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不可解



いつだってそうだ。君は僕の心を強く握りしめるのに、僕にはその心の香りさえ確かめさせてはもらえない。細くしなやかな指を捕えようと手を伸ばしてみても、君は柔らかな微笑を浮かべ通り過ぎていくのだから。


「アンタ、何故そこまで僕に固執するの。全く理解できない」


そう寂しげに笑った顔が忘れられないのだ。僕にだってわからない。君は明るいほうではないし、強く民衆を引き付けるような魅力だって持っていない。素朴で、捻くれた顔立ち。少し華奢な体。鋭く光るその眼光はいつだって僕を苦しめる。嫌味交じりに吐かれる言葉は僕の中に溶け込んでいく。

僕はそんな君が、気になって仕方がなかったのだ。君が僕を、突き放そうともがけばもがくほど、僕は君に吸い寄せられたし、君は雁字搦めになってもがいていた。その様を見て、僕は体が熱くなるのと同時に脳の芯はひんやりと冷えてゆく。

君、【ユキ】は小さなバーで働いていた。僕は以前からマスターが好きでよく通っていたのだ。初めて君を見たとき、僕は「またマスターのお人よしが出たのか」と少々あきれていたくらいだ。そのくらい君はふてぶてしかったのだ。後に年が近いと聞いてひどく驚いた。だって君は学生にしか見えなかったから。

仲のいい友達と飲んだ後、少し飲み足りなくていつものバーへ立ち寄る。勿論、ユキがいるからでもあった。足が少し宙に投げ出されたかのような、体が軽くなったような。そんな感覚に身をゆだねて、階段を下り、古ぼけた扉を開ける。小さな店に、お客さんは一人。常連の滝さんだ。滝さんは僕に気づくなりニッコリ微笑んで、隣の席を指さした。

「今日は、遅いね。」

「こんばんわ。友人と飲んでいたもので。」

「そう」

「滝さんはいつ頃?」

「私はもうかれこれ2.3時間は。飲みすぎかしら」

「いえ、明日は日曜日ですから。」

滝さんはほんのりと赤い頬をニッコリ持ち上げた。

「お飲み物、決まっていたら。」

ぶっきら棒に冷たい声が響いた。

どうしてだろう、こんなにも冷たい声なのに。ひどく安心する。一日の疲れが流れ落ちていくようだ。微笑みを隠し切れない僕はその緩んだ頬をアルコールのせいにして、とことん力を抜こうと思った。

「…飲みすぎじゃないの。アンタ」

「アンタ?僕の名前、まだ覚えてくれていないの?」

「あの、注文いいですか。」

「冷たいなあ。ビールでいいよ」

はい、とだけ答えて、ユキは僕に背を向けた。弱弱しい背中だ。握りつぶしてしまいたくなるほどに。

横からの視線を感じて滝さんに瞳を向ける。滝さんは、仕事一筋の強い女性だ。おろされた長めの髪には縛り上げていた型が見えた。

ツンとした鼻がやけに挑発的に見える。本当はすごく穏やかで、心の広い人なのに。吊り上がった眼とその鼻で全くそうは見えない。そして、その人柄を唯一表すふっくらとした柔らかそうな唇が何か話そうと開く。

「相変わらず、きれいな顔ね。いつも一人だけど、恋愛とかしないの?」

「…いえ、恋愛は興味ありませんね。」

「ふぅん。」

「勿体ない、とか言います?」

「意地の悪い聞き方ね。」

「すみません、そう聞こえてしまいましたか」

「ふふ、無意識?」

「ですかね。」

「…言わないわよ。恋愛なんていいものではないもの。」

「ですね、」

「いつだって人はくだらない恋愛感情にくるってしまうわ。大事なものを見落とすほどに。」

「僕も、そう、思います。」

「気が合うわね、相変わらず。」

滝さんはいつだって正しい、ひどく真っ当でそれがまぶしくて煩わしいほどに。それでも彼女とこうやって落ち着けるのは、色恋ごとに関してだけはあまりに倒錯した、価値観を持っているから。下らないと言ってのける心があるから。だからぼくは目をそらさずに向き合えるのだ。

ユキは興味もなさそうにただグラスを拭っている。君もそうでしょ。色恋にくるったりしない、そうだよね。

いつだって、そういう感情は僕からすべてを奪っていく。

「…夕さんは弱虫なだけだ。」

ポツリと、ユキがつぶやいた気がした。

気がしただけ、そう。だから僕は声を大きくし滝さんに笑いかけたのだ。ああ、本当に狂おしいくらいに君で頭がいっぱいだ、ユキ。



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