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ホープ・トゥ・コミット・スーサイド  作者: 通りすがりの医師
第二章 生存者グループへようこそ
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第98話 『すれ違いの果て』



「――避けないんだ?」


「うん」


 ヴィクターが全力で振ったはずの刀の、その冷たい刃は、ホープの首にほんの少しだけ当たっている。

 肌が斬れない程度に。


 ――こうなる予感は、していた。


「ボクはこの膠着状態からでも刃を動かして、まばたき一回も終わらない内にキミの首を落とせるよ。嘘じゃないからね? 試してみようか?」


「うん。試してよ」


 ――この流れは何だ。またか。また、ホープは死ぬ機会を逃したのか。

 こんなチャンスは滅多に無いのに。



「ヒヒヒ……ヒヒヒヒッ!」



 不敵な笑みを浮かべ、不気味な笑い声を発しながら、ヴィクターは――刀を納めた。


「死ぬのが怖くないのかい? ヒヒヒ、ボクに斬り殺されることが……怖くない!?」


「うん。全くね」


「嘘じゃ、ないみたいだね。表情、目つき、声、言葉、仕草、何より心。今のキミには嘘が一つも見当たらないよ!」


 この会話だけは、マズい。とてもマズい。



「キミは――――面白い!」



 結局、こんな流れに行き着いてしまった。ヴィクターは笑うばかりで、もうホープを殺す気が無さそうだった。


「まさか、まさか! こんな掘り出し物に出会えるなんてね! キミはいかにも典型的な弱者に見えたから興味が無かったんだけど……全然! キミほど面白い人間はこの世にいないよ!」


「おれが……面白い? おれを殺さない?」


「もっちろん! キミをここで殺してしまうのは勿体ないよ、キミの面白さをもっと見せてほしい!」


 弾けるような笑顔のヴィクター。だが、彼はホープを面白いと思っているだけ。

 このままだと、レイだけ殺されてしまう。


「そうか……それは良いんだけどさ、君が満足したんなら、おれのお願いも聞いてくれない?」


「まぁ一つくらいなら? ()()()()に命令されるってのは気持ちの良いことではないからね」


「レイを――この女の子を殺さないで。傷付けるのも、やめてくれ」


「……聞いてあげるよ。キミの面白さに免じて」


 ホープの少し攻めたお願いを、ヴィクターは多少渋々といった感じで了承。

 彼は踵を返し、森の方へ。


 最後まで上から目線な態度、しかもホープを『オモチャ』と呼んだ。

 彼はホープに面白さを見出したようだが、決して味方になってくれたわけではないのだ。


 ――あんなの、よくグループに置いておけるものだ。



「は……ぁ……かっ、かっ……」


「あぁキミのこと忘れるとこだった。犬の獣人を殺したのはキミだろ? 犬はスケルトンたちに食われて散々な最期を迎えてた。だったらキミにも同じ未来を見せてあげなきゃね……そう思ってわざと殺さないでおいたから。ボクに感謝しておきな?」



 ヴィクターは、かろうじて生かされているティボルトに憐れみたっぷりの言葉を掛ける。

 そして茂みから出てきたフーゼスの狂人に一礼。


 やりたい放題して、森の中へ消えていくのだった。



「さ、終わったね……行こうか、レイ。キャンプ場でニックさんが待ってると思う」


「…………」



 狂人フーゼスが、他のスケルトンや狂人を伴ってティボルトに近寄る。

 その光景を横目にしながら、ホープは赤髪の男を背負って森へ入る――レイも、無言でついてきた。



◆ ◆ ◆



 歩くホープの後ろを、静かに歩くレイは、何を考えているのだろう。


 ああ、終わりだ。


『死ぬのが怖くないのかい? ヒヒヒ、ボクに斬り殺されることが……怖くない!?』


『うん。全くね』


『嘘じゃ、ないみたいだね。表情、目つき、声、言葉、仕草、何より心。今のキミには嘘が一つも見当たらないよ!』


 この会話を、聞かせてはいけない子に、聞かせてしまった時点で、もう。

 終わった。それは確定だった。ヴィクターに悪意が無いところがまた、腹の立つことだ。



「助けてくれたのは、ありがと。ホープ」



 ぞくり。自然と足が止まる。

 絶対に言うと思った。言うと思っていた言葉そのまんまだったから、逆に全身に悪寒が走った。


「うん。いいんだよ、気にしないで。男が女を守るなんてのは当たり前――」


「でもあんた、死のうとしたわよね?」


「っ」


 喋っている途中に口撃されるもんだから、ホープの喉から変な音が出た。

 仕方無い。ホープはあまりにもぎこちない笑顔を作って振り返り、


「何のこと? 君を守るのに夢中で、そんなこと考えてられな――」


「死のうとしたでしょ!? またなの!? 約束したじゃない、あんた約束してくれたじゃない! ……何を考えてるの? 怖いわよ! あたしを利用して何をしたがってるの!? あたしを裏切りたいの!?」


