第146話 『SADIST』
※最初の過去編は129話『ニック・スタムフォード』の過去編の続きです。
――――学校での立てこもり事件を力づくで解決した特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』の面々は、荒れた教室を片付け、とりあえず外に出ることに。
彼らの順調な日々は終わることとなる。
「お、おいちょっと待て……今のって銃声かよ?」
ジャスパーが困惑して呟くように、外から銃声のようなものが聞こえた。領域アルファ防衛軍の誰かが撃ったのだろうか。
今やっと大きな事件が解決したのに。また別のテロリストでも現れたのかもしれない。
「現場の確認や片付けのために、そろそろ防衛軍の奴らが学校に入ってきてもいいのになあ……外で何か起きてるらしい」
葉巻を咥えたニック隊長の推測にジャスパー、ブロッグが頷き、その足を急がせる。
ニックは銃弾に肩を掠められ怪我していたが、そんなもの今は気にならない。気にしている場合ではないのだ。
そうして――三人が足早に学校から出ると、
「助けてくれぇぇ――――!!」
「キャ――――ッ!」
「化け物だぁ! みんな逃げろぉぉ!!」
「食い殺された……女房が!」
「うわあああ――――!」
「子供を見ませんでしたか! 誰かぁ!」
街は、何かから逃げ惑う民衆の悲鳴と絶叫に包まれ、大パニックになっていた。
「何なのだ、これは……」
「どうなってんだ!?」
まさかここまで大事になっているとは思わず、ブロッグもジャスパーも戸惑う。
何も言い出せずにいるニックの後ろから、
「隊長! そっちは終わったんスね!?」
「おう……状況を聞かせてもらえるか」
外で待機していたハントが駆け寄ってきた。
彼とはニードヘルも一緒にいたと思ったが、そこには不在であった。
さらに、
「あっ、リチャードソン先輩!」
ビルの屋上から学校立てこもり事件の犯人を狙撃していた、リチャードソンも合流。
「……今降りてきたとこだが……『化け物』とか『食う』とか意味わからんワードが飛び交ってるな」
「マジ!?」
「そうなんスよ! みんなそれから逃げてるみたいッス」
今出てきたばかりのニックやリチャードソンたちが理解できないのは仕方無いとしても、どうやらずっと外にいたハントも理解できていないようだ。
ということは、
「こりゃあ……逃げてる住民たちでさえ、何が何だかわかってねえパターンかもな」
明確に一つの事件が起きたというよりも――正体不明のパニックが徐々に広がっていったのかもしれない。
『化け物』とかいう言葉が不穏すぎるし、誰かがデマを流した可能性もある。かといって防衛軍が何かと戦っている素振りもあるが、何と戦っているのか全く見えてこない。
とにかく、
「クソッタレ……このままじゃ埒が明かん! ニック、騒ぎの原因を突き止めようぜぃ」
「そうしよう」
リチャードソンの提案にニックは即座に乗る。自分もそれを言うつもりだったからだ。
ドタバタと逃げ回る民衆に阻害されながらも、二人についていくハント、ブロッグ、そしてジャスパーだったが、
「……ぐぁ!? いでぇ!!」
突然、ジャスパーの叫び声。
聞き慣れた仲間の声を、どれだけ分厚い人垣の中だろうと仲間たちは聞き逃さなかった。
「おい、どうしたジャスパー!」
ニックは自分にぶつかってくる民衆を避けることもなく、逆に薙ぎ倒しながらジャスパーに近づく。
人が多すぎてジャスパーに何があったのか全く見えないのだ。歩き、掻き分け、見えた彼の姿は、
「ぐあぁぁ!! は、離れろお前ぇっ!」
「コ"ゥオオ"」
様子のおかしい男が、ジャスパーの二の腕に噛みついていた。
「は……?」
血が噴き出している。冗談じゃなさそうだ。
同じように人垣を掻き分けてきたリチャードソン、ブロッグ、ハントも絶句している中、
「この、こ、こいつ!」
「ウ"ァッ、ォォオア"ァ"」
汗だくのジャスパーは必死な顔で、噛んでくる男の顔面を殴り続ける。
しかし相手は怯むどころか、
「うぎゃあぁぁぁぁ!?」
あれでも歴戦の軍人であるジャスパーを、絶叫させるほど噛む力を強めている。
