第12話 『閉ざされた地獄』
地下の『採掘場』を目指し、依然として男について歩くホープ。
もう、どこをどうやって歩いてきたんだかわからない。エドワードに殴られて動揺しているのもあるが、ここが作業場のどの辺りか、どうやって監獄に戻るのか、全く覚えていない。
「おれって……」
なんて無能なのだろう。
力でも知識でもコミュニケーション能力でも最底辺のようなステータス値であるのに、まだ方向音痴という新たな弱点まで湧き出てくる始末。
「はぁ……」
「あぁ? ったく、ため息つきてぇのはこっちだっつうの……」
ホープのため息に心の底からの嫌悪を示す、案内役の男。
彼はエドワードと話してから元気がない。確か、酒を調達してくるように指示されていたような。きっとフェンスの外に出て空き巣をするのだろう、元気がないのも無理はない。
しばらく歩いてきたが、今、倉庫のような建物を通り過ぎた。見た目は汚れているようだが、かなり頑丈そうな建物。
中の様子を窺い知ることはできなかったが、近づいてみたら、ゴウン、ゴウンと何やら機械的な音が連続していたような気がした。
この作業場には、作業場というだけあって採掘場以外にも作業する場所がいくつかあるようだ。まぁ、もし採掘場しかないのなら『エドワーズ採掘場』で良いわけであるし。
――ああ、紛らわしくて鬱陶しい。『エドワーズ作業場』の敷地内に『採掘場』があると、『場』が被っていてどっちがどっちかわからなくなる。
別に覚えたくはないが、頭の悪そうなネーミングセンスだ。
そういえばここのボスであるエドワード自身も、お世辞にも頭が良さそうには見えなかった。
なのにスケルトンや逃げ出そうとする労働者へのほぼ完璧な対策、倉庫(?)の中の複雑そうな機械の存在を考えると、違和感がする。本当にあんな飲んだくれの乱暴者が――
「おいガキ、ぼさっとしてる暇はねぇぞ。採掘場はもうすぐそこだ」
男の声で、思案の海から抜け出す。
前方少し先に、洞窟の入り口のようなものが地面に直接存在していて、その穴の内側から、カーン、カーンと固い物を打ち合わせるような音が僅かに聞こえてきていた。
◇ ◇ ◇
地下採掘場への入り口だという穴ぼこの正面に回ると、階段がある。やはり、覗き込んだ感じでも、中はいかにもな洞窟といった様子。
照明はあちこちにぶら下がっているが、光は弱めでちょっと暗い。今は朝日でだいぶ照らされているから、階段を踏み外すほどではなさそうだ。
――しかし男とホープには、その階段をすぐには下りれない理由があった。男はその理由に向かって口を開き、
「おい! 何してんだお前」
「ちっ。うるせぇな、休憩だよ休憩。さんざ働いてきたんだぞ俺は、少しくらい休んで何が悪い?」
階段のその途中、壁にもたれてタバコを吸っている人物がいた。
ホープと同じような灰色のツナギ姿から、労働者なのだろうと想像はつく。
「――今は休憩時間外だ」
「だから何だよ? 今来たばっかりだぜ。タバコ一本くらい数分とかからねぇし」
労働者の男は全く態度を変えることなく、指導者の男に食って掛かる。
ホープの記憶だと、休憩時間外にサボった者はとんでもない目に遭うはずなのだが、
「――よし、いいだろう。タバコ終わったな? 作業に戻るんだ」
「へぇへぇ……そのガキ、新入りか?」
「そうだ」
「こんなクソなとこ連れて来られちまって、可哀相にな」
なぜか指導者の男は話を切り上げてしまって、すたすたと階段を下り始めてしまう。
労働者の方もケロッとしていて、反省したり畏怖することもないまま。それどころか同じ立場のホープを憐れんでいるのだ。
――彼はサボってもいい特別な労働者? それともあの鞭の一件は、ただのパフォーマンスであったのか?
