第143話 『UROBOROS』
――――もはや戦火は、壁の中だけに留まらない。
『亜人禁制の町』より壁外。夜の闇に包まれるバーク大森林。
そこにもいくつかの戦いが存在していた。
「ロブロぉ、この腰抜け用心棒! どこまでも追って俺が殺してやるっしょ!!」
「クソ! 来んじゃねぇよ獣人!」
目出し帽のような形の鉄仮面を被った大男、ロブロが逃げ回る。
それを追うのはチーターの獣人である四天王、チャドだ。
野生のスピードに敵うはずもなく、追いつかれそうになるロブロは振り返り、
「用心棒の演技なんて、もう嫌だぜ!」
懐から取り出すのは――長い鎖。何の仕掛けも無い鎖をジャラジャラと引き抜いて振り回し、
「死ぬっしょぉぉ!」
「ふざけんじゃねぇ! おらよ!」
迫るチャドの爪にぶつけ、防御。
ホープに向けた銃の引き金を怖くて引けなかったロブロだが、この鎖こそが彼の愛用の武器なのだ。
ただの鎖とはいえ、ロブロの大きな図体で振り回されるそれは十分な凶器。獣人のチャドも直撃だけは避けようとする。
爪と鎖が幾度となくぶつかり合うところに、
「誰か知りませんが、ロブロと一緒に死んじゃってくださいね〜!!」
「「うぉ!?」」
女性の可愛げのある声と、何発かの銃声が轟く。撃ち込まれたようだが偶然二人とも当たらず済んだようだった。
続いて、銃を持った若草色の髪の美少女メロンが走ってくるのだが、
「冗談じゃない……この獣人はボクの獲物さ」
「!?」
ロブロと交戦中のチャドの耳元に、凍りつきそうなくらい冷たい声が響く。
次の瞬間に水平に振られる刀を、チャドは上半身を限界まで仰け反らせて回避。
「ぐ……お前、まだついてきてたっしょ!?」
「今のをよく避けたね。ヒヒヒ! やっぱりキミは骨があるよ」
「そうかい、それはありが――おぉう!?」
シルクハットを被った吸血鬼、ヴィクターの称賛を受け取ろうとしたのが間違い。
感謝する間もなくヴィクターは突撃してきて、チャドはクロスさせた両手の爪でどうにか受け止めるが、
「うぐぐぅ止まらないっしょぉぉ!」
ヴィクターはその一撃を継続させ、チャドを押し続ける。
それはまるで、
「あんなバケツ男やハイテンション女のいる場所じゃ、気が散るだろ?」
ロブロやメロンとの小競り合いからチャドを遠ざけ、タイマンを誘っているかのよう。
実際、
「キミはボクのオモチャになるって言ってたじゃないか」
「言ってねぇっしょ!?」
「ボクだけを見て、殺そうとしてくれよ! 面白い戦いをさせてくれよ!」
戦闘狂が過ぎて、メンヘラのようになってしまっているヴィクターがそこにいた。
彼はようやく進撃を止め、
「だいぶ遠ざかった。これでやっと集中できるけど、準備はいいかい?」
「……はぁ」
正直、ヴィクターとの戦いから逃げたかったチャドは深くため息をつく。
が、ここまで逃げられない状況に追い込まれてしまっては、もう、やるしかないではないか。
「あぁ! 準備は万端っしょ!」
「いい返事だね」
顔を上げ、明るく叫び、自身のフサフサの頬を叩いて闘志を奮い立たせたチャドは、
「そんなに面白いもんをお望みなら、とことんやってやるっしょ! 本気モード☆」
牙を剥き出しにして笑う。
そしてチャドは四肢全部で大地を踏みしめる。
「見せてやるっしょ野生の底力――そう、チーターの真の力を!」
「……?」
いつの間にかピンと立ったチャドの長い尻尾が、半ばで折れ曲がる。
折れ曲がった尻尾が高速回転を始め、まるでプロペラのような見た目になり。
プロペラのように回る尻尾がチャドの尻を持ち上げ、そこを起点に全身が浮かび上がる。
空中へと舞っていくチャド。
そう、それはヘリコプターのように――
「へへ、すごいっしょ! これがチーターの真の力っしょ!!」
「そんなチーターはいない」
『ブビビビーッ』と本当にプロペラのような音を出しながら空を舞うチーターの獣人。
その滑稽というか間抜けな光景、さすがのヴィクターも呆れる。
「はぁ!? チーターだって牛乳とかいっぱい飲めばこのくらい飛べるっしょ、こんなの常識っしょ!」
