第1話 『たった一発の弾丸』
暗い森の中に佇む一軒の小屋。
その鍵の掛かっていない扉が今、外側からゆっくりと開かれた。
少し動くだけでギィギィと不気味な音が鳴り、擦れた部分からは体に毒だろう埃が大量に落ちてくる。
「……ぶっ」
小屋の中へ一歩踏み入れた瞬間にその少年を丁寧にお出迎えしたのは、埃ばかりを捕えたクモの巣だった。
――嫌悪感。
顔に張り付いたそれを乱雑にはたき落とし、屋内へとようやく踏み入れる。
外から小屋を見た時は薄汚れた窓から明かりが漏れていた気がしたが、光源は見当たらず生存者の気配も無し。
扉を開いた際に差し込んだ日の光が無ければ真っ暗ではなかろうか。
――直後、ふいに天井からぶら下がったものが光った。と思いきや、すぐ消える。
そしてまた光る――この死にかけの電球が少年を誤解させたらしい。一応電気は通っているのか。
「……あ」
暗く埃っぽい室内が何度も、しかし一瞬だけ照らされる。
ぼんやりと見回していた少年は色々なものに気づくことができた。
まずは白骨死体。動くのかと焦ったが、どうやら普通の人間だったようだ。
木製のイスに腰掛けて、木製のテーブルに突っ伏すように死んでいる白骨死体であった。ボロボロだが服装的には男性。
――しかし、他の何よりも、他のどんな物よりも、少年を魅了してやまない物がテーブルの上にはあった。
「え? こんな森の中に!? や、やった……やっと見つけたっ! おれはやったぞ。遂にこの日が……頑張った甲斐があった!」
人生初、渾身のガッツポーズ。
その白骨死体の右手の近くには、珍しくて貴重な武器である銃が転がっていたのだ。
銃口は彼の頭の方に向いていて、頭蓋には風穴が空いている。恐らく彼も追い詰められていたのだろう。
――いつになくハイテンションになったこの少年の名はホープ・トーレスという。
「これで、やっと……死ねる」
そう、ホープは早く死にたくてたまらない、自殺願望にまみれた空っぽな少年なのだ。
◇ ◇ ◇
出入口の扉を閉めてしっかりと鍵を掛け、『先輩』である白骨死体の向かい側、軋むイスに座る。
置かれたリボルバー式の拳銃を手に取り、早速といわんばかりに側頭部へ持っていこうとして――
「おっと」
中断。すぐに残弾数を確認する。
一発残っていた。思わず神と、そして『先輩』に感謝して深く息を吐くホープ。
せっかく自分へ銃口を向けて引き金を引いたら一発も残っていなかったなんてオチは、一度だって経験したくないものだ。
――ホープ・トーレスは、外見の特徴はとりたてて何もない人物である。
年齢は17歳。身長は約170センチと割と平均的。体格はどちらかというと細めだが目立つほどではなく、顔つきも凡庸。
髪の色は青、目の色も青だが、この世界ではそう珍しくもない。服装も地味で一般的。
持ち物は腰に差した短剣、背中のリュックにはいくつかの道具と食料がある。
では今確かに、冷たい銃口を自らの側頭部に喜々として突きつけるホープには、自殺願望の他に何の特徴もないのか。
いや、もう一つだけある。
「ふぅ……!」
引き金を引く右手の人差し指。その部位に全神経を集中させる。
自分は、死ぬのだ。そう思うと勝手に息遣いも荒くなり、額には汗が滲む。
目を閉じるホープの瞼を、パチパチと忙しなく点滅を続ける電球が照らしてきて――
「ああもう、目障りだ!」
カッと目を見開いて電球を睨みつける。直後、電球は銃声にも似た大きな音を出して割れてしまった。
降ってくる破片も意に介さず、ホープは確実性を得るため、銃口を自らの口の中へ押し込んだ。
先程なんか比べ物にならない量の汗が噴き出してくる。震える右手を左手で無理やり押さえる。
――たった一発だ。たった一発の弾丸で、このくだらない人生に幕を下ろせる。
――このか細い引き金を引くだけで、ずっと自分を苦しめてきた呪縛から解放される。
簡単だ。あまりにも簡単だ。人間は産まれる時は何ヶ月もかかるというのに、死ぬのなら一瞬で済んでしまうらしい。
なんと哀れな生き物だろう。
目を閉じる。さぁ、終わらせよう。ホープ・トーレスが死んだって、悲しむ者は誰一人としていないのだから。
さぁ……撃て。
――ドン。
死んだの、だろうか。
まだ指を動かしたつもりではなかったが、きっと手の震えによるものだろう。結果オーライというやつで――
――ドン、ドン。
いや、おかしい。
銃声ではない。引き金はまだ引かれていないのだ。汗まみれの自分の手も足もしっかりと動く。
それに銃声ならば、たった一発しか聞こえないはず。
「誰か! ねぇ、いるんでしょう!? 開けて、お願い! スケルトンに追われてるの!」
若い女性の声が、まさにこの小屋の扉を叩いている。何度も何度も、助けを求めて叫びながら。
その焦燥感に満ちた声音を嘘だとは思えなかった。
――しかし、あまりにも、この仕打ちは横暴ではないだろうか。
なぜだ。どうして、こんなに重要なタイミングで彼女は現れた。
ホープはお人好しではない。扉を開けてやるほど心に余裕もありはしない。
もう一度、銃を口に咥えなおす。
「わかってるんだからね! さっきこの小屋の辺りから大きな破裂音がしたもの! いるんでしょう!?」
「……!」
破裂音?