後者ならホープの自殺計画は早々にご破綻となるのだが。
いや、まだ諦めてはいけない。
階段を下りる指導者の男にとりあえずついていく。すると、労働者の男がホープの横に並んで歩いてくる。
「よぉ同志、俺はヴィンセントってんだ。お前は? 新入りってことは、今日が初日ってことだよな?」
「ホープ。今日が初めてだよ」
「だよな。俺も何日か前に来たんだが、ここは最悪だぜ。多少スケルトンがいようが、フェンスの外の方が断然マシだね」
「そ、そんなに……?」
この場所を『最悪だ』と言い切ったその労働者――ヴィンセントは、最近入った者同士というのもあってか、ホープのことを既に気に入っているらしい。
彼は髪が白いのだが、年齢はホープのいくつか上というところであり、まったくの若者だ。気に入られるのは年齢が近いのもあるのだろうか。
――ホープとしてはこれから死のうとしている手前、あまり誰とも親しくしたくはないというのに。
「ただなぁ、ここの唯一の良いところは、指導者どもがヘタレってとこだな。へへ、さっきの見たろ? タバコも簡単に盗めちまったし、余裕だ余裕」
「へっ、ヘタレかぁ……そっかぁ……あはは……は……」
勝ち誇ったように笑うヴィンセントにホープも合わせて笑うが、止まらない冷や汗を拭うのに必死であった。
ひょっとして、またしても死ねないのだろうか。
◇ ◇ ◇
階段を下り切って、ようやく採掘場へ到着。やはり綺麗に整理されたような場所ではなく、ただ洞窟にぽっかりとスペースが空いている、そんな雑な造形である。
地面に設置するようなスポットライト的な照明器具がずらりと並んで置かれており、壁や地面を煌々と照らしている。
階段を下りている間も考えていたが、かなり地下深い。地上に音や光があまり届かないのも納得といったところだし、風は全く入ってこず尋常でない湿度と暑さだ。
入ってきたばかりなのに、もう息をするのが少し辛い。『むわっとしてる』なんて軽い言葉ではとても表せない。
もはやサウナのようなこの場所で、手錠を付けられた多くの労働者が、ごつごつとした黒い岩の壁に向かってツルハシを振るっている。
合計で20人くらいいるだろうか。あの中に自分も入るのかと思うと、それだけでウンザリしてしまう。
――皆、ホープたちのような手口で拉致されてここに来たのだろう。エドワード一味、恐ろしや。
「な? 最悪だろ? たぶん俺がここに初めて入った時も、お前と同じような顔してたと思うぞ」
後ろから肩に手を置いてきて、話しかけてきたのはヴィンセント。
「君も?」
「そうそう、そんな間抜け面!」
腹を抱えて笑うヴィンセントはホープの背中を何度か叩いてくる。
そんなに面白いだろうか。汗と涙の臭いばかりするこの場所で、よく笑っていられるものだ。
彼は指導者をナメているようなので、ホープと違って心に余裕があるのだろうが。
そんな時、
「おーい、そこの新入り! こっちに来い」
と、何人かで集まっている指導者の中の誰かに呼ばれる。
ホープは振り返るが、ヴィンセントも遅れて振り返った――彼もどちらかというと新入りの部類ではある。
「ああ、青い髪のガキじゃねぇ。用があんのはお前だ……えー、ヴィンセントだっけ?」
「俺だけかよ……」
どうやらホープではなかったようだ。二人とも入ってきたばかりなのに、紛らわしいものだ。
肩を落としたヴィンセントは迷わず指導者たちの方へ向かって歩いていく。
「ったく、こっちはこれから重てぇツルハシ振り回して働こうとしてんだぜ? やる気を削ぐようなことしねぇでく――」
相手を煽るような態度のヴィンセントが絶句したのは、目の前の指導者が鞭を取り出したから。
「見せしめだ」
指導者は取り出した鞭を容赦なく横一閃に振り、
「っ!? るぁぁああぁぁぁぁ――っ!!!」
ヴィンセントの横顔に、その凶器を叩きつけたのだ。
指導者側は見ていた内の何人かが、そして労働者側はホープを含み全員が、開いた口が塞がらない状態に。
