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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第三章 『P.I.G.E.O.N.S.』問題
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第118話 『風船』



 ――エンに言われて建物から出たホープは、華やかで賑やかな通りに出る。

 まるでお祭りのような綺麗な飾りが頭上に見える。通り全体に飾られているようだ。


 あちこちで住民同士の雑談が展開され、大事そうな会議もあったり、鍛冶屋が作業していたり、材木を運んでる人がいたり、畑を耕す人もいる。


「やっぱりおれは……こういう所には向いてないんだな……」


 賑やかすぎる。

 和気あいあいとした空気。


 ホープは結局のところこういう『明るい雰囲気の場所』に混ざると、全身がむず痒くなってくる。

 特に、楽しそうに過ごす知らない人たちの中を一人で歩いていると、自分の故郷の村での日々を思い出して寒気がしてくるのだ。


 近くの建物の壁に背を預け、さっきまでお邪魔していた大きな建物を見上げる。

 あれも一応、木造ではあるようだ。五階建てくらいに見える。


 応接室があったことから、あそこはこの町の中心を担うのだろう。エドワーズ作業場でいうところの『本部』か。


 気になるのはあの建物の周り……いやよく見ると、この町の至るところの地面に散見される『線路』のようなもの。

 列車でも通るというのか? おかしな話だ。


 大きな建物や町全体の観察をさっさと終えた後は、


「いて……」


 ギリギリ血が出ていないだけで、かなり痛む側頭部を押さえる。


 ニードヘルとかいう女に蹴られた部分だ。

 あの動きの素早さは常人の域を超えていた……ようにホープには見えた。

 だが特殊部隊である『P.I.G.E.O.N.S.』に所属していたところを考えれば、やはりそこらの一般人とは一線を画す何かがあるはずなので、まぁ強いのだろう。


 そうやってずっと下を向いていたホープだが、


「……ん?」


 ふいに色鮮やかな何かが視界を横切った気がして、顔を上げる。

 ――黄色い風船が、ふよふよと漂っている。


「…………」


 緩やかな風に乗って、ゆっくりと上昇を始める風船。このままだと壁を越えて町から出ていくルートだろうか。

 だが、どうでもいい。興味ない。


 また視線を地面へ落とそうとすると、



「だれかぁー! それ取ってぇー!」



 少し離れた位置からそんな声が聞こえてきて、なぜかホープは弾かれたように歩き出し、


「あ……」


 なぜか、風船の紐を掴んでいた。

 自分がどうして風船など捕まえに行ったのかわからず、その黄色いボディを目線と同じ高さまで持ってきて、まじまじと見る。



「あーっ! 取ってくれたの!?」



 正面からまた同じ――少女の声が聞こえ、風船をどかす。

 次の瞬間ホープの目に映ったのは、こちらへ走ってくる8歳くらいの幼い女の子。


 その子は勢いを落とさず、



「おにいさん、ありがとーっ!」


「……えっ」



 無邪気に、無遠慮に。

 その子は長い茶髪を揺らしながら、ホープに抱き着いてきた。


「パパからもらった『ふわふわちゃん』なの! でもすぐいなくなるから、わるい子っ」


「あ、あぁ……」


 ちょっと丸っこくて愛らしい顔だが、よく見るとかなりパーツが整っている美少女は、ホープから風船を受け取って。

 『悪い子』な風船をつねろうとしているが、ツルツルでパンパンだから、つねられていない。


 ――ホープは、呆気にとられていた。


 ――この荒廃した世界に、ここまで純粋無垢な物体が存在していたのか。

 というか、存在しても大丈夫なのか?


 『物体』とは言ったが、それは風船のことではない。

 たった今、ホープの目の前で、一切の邪気も無く風船と戯れている少女のこと。

 ピュアすぎて、ホープの脳は彼女のことを同じ『人間』として処理しようとしないのだ。


 ここまで幼く、ピュアだと、どうにもホープはとある異母兄妹を思い出してしまうのだが――


「そーだっ! おにいさんのこと、パパに紹介しよっと! きてきてー!」


「え? あっ、いやちょっ……」


 ホープが相変わらずトラウマに苦しめられそうになったところを、すくい上げるかのように少女が手を握ってくる。

 小さくて柔らかくてかわいい手の温もりが、ホープの冷えきった手を包みこみ、引っ張る。


「パパもすぐ近くにいるよ! にひっ」


 ホープを引っ張って走っている最中、少女は意味も無く振り返ってきて、歯を見せたかわいい笑顔を振りまいてくる。

 どうしよう。単純に嬉しい。


 ついさっきまで荒んでいたホープの心も。

 ずっと蝕まれていた、ニードヘルに蹴られた側頭部の激痛も。

 ……少女に強引に引っ張られて、どこへやら。


 そこに、


「サナ!? おい、サナどこに……いた!」


 少女の父親と思しき40歳くらいの男が、人々の合間を縫って現れた。

 父親はすぐにホープに気づき、逆に娘を――サナを見て、


「誰だその人は! 困った顔をしているだろ、イタズラも程々に……」


「パパ! このおにいさんはね、『ふわふわちゃん』を取ってくれたんだよ!」


 父親は今度はホープの方を見て、


「おお、そうなのか……それはありがとう。だがそこの君……下心があったわけじゃないね? 俺の大事な娘に」


 いきなりムッとした表情で見てくるではないか。

 サナに手を離してもらったホープは、両手を彼に向けて振り、


「違うよ。おれは飛んできたふうせ――『ふわふわちゃん』を偶然掴んだだけで」


「ほう……そうかね……」


 顎に手をやる父親は、ホープが『幼児に欲情するタイプの人間』ではないかと疑っているようだった。

 ホープには全くわからないが、自分の子にそんな感情を向けられたら、やっぱり『親』というのは人一倍怒ったりするのだろうか?


