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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第三章 『P.I.G.E.O.N.S.』問題
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第148話 『死ぬこともまた、生きること』

※この作品に自殺を助長する意図はありません。

 意図としては、逆です。そういう気持ちを持つ人の心が軽くなるのを願っています。
















『強ェパンチの打ち方を知ってるか、ホープ?』




 グータッチの直後のナイトの声を思い出す。


 ――マチェテを構えたホープは、両手にメリケンサックを付けたシリウスと対峙する。

 シリウスの後ろのダンとカスパルは動こうとしていない。今は見守るだけのようだ。


「これは報いだ、ホープ!!」


 叫んで走り出したシリウスが飛び上がり、右の拳を振りかぶる。


「っ!」


 マチェテを振るい、メリケンサックを横へ打ち流す。


「生意気なぁぁ!」


 恐らく自分よりも細身なホープに攻撃を受け流されて癪に障ったのだろう、シリウスは怒りながら次々と拳を繰り出してくる。


「くっ! っ!」


 止まない火花、金属音。

 飛んでくる拳を何とか受け流していくホープだが、一発一発に怨念がこもっているのを肌で感じる。

 だから、


「っおらぁぁぁ!!」


「ぐ……」


 特に苛烈な一撃が真正面から飛んでくると、マチェテで受け止めるのだが、


「うわっ……!」


 耐えられず、後方へ倒されてしまった。

 その時に響く痛み。


「いてっ!!」


 ――ズキ。

 先程シリウスに殴られた、右の側頭部。メリケンサックに皮膚を抉られ、多少の流血があるのだ。

 鋭く痛む側頭部を手で押さえながら、ホープはどうにか立ち上がる。

 と、


「お前……さっきからずっとその()()()気にしてんな」


「……は?」


 怒りというより、呆れを顔に出したシリウスが話しかけてくる。


「俺の同志たちを好き放題に惨殺しときながら、その程度の傷に苦しんでる贅沢さを見ると、ムカムカしてくんだよ。当然だろ?」


「…………」


「あいつらはな、そんなカスみてぇな傷よりよっぽど最悪な『死』を与えられたんだぞ!?」


 『この世の正義』を背負っているかのようなシリウスの語り口に、ホープは黙り込む。


「アリス、ブタ、キツネ、モルス……ゼン、キーゾ、ミロ! あいつらには一人一人名前があって、プレストンに虐げられながらも生きてきたんだ!」


「…………」


「なのにお前みてぇな誰かもわからないクソ野郎に嬲り殺されて、それで人生終了だぞ!? もう生き返ったりできないんだ!」


「…………」


「みんなでプレストンの支配から解放されて、幸せに生きるのが夢だったのに――お前がブチ壊したんだ!!」


「…………」


「どうしてくれんだ!? 何とか言えよ、悪魔!」


 一通りの話を聞いたホープはシリウスから『何とか言え』と言われたので、重い口を開くことにした。



「『悪魔』で結構。何とでも呼んでくれ」


「!?」



 もはや呼ばれ慣れているその異名を、とりあえず否定はしないでおく。合っていると自分でも思うから。

 ただ、言っておかねばならないことがある。


「でもおれにだって名前がある、人生がある……嫌なものだってある」


「……?」


「わかれよ、シリウス」


「……はぁ!?」


 ホープばかりを悪者にして、他のことを一切考えないシリウスの察しの悪さに苦言を呈しながら、



「お前らが『死』を嫌うように、おれだって『痛み』を嫌ってるんだ! こんな掠り傷でさえ、おれには無限の苦痛なんだよ!」



 確かに掠り傷である側頭部を示しながら、ホープは言い切った。

 普通の人ならこの程度、ほとんど気にせず生きていくのだろう。ホープにはそれができない。が、


「だから、それが贅沢だって言ってんだろうがよ! そんな小っせぇ傷を、人の死と釣り合うみてぇに話すんじゃ――」


 贅沢。

 そう批判してくるシリウスに、ホープはとうとう堪忍袋の緒が切れる。



「それはお前らの考え方だろ! 価値観を押し付けてくるな!」


