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なろうで上を目指すなら″辛い経験″という食材をそのまま使うな。ウケたいと思うなら料理しろ。

 タイトルから凄い得意げに、かつ偉そうに語っているかもですが、筆者は小説のコンテストに応募したこともなければ、なろうのランキングにも自作品が載ったこともありません。

 しかし少しでも創作のヒントになればと思い、書かせて頂きました。

 自分と同じ過ちを犯す人間が一人でも少なくなるように……

 創作活動のアイデアというものは、日常のあらゆる所に転がっています。

 自分の味わった経験や体験――そこから感じるものの全貌はあなたにしか分からないんです。


 中でも日々の学校生活や仕事。日常で体験した辛いことを腹いせで、あるいは伝えたいから創作に投影したいという方もいらっしゃると思います。

 学校で何も悪いことしてないのに理不尽にいじめられた恨み、ムカつくセンコーに怒られたことによるストレス。

 会社でムカつく上司や同僚、時に後輩から偉そうに、上から目線で理不尽に怒られた恨みやストレス。


 自慢の作品にそれら実体験で味わった苦い経験を入れることでストレス解消をしたい。

 作品を通して誰かにこの苦しみを伝えたい、遠回しな復讐がしたい。そう思う人もいるでしょう。

 実際、私もそうでしたから。


 しかししかし、待って下さい。ここで一つ質問です。

 あなたはなろうにおいて、上を目指す派ですか?


 上を目指すつもりはない。自分は評価など気にせず、書きたいものを書いてればそれで満足という方は自分の思い描いた道を"自由"に突き進むのがいいでしょう。

 "自由"はとにかく無限大と可能性に満ちています。勿論、学校や職場での辛い出来事をそのまま作中のストーリーなどに投影することで、理不尽に自分を痛めつけた奴らへ遠回しな復讐をすることも叶うでしょう。

 ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 自作品をなろうのランキングに入れたい!

 コンテストに応募し賞を頂き、自作品を書籍化したい!

 アニメ化したい、映画化したい!

 

 ここからは、そんな夢や野望を叶えたいという方や"辛い経験"を作品の中に投影したいという方に送るアドバイスです。

 大衆の読者はなぜ、なろうに小説を読みに来ると思いますか?

 娯楽を求めて読みに来るからですよ。休暇、学校や仕事の休み時間を利用してアクセスし、ガス抜きをしにやってくるわけです。

 娯楽――つまり面白く楽しいものを求めてやってきます。


 そんな読者が、学校や職場であなたが味わった理不尽な"辛い経験"を作中キャラに置き換えただけのものを読みたいと思いますか?

 思わないですよね。

 要するに、学校や職場での理不尽な"辛い経験"を、小説内のストーリーにストレートかつダイレクトに入れてもそれを読む読者は不快な思いをするだけなんですよ。

 早い話が恨みや憎しみを解消しただけで、自分以外誰も喜ばない。読者を楽しませられない<自己満足>に終わってしまいます。

 それよりも面白い、楽しいストーリーが読みたい。それこそが一般大衆の本音と私は考えます。

 勿論、自己投影しすぎてもダメです。あくまでモデルと考えましょう。


 <自己満足>で終わる作品はレストランで例えるのであれば、何も料理しないで食材だけを皿に乗っけて、自分の好きな適当な調味料かけて出してるのと同じです。

 食材はおろか、客のことも考えない。そんなレストランは決して繁盛しない。

 しかし、料理をすればどんな食材も、料理の仕方次第で美味しいメニューへと進化を遂げるのです。たとえそれが、"辛い経験"だとしても。

 なろうのコンテストやランキングに軒並み名を連ねている方々は、そんな研究に修行を重ねた料理で美味しいメニューを生み出し続けてる方々に他なりません。

 最初のうちから、一般大衆の舌を唸らせる料理など作れるわけがないんですから。 


 "辛い経験"以外にも言えることですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 

 他の人間は決してその食材に手をつけることは出来ない。つまり、その食材を使って料理を作り出せるのはあなただけです。

 "物事の捉え方は人それぞれ"と言いますからね。あなたが物事に対して感じたこと、思ったこと全てが作品を作り出すための無二の食材です。


 それが極上のメニューを作り出すための材料となるか、それともゲテモノ料理の材料となるか。

 はたまた、何も使われないまま忘却の彼方へと消えていくのか。

 無限の可能性を秘めていてあなたが忘れない限り、いくら使っても無限に有り続け、永遠にあなたの中に残り続ける存在。


 そんな無二の食材を生かすも殺すも全てはあなた次第です。

 夢や野望があるならば、そんな無二の食材を成功のための糧とし、本当にそれが成就してしまったら最高ですよね。 


 では、無二の食材をどのように美味しく料理するのか――。

 それを考えることが創作活動だと私は考えています。


 美味しく料理する――。

 いかにその経験や体験を、面白い作品に仕上げることが出来るかということですよ。

 その中で自分が納得いく内容ならば、いくらでもアレンジしたっていいんです。

 食材なのですから料理しなければ、一般大衆が喜ぶ味を引き出すことは出来ません。

 "辛い経験"からくる憎いものが作中にて爽快に消え去ってしまう魔法でも道具でもシナリオでもいい、逆に"辛い経験"を気持ちよく元気にそして強く、跳ね除けてしまうカッコイイ主人公やヒロインでも構わない。己の憎しみを具現化した邪悪な悪役でも構わない。


 料理をしましょう。そのための発想こそが正義です。表現したいものを考え、美味しさを、即ちどうすれば面白くなるのか、ウケそうかをとにかく追求することが大切です。

 "辛い経験"からくる憎しみのあまり、逆に面白さを追求することを忘れてしまい、復讐の方向性を間違えた人が結果的に<自己満足>な作品を出してしまうと私は考えています。


 どうせ復讐するならば、自分以外誰も喜ばない<自己満足>な作品を出す空しい復讐よりも、極上のメニューという名の創作で多くの人から認められ、夢や野望を叶えた復讐の方がずっと達成感があり、輝いて見えませんか? 

 なぜなら夢や野望を叶えて達成感を得た時、あなたはその憎いと思う相手にはない"無二の勲章"を得たも同じなのですから。

 読んで下さってありがとうございました。

 このエッセイを書いたきっかけは昔いじめられた経験をその恨み憎しみのあまり、自作品に入れて復讐しようと考え、読者のことを考えずにその理不尽さをこれでもかとシナリオに盛り込んだ結果、「いじめ描写いらない」と大勢の方から批判を浴びて作品の評価を下げてしまった経験から来ています。

 憎しみという力は時にバネにもなりますが、使い方を誤れば周りに悲しみを振りまき、最悪自分すら滅ぼしかねません。以上です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 正論だと思う。確かに趣味以外の、書籍化を目指している連中はそういう考えで執筆に望むべき。 [一言] 料理の喩えを引き継ぐと、 なろうは初心者の場だから、個人の裁量で味付けが偏りがちになるの…
[一言] おもしろい
2018/02/12 10:42 退会済み
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