第93話 『優しいワンちゃん』
「ぐっ……ティボルト!! その釘バットは、何だ!? ドラクを狙っているのか!」
「てめぇに関係ねぇだろバカヤロー」
横腹の傷が痛んで立ち上がれないでいるフーゼスを、ティボルトは鋭い眼光で睨み続ける。
「黙ってりゃ、てめぇは死なずに済んだんだよコラ。俺様の目当ては、あの仮面の女だけだオラ」
「レイを……!」
「とりあえず死ねやコラ。邪魔なクソ犬が……」
ティボルトがとうとうバットを振り上げる。
まだスケルトンの群れが迫っていると、誰にも報告できていないフーゼスは掌を彼に向ける。
「ま、待つんだティボルト! オレたちは仲間だろう! 話し合おう、わかり合おう!」
「何が『仲間』だコラ、俺様たちはただの『共同体』。互いを利用し合って生きていく、それだけの関係なんだよコノヤロー!」
「くっ……! ならせめて、スケルトンの群れが来てることを皆に伝えて――」
説得など、こうなったティボルトにはもう通用しない。
「誰が伝えるかよオラ。単なる共同体に、てめぇみたいに情を持ち込んじまうと――こうなるんだよコラぁ!!」
振り下ろされる凶悪なる武器。
フーゼスは――素早く立ち上がり、躱す。
「てめ……」
躱したままの勢いで、ティボルトの腹に、
「おぶっ!?」
蹴りを入れる。
「舐めんな、コラぁぁぁ!!」
蹴りは、どてっ腹に鋭く侵入したはずだったが、頑丈なティボルトはすぐに釘バットを横に振るう。
だがフーゼスはそれも屈んで躱すと、
「がっ!」
彼の首をハイキックで打ち、
「うぅお……!!」
顔面に拳をぶち込み、そのままティボルトの後頭部を地面に叩きつける。
白目をむいたティボルトは、動かなくなってしまった。
「……言っただろう!? 力任せに暴れるだけの君は、子供と何ら変わらない! ……いてて!」
――フーゼスの、勝利。
やはり獣人の基礎身体能力は、人間を凌駕しているので、当然の結果ではある。
まだ痛む横腹を押さえながらも、フーゼスはキャンプの方向へ走る。
走る。
走る。
「逃がすか、オラぁぁぁ!!!」
「っ!?」
フーゼスのすぐ背後から、殺気が迫る。
とうとうナイフを取り出し、
「くっ!」
振り下ろされる、バットに何本も突き刺さる釘をナイフの刃で受け止めた。
気絶したはずのティボルトは、ピンピンしている。
「何が何でもオレを殺したいようだな!」
「そりゃそうだろコラ……邪魔に邪魔を重ねようなんて、させねぇぞコノヤロー!」
「邪魔を……重ねる……!?」
今、フーゼスがしようとしていたことは、スケルトンの群れの接近をグループの面々に伝えることだけだが――
そして、真実が見えてくる。
できれば間違いであってほしい……
「まさか! まさか君が、群れを呼んだとでも言うのか!? ティボルト!」
「そうだが。だったら何だよオラ……?」
「っ!!」
ティボルトが、群れをここに誘導してきた。それこそが真実。
動揺するフーゼスに、彼は容赦なくバットを振るう。
「オラっ! らぁっ!」
「……っ!」
避けたりナイフで防御しながら、フーゼスは、
「何を考えているティボルト!? おかしな話だ! 君の目的はレイだけなんだろう!?」
まだ、彼の説得を試みる。無駄だとわかっていながらも、だ。
ティボルトも攻撃の手を休めずに、
「あの女だけは俺様の手で殺してぇんだボケ……だがあのリーゼント野郎や小太りジジイも、俺様の邪魔してくるんでな。スケルトン利用して潰してやんのさ、こんなグループはコラ」
答えて、そして、
「うあぅっ!?」
抉れたフーゼスの横腹に、追加の蹴りを叩き込む。
ギリリッ、と獣人は歯を食いしばる。
「うぐっ、こんのぉぉぉぉ!」
さらに痛みを叫びで誤魔化すフーゼスは、
「いっ、でぇっ!」
ナイフを二度振り回し、ティボルトの手首と腿を切りつける。
浅い傷だが、
「クソがぁ……っ」
ティボルトは座り込む。その様子を見たフーゼスは早々にこの場に背を向け、走り出す。
迅速に、スケルトンのことを報告しなければ――
「逃がさねぇっつってんだろコラぁぁぁ!!!」
「うぐぁっ!」
背中に、追いすがるティボルトの飛び蹴りが炸裂。押された正面に、
「カ"ァァッ」
「ォオオオ"ッ」
現れる二体のスケルトンが口を開けるが、フーゼスは、
「はぁぁぁぁっ!」
まるでアイススケートのように空中で回転し、二体の首をナイフで斬り飛ばした。
回転攻撃を躱したティボルトの方へ向き直り、
「降伏しろティボルト! 今のを見ただろう、人間と獣人じゃ身体能力が違うんだ! 勝ち目は無いぞ! もうやめるんだ!」
懲りずに、まだ説得。
聞いているティボルトはどういう魂胆かニヤつき、
「バーカ、勝ち目ならあるぜオラ。てめぇは弱点が見え見えなんだよオラ」
「弱点!? どこが弱点か、言ってみるといい!」
どう見てもフラフラなティボルトに上から目線なことを言われ、フーゼスは怒りを隠せない。
たった今。何度も、何度もフーゼスに負けたくせに。立っていることも辛いくせに。
なぜ、早く気絶しない――!
