第129話 『ニック・スタムフォード』
えー……ツッコミどころのある過去編かもしれませんが……もともと三章はそういう作風にする予定だったのに、どうも細かいところまで描写しすぎて長くなってしまっただけなので……とにかく許してください。
唐突な過去編ですが、最後にはキッチリ、ホープとニックの方のお話もあります。
――――スーツ姿の人々がバッグを抱えたり新聞を読んだりしながら、街中を行き交う。
アスファルトの地面に革靴の音が雨のように連鎖して鳴り、止むことはない。
車も小さいものから大きいものまで、絶えず道路にタイヤを転がす。
こんなに人もいて音も鳴っていて騒がしいが、ほとんどの人は挨拶も交わさない。
無言。無表情。それが基本で日常的。そんな場所。
ここは活気があるのか無いのかわからない街、大都市アネーロである。
――大通りの見える路地で、酒を飲む男がいた。
「んぐ、んぐ……プハーッ! 死んだ顔して通勤中のビジネスマンどもを肴に飲むのは、最高だぜ!」
男はホームレス。ダンボール紙が敷き布団だ。夜は寒いが、男にはこの生き方が合っていた。
「さて、今日もなんか手伝って日銭を稼ごうか――ん? 何だ?」
路地の奥から物音がした。
野良猫や野良犬なんかどこにでもいるし、本来気にすることはないのだが。
どうにも、聞いたことの無いような音。
「……おーい? 誰か、穴でも掘ってんのかぁ?」
男にはそんな音に聞こえた。
別に誰かがどこかに穴を掘っていたところでどうでもいいのだが、遭遇するのは初めてなので少し不安なのだ。
「ア"ァ……」
「は?」
呼び掛けが聞こえたのか、掠れた声が返ってくる。心配になってきた男は、
「どうした? 手伝おうか?」
路地の奥へ、暗い方へ暗い方へ。
声の持ち主が何か困っているのか、百聞は一見にしかずと近づいていく。
まだ相手の姿は見えないが、
「……ん?」
何かに、足首を掴まれた。
掴まれた感覚としては人間の手に近いのだが、恐ろしいほど硬く、まるで死体のように冷たく――
「えっ……?」
見てみれば、その手には皮膚も肉も無い。
骨しか無いその手の持ち主が、
「カ"ァッ」
「うお!? いっでぇ!」
すごい勢いで足に噛みついてきた。
意味不明な相手の行動に怒りと恐怖を覚えた男は、暗闇の中で噛みついてきた者を蹴飛ばし、急いで大通りへ出た。
「おいおい、血ぃ出てるじゃねぇか……なんか熱いし、とりあえず病院行くか……」
大通りに赤い足跡を付けながら歩く男だが、数歩進んだところで急激に体調が悪くなってきた。
目眩で方向感覚を失い、ぼやけた世界の中で、男はわけもわからず倒れた。
たくさんの人が行き交う。倒れる男を見て見ぬフリしながら、彼を避けて歩いていく。
――男は死んだ。
でも、誰もそれに気づかない。
いや、気づきたくないのだ。
気づいたら面倒なことになる。
医者を呼ばなきゃいけない。会社に遅刻する。約束に間に合わない。
だったら、気づいていないことにしておこう。
彼は可哀想だが、他の誰かがきっと助けてくれるさ。
◇ ◇ ◇
「隊長! ニック隊長!」
「おい、どうして戻ってきた。交渉は上手くいかなかったのか? プレストン」
軍用車両が、とある学校を取り囲む。
なぜならその学校には今、武装集団が侵入し生徒たちを人質にし――いわゆる『立てこもり事件』が発生しているからだ。
「『丸腰だ』と念を押したんですが……信用を得られなかったようです、チクショウ」
「そうか。警戒心の強えこった」
特殊部隊『P.I.G.E.O.N.S.』は現場に到着すると、真っ先にプレストン・アーチが犯人との交渉に望んだ。