死にもの狂いで殴り、殴るペースをどんどん上げていくジャスパーを見かねたニックは男を引き剥がそうと駆け寄る。
が、ニックが男に届く前に一発の銃声が鳴り響く。
「――プレストン!! てめえ無闇に撃つんじゃねえアホンダラ!」
「はぁ!? ジャスパーさんの声が聞こえてないんですか隊長!?」
こちらと同じくジャスパーの悲鳴を聞き逃さなかったプレストンが、男の腹を撃ち抜いたのだ。
プレストンの後ろからはニードヘルも来ている。
「聞こえてるが……市民は基本『守る対象』だろうが! 簡単に殺しちゃいけねえんだよ!」
「待ちな! 言い争ってる場合じゃないだろ、アンタたち!?」
ニックとしてはジャスパーが助かったのは本当に安心したのだが、腹を撃たれ、倒れて動かない男を見逃すわけにいかなかった。
これは大問題だ。が、ニードヘルの言う通り、今は喧嘩する時間が無い。
「ジャスパー……無事か。何があったんだ」
「た、隊長……マジ痛ぇよこれ……わ、わかんねぇんだ、突然あの野郎が噛んできやがって……え?」
「どうした」
血の止まらない二の腕を押さえるジャスパーが、急にニックの背後を見ながら絶句。
ニックも振り返ると、
「カ"ァアゥ……」
腹に風穴の空いている男が、いとも容易く立ち上がってきていた。
何もできないでいるニックをよそに、
「ばっ、バケモンがぁぁぁ!」
「よせジャスパー!」
ジャスパーは座った態勢のまま二丁拳銃を駆使し、狂った男を銃撃。
蜂の巣のように穴だらけの男は再び倒れた。
しかし、数秒後。
「オオ"……オォォ"オ"」
「マジ……ちょ、何なんだ……何なんだあいつ!?」
心臓まで撃たれている男が、当たり前のように立ち上がってくる。
さすがのジャスパーもニックも、意味不明さに震え上がってしまった。
「あんなの異常だ、チクショウ……狂犬病か、いや……新手の細菌兵器か何かかも……誰かバラ撒いたのかもしれない!」
紫色に染まる目と歯、体じゅうズタズタでも心臓を撃たれても立ち上がってくる、そして人を噛む異常性。
見ていたプレストンは頭をフル回転させていた。
ニックは立ち上がり、
「ジャスパー立てるか? とにかくあの男には近寄らず、ここを離れるぞお前ら。住民たちの逃げてきた方向は――あっちだな」
「そ、そッスね……」
「あの男がこうなっちまった原因も見つけられるかもしれん。俺たちはどうなろうと、とにかく街の平和のためには真相の
❏ ❏ ❏
領域アルファ防衛軍・特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』。
隊員ジャスパー・クレイド、38歳。
『突撃』を得意とし、自慢の二丁拳銃で他の隊員を引っ張るように突き進むベテラン軍人。
高価な腕時計やゴーグルを身に着ける派手好きで、時に楽しく、時に勇敢。彼こそまさに隊のムードメーカー。
――大都市アネーロにて狂人に噛まれ転化、隊員初の犠牲者となり、他の隊員に強い印象を刻む。
❑ ❑ ❑
「ウゥ"」
「……あ?」
突然、背後から発生した呻き声にニックが振り返ろうとすると、
「ニック危ねぇ!」
リチャードソンに腕を引っ張られ、転ぶ。引っ張られたその訳は、
「ウゥオォ"」
「……っ」
ジャスパーまで、正気を失ったような呻き声を上げ、ゴーグル越しの両目と歯がおどろおどろしい紫色に染まっている。
立ち上がった彼は、どうやらニックに噛みつこうとしていたらしい。
「ジャスパー……」
「うわああ! ジャスパー先輩!!」
ブロッグは目を見開き、ハントも頭を抱えて悲痛な声を上げる。
「ぐ……ニック! もうジャスパーには関わるな、とにかくどこでもいい、進むぞ!」
「…………」
何も言い出せず、ただ棒立ちで呆然としていたニックを、リチャードソンは引っ張る。
プレストンとニードヘルはいつの間にか消えていて、残った四人は騒ぎの元凶の方向へと走った。
が、
「お、おいあんた、ニック・スタムフォードだよな!?」
逃げ惑う人垣の中から、一際大きな声がニックを呼び止めてきた。
現れた男は特に知り合いでもない一般人のようだが、