「どあっ」
ティボルトの顔面に、二発のパンチが入る。
ナイフの持ち方を変えたから、刃が顔に当たることは無かった。
早く、早く倒れろ――!!
「ぐふっ」
鳩尾に蹴りが入る。ついでに回転し、二の腕を逆手のナイフで斬り裂く。
早く、早く、早く――!!!
「トドメを刺してやる!」
跳び、近くの木の幹に両足を乗せるフーゼス。そして足を踏ん張り、
「くらえぇ! ティボルトぉぉ!」
筋力をフルに使い、ロケットのように爆発的な速度で跳躍。目標へ一直線。
風を受けるフーゼスの頭頂部が、
「ごぉぉあっ!?」
ティボルトの腹に、直撃。
まともにくらったティボルトは、ゴム人形のように歪な格好で地面を転がっていった。
「はぁ……! はぁ……っ!」
横腹から血が止まらない。
釘バットで抉られて、追加で蹴りを入れられた。もしかすると早く手当てしなければ、出血多量で死ぬかもしれない。
とにかく、早く、みんなの所へ――
「待ちやがれ犬ぅ、コラぁぁぁぁぁ!!」
何て、何てしつこい奴だ。
今の頭突きがフーゼスにできる最上なのに。
「てめぇの攻撃は、一発一発、魂がこもってねぇんだよコラ。だから俺様には通用しねぇんだ」
「君に! 戦闘を! 説かれる筋合いは無いっ!」
「……だったら、殺してみろよオラ。この俺様を」
親指で自身を指すティボルトの顔に、迷いは見えない。本当にトチ狂ってしまったらしい。
人間の首を落とすことなど、獣人フーゼスにとっては、簡単なことなのに――!
「ティボルトぉぉぉ――――ッ!!!」
逆手に持ち、血が滲むほど握りしめたそのナイフが、ティボルトの首を、
「……見ろコラ」
落とせない。
なぜなら、刃が当たっていないから。ピタリと、宙空で止まっているから。
「う……っ! くぅ……っ!」
その悔しさに、フーゼスは顔を伏せて泣いた。
もはや泣くことしかできない。
「てめぇに、仲間は殺せねぇんだよコノヤローが――感謝してやらぁ。優しいワンちゃん」
――釘バットが、フーゼスの脳天を穿つ。
◇ ◇ ◇
「こっからが、俺様の物語よ」
バットをくるくる回転させ、滴る血を、脳の破片を、そこらじゅうに飛び散らせるティボルト。
そこへ、スケルトンや狂人たちが集まってくる。
「……てぃ……ぼる、と……」
「だから、犬っころ如きに邪魔はさせねぇんだオラ」
頭がほとんど割れて、片目が飛び出ているフーゼスが、敗北してなお、這いずって手を伸ばし、ティボルトを止めようとする。
飛び出ていない方の目から、涙を溢れさせて。
「ふん!」
ティボルトは、伸びてきた手を踏んでやる。
「勝者の背中を苦しげに睨む――それが、敗者に課せられた義務だろうがコラ……」
そして、後腐れなく敗者に背中を見せ、歩き出す。
復讐への道を、一歩ずつ踏みしめる。
「オオォ"」
「ロ"ァァア」
「アァ"アッ」
「て……ぼ……る……」
後ろでは、正義感を忘れられない哀れな犬の獣人が――涙も後悔も、肉ごと食われて終わっていくと、知ってて。