「パパが、なんかヘンだよ。どうしちゃったのかなー、おにいさん?」


「さ、さぁね……」


 ホープの横に並び立つサナは傾げた頭を、身長差の問題でホープの腰辺りに乗せる。

 父親は娘のその態度に観念(?)し、


「まぁいいか。俺はイーサン・グリーン。この子はサナ、我が自慢の娘だ」


 少し暗めの短い茶髪と、多少の顎髭のある、いかにも普通の人っぽい男――イーサンと、握手を交わす。


「……おれはホープ」


 不要か――とは思ったものの一応ホープも名を名乗っておく。

 と、


「あら……あなた。サナもここにいたのね」


 通りの向こうからもう一人、イーサンと同じような歳の女性が歩み寄ってきた。

 この流れや呼び方からして、


「ちょうど良いとこに来たなお前。この男の子はホープだ、サナの風船を取ってくれたらしい」


「あらら、また飛んでっちゃったのね――私はニコル・グリーン。娘がお世話になりました、ホープくん」


 ぺこりと頭を下げてくる、サナの母親――ニコル。美しい茶髪の女性だ。


「い、いやそんな大したことじゃないし……」


 何だか感謝されすぎな気がして、素直に受け取ることができないホープ。

 そんな様子を見てきたニコルは、


「そんなに遠慮しないでいいのよ? それに、疲れたような顔をしてる。大丈夫?」


 ニコルの滑らかな手が、細い指が、ホープの頭から頬をすぅっと撫でる。



「……最近ちょくちょく言われるけど、おれ本当にそう見える……?」



 まぁ、いつも二時間に満たない時間しか寝てなくて、ストレスによる嘔吐が当たり前とあらば、健康的な体とは言えないだろうが。


 静かに見ていたイーサンが咳払いする。


「ごっほん! おい、お前たち……ちょっとその子に構いすぎだな。普段からもっとお父さんのことも甘やかすように!」


「「はいはい……」」


 いつものことだ、と少し呆れたような顔つきになったサナとニコル。


「じゃ、そろそろ家に帰ろうか」


「うん、そーだね! ホープおにいさんまたねー! ぜったい、また会おうね!」


「あぁうん……さよなら、サナ」


 元気良く手を振るサナに、ホープも控えめではあるが手を振る。

 少女は、風船を持つ父親と、母親とそれぞれ手を繋ぎ、楽しそうに帰路へ。

 何も考えていなかったが、この町の住民であろう。それは間違いない。


 なんて――微笑ましい光景だ。



「あれが、普通の家族……ってことなの?」



 幸せそうな家族の背中を見送って、一言。


 あれこそ『普通』なのか、そんなことすらホープには判断がつかないものの。

 グリーン家の三人からセラピーを受けたような気になり、悪くはない心地だった。


「おれには……おれには、たぶんもう、家族は一人もいないけど……」


 この世界のどこを探せば見つかるのか、はたまた探すことさえ無意味なのか。

 何もわからない。行方不明の父親くらいしかいないが、それとすら、会える可能性はゼロに近い。


「でも……」


 ホープは、まだ皆がプレストンたちと話し合いをしているだろう大きな建物を見やる。


「仲間たちが……おれの『家族』になるってことも、あり得るのかな……?」


 おかしな幸せオーラの影響をモロに受けて、何だか人恋しくなってきてしまった。

 でも答えはわかっている。



「何をバカなこと言ってんだよ、おれ。絶対にあり得ない」



 変な気分のホープは、その変な気分を引きずったまま、あの建物へと戻っていくのだった。


 ――屋内へと戻ることは無かったのだが。




「あ、青髪の坊主! 走れ、逃げるんだ! 殺されちまうぞ!」




 必死な顔で走ってくるのは、リチャードソンとメロンだけ。

 エンもニックもいない代わりに、



「逃がすか」



 二刀流を引っ下げた黒いローブの男。

 『四天王』の一人で『オルガ』とか呼ばれていた男が、全速力で追いかけてきている。


「うおっ」


「悪いが、抱えるぞ坊主! ナイトのいるとこまでとにかく走らにゃいかん!」


 ホープを脇に抱えたリチャードソンは、荒い息遣いそのままに走りまくる。

 周囲からは、



「撃て!」


 ドドドドドッ、ドドドドドドッ――――


「うおあぁ!?」

「わ〜っ!」



 無数の銃声が容赦なく鳴り響き、リチャードソンとメロンは、さらに必死の形相となって走るペースを上げるのだった……



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