「っ!?」


「おれは死にたいんだ! お前らの大嫌いな『死』を、心から望んで生きてるんだよ!」


「……!」



 常人ではあり得ないホープの告白。聞いたシリウスも、後ろのダンとカスパルも驚き、しばらく無言が続き、そして、


「なんだ……そりゃ……」


 信じられない。そんな震えた声でシリウスが喋り出し、当然の一言を絞り出した。




「気持ち悪いな、お前」




 そう、それは当然の一言。

 『死にたい』と勇気を出して告白した者に浴びせかけられる、誰もが発想する言葉である。


「だって……ホープ、お前は今生きてるんだぞ? あり得ないだろ、それを自分から捨てたいなんて」


 本来、生きている人間が思うことではない。まして死にたいと思いながらも日々を生きるなど、


「正気の沙汰じゃない」


 と、シリウスが一般人代表として言ってくる。


「死んだら終わりなんだぞ? 何もかも終わる。これからあったかもしれない楽しみも幸せも、全部かなぐり捨てることになる」


 確かにそうだ。わかっていないわけではなく、ホープも黙って頷いている。


「お前にだって仲間がいるんだろ? ホープ、なのにどうしてわからない? みんなで一緒に生きることが素晴らしいことだって、どうしてわからないんだ?」


 きっと素晴らしいのだろうなぁ。

 そうは思えるが、ホープはひたすら黙り込む。 


「俺たちはこんなクソ世界で唯一の幸せである仲間を、お前に奪われたんだぞ!? 想像してみろよ、怒るに決まってんだろ!? お前を殺したくなるに決まってんだろ!?」


 自分で言っててヒートアップしてきたらしいシリウスは、再び走り出し、ホープの顔面を殴ろうと迫ってくる。

 ホープは深呼吸して、



『――振り抜くパンチも思いきりがあって良いけどなァ』



 拳を握り締め、ナイトの言葉を思い出す。



()()ぐらいのつもりで()()ってのも良い。当たった瞬間に引く。パンチにメリハリが出て効くし、次の攻撃も簡単にできる。やってみろ』



 殺意を体現したようなシリウス――だが、今の彼はヒートアップしすぎて隙だらけだ。


「ふんっ!」


「……ぐぉッ!?」


 彼のどてっ腹に、ホープはパンチを打ち込んだ。

 いつものように振り抜くのではなく、当たった瞬間に拳を自分の腰の方まで引いてくる。そんなパンチを。


 右でパンチしたので右肩を引くと、自然に左肩が前に出てきたため、


「ぶぐぁッ!!」


 左のパンチがシリウスの顔面にクリーンヒット。

 素早いワンツー攻撃が決まり、見ていたダンとカスパルも目を見開いて驚愕している。


 そして今度は、ホープが話す番のようだった。



「気持ち悪い……? 正気じゃない……? 生きることこそ素晴らしい……? だから、それはお前らの考え方だろうが! おればっかり悪者みたいに言いやがって!」



 納得がいかない。この場で全部喋ってしまわねば、ここからの戦いの意味がまるで違ってくる気がするのだ。



「お前の仲間たちは、おれを騙そうとした! 痛めつけてきた! ――それがおれにとってこの世で最も嫌な苦痛だとも知らずにね!」



 明らかにホープだけが悪いわけではない。



「おれは()()()()させてもらっただけだ……他の人たちにとっては『死』こそが一番嫌なものだと知ってるから! おれにとっての『痛み』と価値が同じなんだと、知ってたから!」



 価値観の違い。ただそれだけのことだ。



「知ってるよ……お前らから見たおれは、ただの『精神異常者』『気持ち悪い奴』だってことぐらい! でもそれはこっちだって同じことだ!」


「……!」


「おれから見れば、痛いことよりも死んで人生終わることにビビってるお前らの方が、よっぽど『異常者の集団』に見えるね!」


「っ!?」



 常識人、一般人、普通の人……である三人は、ホープの主張に何も言い返せない。

 いや、きっと混乱しているのだろう。彼らが普通とされているのだから当然だが。



「どうだ、今のでわかったか? ……考えが否定されることの、辛さが! 心苦しさが!」


「…………」


「その考えが常軌を逸してるなら、尚更だ! おれだって……好きで自殺願望なんか持ってるわけじゃないよ。仲間だって確かにいるよ。でも、今さらお前らと同じような考え方になんか、変えられないんだよ!」