が、失敗に終わったようだ。次の手を考える隊長ニックにプレストンは、
「その代わりこの無線機を渡されました。『お前のとこの隊長と話をさせろ』と」
「俺を指名だあ? 舐めやがって……貸せ」
なぜか犯人から呼ばれてしまったニックは、プレストンから無線機を受け取る。
無言で様子を見ていたニードヘルも首を傾げ、
「どうしてアンタなんだろうね? アタシたちは軍のお偉いさんとは違うってのに」
「わかってねえ奴は多い。軍の組織体系から外れちまってる『P.I.G.E.O.N.S.』だが、権力があると思われがちだ」
呆れたようにため息を吐くニードヘルは、
「あぁそうだ、ブロッグとリチャードソンはもう少しで来るそうだよ。他の任務が終わったんだね」
「ふん。酔っぱらいの乱闘を止めるくらい、あいつらなら数分もかからねえだろうよ……ホシと話すぞ」
ニックは防弾ベストを鬱陶しそうに整えながら、無線機を操作。
目では学校を全体的に観察しながらも、口は無線機にしっかり近づける。
「ご機嫌麗しゅう、アホンダラども。俺がニック・スタムフォードだが」
《……本当か?》
「嘘をついてどうすんだ。学校のガキどもを死なせねえのが俺たちの仕事だってのに」
《……いいだろう》
あくまで冷静で冷徹な声で話そうとしている、無線越しの犯人の男。
しかしニックにはわかる。『ニック・スタムフォード』という有名人を相手に、少しだけ萎縮し声が震えていると。
「知ってるぞ。てめえら銀行強盗やらかしてから、そのままの流れでここに来たんだろ。それが俺に何の話だ?」
《俺たちは大金を持ってこの街を出るんだ……だから、逃走用の車と、30億の金を寄越せ。要求はそれだけだ》
「おいおい。たんまり強盗したってのに、まだ金を出せと? 盗人猛々しいとはこのことだな」
《っ、黙れ!》
「そんなに金稼いでどうすんだ、まだ若えだろ? 生き急いでも良いことなんかありゃしねえぞ」
《黙れと言ってる! ……そうだ、外の軍人や警察どもの銃をしまわせろ!》
「ん? まあ良いが」
ニックは高く掲げた手で武器をしまうようにジェスチャー。
それを見た者たちは一斉に構えていた銃を下ろし、手に持っている武器を隠す。
「武器は全員しまったぜ」
《よし。じゃあ車と金だが……用意できるな?》
「…………」
《……聞いてるのかオイ!? 車と金だ! 用意できるのかできないのか!?》
「…………」
《ガキを殺すぞ! 答えろ!》
「……うるせえな。まあ待て」
《待ってられるか!!》
突然犯人からの問いに答えなくなったニックの目線の先には、ジャスパーという男。
彼は『P.I.G.E.O.N.S.』の中でも『突撃』に秀でていて、常にゴーグルを着用し目線を隠す、オールバックにした茶髪のロン毛が特徴の隊員だ。
彼のサムズアップは間違いなく、ブロッグとリチャードソンが到着し戦闘配置についたという報告だろう。
無言でジャスパーに頷いてから、
「……車ならいくらでもある、用意できるだろう……だが金の方は話が別だ。3億だったか?」
《30億だ!》
「じゃあ出血大サービスで……5億ならどうだ?」
《ふざけるな30億だ! それ以下は認めない》
おどけるニックと焦り怒る犯人のやり取りに、ニードヘルとジャスパーが笑いそうになっている。
しかし立てこもり事件の現場で笑うのは不謹慎だ、二人とも頑張って声を抑えていた。
それを見ているとニックまで吹き出しそうになるので、とにかく喋る。
「弱ったな……そんな大金を動かすのは簡単なことじゃねえんだが」