まさか、腹いせで割った電球の音が森の中に響き渡ってしまったのか。このオンボロな小屋に防音効果を期待したホープの無能さ全開である。
「このまま入れてくれないつもり!? だったらあたしは、名前も知らないあんたを末代まで呪ってや――」
「ああもう! うるさいなぁ!」
彼女の騒々しさに耐え切れなくなったのか――それとも彼女に『期待』をさせるだけさせて見殺しにしてしまうという罪の意識か。
銃を口から出したホープはイスから勢いよく立ち上がってしまった。
鍵の掛かった扉へ猛然と歩み寄り、蹴破る。
「やっぱりいた――きゃっ!?」
当然、扉を叩けるほどの距離にいた少女は蹴破られたそれに全身を強打、扉の向こうへ倒れた。ホープからは扉で見えない場所だ。
「ア"ァ……」
彼女の言うとおり、正面から一体の『歩く人体骨格模型』――ではなくスケルトンが向かってくる。
骨だけの捕食者は突然横に消えただろう少女に一瞬だけ目を向けるが、すぐにターゲットをホープに切り替えて迫ってくる。
「ア"オォ……!」
気味の悪い掠れた声を発しながら、紫色に妖しく光る歯が遠慮もなくホープに迫る。
ホープは怒りで無理やりに怖気を封じ、考える。
短剣を抜く……それでは間に合わない。では『眼』を使うか……いや、できればもうやりたくない。
ならば仕方がない。
右手にあった銃を両手で構え直し、スケルトンの額にゼロ距離で弾丸を撃ち込んだ。
「おわっ――!」
とんでもない威力。
スケルトンの頭蓋骨は破砕、ホープは反動で大きく後方に吹っ飛ばされて小屋の中に逆戻りしてしまう。自分はこんなもので死のうとしていたのか。
たぶん両肩に激痛が走っていると思うのだが、アドレナリンでもうわからない。
「撃った……一発しかないのに……え? ちょっと待て、一体じゃないの!?」
急いで立ち上がるホープの目に飛び込むのは、正面からさらに小屋へ向かってくる三体のスケルトンであった。
すると、少女が扉の向こう側から出てきて小屋へ避難してくる。逆光で顔は見えない。
「一体とは言ってないわよ!」
ホープの適当な独り言に、焦りながらも律儀に答えてくれる。
彼女はホープを強者だと勘違いしてしまったのか、ホープの後ろに隠れた。
別に彼女を救う気はないが、このままでは自分の命が危うい――いや自分は自殺したかったんじゃないのか。
そう思い出してスケルトンたちの歯を見る。何度も見てきたように、奴らはあの歯でちまちま、ちまちま、ちまちまと人間の肉を喰らう。
――ダメだ。ダメなのだ。ホープは痛いのが嫌いなのだ。
そんな死に方は、死んでもごめんだ。
では勢いに任せよう。
――迫りくる三体のスケルトンを睨みつけてやると、大気が歪み、時空がねじれ、三体揃って頭蓋骨が爆ぜた。
使いたくなかった最終手段だが、やはり最終と呼ぶだけの威力があるだろう。
「……え? え、え? あんた、今何やったの!?」
「いや、別に何でもな――」
当然の問いかけに、扉を閉めながら答えようとするホープはおもむろに振り返る。
まだ扉が閉まりきっていない。かろうじて日の光が当たっている彼女の顔は、どうにも不可思議な状態であった。
「……君こそ、何で仮面なんか付けてるの?」
彼女の顔は、目と口用に三つの穴が空いただけの木彫りの仮面によって覆われている。ホープも、つい驚いてしまった。
弾の尽きてしまった銃を、口惜しそうに捨てながら。
――そしてこの二人は気づかない。
ホープは過程がどうであれ、結果として少女を死なせなかった。
そのために、自分を殺すためのたった一発の弾丸を使うハメになった……つまり。
命を救われたのは、彼か彼女か、どちらなのだろうか。
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