蛇足 『愛さえあれば』
「ぜ……ぇっ、ぜぇ……っ……」
――荒く、か細く。
冷たい地面に倒れたまま、呼吸だけを続ける一人の哀れな男がいた。
「ぜ……ぇっ……」
虫の息。
という言葉がよく似合う、黄色い髪の男ティボルトに近づくのは、
「ゥウゥ"ッ、オオォ"ア」
歩く屍と化した獣人フーゼスと、まるでその部下のようについてくる二体のスケルトン。
「ぇ……ぅ……」
頭が割られ、片目が飛び出たフーゼスは欲望に従って意気揚々とティボルトの肉を狙う。
――首の前面を刀で裂かれたティボルトには、もう為す術は無かった。
「ぅ……」
ポケットから取り出したのは、ロケットペンダント。
開いた中には、一枚の写真。
最愛だった――いや、今でも最愛の弟。
「へ……へへ……」
弟が死ぬまでは、ロケットは首に掛けていた。何度も写真を見返した。
弟が死んでからは、写真を見れない。
それはいつの日か度を越して、ロケットすらも視界に入れるのが怖くなった。
「へへ……」
だがそれも、ここまでの話だった。
「い、ま……そっ……ちに……いく……からな……」
フーゼスの紫の犬歯が、もう目前。
掠れた声で、嗄れた喉で、最後の独り言を。
滲んだ目で、震える手で、写真を撫でて――
「カ"ゥッ」
「ァア"ッ」
「ハ"」
フーゼスも、二体のスケルトンも、突如として断末魔を上げて横に倒れた。
倒れた奴らの顔は、ティボルトと同じ高さになる。
見れば――側頭部それぞれに、一本ずつ矢が刺さっている。
「ぇ……?」
終わると思っていた。
終わるしか無いと。それ以外に道など無いと決めつけて、だから考えもしなかった。
「――ふぅ。危ないところでございましたね」
「だ……れ……?」
森の中からギリギリ出て来ず、木の陰でよく見えない男がそこにいた。
若く、細身で、普通より背は高い。
笑ってしまいそうになるほど背すじが正しいから、身長はもっと高く見える。
「『誰か』というそのご質問に、今はお答えする時ではないかと存じます」
「ぇ……?」
謎の男は自身の胸に手を当て、お辞儀。
「自分の名など、失われつつある貴方様のお命よりも尊き筈がございませんので。僭越ながら、この自分がお助け致します」
バカ丁寧な言葉遣いは、ふざけてるのかと怒りたくなるくらいのレベル。
だがこちらに近づいてくる彼に、嘘を感じられないのが不思議だった。
というか、そもそも『彼の存在』から不思議しか感じられない。
なぜかは全くわからない。当然顔見知りでも何でもないわけだし。
「しかし不安でしょう。素性も知らない人間に無言で助けられるなど」
ティボルトのすぐ側で屈んだ彼は、一片の曇りも陰りも無い笑顔。
見るからに優しそうな顔をしている。
深緑色の髪。背中には弓と、矢筒。
「自分は、ただ単に、貴方様から『愛』を感じたのです。それだけの者でございます」
「ぁ……は……?」
彼が喋れば喋るほど、わからない。
だが彼はこちらが『わからない』と思っているのを理解しているようで、それでも喋り続けるし、治療の道具を取り出している。
「愛さえあれば、人は変われる――自分はそのような『真実』にこの身を捧げた、愚かな放浪者なのでございます」