《嘘だ! 天下の『P.I.G.E.O.N.S.』だろうが、お前は『ニック・スタムフォード』だろうが!》
「言ってくれるじゃねえか。今度、俺の給与明細でも見せてやろうか。驚くぞ」
《ふざけるなぁ!!》
「「ぶはっ!!」」
とうとうニードヘルとジャスパーが吹き出したところで、犯人も疲れてきたらしく、
《ぜぇ、ぜぇ……30億用意しろ! それと、これから15分ごとにガキを一人ずつ殺してくからな!》
ブツリ、と通信は切られてしまった。
一見すると最悪の終わり方のようだが、ニックは余裕の表情で、
「ブロッグは侵入したか?」
まだブロッグの姿も見ていないが、彼ならもう動いていると確信を持ちながらジャスパーに問う。
「おう、お疲れさん隊長! ブロッグなら換気ダクトから入ってったぜ。一応『幻夢草』の試作品持ってな。ほら、例のアレだよ」
「アレか。おいニードヘル、リチャードソンは?」
「あっちのビルの屋上で狙撃準備完了だとさ」
「上出来だ」
整いつつある状況に、ニヤけるニックは彼なりの最上級の褒め言葉『上出来』を使う。
そんな彼を信じられないかのように、プレストンが走ってきた。
「何が『上出来』ですか隊長! 犯人を逆上させたんじゃないですか!? 子供たちが殺されたらどうします!?」
「……聞こえなかったのかプレストン。ホシは最後に『15分ごとに殺す』と言った。怒らせてるようで、上手く調整してんのさ。俺は」
「な、納得いきません! ブロッグさんに、『幻夢草』の成分をバラ撒くように指示を出してください!」
汗を頬に伝わせながら、ニックに向かって叫び散らすプレストンに、
「――アホンダラ!!」
「ぐふッ!」
ニックは愛のある拳を叩きつける。横っ面に食らったプレストンは仰向けに倒れた。
「アレは試作品だろうが……バラ撒くってこたあ、ガキどもや教師どもも霧を吸うことになる」
「ぅ……そ、そうですが……! 実験を見たでしょう!? アレを使えば何よりも安全に……」
「意識が朦朧とし幻覚が見えるだけなら良いが、それ以上の効果もあり得る。まだ研究が進んでねえんだからな。ガキが一人でも死んでみろ、てめえは親にどう謝罪する?」
「く……!」
「ブロッグは本当に行き詰まっちまった時のため、つまり最終手段で持ってっただけだ。今回は使わずに済ませるべきだろうが」
まだ納得いかないらしいプレストンはニックを睨みながら鼻血を拭き、立ち上がる。
彼の背後からハントが心配そうに駆け寄ってくる。
「に、兄ちゃん? 何かあった? 大丈夫?」
「……うるさいぞハント! いいよもう、どうせ……どうせ俺が間違ってるんだから!」
「兄ちゃん……」
ハントの心配すら振り払うかのようにプレストンは下を向いて歩き去った。
兄の背中を悲しそうに見るハントの肩に、ニックは手を置き、
「悪いな。てめえの兄貴とは後でちゃんと話をする。ハント、てめえはこの無線でホシと喋っていろ」
「え、俺ッスか? 口下手ッスけど……ニック隊長はどうすんスか?」
「話す内容は何でもいい、俺や兄貴の愚痴でもいいくらいだ。気を逸らせればな……その間に俺はジャスパーと一緒に攻め込む」
「えぇっ!? 色々と危険じゃないッスか!?」
「ブロッグもリチャードソンもいる……どうにかなるさ。行ってくる」
歩き出すニックに、驚きの視線を向けるハント。
さっきから歩き去っていく先輩たちの背中ばかりを見せつけられているハントに、
「気にすることはないよ、坊や」
「ニードヘル先輩……」
優しく微笑んで声を掛けるのはニードヘル。
