第101話 『MAX』
「何だこりゃ?」
「あれれ〜ドラク知らないんですか〜。これ私たちがここに来た次の日から、毎日置いてあるんです〜」
洋風な廃旅館。
そのエントランスの真ん中には、食料やパンなどいくつかの食料が鎮座している。
ドラクやメロンが起床する前から置いてあるようだが、
「まさか妖精さんだの、小さいオッサンだのファンタジックな話じゃねぇだろうな? 女子特有のよ」
「女子特有って何ですか、差別ですか〜?」
「冗談、冗談。……にしても廃旅館に来た次の日って言うとよ……」
ポツンと食料が置いてあるのを前にして、相変わらずな笑顔のメロンと、腕組みするドラク。
彼はすぐに考えついた。
「三日前、だよな。ホープが全然顔出さなくなった日」
メロンは頷く。
「ですです〜。これもホープの仕業なんじゃないかと専らの噂ですね〜」
キャンプ場が崩壊し、多数の犠牲者を出しながら、からくも廃旅館に辿り着いて。
――もう三日は経っている。
最近ホープにずっと会っていない。彼はグループの誰とも、会っていないのだ。
どこに行ってしまったのかもわからない。
「ま、いっか。これ全部オレのってことで……」
小腹の減ったドラクは屈んで、大きく広げた両腕で全ての食料を包み込む。
そのまま立ち上がり持って帰ろうとして、
「……あなた殺されたいんですか〜?」
「ぎゃああっ! 怖ぇからすぐ銃向けるのやめろお前……って痛いいぱいアガガガガ!?」
メロンが銃を向けた直後、叫ぶドラクの舌を掴んで引っ張る。
「このお喋りな舌先を撃ち抜いたらどうなるんでしょ〜ね? 先端が飛んでったら動きます〜? お喋りのために再生します〜?」
楽しそうに笑うメロン。
「ァアガガガ……ってマジで舌引っ張んなお前! 動いて再生するかぁ! 俺のベロはトカゲの尻尾かぁ! そしてお前は情弱サイコかぁ!?」
◇ ◇ ◇
――噂をされたってクシャミも出たりしない、暗い男ホープ・トーレス。
彼は、訳あって今日も早朝から動いていた。
バーク大森林を彷徨い歩き、食料を見つけては廃旅館にひっそりと置いておく。誰にも見つからないように注意して。
この三日、それが日課のようになっている。
何故そんなことをするのか?
別に『グループに貢献だ!』とかいう奴隷精神には目覚めていない。
上記の通り。訳があるのだ。
と、ここで――民家を見つけた。
ホープはゆっくりと近づいていく。
明かりなど点いていたりはしないが、屋内にはスケルトンが潜んでいるよりか、人間が潜んでいる方がよっぽど面倒なことをホープは知っている。
慎重に、裏手の窓から中を――
「ク"ワ"ァァッ!」
少しだけ、驚いた。
中を覗いた瞬間に窓の向こうからスケルトンが張り付いてきたら、誰でも驚くだろう。
「ァァオ"ッ、コ"ォ"ア」
あのスケルトンの騒ぎようなのに他のが現れないところからして、屋内にいるのは一体だ。
少なくとも動ける個体は。
民家の正面へ回ろう。
ホープは壁にピッタリと背をつけ進み、それに合わせて屋内をついてくるスケルトンをウザく感じながらも、これまた慎重に角の向こうを覗き、
「ウア"ッ」
「っ!」
角の向こう。民家の側面に、男の狂人が。
ちょうど覗いた瞬間に狂人も振り返り、目が合ってしまった。
裏の壁に戻ってまた背をつけたホープは、
「……来いよ」
右手にマチェテを構える。
そして、待って、待って、待って。
「ァ"ァ」
狂人が顔を出した瞬間、
「ぅあっ!!」
「カ"ッ――」
ぶん回したマチェテの刃と、民家の角とでサンドイッチ。
びしゃ、と血飛沫が舞う。
側頭部から侵入した刃は、見事に脳を潰し、そのまま民家に突き刺さった。
木材が抉れるほど刺さっており、ちょっと力を入れても抜けず、
「っ! くっ、ふっ!」
