第112話 『歯には歯を』
「アァ"ッ! ……オ"」
襲いかかってきたスケルトンの首を、右手のマチェテで落としたホープ。
彼の左手には、両足が切り落とされた男の死体があった。
「カ"チ! カ"チッ!」
斬り落とされたスケルトンの生首は、キツネとかいう男の死体よりよっぽど生き生きしていた。
◆ ◆ ◆
「キツネ! おーいキツネ!」
夜の闇に包まれるバーク大森林を、大声を上げながら歩いている太った男。
今探しているキツネという男や、同志たちからはブタと呼ばれている男だ。
見回しながらふらふらと歩くブタの耳に、茂みの揺れる音が聞こえた。
「はっ!? ……き、キツネだろ? 変な冗談はよせ、早くこの肉を持って帰ろう!」
引きつった笑顔でそう持ち掛けるブタの前に、茂みを揺らしていた原因が顔を出す。
それは予想した通りの顔で、
「やぁっぱキツネだったか。ったく、スケルトンの世界でそういうギャグは……」
――キツネの体が全部茂みから出ると両足は綺麗に無くなっていた。
「ひ!?」
浮かび上がったキツネの変わり果てた体が、横へと捨てられる。
そして。
◆ ◆ ◆
「く、来るなぁ!」
キツネの死体の影から飛び出したホープは、右の拳を握りしめ、ブタの顔面へ一直線。
「っ!!!」
「んんぼぉっ!?」
『理性』という名の、邪魔なリミッターが消え去ったホープのパンチ。
それはブタの顔面に容赦無く突き刺さり、彼の巨躯を吹き飛ばして宙に浮かせた。
拳を振り抜いて汗を飛ばす、ホープ。
無様に地面を転がる、ブタ。
「ぶふ……っ! ま、待てお前ぇ! ちょっと……は、話を……」
――だが、これでは足りない。
ホープは殴られるのが嫌なのだ。『痛み』が一番嫌なのだから。
しかし他の人間は違う。こいつらは『痛み』よりも『死』を恐れている。パンチされるのは一番の恐怖ではない。
――つまり、釣り合っていない。
「おれに話をさせなかったのは――」
そして怒りの収まらないホープは、背面に隠していた左手をとうとう解放した。
握られているモノを前へ突き出し、
「お前らだぁぁぁ――――っ!!」
「うわっ、うわぁ何だそりゃぁ!!?」
突き出されたスケルトンの頭が口を開閉させ、
「カ"ア"アッ!」
「やっやめ……「カ"チッ」ぎああぁあああああぁぁああぁ「カ"チッカ"チ」ああああぁぁ「カ"シ"」あああぁぁぁぁああ――」
生首となったスケルトンに顔面を滅茶苦茶に咀嚼されながら、ブタは悲痛な声を上げる。
まるで本当の豚のように高い声で。
彼の、鼻がもげる。
左耳の下半分が食われる。
噛まれた額から頭皮がベリベリと剥がされる。
唇も食い千切られ歯茎が露出する。
終いには、
「……ぇふっ……ぅ「カ"フ"ッ!」ぅうぉ……?」
右の瞼に、紫の歯が食い込む。
瞼のような薄っぺらな皮は、食欲にまみれた化け物にすぐ食い破られ、その先の眼球まで上下の歯が届き、サンドイッチ。
「っ!? ……ぅぅげぁ……っ」
スケルトンに咥えられた眼球。そのスケルトンの頭蓋骨をホープが強く引っ張る。
「ぁぁぁぁああ!!?」
大量の鮮血とともに眼球が眼孔から離れていき、根っこのように視神経が伸びてくるが、
「っ」
ブチブチッ――と簡単に引き千切られる。
その瞬間、命の糸まで千切られたかのようにブタが地面へと力無く倒れ込んだ。
スケルトンの顎に捕らわれた眼球は、
「カ"アッ」
噛み潰され、爆散した。
◆ ◆ ◆
一仕事、いや二仕事終えたホープは額から噴き出した汗を拭う。マチェテを仕舞う。
復讐にずいぶん貢献してくれたスケルトンの頭を地面に落とし、踏み潰す。
近くにあった木の幹に、背中をつけて。
「……はぁ」
そのままズリズリ……と下に落ち、地面に座る。
自分の体を見てみる。
――二人分の返り血で、両手どころか上半身全体に赤黒いシミができていた。
きっと顔も、今拭わないと大変なことになるだろう。そのくらいキツネとブタを激しく殺したのだから、ホープは。
ああ、忘れてた。
ホープは落ちていた小さな袋を拾い上げる。
「肉の袋が無きゃ……エンが殺されるんだったっけ」
ニックから言われていたことを今思い出した。あくまで彼の指示は『肉を取り戻せ』だけ。
取り戻し忘れたら、殺される。自分だけならいくらでも拾い忘れてやったが、エンも殺されるというのだ。だったらもう期待などできない。
まったく。
ニック・スタムフォードが、まさかここまでホープにとっての障害になり得るとは予測できなかった。
一時期は『殺してくれそう』と彼に好感さえ抱いていたのに。
あの時の感動を返してほしい――
「え?」
エンとニックが待っているであろう場所に戻ろうと踵を返したホープの目に。
「……ニック?」
「よくやった。ホープ」
そのサングラスにはっきりとホープを映す、暴虐リーゼントが。
――彼は拳銃をホープの顔面に向けている。
まさか遂にこの時が?