「さっき見たんだけど……間違いじゃなければ、あんたの家が――――」
◇ ◇ ◇
「はっ……はっ……」
「……見たかい、プレストン? ジャスパーの奴が……」
「あぁ見たよ!! ……ちょっと黙っててくれ!」
人垣に飲み込まれ、ニックたちと逸れてしまったプレストンとニードヘル。
恐ろしい変貌を遂げたジャスパーの最期だけは、見てしまったのだった。
「間違いない……噛まれたこと以外、おかしい点は無い。やっぱりあの男に噛まれたのが原因だ」
走りながらもプレストンは、このパニックがなぜ起きたのかを見抜こうとしていた。
「え? それはジャスパーの話かい? なら、あの噛みつき男が騒ぎの元凶ってこと――」
「いいや違う。だったら逃げ回ってた奴らはあの男一人から逃げているべきだ。でもあの男は人ごみの中に混ざるように居た……つまり誰も、あの男が人食いだと気づいてなかったってことさ」
「ってことは……」
「噛み跡の確認はしてないが、あの男も他の奴から噛まれてあの状態になった可能性が高い。軍が発砲しても死なないんだから、次から次へ『感染』は広がる……」
噛まれることにより感染する、ウィルスのようなもの。やはりそれが真相なのだとプレストンは当たりをつけた。
そして二人がとある教会の前を通ろうとすると、
「あんたら、こっちだ! ここは安全だ!」
教会の大きな扉の中から、男が呼び止めてくる。
言われるがまま中へと逃げ込む。そこにはプレストンたちと同じように逃げてきた生存者がたくさん匿われていた。
それはいいのだが、
「ここに隠れて……どうする気だ? じきに外は食人族で埋め尽くされるんだぞ?」
「う、あぁ……そうだけど……」
呼び止めてきた男にプレストンは詰め寄る。何十人とここに人がいて、一旦この危機を逃れられたとしても、その後の食料だとか水だとか、どうするのか。
それを言い出すと、街を出たってアテも無いし、そもそも街の外なら安全なのかもわからない。広がっているのは薄暗いバーク大森林なのだし。
何も状況がわからない今、考えても無駄か――そう思っていると、教会の中から叫び声が上がる。
「うわ! こいつ噛まれてるぞ!」
「さ、騒ぐなよ……まだわかんねぇだろ!? 噛まれてるからって絶対ダメとは限らねぇよ!」
「俺の知ってる限り、骨の化け物に噛まれた奴は全員ダメだったぞ!」
どうやら逃げ込んできた者の一人に噛み跡が見つかったらしい。やはり噛まれた者は皆、狂ってしまうのだと考えた方が良いだろう。
『骨の化け物』というのはよくわからないが、プレストンは銃を構え、噛まれたという男に近づく。
「ひぃぃ! 勘弁してくれ! し、しかもあんたよく見たら『P.I.G.E.O.N.S.』の――」
「黙れチクショウ! 俺だって見たんだ……仲間が変わってしまったところを!」
変わってしまったジャスパーの姿は、プレストンの脳裏に焼きついて消えない。
あんな『人間の成れの果て』みたいな化け物、もう二度と見たくないくらいだ。
「お辞めくださいプレストンさん! 主人は、主人はあんな化け物になんか――」
「黙れと言ってるだろ!!」
「きゃ!」
割って入ってきた、男の妻と思われる女性をプレストンは蹴りつける。
正義の味方『P.I.G.E.O.N.S.』が民衆に暴力を振るう。もちろん教会内の空気は凍りついた。
「大事なのはリスク管理だ、もしこの男が人食いになったら教会の中は大パニックになる! わかるか!? 助かるかもしれないなんて現時点では薄すぎる希望に、命を懸けてられないんだ!」
「うぅ……」
銃を突きつけられた男は涙を流し、周囲の者はプレストンに圧倒されて何も言えない。
ニードヘルも、ただ見守ることしかできずにいる。
「心臓を撃っても死なないあの人食いどもの弱点――誰か知らないか!?」
プレストンは男に突きつけた銃、そして目線を動かさずに周囲の民衆に問いを投げる。
わからないから聞くしかないのだ。すると、
「も、もしかしたらだが……頭かも」
自分の発言によって男が殺されるかもしれない――そんな空気の中、一人の男が言った。
「偶然に頭を撃たれた人食い男が、動かなくなったのを見た……でも一瞬だったし、その後動いたかもしれな――」