大人のお姉さんっぽく頭を撫でてくれる彼女に対し、ハントは不安そうな顔をする。
「あの、先輩……気を逸らすって割と大役だと思うんスけど、俺でいいんスかね?」
「えらく弱気じゃないか、珍しい。でも珍しいのはアンタだけじゃなく、隊長もだよ」
「へ?」
「アンタに任せたじゃないか。今まであまり無かっただろ……アンタも信頼を獲得し始めてるんだよ」
「……そ、そッスかね……」
男臭い『P.I.G.E.O.N.S.』の紅一点に励まされ、ハントは意気揚々と無線に向かって話し始めた。
ニードヘルは念のため外で待機となった。
そしてニックとジャスパーはハントが話すと同時、学校の裏から侵入に成功していた。
◇ ◇ ◇
路地の奥にて何者かに噛まれ、大通りで突然死してしまった男は――蘇った。
ふらふらと立ち上がる。ここは変わらず大都会で、忙しそうな人々が男の横を通り過ぎていく。
男の双眸が、開けっぱなしの口から覗く歯が、おどろおどろしい紫色に染まっていても。
誰も、目もくれず次々通り過ぎるのだ。
そして一人のスーツ姿の女性が通り過ぎようとした。
死者が女性の手を強く握った。
「痛っ! ちょっと、何すんの!?」
「ァア"」
「うわ気持ち悪っ! 警察呼び――」
「カ"フ"ッ」
「――ます、から、ね……?」
もう命を失っている化け物が、女性の厳しい言葉にも反応するはずがなく。
女性の首元に噛みついた。
「ぃやあああああああああ――――っ!!!!」
飛び散る血。轟く悲鳴。
その女性が叫んだ、まるで金属音のように高く鋭い断末魔。
それは大都市アネーロの平和ボケを吹き飛ばす、終わりの始まりの合図であった。
◇ ◇ ◇
――学校の廊下を走るニックとジャスパー。
「いっけね! 時間ってのはあっという間だな、ガキ殺されるまであと5分だぜ!」
「ハントが喋ってる最中だろうとホシは殺すだろうな。だが間に合う、大丈夫だ」
「……あー、ところで隊長?」
走りながらも息を切らさない二人の、焦っているようで実は余裕のある会話。
ジャスパーが宝石でキラキラ光っている腕時計を見てから、心配そうな顔でニックを見てくる。
「マジであんた突撃していいのかよ?」
「なぜ聞く?」
「いや、だって……奥さんの腹には子供……」
「ジャスパー」
「は、え、はい!?」
話の先を許さないニックの一言に、猫背気味のジャスパーが驚いて背筋を伸ばした。
「……俺は『家庭より仕事を優先する』と……あいつに言ってから同棲し始めた。問題無えんだよ」
少しだけ俯いてしまったが、ニックは走りながらそう答えた。
「あ、そっか……」
それ以上問い詰めることもなく、ジャスパーは納得して頷いていた。
「それとな。まだ正式には結婚してねえ」
「マジ!? 生まれたらすんの!?」
「おい。私語は程々にしろ。もう現場の教室に着くぞ」
「すまん」
その教室に入るためのスライド式のドアが見えてくる。足音を殺してその両サイドに待機する二人。
部屋の中からは犯人の喋り声が聞こえる。ハントの仕業だろう。
ニックが手で指示を出すと、ジャスパーが耳に装着した通信機に向かって小声で喋る。
「こっちは位置についたぜ。ブロッグどうだ? お前も行けるか」
《私も犯人たちの頭上だ。オールグリーン、と言いたいところだが……》
「どったの?」
《いや、すまない。こちらのことだ。リチャードソンに直接言うから気にしないでほしい》
「あー……おけおけ。んじゃ10秒後突撃で」
《了解した》
10秒後、という文句を言われそうな残り時間でもブロッグは余裕の返答。
きっと今リチャードソンに指示を出しているのだろう。