壁を足で押さえながら、何度か力を入れて引っ張りようやく抜けた。
さぁ次は、中のスケルトンだ。
民家の外周をぐるりと歩き、窓の向こうをスケルトンもぐるりとついてくる。
正面のウッドデッキの前にある一段の階段に、一歩を踏み出して、
「うわっ」
階段とはいえ薄い木の板も同じ。
老朽化は激しく、バキリと割れ、ホープの足は見事にハマってしまった。
タイミング悪く、
「ウ"アァァァ!!」
鍵が壊れたようで開放されていた玄関のドアから、スケルトンが飛び出してくる。
ホープは身動きが取れない。
「っく!」
「アカ"ゥァァゥ」
両手でそれぞれスケルトンの頭と肩を押さえるが、マチェテを地面に落としてしまう。
しかも勢いを殺し切れず、
「ぐお」
床板の穴が広がって足が抜け、そのまま後ろへ押し倒される。
もちろん覆いかぶさるかのように、スケルトンも一緒に倒れてきた。
――この状況、見覚えがあるような。
確か初めて仮面の少女と出会った時辺り、洋館の地下でもスケルトンに押し倒されたのだ。
あの時はドルドの短剣が偶然スケルトンを殺したのだが、
「とど……かない……か」
今回はそうもいかなそうだ。
マチェテは今のこの場所からは、手が届きさえもしないから。
「アァ"ァッ! ハア"ァァア"ッ!」
仰向けのホープの目と鼻の先で、紫色の歯が開閉を繰り返す。
奴の顔が近すぎるため『破壊の魔眼』を使うことはできない。自分の腕を吹っ飛ばしてしまうリスクなど負いたくはないから。
「だったら……!」
直接は、使えないだけ。
ホープが横目に捉えて利用しようと画策したのは、ウッドデッキを覆うようにせり出した屋根を、支える柱。
凝視し、赤く輝く右目で柱の一番下を削る。これで柱はほとんど宙に浮いている頼りない状態。
あとは、一番上に届けば。
「ウカ"ァッ! オオァ"!」
「……倒れるぞ」
届いた。
『破壊の魔眼』は柱の最上段を屋根ごと歪ませ、抉るように破裂。
最下段はこちら側が削られているので、
「ウワ"カ"ァァァ……オコ"ッ――」
勢いよく倒れてきた木の柱は、ぴったりスケルトンの後頭部を捉えた。
しかし先端がホープより先に地面に着き、止まったため、ホープの方は無傷で済んだ。
もう動かないスケルトン、そしてそう重くもない柱を退かし、マチェテを拾い、ホープは埃を払いながら立ち上がった。
「相当ガタが来てるじゃないか、この家……」
柱が一本無くなるとすぐに、支えられていた屋根の方から妙な軋む音がし始める。
――仕事をするなら、早く済ませねば。
少しの焦燥感に駆られながらホープはようやく民家の中へと踏み入れる。
と、
「っ」
踏み入れてすぐの所にあった蜘蛛の巣を、ぶつかる直前にマチェテで切り裂いた。
先程のスケルトンはうまくぶつからなかったようだ。鬱陶しいことこの上ないが。
――前に、蜘蛛の巣が顔に張り付いたこともあったっけ。
民家の中は、特に広くもなく狭くもなく、外観と同じく何の特徴も無い。
台所の方を見てみると、流し台の中に腐敗し尽くした食材の塊が。
ものすごい量のハエがたかり、蛆虫のようなのも見える。近寄りたくないものだ。
あとは、その辺にある棚だろうか。
床から数えて一段目の小さな扉を開けてみると、保存食が多少あった。
――ふと気になり、立ち上がる。
何かしらの気配を感じ取ったので、窓から外を見てみると、
「なんだよ、もう……!」
目を見開く。
ホープが来た方向、つまり民家の裏手側から、スケルトンや狂人たち30体ほどが集まった群れが、こちらへ一直線に近づいてくる。
いや、距離的にはすぐそこ。
どうやらスケルトンとの格闘時に出た音が、思ったより大きかったらしく引き寄せてしまったのだ。
――急いで食料を詰める作業に戻る。
備えられていた保存食らをリュックに入れてみると、案外いつもと同じような、ちょうど良い量に。