 これ以上、ホープは気遣いができるほど、余裕が無い。心も体もボロボロ……レイとの関係はボロボロになったわけじゃない。最初から虚無だった。

 最初から、ずっと。


 もう、言ってしまえ。


「何考えてるって? ……それ聞く前にさ、君は想像してくれたことがあるの? おれが本当は何を考えてるか」


 森の中でここだけは木に覆われておらず、月光がしんしんと差してくる。

 幻想的な光のシャワーの中で向かい合う、空っぽで歪んだ男女。


 嘘臭い笑顔さえ消したホープが言い返してしまったから、崩壊は、もう止まらない。


「えっ、あ、あるわよ! あたしたち、仲間でしょ!? 当たり前よ!」


「あぁそう。無い方が……良かったなぁ」


「は!?」


 露骨に怒りを露わにし始めるレイ。


 けれどホープは、もう言い出してしまった。ここまで来て戻ることはできない。

 関係を徹底的に潰す――そこまで行かなければならなくなってしまった。


「だって君は考えてても、おれのこと一つもわかってない……『死なない』なんて約束を可能にできるほど、おれが歴戦の猛者に見える? そんなハードル高い約束を一人で背負い込めるほど、熱くて真面目な男に見える?」


 ホープは、あくまで冷静に話している。まだ。

 顔を俯かせ、目は斜め下の地面を見つめ、ただ口と舌を動かす。


 聞いたレイは勢いよく腕を振り、


「今さら何言ってんの!? 約束守れないんだったら、どうしてあの場で嘘なんか!」


「君のこと……」


「守れないなら、守れないって言えば良かったじゃない! それがあんたのためになるんなら」


「……君のこと、考えてるからだろっ!?」


 ホープは、遂に叫んだ。

 眉間に皺を寄せ、口を大きく開き、怒鳴った。


「あそこで約束を拒否したら、君はどうしてた!? 生きる気力があったか!?」


「っ」


「あの日からずっとずーっと約束だけを頼りにして生きてる君が、とうとうおれのこと『嘘つき』って呼ぶつもり!? 贅沢な話だよ!」


「ちょっと、馬鹿にしてるの!?」


 言い過ぎか? やり過ぎか? ここらで終わらせれば彼女とずっと仲良くできるのではないか?

 誰か、助けてくれ……


「馬鹿にしてるのかって!? そうだよ! いつまでもおれのこと信じ続けちゃってさ、盲目的だ! 君の周りには優しい人がたくさんいるんだぞ!?」


「は!?」


「作業場で捕まってる君と言い合いした時も、君はケビンを疑い、おれを信じた! ……結果どうだった!? 最初っからケビンを信じてれば、おれみたいな『嘘つき』に騙されることも無かったじゃないか!」


「それは結果論でしょ!? あんたさっきから、何が言いたいのよ!?」


 誰か、誰か、誰か……助けてくれ。

 これを言わせないでくれ。



「――おれは死にたいんだよ!」


「っ!?」



 言ってしまった。この日が来てしまった。

 レイは口元を手で押さえ、もはや呼吸も忘れるほど驚いている。


「いつも君が注意する通りさ! おれは死にたいの! 君なんかよりもずっと前から、ずっと深く! 生きる気力なんか、持ち合わせてないんだよ!!」


「う、そ……」


「だから聞いたんだ、君はおれのことどれくらい考えたことあるのかって! 君に『死のうとした?』って聞かれるたびに苦しかったよ!」


 レイはいつも『正解』していたのだから。

 図星を毎回突かれて、毎回毎回その度に、吐きそうだった。今回だってそうだ。

 胃の内容物の代わりに、喉を、心を、傷だらけにしながら、言葉のナイフを吐き出しているだけだ。


「どう答えたらいいか、わからなくなるんだ! だっておれが『死にたい(ソレ)』を言って約束を反故にしたら、今度は君が生きる気力を失うんだから!」


「え……じゃあ……」


「足枷なんだよ……! おれにはその約束が、足枷なんだ……今『死にたい(コレ)』を言っちゃったのは、もうおれが疲れたから! 君に隠し通すのが疲れた、もう限界だったんだ!」