「っ!」



 自分の価値観を否定されること。

 相手の価値観を強制されること。

 それがどんなに苦痛か、どんなに鬱陶しいか。わかっている人は意外に少なく……もしわかっていても、人はすぐ忘れてしまうものだ。


 人の考え方というものは、そう簡単に変えられるものではない。

 厄介なことに、変だったり気持ち悪いと言われる考え方は、特に、変えるのに苦労するもので。



「だからわかるんだ。おれ以外にも、きっといるって。自殺願望とまでは行かなくても……生きることが辛い、苦しい、いっそ消えてしまえたらどんなに楽か……そう思ってる人が」



 きっと、とは言ったが『確定』と言ってしまっても過言ではないだろう。経験があるのだから。

 直近だと、



『確かに悪いこともそんなにありませんけど、不幸じゃないですけど……不安なんです。誰からも『それで大丈夫だよ』って、言われたこと無いから』



 この町の中でも聞いた。ジリルテアという、至って普通の女性。

 見た目だけでは絶対にわからない、身近に潜んでいるような闇を彼女は心に飼っていた。


 今のホープの仲間たちだって、例外ではない。



『あたし……やっとわかったの。あたし、には……生きる価値なんて無いんだって』


『てめェ、青髪――俺を殴れ』


『それでも、それでもいいから、俺は誰かに制裁を受けさせてえのさ……なあ、止めるんなら教えてくれリチャードソン。俺は間違ってんのか?』


『とにかく……私は罪人。悪女。『良い人だ』とか、思わないことだね……』



 こんなことを言う人たちが、生きることを素晴らしいなんて思っているわけがない。

 死にたいなんて思っていないだろうが、生きることが辛いというのは、ホープのみの特別な考え方ではない。



「生きるのが楽しいお前たちにとって、ちょっとくらいの『痛み』はきっと……生きてるって実感でもあるんだろうね」


「…………」


「でも……『死ぬ』ことだって()()()()()()()()()()()()ことなんだよ? 人は最初に生まれて……最後には必ず死ぬんだから、人生の終着点さ」


「っ!」



 どうせ死ぬのは決まっているのだ。




「生まれた時点で、死ぬのは確定してる。なら少し早くそれを望む人がいるのは……自然な話だと思うけど」




 この考え方に行き着く人間が、この世にどれだけいることだろう。



 

「『死にたい』と思うことが醜いのなら、『生きたい』と思うこともまた、醜い――おれはそう言い返してやりたいけどね」




 多くの人が『生きたい』と思っているから『死にたい』という思いは醜いと、悪いものだと、よく言われる。

 だが突き詰めてみると……何が違うのだろう? 欲望の汚さなら同レベルではないのだろうか?


『誰からも『それで大丈夫だよ』って、言われたこと無いから』


 あのジリルテアの言葉は、ホープの頭から離れない。




「『死にたい』『生きる意味がわからない』……そう告白すると、人は頭ごなしに否定してくる。だから本当に死んでしまう人まで現れるんじゃないかな?」


「…………」


「『死』は『自然』なんだ。これをみんながわかってれば……少しでも、認めてあげられたら。もう少し、心が軽くなる人もいるかもしれない」




 そう、ホープは長い話を締めくくる。

 聞いていた三人は、すっかり話にのめり込んでいた。きっと、理解し難かったのだろう。


「……何の話だよ、悪魔野郎」


「おれは……自分を正当化しただけだよ」


 シリウスの弱々しい問いかけに、ホープは自分でも皮肉なのか真実なのかわからない言葉を返した。


 そして、また熾烈な戦いが始まるのだった。


 ホープにとっては生きる死ぬの戦いではなく、己の信念を、守りたいものを――ただ壊さないためだけの戦いが。



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