さっさとここを出て――
「っ……!? な、何だ!?」
この状況下で、ガシャガシャン、と大きな音が。
入口の方から聞こえてきたので顔を向けると、パラパラと木片が降ってきている……つまり柱を壊したことで、外の屋根が崩落してしまったのだ。
嫌な予感がしてドアへ走るが、
「……クソ!」
意外に重たい瓦礫に塞がれて、外開きのドアはほとんど動かない。
――こうやって木製品がドアを塞ぎ閉じ込められる状況も見覚えがあるような。とにかく今日はツイてない。
「カ"アアア」
「ゥオ"ォォァァ」
「キ"ィアャァァ」
出口のある壁と反対の壁を、次々と死者たちの手が突き破り、ホープの肉を求めるように暴れる。
窓も割られ、スケルトンの頭だけが覗いている。登れはしないようだが。
「このっ……!」
これも何か記憶から探ったようだが、ホープは自然と体を動かし、近くにあった椅子をドアの横にある窓に投げつける。
無事に窓が割れ、その唯一の脱出口に賭ける。
ホープが窓から身を乗り出すと、
「ロ"アアアアッ!!」
あと一秒……あと一秒で出られたところを、スケルトンに足首を掴まれて動けなくなる。
民家の中は既に死者たちに占拠されているようだ。ここで引きずり込まれれば、激痛、激痛、激痛……そして死ぬのだろう。
嫌すぎる。
ホープは身を翻す。外のウッドデッキに手をついていたのを、今は後頭部をつけている状態。
空いた両手で瓦礫の山を探り、
「あぁっ!!」
「コ"ォッ――」
長めの板を槍のように扱い、尖った先端をスケルトンの顔面に叩き込む。
「アァ"」
「ホ"ゥゥゥ」
解放され立ち上がったホープは、さらに窓の外に出ようとした二体の狂人にも、同じように突き攻撃を食らわせてやる。
木の板を捨て、ホープは早々に民家から離れる。
走り去ろうかと思ったが、
「あぁそうだ。お前たちに『お返し』するよ」
今、あの憎きスケルトンや狂人どもが、ボロい民家で箱詰めにされている。
これほど素晴らしい環境が整う場面は、そうあるものではない。
仕返ししてやるのだ。
なぜならホープは――最近、常にブチ切れているから。
「……っ!」
ホープは憎しみを込め、顔が皺だらけになるくらいに右目に力を入れる。『破壊の魔眼』を使う、ということなのだが。
「うぉぉ……!」
いつもとは少し――否。
「おぉぉぉぉ……っ!!」
段違いのレベルアップ。
――ホープの怒りが、憎しみが、苦しみが、『破壊の魔眼』に力を与える。
赤く輝く右目。その周りの肌に、まるで葉脈のような形に『赤いヒビ』が入り始める。
あまりのパワーに血が噴出し始めるそのヒビが、ホープの顔面の右半分を支配して。
右目から溢れ出るほどに集約された、怒りが、力が、
「おぉぉっ、ああああぁぁぁ――――っ!!!」
ありったけ解き放たれる。
狙ったのは民家の屋根。
世界がぐにゃりぐにゃりと捻じ曲げられ、歪み、そして引き戻される反動で、屋根が消し飛びそうな勢いで大爆発。
実際は半分くらいしか消し飛ばず、互いを支えきれなくなった屋根の木材たちは重力に逆らわず落下。
結果、中にいたスケルトンや狂人たちはまんまと下敷きになってくれた。
ホープが全滅させたのである。
「……っ」
もう安全。そう判断したホープは天を仰ぎ、そのまま後ろへ倒れかかる。
地に背がつくまでの間に、あれだけ主張の激しかったはずの『赤いヒビ』は顔から消えていった。
そして地に背中がついた途端、
「っ……ぐあぁぁぁっ!!」
もはや恒例。
――いやホープとしては恒例では困るのだが、右目から出血し、途轍もない痛みに襲われる。
「うわぁっヤバいこれ、あぁヤバい! うっぁぁあがぁぁぁぁぁ!!」
痛い痛い痛い、それに、いつもよりもっと痛い痛い、地面を転がっても逃れられない、痛い!
