第107話 『鉄製の鳥獣』
「ウ"アァッ……! ク"ォアアア"ッ……!」
木の枝にぶら下がる、狂人。
ぶら下がっているというのは、もちろん自力でやっているわけではない。
太いロープで首を吊られているのだ。
「……はぁ」
それを見て、ため息が出てしまうホープ。
あの狂人の太ももには噛み跡がある。
――きっとスケルトンか狂人に噛まれた彼は、自分の意思で首を吊り、この世から解放された。
が、頭が潰れなければ転化からは逃れられない。またこの世へと引き戻されてしまったのだろう。
「おれはこんな光景を見ても、もう何も驚かなくなった。まったく……嫌になる世界だよ」
自死という道を選んでもなお、強制的に生き返らされ、何の抵抗もできずロープにぶら下がったまま、地面を歩く人間に向かってバタバタ手を伸ばす。
こんな状況が普通に、どこででも、あり得る世界。
まさしく、嫌になる。
――そんな時、
「アアア"」
首吊り狂人を眺めていたホープの背後から、スケルトンが歩いてきた。
呆れた顔で振り返ったホープは、目を疑う。
「鳥……?」
たった今、スケルトンの頭頂部に大きな鳥がとまったのだ。
異様に大きい。猛禽類、というのだろうか。しかし珍しい色をしているが――
「コ"ッ」
「は?」
鳥はスケルトンの頭の上から高速でヘッドバットをし、嘴で頭蓋に風穴を開けた。倒れたスケルトンの頭にまた乗る鳥。
こんなこともあり得る世界だったのか?
いやおかしい。その鳥をよく見てみると、
「何だこれ……機械?」
どう見ても鉄製。
純粋な鉄ではないのかもしれないが、とにかく機械、とにかく人工だ。
緑色の双眸――というかランプがホープをしばらく見つめ、カッと光った。
そして鉄製の翼を広げ、鳥はゆっくりと羽ばたいた。
ホープの方をチラチラ確認しながら。
「ついて行った方がいいのか……?」
呟いてみる。
聞こえたのだろう、鳥は飛行しながら確かに頷いた。
誰か人が操作しているようだ。怪しいが、ホープはついて行くことにした。
◇ ◇ ◇
15分も機械の鳥について行くと、たどり着いたのはキャンピングカーだった。
見覚えありありのその車。そう、ここは廃旅館からも近いのだ。
キャンピングカーの屋根にとまった鳥を横目に、ホープはドアをノック。
すぐに足音が聞こえドアが開き、
「んー? おー、ホープ久しぶりー。カーラの鳥に呼ばれたんしょー?」
「急にごめんコールさん……ってカーラの? あぁ、そういうことか」
白い髪に、相変わらず眠そうな三白眼で迎えてくる不眠症お姉さんコール。
――カーラというのは通信機も自分で作ってしまったという人物だったはず。つまりあの鳥も彼女が製作したのだろう。
気にかかるのは、なぜホープを呼んだのかだが。
「よー、ホープ……顔が怖いぞー? とりあえずコーヒーでも飲んで、ゆっくりしなよー」
用意してくれていたのか、カップから湯気の立つコーヒーがすぐ出てきた。
「ありがとう。でもおれの顔が怖いって」
「くー……くかー……」
「寝るの早っ」
運転席に腰を下ろしたコールは、一瞬にして寝入ってしまった。
仕方ない。ホープはカーテンのシルエットを見た。以前はあの奥でカーラが作業していたが、
「ふぅ終わったぁ……ん? あれ、ホープいたんだぁ……久々だねぇ……」
「えっと、ベドベ?」
「よく覚えてたねぇ……みんな、俺の名前覚えるの時間かかるのにぃ……」
シルエットが二人分あるような気がして困惑していると、ちょうど一人出てきた。
カーテンから出てきたのは、髪の長い幽霊のような男ベドベ。占い師のようなことをしていた人物だ。
「中でカーラと話してたの?」
「そぉそぉ……たまに呼び出されてぇ、占いを要求されるんだぁ……まぁ俺は今……乗り気じゃないんだけどねぇ……求められたらやるよねぇ……」
「おれも鳥に呼ばれて来て――」
「あぁ……この先は面倒だなぁ……俺もう帰るね……」
カーテンのシルエットが動くよりも先に、水晶玉を見たベドベはさっさとドアから外へ消えていった。
そして、カーテンから人影が滑り出てきた。
ローブで全身を隠したその人物は、ズカズカとホープの目の前まで歩いてきて、
「なっ!?」
突然、胸ぐらを掴んできた。
「――おい、てめぇ」
「っ!?」
その呼び方で一瞬、ナイトかと錯覚した。
しかし、そんなはずはないのだ。