ホープの顔が、思わず緩む。
狂っているとしか思えないその感情は、ホープの顔を狂喜で歪ませるのだ。
彼が、引き金を引いた。
一瞬のうちに射出される弾丸が、幸せそうな自殺願望者の眉間へと一直線。
「……え?」
ではなく、ホープの後方から何やら物音。
「……なんだよ」
振り返ってみれば、狂人と化したブタが立ち上がってきてホープのすぐ背後まで迫っていたらしい。
足元に奴が倒れているからだ。
「今来たばかりだ。てめえがどんな手段を使ったかは見なかったが……どうやらあの二人組にきっちりケジメをつけ、肉を取り戻したようだなあ」
「まぁ……」
受け答えに一応は応じるホープだが、どうにもニックを見ていると瞼の痙攣が止まらない。
そりゃそうだ。この男が今回の下らないイザコザの仕掛け人なのだから。
「てめえに期待をし、エンは殺さないでおいた。他の奴らと一緒にもう休んでるだろ……」
「お前のしたこと忘れないからな」
「ああ……?」
ニックの喋っている途中に口を出す、しかも暴言という自殺行為。
そう、本来ホープの大好きな行為。
「今のは聞き間違いかあ?」
「いいや。おれが言ったんだ。勝手に試しやがって、いつ、おれは軍人になった? いつ、お前専用の奴隷になった? 冗談じゃない!」
そのせいでホープはここまで疲弊し、痛い思いもした。何もかもニックが余計なことをしたせいだ。
黙っているニックに、
「絶対に忘れないし……絶対に許さない」
という捨て台詞だけを残して、横を通り過ぎていく。また死に損なったホープは、他の者たちが待つ今夜のキャンプ地へ向かった。
◆ ◆ ◆
「お〜っ、ホープじゃないですか〜! 遅いお帰りでしたね〜!」
「……うん」
しゃがみ込んで、焚き火の前に掌をかざすメロンが出迎えてくる。
相変わらずのニコニコ顔で。
少し離れた位置でエンが、死んだように深く眠っている。彼もずいぶん走っていたようだし納得だ。
まぁ何もしていないはずのリチャードソンも、エンの隣で爆睡しているのだが。
「どうして君だけ起きてるの? メロン」
「えぇ〜……ま〜、男が疲れて帰ってきたら、優しく明るく出迎えてあげるのが女の務めかと思いまして〜」
「……そう」
とても心地良い台詞を笑顔――ただし濃厚な闇を纏った偽の笑顔――で言ってくれるメロンの隣に、せっかくだからとホープは座る。
正面の火は温かく、背後にそびえる大岩は安心感を与えてくれる。
隣のメロンはというと、
「すぴ〜……く〜……」
「いやいや、いくら何でも早いよなあ……?」
バタリと倒れ込み、ホープの膝に頭を乗せてきて、一瞬にして入眠。
昼間の不眠症お姉さんコール並みのスピードに驚くホープだが、今はもう、膝に乗っているメロンの頭をどかす気力も湧かない。
――例え、今みたいに彼女のヨダレが垂れてきていても。
「寝たいな……でも寝れないんだよな、どうせ」
体は疲れているから休息を求める。
だが、心は既に疲れすぎていて、休息を断固として拒否してくる。
それに抗って寝ようとすると、余計に疲れるとホープは知っている。
知っているから、ただ後方の大岩に全体重を預けるだけにしておいた。
仕方ない。また完徹か。
今夜もまた、夜通し吐き気と戦うことになりそうである。
ホープがそんな、悲しい覚悟を決めていると。
「……よォ」
思わぬ人物。
――どこからか歩いてきた吸血鬼のナイトが、ホープと少し距離を取るものの、火を正面に大岩を背面に座ったのだった。