「なるほど頭か。頭には当然、脳がある。それを潰せば確かに指示系統が断たれて動かなくなるかもしれないよな」
「いや、ちょっと待ってプレストンさ――」
言い出した男の補足や制止も聞かず、プレストンは男の頭を撃った。
「きゃあぁ!! あなた、あなたぁ……!」
男に覆い被さって泣き喚くその女性を見下しながら、プレストンは――
「お前も危険だな。旦那を愛してるから、噛まれてても黙ってる可能性が高い……死ね」
――目覚め、一線を越える。
泣き崩れた女性の頭まで撃ってしまったのだ。教会内にざわめきが広がっていく中、
「おい、ここ入っていいか!? 息子が流れ弾に当たって大怪我しちまったんだ!」
教会の入り口に、足から血を流す息子を抱える中年男が現れた。彼は教会に入ろうと踏み出すが、
「それは本当に流れ弾か? 噛まれたのかもしれないが確認してる暇は無いな」
冷めた目で見ているプレストンは、
「ニードヘル!! 追い出せ!!」
「っ……いいのかい!?」
「早くしろ!」
無情な号令をニードヘルに放つ。隊長でもないプレストンに、彼女が従う理由は無いと言ってもいい。
しかし、
「悪いね……今のアタシは、誰を頼ったらいいのか……もうわからないんだ!」
「ぐわぁぁッ!?」
男の腹に強烈な蹴りを入れ、外の道路まで吹き飛ばす。
「こ、こいつ蹴り飛ばされてきたのか!?」
「何だよ、教会なら安全だと聞いてきたのに!」
「俺は噛まれてない! 入れてくれ!」
「私だって!」
「子供だけでもどうか!」
見れば結構な人数が教会へ逃げ込もうと集まってきているではないか。
「あんなに入れたら噛まれた奴とそうでない奴の区別もできない! 閉め出すぞニードヘル!」
「な、何だって!?」
「扉を閉じるんだよ! もう誰も入れるな!!」
駆け寄ったプレストンと、ニードヘルは大きな扉を容赦無く閉じた。
外からは避難してきた者たちが必死に助けを呼び、扉をこじ開けようとしてくる。
背中を扉に押しつけて耐えるニードヘルは泣きそうになり、横を向く。
そこには全力で扉を押すプレストンの狂気に染まった目があった。
教会の中にいた人たちにも手伝わせて扉を固く閉じ続け、やがて――悲鳴とともに外からの抵抗は消えていった。
◇ ◇ ◇
――――今のプレストンが思うのはそんな、半年以上も前の昔話だった。
彼の目線の先には、
「……うっ!!」
ニードヘルによって腕の関節を極められる、ジルという若い女の姿。
ジルは無言で苦しむ。それでも、
「充分だろ? もう、くたばりな」
ニードヘルがジルの頭を両手で掴むと、
「っ」
無慈悲な膝蹴りが、ジルの綺麗な顔に直撃する。
戦闘開始からずっと痛めつけられているジルはとうとう気を失い、倒れた。
「ジル……! クソ、クソが……っ!!」
同じくボコボコにされているドラクは、ジルの身を案じながらも、なけなしの体力を振り絞って立ち上がる。
一人でドラクとジルをここまで追い詰めてきたニードヘルを睨みつけ、
「おらぁぁあ!」
朦朧とする視界の中、突進。
しかしニードヘルがひらりと身を躱すと、ドラクは躓き、無抵抗で地面に突っ込んだ。
「うぐ……」
疲弊と痛みにより足がガクガクと震え、単なる突進さえままならない――闘牛にも笑われそうだ。
それが今のドラクの状態であり、
「どぼふぇぇっ!?」
ニードヘルは攻撃の手を緩めない。ドラクの腹を蹴りつけ、転がして仰向けにさせる。
「げぇほっ、げほっ……うぉ!」
血の混じった咳をするドラクは、ニードヘルに顔を踏まれそうになるも避ける。
そして、
「あぐ!」
ニードヘルの脛に噛みついた。
「なっ!? この……往生際が悪い、ね!」
「げふ」
彼女は驚いたもののダメージは無いに等しく、もう片方の足でドラクの顔を蹴った。
白目を剥いたドラクは、ジルに続いて気を失う。
「終わったな……ニードヘル、お前ともあろう奴が手こずりやがって」
「あぁ……こんなニックのとこの有象無象、雑魚二匹にね。無駄に時間掛けちまった……」
嫌味ったらしいプレストンと、自分の弱体化を危惧するニードヘルが、揃って立ち去ろうとする。
