あの雨の名前はね、
前話「静かに、穏やかに、」の後日談。
夜の街は、大人になった彼女の物だ。
夜。夜。夜。
夜の街へ飛び出す。
夜は光を際立たせる。
光と闇が混在する、夜の街。
商店街。人影。シャッターが下りた店。隅で妖しく光る自動販売機。白い光を放ち続けるコンビニ。
全部全部、大人の特権だ。
大学生になり、ハタチを迎えた。成人したからもう、私は大人だ。
大人は夜を歩いていい。
大人には夜を自由に歩ける権利がある。
夜の街は、大人になった私の物だ。
「終電……もうすぐじゃね?」
隣で彼がスマホを弄りながら言った。
「だね。もうすぐだよ」
春の夜は心地いい。
何にも縛られることなく、心ごと解放された気分になる。
「呑気だな」
「君に言われたくないよ」
隣で「うるせー」とか言って微笑む彼は、いい感じに大人でいい感じに子供に見えた。
きっと、何となく生きて、何となく器用に色んなことをこなして、適当だけど、無難な人生だったんだろうな。そして、これからも。
彼には、そんな軽さがある。
商店街を抜けた。
彼の吐いた煙草の煙が夜空に上がる。
夜風が気持ちいい。
この信号を超えたら、そこが駅だ。
赤が消え、青が光る。
「急がねーと、さすがにやばいんじゃね?」
彼が早足になる。
私は……。
異変に気が付いた彼は足を止め、振り返った。
「……明日香?」
彼は首を傾けた。
「終電が」
「そんなつまらないこと言わないで」
「は?」
そう言えば、今夜はちょっと、空に雲がかかっている。
「終電とかいいよ」
でも、どんよりとした重たいものではなく、夜の濃紺色で暗く染まれる程度の薄い雲。
「え? いいの?」
驚いた顔の彼。
「うん」
その表情が子供みたいで可愛かった。
「彼氏いんじゃねーの?」
「言ったでしょ。そんなつまらないこと言わないで」
彼は意味ありげな笑みを浮かべた。
「お主も悪よのぉ」
「舜には敵わないけどね」
「お、初めて名前呼んでくれた」
彼がこちらに戻って来た。
「どこ行く?」
「んーカラオケは?」
「あり。オケオールだ」
大人の特権を使って、私達は夜の街を再び歩き出す。
不意に、彼が夜空を見上げた。
「ん……雨」
雨は、静かに、穏やかに、それでも、しっかりと私達を濡らしていく。
ふと、謎の懐かしさが私を襲った。
何だ。何を……。
心の中に閉じ込めていた、様々な感情が蘇る。
気持ち悪さ、気持ちのいい冷たさ、程よい軽さ、彼と合わせた目……。
思い出した。
「走ろーぜ!」
「うん!」
あの日の雨と同じ。
何にも、何にも変わってない。
あれからどれくらい経った?
遠いようで、近いような。
私は、あの日のまま。
経験を積み重ねただけの、ただの……。
ねぇ、あの日の私。
思い出したよ。
あの雨の名前はね、
小糠雨。
「こぬかあめ」と読むらしいです。
霧みたいな細かい雨。
名前が可愛いなーと思い、使ってみました。
今回は『同棲癖。』に少しだけ登場した、涼夜の元彼女、明日香にフォーカスしてみました。
猫田、舜という新たなキャラクターも登場したので、彼等にフォーカスしたものも、いずれ書くかもしれないです。
その時は、またここで。