「キミ『常識』が何か知ってるの?」
「もちろん知ってるっしょ! それは――」
普段は常識知らずで通っているヴィクターが真顔で問うと、チャドは飛行しながらゆっくりとヴィクターへ近づいていき、
「俺が勝つってことっしょ!!」
「うお!?」
突如グニャリと左へ曲がったかと思いきや、そのまま右から爪攻撃が飛んでくる。
どういうことなのか、理解はできずともヴィクターはギリギリ刀で防御した。
次も、また次も、意味不明な方向から爪が繰り出されてくる。
その都度ヴィクターは刀で受け止めるが、これがかなり神経を使う。
防戦一方の状態が続いたが、分析は着々と進んでいた。
(なるほど。これは厄介だね)
真実は簡単なもので――尻尾の回転のみで宙に浮かんでいるチャドは、まるでクレーンで尻だけを吊られてぶら下がっているような、おかしな体勢になっている。
そんな見たこともない戦闘スタイルで動きながら攻撃をしてくるものだから、軌道が全く予想できない。
イメージとしては、小さな虫を殺そうと追いかけているが上手くいかない時のような『翻弄されてる感』があるのだ。
「お前は吸血鬼のくせに翼が無いみたいっしょ! そんなんじゃ俺は殺せないっしょ!」
「そうかい? キミのそのショボい飛行能力、あっても無くても変わらない気がするけど」
「あぁっ! カッチーーーン☆」
わかりやすくヴィクターの挑発に乗ったチャドは、先程よりも苛烈に、荒々しく、爪を振るってくる。
分析の終わったヴィクターは、二発の爪攻撃にも冷静に対処し、
「ガァッ!」
「おっと」
不意打ちか。
飛びながらも、牙だらけの大口を開けてヴィクターの喉に噛みつこうとするチャド。
だがその牙は刀に阻まれ、刃を咥えるに留まる。
そして、
「ぅぐ……っ、ぶぉぉわッ!?」
刃に噛みついているチャドをそのままに、ヴィクターは体を回転させて刀を後ろへ振り回す。
遠心力の暴威に、チャドは吹っ飛ぶ。
木を一本ブチ折ってもなお吹き飛ばされ続け、その先の大木に体が打ちつけられる。
「ぐは……! って、えぇ!?」
その直後、折れた木の合間から追いかけるように飛び出してきたヴィクターが刀を構え、
「よっ」
大木をチャドもろとも裁断した――つもりだったが、斬れたのは木の幹だけ。
肝心のチャドの姿がそこには無い。
殺気を感じたヴィクターが上を見れば、
「時既に遅し、っしょぉぉ!」
「そんなことはないさ」
またしてもトンデモ飛行モードに入っていたチャドが、上空から急降下を開始。
月光で輝く爪が着弾する前に、ヴィクターは瞬間移動並みのスピードで後方へ跳んだ。
空高くからの爪の一撃は大地を抉り、轟音が響き、辺り一帯を土煙が覆う。
そのためヴィクターはチャドの姿を見失うのだが、
「――だから言ったっしょ!?」
「っ」
本来のチーターの力、超スピードのダッシュでチャドが煙から出てくる。
対応に一歩出遅れるヴィクターは、
「うぉおおら!!」
「ぐふっ」
かなり低い姿勢から放たれるアッパーを避け損なう。下っ腹にくらってしまい、上空へと吹き飛ばされた。
それだけなら大した問題ではなかったのだが……
「悪いけど小道具でトドメっしょ!」
「なっ……?」
地上にいるチャドが懐から取り出したのは、二丁の拳銃。それを無造作に撃ちまくる。
――普通の吸血鬼なら翼を使って飛び回れば回避できる。が、これはヴィクターの弱点だ。
翼の無いヴィクターは、ただ空中で体をくねらせることしかできない。
「くっ」
10発ほどで弾切れしたようだ。
が、その内の一発がヴィクターの頬を掠ったのだった。
実際には頬を怪我しただけなのだが、ヴィクターは動きを止め、まるで死体のように無抵抗で地面に落ちた。
「お、あ、やった。やったっしょ! この俺が吸血鬼を討ち取ったっしょ! じ、じゃあ、これでもう役割終了っしょ! ばいなら☆」
銃を捨てたチャドは、ヴィクターが死んだと勘違いし――というか勘違いだとしてもそうじゃないと信じ――、逃げるようにその場から走り去る。
「…………」
一人残された、うつ伏せのヴィクターは、自身の頬を指でなぞる。
そして指先を見る。赤く染まった指先を。