彼らにとっての敵は『ニック・スタムフォード』、そして反逆者の『同志たち』のみであり、それ以外は眼中に無いと言っていい。
当然のことだ。この街の武力をもって、それ以外の連中に負けるはずが――
「待てコラァ!!」
いきなりの怒号に驚く二人。
だが振り返ってもそこにいるのは、
「はぁ……はぁぁ……オレは、まだ、死んで……ねぇんだよ……ゲホッ」
何とも情けなくて弱そうな、今ふらふらと立ち上がったばかりのドラク。
「…………バカタレ」
もうアンタらのグループには何の希望もないのだと、立ち上がったって勝てるわけもないのだと、全てが無駄なのだと、そんな意味を込めた『バカタレ』。
言いながらニードヘルは棒立ちのドラクに近づき、
「ぐぶッ」
喉に正拳突きを入れ、ドラクは膝から崩れ落ちた。
「……力不足が過ぎる。アンタみたいなのは、このレベルの戦場ではお荷物さ」
倒れ伏すドラクに吐き捨てるように言い、ニードヘルは踵を返す。
待ちくたびれた、とでも言いたげなプレストンに嫌味を言ってやろうとすると、
「ん?」
うなじに違和感が走る。
水滴のようだった。雨でも降ってきたのかと思うと、
「まだ……まだだ……終わってねぇ……っ!」
ドラクが、いつの間にか立ち上がっていた。どうやら水滴は彼の吐いた唾らしい。
さすがにニードヘルは眉間に皺を寄せ、
「子供の喧嘩じゃないんだよ……殺さないでやってるんだ、大人しくのびてな!」
「ぐぅおっ」
鋭い蹴りがドラクの腹にぶち込まれ、吹っ飛んだ彼は民家の壁に激突。そのまま地面に座り込むようにダウンした。
が、
「へ……へへ……っ」
不敵に笑いながら、またも立ち上がる。
「……くどい!」
完全にキレているニードヘルが、さすがにドラクを殺そうかと考えながら近づくと、
「おぉい――プレストン・アーチぃ!!!」
「……あ?」
ドラクはニードヘルではなく、その後ろでずっと見ているプレストンに向かって叫んだ。
お喋り魔神は荒い呼吸も気にせずに喋る。ジルの方を手で示し、
「女をイジメて……」
今度はニードヘルを指差し、
「女に任せて……」
そしてプレストンの方を真っ直ぐに向き、
「ふざけんじゃねぇ! この臆病者、お前がかかってきやがれ!!」
そう叫んだ。
唐突に貶されたプレストンは額に青筋を浮かべ、
「臆病者とは……聞き捨てならないな。俺は無駄が嫌いなんだよ」
「…………」
「見ろよ、自分の体を。俺が出なくてもニードヘルだけでその有り様。つまり俺がやる必要が無いからやらなかった、それだけのことだ」
「……やる必要が、無い?」
「あぁ。そうさ」
ニードヘルたった一人に、ドラクとジルは二人がかりで完敗の状態だ。
そこにわざわざプレストンが出るところで、どう考えても無駄な労力でしかない。
これにはドラクも納得するしか――
「じゃあお前、いらないじゃん。プレストン」
ドラクの一言はプレストンを激怒させた。
プレストンは走り出し、
「ふんんんっ!!」
渾身のパンチをドラクの顔面にぶつけ、力いっぱい吹き飛ばした。
でも直後にすぐ立ち上がってきて、
「ゴフッ……だって、お前の役割ってのは、後ろでふんぞり返ってる、こと……なんだろ? そういうのを何て呼ぶか知ってるか? 『無駄』って――」
「黙れ、ガキがぁ!!」
べらべらと無駄なことばかり喋り続けるドラク。プレストンはその胸ぐらを掴み、地面に引き倒す。
馬乗りになり、何度も顔にパンチを入れる。左右交互に。何度も何度も。
ドラクの顔は腫れ上がり、もう口も動かないだろう。そもそも意識も失っているはず。
判断したプレストンが立ち上がって早々に立ち去ろうとすると、
「なーにが、『ニックのとこの有象無象』だ……?」
またしてもドラクは普通に立ち上がり、しかも普通に喋っている。
異常だ――あれほどまで痛めつけられたら、どんなに強い人間でもまともに動けないはずなのに。
さすがに恐ろしくなってきて、プレストンもニードヘルもドラクを凝視したまま動けなくなってしまう。
立場が、逆転してしまったのだ。
