み回転を披露。


 回転の勢いがようやく止まったのは、地面に体が墜落したときだった。


「――――老いぼれ、か。簡単に言ってくれる」


 まるで変死体のように歪で、無様な体勢で倒れたプレストン。


「この歳になっても、まだまだ学ぶことはあるらしい。いくらでもな……無限は勘弁だが。今回の件でも痛感したよ」


 動かなくなった彼を、ニックはただ見下ろした。



「人の上に立つことを甘く見るな……自分こそ至高だと驕るな……一人じゃあトップにゃなれねえんだから」



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