「……自分の血を見るなんて、いつぶりかな」
寂しそうにポツリと呟く。
「……あぁ。思い出したよ……あのときだった」
それは、翼を失ったとき。
あのときは翼以外にも、たくさんの血を流したものだったが。
起き上がってシルクハットを被り直したヴィクターは、立ち上がる。
「キミがチーターの本気を見せてくれたんだ――ボクも、吸血鬼の本気を見せないとね」
刀を構え直し、その柄を握る手に渾身の力を込めていく。
すると、
「"血の線"」
ヴィクターの手から這い出てきた赤黒い線が、刀へと伸びていく。刀はその線を鎧のように纏い始めた。
この線の正体は、人間の血液。
ヴィクターが今まで吸血した血液をパワーに変換し、刀を強化した。これが吸血鬼の真骨頂なのだ。
だが、
「……吸血する機会の少ないこの世界じゃ、滅多に出せない技だけど」
思った以上に血液の消耗は激しく、発動には大量に人間の血を蓄えなければならない。
そう簡単にはいかないのだ。だからこそ――
「"曲がりくねる死蛇"」
――あの獣人はここで死ぬのだ。
ヴィクターが振った刀の切っ先から飛び出した赤いラインが、獰猛な蛇の形になる。
バーク大森林の木々の合間を縫うように蛇行する巨大な赤蛇は、
「ん!? 何か、ヤな予感するっしょ……ぎゃあぁああぁッ!!」
遥か何百メートル先を疾走するチーターの獣人にいとも簡単に追いつき、その背中に食らいつく。
肉を大きく食い千切られ、かなりグチャグチャの酷い背中になってしまったチャドだが、
「あ、がぁ……! ぐぅ、クソ、今のは吸血鬼の仕業かよ……あんなこともできるのか……!? も、もう逃げるしかないっしょ……!」
『痛み』など、『死』に比べればなんてことはない。
肉を頬張りながら主のもとへ帰っていく赤い蛇を見てゾッとし、町へ帰ることなど後回しにし、とにかくヴィクターから遠く離れることを目標にする。
元々速いスピードをもっと、もっと速めなければ。もっと、もっと。
死から逃れることに必死なチャドの今の速度はきっと、野生のチーターの最高速度など大きく上回っていることだろう。
風と勘違いするほどの速度だが、
「あぁ……そこにいるんだね」
――飛び出していた蛇を刀へと戻したヴィクターは、蛇の伸びた距離からチャドの位置を推測していた。
「『絶望』の味を知ってるかい……?」
走り出したヴィクターはジャンプ、そのまま近くの木の幹を蹴りつけ、空へ跳び上がる。
「ボクは知ってる……だから、キミの心に刻んであげよう。ま、体も斬り刻むけどね!」
もちろん空を飛ぶことなどできないが、
「"斬車輪"……」
空中で振りかざしたその刀から、再び一匹の赤い蛇が飛び出す。
ヴィクターが縦回転を始めるのに合わせ、蛇は己の尾の先端に噛みつき、円が出来上がる。
「…………"裏暴失"」
車輪のように高速で縦回転するヴィクターと赤蛇は、重力に従って地面に落ちる。
その瞬間、彼らの姿はその場から消失する。
いや、消えたのではない。
「ぎぇああああ―――――――ッ!!!」
遥か先のチャドに追いつき、既にその命を刈り取っていた。
『野生の底力』も『死から逃げる本能』も、何もかもを超越した速度で転がって。
後頭部や背中どころでは済まない傷――体の後ろ半分を上から下まで斬り裂かれたチャドは、その場に膝をつき、とうとう倒れた。
ようやく一人……四天王が撃破されたのだ。
それを一瞥したヴィクターの刀に、赤い蛇が集約されていく。
ちょうど"血の線"の発動時間の限界が来たようで、蛇は眠るように霧散していった。
「……キミの名前も興味ないけど……キミがこの世界に生きていたことを、ボクは覚えてるよ」
ヴィクターは独り言のように、でもチャドの死体に語り掛けているかのように、呟く。
「そしていつかボクが死んでも……ボクが生きていたことを、ナイトとかホープとかが覚えてる」
刀に付いた血を拭い、そして鞘に仕舞う。
肩をすくめ、
「そう考えると人生って終わりのない旅だよね――まるで己の尾を噛んだ、愚かな蛇みたいに」
うんざり、といった態度で首を横に振った。




