第10話 『急浮上』
ぼんやりと、少年は空を見ていた。
原っぱの上で横になって、どこまでも広がる青色と、たまにやってくる白色を、ただ見続けている行為。
それに理由をつけるなら、流れる雲を見ていると勝手に時間が過ぎてくれるからだろう。
もっとだ。もっと暗くならなければ、家に入れてもらえない。今日は少し寒い。まだ昼だ、あと何時間だろう。
通りかかる村人たちの凍てつく視線に、もう耐えられない。毎日のことなのに、やっぱり毎日辛い。
自分は好きでこんな『眼』を持っているんじゃないのに。誰かが自分を受け入れてくれるなら、一生懸命に働こうとするのに――
「ホープっ」
「……え?」
突然呼ばれた。
誰かは察しがつく。いや、候補は一人しかいないのだが。
「……ソニ」
「えへへー、また雲みてるの? 私もみるー」
視線を向けずに名前を言ってみると、図星。一択クイズのようなものである。
ホープより三つほど幼い少女――ソニはホープの隣に並ぶように寝転んだ。天使のように無邪気な笑顔で。
「毎回言ってる気がするけどさ、もうおれに近づくのやめた方がいいよ? 君のお母さんにも絶対気づかれてるし……」
「『気がする』じゃなくてホントに毎回だよ、もう聞きあきたー! あと『君の』じゃなくて、『おれたちの』お母さんでしょ?」
本当に、優しい子だ。
しかしダメだ。やはりこの子は真っ直ぐすぎて、ホープの置かれている状況をいつまで経っても理解できない。または理解しようとしていない? それとも理解していてこの態度を――
「ねぇ、今日はさ、おいかけっこしない? 二人しかいないけど、それっていつもどおりだし」
「おいか……何?」
「『おいかけっこ』だよ! え? ホントにしらないの?」
「だって、やったことないし……友達がいる君とは違うんだよ、おれは」
――待て、追いかけっこだと?
「どんな遊びか説明するとー、とにかくユーウツな気分がふっとんでっちゃうような遊びだよ!」
「『説明』って言葉の意味は知ってる……?」
――やめろ。ソニの提案には乗るな。
「やってみたほうが早くわかるよ!」
――やめろ。
「はぁ……じゃあ、やってみようか……」
――やめろ!
◇ ◇ ◇
「おい、いい加減起きろガキ!」
「……うわあぁっ!! やだやだ、行くなソニっ、ソニぃぃぃぃ!!!」
「うお!?」
夢の世界から急浮上するまま、ホープは手を伸ばしながら飛ぶように起き上がる。傍らにいた男が驚いて尻餅をついた。
「起きた途端にうるっせぇなぁ! オラッ!」
「ぶっ……!?」
眉間にぐっと皺を寄せたその男は、立ち上がって突然ホープの顔面を蹴りつけた。
何という激痛。幸いにも鼻が折れたりはしていなさそうだが、充分酷い経験になったと思う。
――それに、自分の過去を再び見せられるような悪夢に比べてしまうのならば、それほどでもない痛みだ。現に自分の全身はもう汗でぐっしょりである。
この一年、何度も同じような夢を見てきた。いくつかの呪縛がローテーションでホープを襲ってくる。
自分はいつになったら解放されるのだろうか、死ねるのだろうか。
「ったくよぉ、初日から面倒臭そうなクソガキだぜ……これ以上俺らに迷惑かけんじゃねぇぞ!?」
「……あれ。ここは……どこだ?」
蹴られたおかげでようやく意識がはっきりしてきた。
見回してみれば鉄の格子がある。ここはいわゆる牢屋ではないか。
白骨死体と銃があったあの小屋よりも、薄暗くてカビ臭い。床も触覚的に冷たく、壁も天井も、そもそもこの場所全体が視覚的にも冷たい。
自分に対して、よくもまぁこのような場所で眠れたものだ、と感心してしまう。
「……? あの、ここはどこ?」
一応質問をしたつもりであったから、いつまでも答えない男に追撃。
「お前なぁ、まだ自分の立場わかんねぇのか? ここはどう見ても檻の中だろ!? 檻の中に閉じ込められんのはどんな奴だ!? 言ってみろ!」
答える義理もない、男はそんなような厳しい表情でホープを見る。
ホープの住んでいた村には、監獄だとかそういう建物はもちろん存在しなかった。でも絵本やちょっとした小説なんかで読んだことがあったから、何となく理解はしている。
「囚人……? とにかく悪いことをした人だと思う……でも」
それでは話がおかしい。最近のホープが誰に悪事を働いたのか。過去には色々あったが、それはホープの中にしか残っていない呪縛。
今回のこれはまず間違いなく別件だ。目の前の男にも、洋館で自分らを襲ってきた男たちにも見覚えなどは――
「あ」
思い出した。後頭部を触ってみると、雑に包帯が巻かれている。
ホープ、そしてレイとケビンは洋館内で謎の男たちの襲撃に遭ったのだ。あの時に気絶したが、その結果がこの状況なのだろう。
腰の短剣も背負っていたリュックもない。
いずれにせよ洋館内にはとても見えないが、いったいどうなって――
「悪いことをした奴とかが、捕まってぶち込まれる……ってか、こういうとこに入ってんのは常に『立場の弱い奴』だろ? お前が悪人かどうかは俺らも知らねぇ……あーうざってぇ! マジなところ、どうでもいいんだよなぁ、お前なんてよ!」
「……!」
どうでもいい。そう言い切った男の後ろから、また何人かの男が現れる。ホープはそんな光景に戦慄するしかなかった。
「お前は今日から人間じゃねぇからよぉ、ただの『労働力』だからよ! ぎゃは、ぎゃはははは!!」
大口を開けて笑う男の後ろで、不気味にほくそ笑む男たちの持ち物。それは、
「早くこの作業服に着替えろよ、労働者と指導者を簡単に判別するためにな! ああ、替えはねぇから一生これ着て働けよ!?」
ツナギのような灰色の服。ところどころ破けたり汚れたりで、囚人服どころかボロ雑巾と言われても信じられるみすぼらしさ。
「ほらよ、これ朝食な! この先こんな豪華な食事は出ねぇぞ!? 特別メニューだから感謝しろ!」
床に直接置かれる朝食。濁った水がコップに一杯、そしてカビの生えたパンが一つ。
「少ねぇと、汚ぇと思ったか? 外で生活してたんならこんくらい当たり前だろ!? これから地下の採掘場に連れてくが、休憩時間外に少しでもサボったら……こうだからな!!」
血が付着したままの、見るも恐ろしい鞭。
男の一人がその凶器をしならせ、一瞬にして水の入ったコップを破壊。飛び散った水がホープの顔を濡らす。ホープの、恐怖に染まった顔を。
「え、あ、何……どういう流れで……? あ、あと今ので水がなくなったけど……」
「あぁ!? 甘えたこと言ってんじゃねぇぞ!!」
「う、ごっ!?」
震える声で弱々しく文句をつけると、男の一人がホープの背後に回って後頭部を鷲掴みにしてくる。そのまま顔面を冷たい床に叩きつけられた。
今度こそ鼻血が流れる。しかもガラスのコップの破片が、押しつけられる頬に刺さっている。何という苦痛だろう。
「ようこそ『エドワーズ作業場』へ。ここは領域アルファはバーク大森林のどこかにひっそりと構える、スケルトン一体たりとも介入できねぇ閉ざされた地獄! 歓迎するぜ……青髪のクソガキ」
いいや、本当の苦痛はここからである。
――痛いのも苦しいのも人一倍嫌いなホープにとって、まさに地獄の日々が始まろうとしていた。