「あっ……!? あぁ……あ……!? 俺の、顔……がぁぁ!? いて、いてぇいてぇ、いづぁぁぁあ!!」
苦しみながら自らの顔を触ろうとしたヴィンセントの手。叩かれた部分、左の頬に触れようとした手は空を切る。
その部分は皮膚が無いから。
片方ぱっくりと口が裂け、裂けた皮膚と皮膚の間に、血に染まった歯も歯茎も見えている状態だからだ。
「あ……いて……ちょ、ちょ、ま、って……やめ……」
「――お前ら全員見とけよ。だらしない態度は許さねぇ! 言っただろ、サボったらこうだと!!」
「ぁがぁぁぁ――っ!!」
腰を抜かし、抵抗も逃走もままならないヴィンセントに、鞭を持った指導者は早々に二撃目をぶち込む。
ヴィンセントの胸に鞭が命中、ツナギが破けるどころか皮膚まで抉れ、鮮血が飛び散った。
「おぅ……はぁ……はっ、はぁっ……わかった、わかり、まし、た、言うこと、従う、従うか、ら……もうやめ――」
「ダメだな」
蹲り、胸の傷を押さえながら命乞いを始めるヴィンセント。その背中に、またも鉄槌が下る。
「がはっ、うぅ! あがぁぁ――!」
一発、二発、三発。鞭が打たれる度にパチンと小気味のいい音が鳴り、ツナギが破け、血と汗の混じった飛沫が弾ける。
四発、五発、六発。ヴィンセントはまだ息があるものの、ほとんど声が出なくなってきた。
七発、八発、九発、十発。もう彼の背中は、見ていられないくらいの惨状。赤い岩山のようになっている。
そして11発、そして12発、13発、14発、15発、16発、17発、18発――鉄槌は紡がれていった。
「……あ。こ、こんなのって……」
もう動かない、もう喋らない、もう息をしていないヴィンセント。
人形のようになってしまった彼を見て、ホープが絶望しないはずがなかった。
「人間って、こんなに頑丈なの……?」
ヴィンセントとホープを比べてしまうなら、間違いなくヴィンセントの方が強そうだ。
しかし圧倒的なまでの体格差はない。ホープだって、曲がりなりにもこの一年を生き延びてきたから。
「もう無理だ……」
まさか鞭で殺されるまでにこんなにも時間がかかるなんて。瞳を震わせるホープの関心は、ヴィンセントの死よりも、自分の自殺計画の破綻へ向いていた。
そんなホープをよそに、一人の指導者が抜け殻となったヴィンセントに唾を吐きかけ、
「――お前ら、最近ダラケてねぇか? いい加減にしねぇと、こういうことになるのさ。わかったか……返事しろ、わかったな!?」
「「「は、はい!」」」
「だったらさっさと仕事に戻りやがれぇ!!」
声を上げて労働者たちを従わせた。ヴィンセントのグロテスクな死に様を目撃してしまった労働者たちは、今まで以上にせこせこと働き始めた。
そんな中、ふと、一人の労働者がホープを見つける。
「お前……やっぱりあの時の青髪じゃないか! いつまで経ってもここに来ないから、心配してたんだぞ!」
「……あ」
ガタイのいいスキンヘッドの黒人。彼の笑顔を見て、ホープは仰天するとともに色々なことを思い出し、色々なことを――諦めた。
「……け、ケビン」
彼はレイの仲間ケビン。あの森の中の洋館にて、スケルトンの足止めを最後まで果たしてくれた、恐らく善人である。
そう。洋館内でホープと同じ連中に襲われたケビン、そしてレイは、同じくこのエドワーズ作業場内に囚われているに違いないのだ。
ホープはこの点を完全に忘れていた。
「あんまりだ……」
頭を抱えたくなる。
ヴィンセントが惨たらしくちまちまと殺された今、ケビンと再会してしまった今、そしてこの場におらず安否不明のレイの存在を思い出してしまった今。
――死ねない。楽に死ぬことはできないし、そもそも自分を多少気にかけてくれた彼らの前では、なるべく死にたくない。
この暗い洞窟の中で、自殺バカのホープの持ち合わせる選択肢は、遂に全て消滅した。
ああ、『閉ざされた地獄』とはよくいったものだ。