ここにはコール以外にカーラしかいないし、声質が完全に女性だし、掴んでくる手は白く滑らかな手だ。
「ジルの友達なんだってなぁ、ホープ・トーレス。本人から聞いてるぞ」
「ジル……?」
全然意味がわからない。
「だったらあいつを助けに行ってやれ、このままじゃ殺されんだよ!」
◇ ◇ ◇
――カーラにキャンピングカーを追い出され、寝ぼけたコールから「お疲れさーん」と言われ。
困っている暇が無い。
ホープは近くを走った。どこへともなく走り回り、運任せでジルを探す。
「何だかよくわからないけど、ジルに死んでほしくはないしな……」
ホープの呟きは、自分の考えをありのまま述べただけのものだ。
別にホープはヒーローなど目指してはいない。感謝などされなくてもいい。
ただ、誰か知っている人が無駄死にする危険性があるのなら警戒くらいしておこう。そんな軽い気持ち。
そして――どうにも『持っている』ホープは、しっかりとブチ当たるのだ。
「ジル……! と、シャノシェ……?」
森の中を歩くジルを、茂みの合間に見つけた。
その直後ジルの後ろに見つけたのは、シャノシェが栗色の長髪を揺らしてついて行っている様子。
――足音を殺しながら、だ。
カーラの言葉を思い出してみる。
「このままじゃ殺されるって……まさか」
シャノシェが殺すとでも言うのか?
……しかし、あの二人に接点なんて、同じ女性であるということくらいしか思いつかないが。
その時、唐突に――気配に気づいたのかジルが後方を振り返った。
バレたシャノシェは歯を食いしばって走り出し、
「うぁぁぁ――っ!」
「っ!?」
跳び上がり、ジルに向かって刃物のようなものを振り下ろす。
ジルは、目を見開きながらも躱した。
「な、なに……? シャノシェ、どうしたの」
「わからないフリして! ほんっと憎たらしいよね、あんたって!」
「え……?」
ジルも、シャノシェの行動の意味を理解できていないようだった。
どうする? ホープは今すぐ飛び込むべきだろうか。
「とぼけないでよ! これでわかるでしょ……ハントくん!!」
「っ!」
「あんたが私から奪ったの、知ってるんだから! 私たち付き合ってたんだよ!?」
「奪う、なんて……」
ジルが驚いているように、ホープもまた驚き、動揺している。
亡きハントがジルのことを好いていたのは当然に知っていたが、シャノシェと付き合っていたなんて。初耳であった。
「このビッチ! 何よ、ちょっと見た目が良いからって調子に乗っちゃって! 私が始末してやる!」
「っ……!」
また刃物を振り上げて走り出すシャノシェ。
――ホープにはわかる。
ジルは刃物なんかに刺されるより、今の『ビッチ』という罵倒の方がよっぽど傷付くだろうと。
目が虚ろになり体が動かなくなってしまったジルを見て、ホープはすぐさま飛び出した。
「待て!」
追いついたシャノシェの肩を強く掴むと、
「何よっ、邪魔するなっ!」
激昂に激昂を重ねたシャノシェが素早く振り返り、
「ぐっ」
ホープの左肩に、小さな刃が突き刺さる。
鮮やかに、静かに血が流れた。
「……えっ。えっ、あんたは……」
「ホー、プ……」
シャノシェもジルも一呼吸置いてから、現れたのがホープ・トーレスだと認識。
青ざめるシャノシェは、すぐに刃物から手を離した。
刺されたホープは、下唇をこれでもかと噛む。噛んで噛んで、そして。
「ふう……っ!!」
「あ……!」
完全に怯えているシャノシェの目の前で、自分に刺さった刃物を抜き取り、さらに怯えさせる。
「これは……メス? 病院で使うものだろう」
「そ、そうだけ、ど……」
見たくもない自分の血がベッタリと付いたメスを、ホープはその辺に投げ捨てる。
眉間に青筋が立っているだろうホープを怖がっているシャノシェに、
「――殺して、何になる!?」
「ひっ……」
本気で怒鳴る。
肩の痛みも加勢して、そのホープの怒号はどこか覇気を纏ったものに。
「言ってみろシャノシェ、このバカ野郎! 恋人寝取られたくらいで、殺し合って何になる!?」
「あ、あんたねぇ……っ」
「っていうか恨むなら浮気したハントか、ジルに勝てないお前自身の容姿だ!」
「う……」
シャノシェは縮こまる。体も、心も、ホープよりもずっと小さく。
「寝取ってなんか、ないけど――」
「ジルは黙ってろ!」