「そうだ隊長、犯人殺す?」
「ガキとの距離による」
短く最後の会話をすると――通気口のフタが落ちる音。ブロッグが床に降り立ったのがわかった。
「行くぞ」
その直後ニックがドアを蹴破り侵入、ジャスパーもすぐ後に続く。
子供たち、そして机や椅子は部屋の端に集めてあった。
だが――犯人と子供たちの距離が近い。生け捕りは無理がある、と隊員たちは考えを統一した。
四人の犯人たちはドア側を向いていた。
背後に落ちてきたブロッグに振り向こうとしていたが、振り向ききれずにニックたちの方を向く。
ブロッグが、彼から最も近い一人の敵の心臓を撃ち抜いた。容赦は無い。
次に近い敵は、なんと子供を一人捕まえて銃を突きつけていたのだが、
「ぶ」
どこからか飛来した銃弾に脳みそを撃ち抜かれた。
――ブロッグがリチャードソンに頼んだのはこれだったようだ。状況に応じて狙撃ができるよう準備をしてもらっていたのだろう。
ドアの方に近かった一人の犯人は、すかさず銃を取り出した。
だがジャスパーの二丁拳銃さばきによって胸と頭を正確に撃たれ絶命。
最後の一人は――無線機で喋っていた相手。奴はすぐに無線機をしまい、人質の子供の中に飛び込んだ。
そのままニックに向けて数発撃ってきた。
子供が近すぎる。誰も奴を撃てなかった。
「ちっ――」
ニックの左肩を銃弾が掠める。鋭い痛みに舌打ちしながらも、ニックは走る足を止めない。
「くそぉぉぉ」
突っ込んでくるニックに絶望感でも覚えたか、泣き叫ぶ犯人。
ニックはそいつの懐に飛び込んだ。
どうにか相手の腕を取り、銃を持つ手を高く掲げさせると、
「ナイスぅ!」
と叫んだジャスパーが銃撃、敵の手から銃を弾くことに成功する。
「どらあっ!」
ニックは子供たちから遠ざけるため、犯人を教室のど真ん中に投げ飛ばす。
「うげぁ」
床に転がった犯人は体勢を直そうとするが、焦って上手くいかない。
チャンスと見たニックが確保のため駆け寄ると、
「ま、まだだぁっ!」
「がっ」
火事場の馬鹿力だろうか、素早く立ち上がった犯人がニックの横っ面に大振りのフックを入れてきた。
だがニックは怯まず、
「う、うお!?」
振り抜かれたままの犯人の右腕を、両手でガッシリと掴み、強引に背負う。
そのまま数歩移動して、
「はっ、はな、離し――」
「うおおおおお!!」
「ぎゃあぁぁぁ!?」
机に向けて背負い投げをすると、机は割れ砕け、犯人の背中は床に叩きつけられることとなった――
気を失った犯人を見て、ニックは葉巻とライターを取り出す。
「ああ痛え……今回は粗削りが過ぎたが、ガキは全員無傷のようだな。後で反省会だ」
あまりに乱暴で雑な作戦でも、肩に怪我を負っていても、葉巻を咥えるニックはどこか輝いていた。
◇ ◇ ◇
――――そう、あの時までは。
「何だァ!? てめェ、助けに来たんじゃねェのかよ! 何のために来やがったァ!」
「……助けようとしてるよ。ただ、無条件ってわけにはいかないだけ」
今となっては部下だったプレストンに生け捕りにされ、臭くて汚い地下牢に閉じ込められ、挙げ句の果てには二人の若者に自分の命を預けている。
堕ちるところまで堕ちた。
「謝罪しろ、ニック。それだけでお前は外に出れるんだから安いもんだろう?」
鉄格子に顔を押し付けて、脅迫のように言ってくるホープ。
地べたに座るニックは意を決し、
「……ああ、悪かったよ」
「それじゃ足りない!!!」
ガシャンッ――と鉄格子を殴りつけるホープに、ニックは小さく舌打ちをする。
「じゃあ、どうしろと?」