「ちょ、待って、おねがぁぁぁ!! あぁっ! タンマ、タンマタンマぁぁってちょっとああああ」
まるで眼球がノコギリでガリガリ切られているような気分。
だが今回は普段より威力を上げた。その分ペナルティも上がるわけで。
「あぁ死ぬ、これ絶対ぃぃあああ!! 死ぬぅぅぅああああああぁぁ」
普段がノコギリで100回切られる痛みだとすれば、これは485回くらい切られている感覚だろうか。
「ひいっ、ひいっ、ふぅああぁあ――――ッ!!!」
……頭を抱え、のたうち回り、10分。
いつもより長かった出血もようやく止まり、痛みも静まった。
「はぁっ……はぁっ! これで……死なないのはやっぱり、理不尽が過ぎる……!」
この世のあらゆる痛みを超越する異常な痛みに、体がついていけない。
まだ心臓の鼓動は耳に届くほど激しく、肺は酸素を欲しすぎて妙な音を出している。
体じゅうから汗が噴き出し、流れる。
『怒り』を込めれば『破壊の魔眼』の威力が増す――それに気づいたのは、ホープが廃旅館に戻らなくなった日。
この新たな力を手にしてから、まだ三日も経っていない。慣れないのは当然……というか、この負担を喚かずに我慢できる人間は存在するはずがない。
しかしホープは常にブチ切れているので、こんなにも美しい破壊の能力を、ストレス発散に使わずにはいられないというのが本音。
どこまで行っても自業自得、というわけだ。
「…………」
体を起こし、屋根を失った民家を見る。
今回は死者どもを天井の下敷きにしてやりたい、という気分だったから上の方を狙った。
気分の問題というだけで、その気になれば民家ごと全て消し飛ばせたはずだ。
それほどの威力。
ホープは、こんなにも死にたがっているのに。
「何の因果か知らないけど……おれは『力』を持ってる。今みたいな絶体絶命の状況から、一人勝ちできるくらいには……」
ホープは、これほどの能力を宿している。
『力を持つ者』である特別なホープは、『力を持たざる者』に食料を分け与えるのだ。
感謝など要らない。影の天使で充分。
――つまり。
そう自分を励ますことだけが、今のホープが唯一、人間性を失わずにいる道なのだ。
もう、どうすれば良いのかわからない。
あの子に『お別れ』を告げられてから、どうしたら良いのかわからない。
さっさと死んでしまおうと、ホープならそうとしか思えないはずなのに。
今回だけは、何かがおかしい。
さっさと死んでしまいたいという気持ちが半分で、もう半分は『彼女とこのまま終わるのか?』と自分に問いたくなる気持ち。
「う……げほっ、がはっ! オェェ……ェッ……!」
突然、嘔吐をした。
これは『破壊の魔眼』の副作用ではない。
あの日から、ほとんど寝ていないからだろうと思われる。
一日に二時間寝られれば良い方。
二時間寝られても、起きた時は汗びっしょり。
食事はほとんど喉を通らず、何もかもに体が拒否反応を起こす。
それが、積み上げてきたストレスがとうとうMAXまで来てしまった、ホープの現在だった。