 今、打ち明けてしまったのは、完全にホープのエゴなのだ。

 打ち明けてしまえば、約束は台無し。そしてレイが生きる気力を失う。

 そんなことは――


「わかってるんだ。君にとってあの約束だけが希望だってこと……そして、わかってるんだ、どうせ君はキャンプでおれを待ってる間、()()()()()()()()()()()()()()んだってこと!」


 ああ、今、ホープはレイを傷付けているのだ。おかしな話だ。

 頭のおかしい吸血鬼に『レイを傷付けるな』と頼んだ男が、率先してレイを傷付けている。


 でもこれは事実だ。事実のはずだ。


 ホープの、今までレイと過ごしてきた経験からの予測だった。


「君は仮面で、顔だけじゃなく心まで閉ざして、一歩も前に進む気が無いんだから! ……だから、本音を吐くのは心苦しかったんだ。本当に」


 そう。ナイフで傷付けた。さんざん傷付けた。でも別にホープはレイを苦しめたいわけじゃない。

 レイを苦しめてしまっている今、ホープも本当に心苦しいのだ。

 理由は、


「でも本音を言うのは仕方のないことだったんだ……いつまでも人間でおれ一人が君の正体を知って、君の心の拠り所はおれ一人! そんなんじゃ、君は自立できな――」


「……話したわよ」


「え?」


 ホープは、最大の、最低の、最悪の、間違いを犯した。


「ドラクに、打ち明けたわ。その前にもう、ニックさんやリチャードソンさんにはバレてたけど」


「……え? ドラクに……あっ」


 ああ、あの時、ドラクの話をもっとよく聞いていれば、


『って、てかホープ! レイっちが、レイっちが行方不明なんだよ! ……しかも、その! お前にしかわかんねぇ『都合』ってのが……ティボルトにもすげー関係あって……』


 ホープがここまで地の底に、絶望の淵に、落ちることも無かったのかもしれない。

 後悔しても、もう遅い。



「そんなに信用無かったのね。そんっっっなに、あたしが信じられなかったのね……なーんの期待もしてくれなかったんだ……」


「いやっ……そ、それは!」


「あんた、最低」


「っ!」



 ホープは、レイを、傷付けすぎた。追い詰めすぎた。彼女の言う通り――信じなさすぎたのだ。


「何が『疲れた』よ。『死にたい』よ……どうせあんただって過去のトラウマやらに縛られてウジウジしてるだけのくせに、よくもまぁ! あたしに偉そうにお説教できるわね!」


「く……っ」


「そんなにあたしが信用無くて、疲れる女なら……いいわよ」


「な、何がいいんだ。君に、君におれの何がわか……」


 やめろ、やめろ、やめろ。レイは何を言おうとしてるんだ? 言わせるな、ダメだ! それだけは言わせてはならない! そう本能が叫んでいるのに!


 ホープは、姿も見えない何かに、懇願することしかできない。


 助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて――



「さようなら。ホープ・トーレス。ごめんね、約束を押し付けちゃって」



 これが、ホープの望んだ言葉?

 ホープはこれを望んでレイを傷付けた? 何やってんだ? 自分は、何をやってんだ?


 チャンスは、これが最後だ。


 彼女を取り戻す、チャンス。

 汗が異常なほど噴き出す。腕も腋も、首も背中も脚も、ぐしょぐしょ。



「な、なっ、何だ……やっと、やっと本音をぶつけ合ったのに、それで『さようなら』!? 君は、君は何て……最初から最後まで自分勝手な……!」


「ええ、そうよね……ぜーんぶ、どうせ、あたしが悪かったもんね」


「ちょ、話を――」



 もう言葉じゃ届かない。だから手を伸ばす。



「残念よ。あんたなら、あたしを理解してくれると思ってた」



 伸ばした手も、弱々しく震えて使い物にならない。



「しようと……しただろう!? 誰のことも理解しようとしないのは、君だろう!?」



 ああ、自分は、何を言っているんだ。



「言ったでしょ。さようなら……またどこかで会えたらいいわね、ホープ・トーレス」



 仮面の少女は面倒くさそうに手を振り、哀れな男に背を向け、二度と振り返らないまま、自分の道を進んでいった。





 ああ……


 ああ……












 あああ。






◆ ◆ ◆






 最終的にその月光に照らされるのは――頭を抱えて、膝をつく、腐った少年だけだった。



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