「っ」
普通に暴言を吐かれたジルは、呆れ顔。
ホープだって暴言なんか吐きたいとは思っていない。
――メスで刺された左肩が尋常でなく熱いのだ。ジルを庇って負った痛みなのだから、少しくらい口が悪くなるのも了解してほしい。
「どいつもこいつも、困ったらすぐ『殺す』『殺す』言いやがってさ! ウザいんだよ、クソ! 誰もおれのこと殺してくれないくせにクソッ!」
青い髪をグシャグシャと掻き乱しながら、憎悪を吐き散らす。
もはや誰に向けて言ってるんだかホープ自身にもわからず、ジルもシャノシェも当然わかっていない。
……またホープに腰を抜かされたシャノシェは、バタバタと四足歩行で逃げていった。
きっと異常者がトラウマになったろう。それで良い。トラブルが防げるなら。
「ごめん、ホープ。また、巻き込んだ」
ジルは自分の腕を摩りながら、また、ホープに申し訳無さそうな視線を向けてくる。
大都市アネーロでのイザイアスの件と全く同じ反応であった。
「いいよ気にしてないから。じゃあね」
早口でそれだけ返し、軽く手を振って早々に別れようとするホープだが、
「ホープ、顔が疲れてそう。また、アレやる? 胸ならいくらでも貸す」
「顔が……」
先程コールにも顔のことを言われたが、やはり睡眠不足が如実に顔に現れているというのか。
――確かにジルの胸の中で泣いたあの時間は、悪い気分ではなかった。正直何度でもああしてほしい。
だが、
「ダメだよ、もう充分甘えさせてもらった……これ以上は良くない。そもそも何度やったって無駄だし」
どうせホープの性格が改善されることも無いのだから、ジルに迷惑が掛かるだけの行為だ。
そうやって断ったホープに対し――ジルは珍しく、目尻を吊り上げて睨んできた。
怒っているようだ。
「甘えることの、何が悪い? 無駄なことの、何が悪い? 絶対に必要なもの、だと思うけど」
その意見は少し、ホープの心を揺るがす。誰の助けも不必要だと思っているホープの、心を。
しかし、
「『甘え』も『無駄』も、ありすぎたら人間は腐っていくよ――だから、量の調節ができない奴には与えちゃいけない」
口から出たのは、とんでもない極論。
ホープは自分で自分の首を絞め、絞めたままギュルギュルと回転させ、骨ごと引き千切るかのようなブーメラン発言を返す。
投げたブーメランはしっかりと戻ってきて、ホープの心臓に突き刺さった感覚がした。
こんなこと言ったって死ねないのに。これぞ『無駄』。ホープは量の調節ができない無能だ。
困惑するジルを余所にホープは踵を返す。
――二人のやり取りを上から観察していた、鉄製の鳥獣には最後まで気づかずに。
◇ ◇ ◇
これでシャノシェはジルに手出ししようとしなくなったはず。
カーラから押し付けられた任務を、ホープは遂行してやったのだ。
感謝してもらわなくて大いに結構だが。
「ん……!?」
そんな面持ちでまたバーク大森林を目的も無く歩いていると、大きな地響き。
地震ではない。この近くで、何か爆発でもしたかのようだった。
すると、
「な、何だ……!」
ドスドス、ドスドスと足音のようなものがこちらに近づいてくる。
音の大きさも、間隔も、人間のそれとは違う。
巨大で、四足歩行の何かが――
「うっ!?」
茂みから飛び出してきたのは、五メートルくらいある野生の熊。茶色くてどっしりとした毛玉が突っ込んでくるのだ。
いやちょっと待て、これはおかしい。デカすぎる。あまりにも。
突然変異もいいところだ。生物という域を超越しそうな巨体だ。
もうこれは、死ぬしかないだろう。潔く食い殺されることが正解だ。人間として。
襲われると思った矢先、
「……あれ?」
怪獣のような大きさを誇る熊なのに、走るスピードを少しも緩めず、ホープに目もくれず走っていってしまった。
そのため一瞬しか見れなかったが――顔は怯えていて必死の形相。
体は血だらけだったように見えた。
「は、はは……! やった!」
ホープの口から自然と、乾いた笑いが込み上げてくるのだ。
先程の地響き、そして熊を恐怖させた何か。
原因はあの茂みの向こうにある。
きっと、圧倒的な力でホープを完膚無きまでに叩き潰してくれるはず。
肩の痛みなんてもう、どうでもいいじゃないか。
それだけでホープは生きる希望――否、死ぬ希望が湧いてくるのだから。