「オレたちはニックの添え物なんかじゃ、ねぇんだよ……それぞれ、苦しい人生をどうにか生き残ってきたんだ……! ニックはただのリーダーであって、オレはあいつの一部じゃねぇ!」
リーダーの言うことには基本従う、破れば罰を受ける。それは普通のことだ。
だが、ドラクはリーダーに人生を捧げるわけではない。ホイホイと何でも言うことを聞くのではない。
「オレは、自分の信念は……曲げねぇ! お前らや、お前らんとこの有象無象と違ってな!」
「な、んだと!?」
「何が『亜人禁制の町』! 嘘じゃねぇか、リザードマンいたぞ! 住民を騙して……バレたら始末して……そうやって今まで保ってたんだろ!」
「……!」
「何が正義だ……『P.I.G.E.O.N.S.』の名が泣くぜ!」
正義の特殊部隊だったはずのプレストンやニードヘルは、スケルトンの世界にて道を踏み外し、以前ではあり得ないことを平然とやるようになった。
それをリーダーとしているからか部下のオルガンティアも見境がなく、平然と住民の血を吸ったりする。
アクロガルドもドラクに言っていたが、四天王たちが住民の始末に慣れているのも確定。
プレストンとニードヘルに自覚は――無いわけではなかった。ただ、目を逸らしていた。
なのにそれを今日会ったばかりの、しかも雑魚だと思っていたクソガキに言い当てられてしまった。
二人の顔は、苦虫を噛み潰したように歪む。
「そう……その顔が見たかったんだよ」
「!?」
ほくそ笑むドラクの言葉に、二人の歪んだ表情はさらに凍りついたように張りつく。
「こう見えてオレはサディストでね……虫けらと何度も戦わされたり、ウザいお喋り野郎の相手させられたりして、お前らみたいなクズが嫌そうな顔してんの見るのが、大好きなんだよ! なはは、は!」
どうも本来の意味とは少しズレているような、情けないサディスト。それがドラク。
自分が弱いからこそ。騒々しくてウザいからこそ。そしてそれを自覚しているからこそ――最大限に利用して、嫌いな相手を嫌な気分にさせる。
それが大好きなのだった。
「チ……チクショウ、何なんだあいつは……」
「下がってなプレストン……アタシが終わらせる」
完全に狼狽えてしまったプレストンに代わり、ニードヘルが動揺しながらも走り出す。
笑い続けるドラクにトドメを刺しに、その拳を振りかぶり――
「止まってもらおうか……お嬢さん」
「ッ!!?」
放ったはずのパンチが、大きな手に止められてしまった。もちろんドラクの手ではない。
「あ……あっ……」
「は……」
素早く後ずさりしたニードヘルも、後ろのプレストンも青ざめて、絶句。
もう何も言えない。言えるはずがない。言葉など出てくるはずがない。
「ウチの若えのを、よくもここまでやってくれたな。覚悟はできてんだろうな? アホンダラども」
ニック・スタムフォード。
何の前触れもなく姿を表した『大物』に、この場の全員が驚きを隠せずにいた。
しかしドラクはなぜか怒る。
「おい! ……お前は、引っ込んでろよニック!」
「どういう意味だ?」
「ゲホ、どうもこうもねぇ! お前は元仲間が大事なんだろ!? だったら、ゴホッ、消えろよ! オレがやるから――」
「いいや、消えねえ。消えるわけにゃいかねえんだ」
思いの丈をニックにぶつけていたドラクだったが、それはいきなり頭に手を置かれたことで中断。
手を置いたのはニック。
「悪かったな。確かに俺はどっちつかずだった……だがもう決めたんだ」
「は……?」
「俺はてめえらと共に生きる。そう決めた。ドラク、てめえらは部下じゃねえ、仲間だ」
「……!!」
「敵であるこいつらに制裁を下すのは、元隊長の俺でなきゃな……勝利、ご苦労だったドラク。後片付けが俺の任務だ」
「……う」
硬い動きでぎこちなく頭を撫でられ、労いの言葉をかけられ、ドラクは思わず涙を流してしまった。
『この人に任せていいんだ』――やっとそう思えて、限界を超えていたドラクはようやく、安心して気絶することができた。
「さあ、やるぞてめえら。えらく時間が掛かったが……決着をつける時だ」
覚悟を決めたニックは指の骨を鳴らしながら、サングラス越しにプレストンとニードヘルを睨んだ。




