静かに、穏やかに、
どうも、お久し振りです。濃紺色。です。
『同棲癖。』の前日譚と、その後日談を書きました。
『小糠雨の蠢動。』
涼夜と依夜の知らない、それでも、確かにあった彼女の話。
憂鬱になり切れない彼女の青春を、どうぞ。
『まだ、時間かかりそう……』
LINEでメッセージが届いた。
「まだかかりそうだって」
「そっか」
2人だけの教室。クラスメイトは、帰宅したか、部活に行ったか……この時期だから、自習室で勉強か。
自席から窓の外を眺める。
曇り空。でも、どんよりとした重たいものではなく、太陽の光で白く光れる程度の薄い雲。
何を勘違いしたのか、窓際の席に座る猫田は本から顔を上げ、こちらを怪訝そうに見た。
「……何だよ」
迷惑そうな目。元々、冷めた目付きをしている為、余計に嫌そうに見える。
でも、
「違うよ。外見てた」
何も感じなくなるぐらい、私達は多くの時間を共に過ごしてきた。……なんて、ドラマの台詞のような臭いことを思ってみる。
猫田は更に不機嫌そうな顔をすると、
「勉強したら?」
再び、本に視線を戻した。
何だか、その仕草が可愛く見えて、思わず、意地悪をしてみたくなった。
「猫田も、小説ばっか読んでないで勉強したらー?」
猫田は少しだけ口角を上げると、表紙をこちらに向けた。
何だ? その勝ち誇った顔は。
「明日、早速小テストだろ?」
彼が読んでいたのは、学校から配られた英単語帳だった。
新学期が始まり、私達は3年生になった。
受験。卒業。将来。
様々な未来を、それぞれの道を、どこかのグループの私ではなく、私の人生を生きる私を、私自身を考えなくてはいけない時期になった。
これまでずっと一緒だった4人だって、別々の道が始まるんだ。
猫田が勝ち誇ったような顔をした。
「明日香は英単語帳を小説って呼んでるんだな。レベルが違う。やっぱり、優等生は言うことが違うな」
ほんっと、ムカつくなぁー。
「うるさいなー。間違えただけですー!」
「優等生でも間違えるんだな」
そこまで言うなら、私だって。
「そうやって、意地悪なことばっか言うから背が伸びないんだよ」
猫田は少しムッとした顔をして、
「……それは今……関係、ないだろ……」
と、悔しそうに小声で言った。
猫田は、私より背が低い。
もしかしたら、4人の中で1番低いかもしれない。勿論、彼もそれを分かっていて、弄られると、冷めた目を更に鋭くする。
「あれれー、猫田君、どこかなぁー? 小さくて見えないなぁー」
「……うっさいな」
猫田は不機嫌そうに、閉じていた英単語帳を荒々しく開いた。
その姿が拗ねた子供みたいで可愛くて仕方がなかった。
静かになった教室。
隣のクラスの担任の話し声、吹奏楽部の演奏、野球部とサッカー部のかけ声、演劇部の発声練習、曇り空が織り成す街の音……。
ちょっとワクワクしてしまうような青春の音が、耳に心地よかった。
勉強しようかなと思い、バックを漁っていると、
「涼夜とは……上手くいってる?」
猫田の言葉がやけに教室に響いた。
同時に、様々な感情が胸の奥でミキサーにかけられたかのようにかき混ざった。
彼からの『まだ、時間かかりそう……』というメッセージに対する気持ち悪さも、彼がいない教室の居心地のよさも、曇り空に対する安心感も、そして、猫田がそれを気にかけていた驚きと嬉しさも。
全てがぐちゃぐちゃになり、どろっとした生温かい熱が心臓を包むような感覚に襲われた。
「……大丈夫?」
何かを察したのか、猫田がこちらを見ながら心配そうに言った。
相変わらず、目は冷たいままだけど。
「……うん」
「そう? ならいいけど」
猫田は英単語帳に視線を戻した。
その素っ気なさが、今の私には心地よかった。
纏わり付くようなねっとりとした熱を、気持ちのいいペースで冷ましてくれる。
私に執着しない、程よい軽さ。
不意に、猫田が窓の外を見た。
「ん……雨」
雨は、静かに、穏やかに、それでも、しっかりと窓を濡らしていく。
口が、勝手に動いていた。
「ねぇ……猫田」
胸の奥に潜む、誰かの必死な叫び。
「……ん?」
そんな、感覚。
「あのね……私」
「あーやっと終わったー」
「お待たせ」
彼等の声が、私を現実に引き戻す。
眠そうな目の涼夜と疲れた顔の依夜が、教室に入って来た。
「まじ、あいつの話長ぇーよ」
「涼夜、寝てたでしょ」
2人の会話が音として耳に入って来る。
猫田と目が合った。
それでも彼は、何も言わなかった。
「なぁ、明日香。これから何する?」
涼夜の顔を極力見ないようにして微笑みながら、静かに降り続ける雨の名前を思い出そうとしていた。
名前に「猫」が付く人、ちょっと羨ましい。