「態度がデカいな、おれの気持ちを考えろよ……土下座だ。額を地面に押しつけて、しっかり『すみませんでした』と言え」
「なっ!? てめェ、青髪! 時間がねェと言ってんだろうが!」
「君は大げさすぎるよナイト。普通こんなの数秒と掛からない」
「あわわ……!」
睨みつけるニックに少しも怯まないホープ、脅迫されるリーダーを見て焦るナイト、あたふたしているだけのジリルテア。
カオスを極めていくこの状況で、
「ぐふっ!」
奇妙な音が出る。
発したのは、現在進行系で閉じ込められている――
「だあーーーっはっはっはっはっ! くっくっ、ぐあーーーっはっはっははは!」
ニック・スタムフォードだった。
滅多に笑い声など上げない男だ。
ニヤつく顔くらいしか見たことのないホープやナイトは、彼の豪快すぎる笑い声にどこか不気味ささえ感じ、戦慄を覚える。
「てめェ……なんで笑ってんだ……」
「はっはっはっ……ああ? 何だよナイト、くくっ、笑うのに理由がいるのか?」
「いや、そうじゃなくてよォ……」
完全にドン引きしているナイトに、もはやニックは開き直って答える。
「面白すぎて笑えてきちまっただけだ――ホープ・トーレス、てめえがな」
「おれが?」
「そうだ。てめえは本物のアホンダラだ。この俺に土下座を要求するなんざ、歴史上に類を見ねえアホンダラってもんだ……」
座っていた状態から立ち上がり、ニックは体勢を整えて腰を下ろす。
――両膝が、地面に着いている。
正座の姿勢からニックは少しずつ腰を折っていき、両手も地面に着ける。
「……『すみませんでした』」
額を、地面に押しつけて。
自慢のリーゼントが折れ曲がって。
無様にも程がある醜態を晒して。
――ニック・スタムフォードは謝罪した。
「……ッ!」
「す、すごい……」
ナイトとジリルテアはそれぞれの脳内で、募らせていたニックという男のイメージを崩壊させる。
まさかの状況。ナイトなど、絶句してしまったくらいである。
「へぇ……謝ることできるんだ、お前」
ホープはジリルテアから鍵束を受け取ると、未だ額を地面に擦りつけているニックを嘲りながら牢屋の鍵を開けてやった。
音を聞いたニックは、ゆっくりと体を起こし、立ち上がる。
無言で牢屋から歩いて出てきて、そのままホープの横を通り過ぎ
「随分、好き放題やってくれたなてめえ――このままで終わる俺じゃあねえぞ」
「……!」
今度はホープが、ニックに脅迫される番だった――いやおかしい。
元々ホープが痛めつけられたからこそ土下座させたというのに。これでは無限ループじゃないか。
たぶん文句を言っても何も変わらないだろうが。
「ま、待ってくれ……! 外では何か戦いが起きてるようだが、じっとしてられない!」
そこに、一人の男の声がする。
どうやらニックの牢の隣の牢に、同じくぶち込まれている男のようだが……
「俺はイーサンだ! ニックさんと仲間たち、頼む! 娘と妻に会いたいんだ、出してくれ!」
イーサンと名乗るその男。
どうやら囚われている間にニックと話していたようだが、ホープやナイトとは何の関係も――
「いや、イーサン・グリーン……そうだ、サナのお父さんか……!」
風船を取ってあげた少女、サナ。彼女の暮らしている幸せそうな一般家庭のグリーン家。
なぜイーサンが捕まっているのかわからないが、ホープがそこにようやく思い当たると、
「そいつは恐らく悪人じゃねえ。出してやるといい、ホープ」
ニックもそう言い、当たり前のようにホープに命令を下すのだった。
「さあて、外の状況を聞かせてもらおうか。場合によっちゃあ、プレストンとその部下ども皆殺しだ」




