第8話 黄金色の少女
2018/4/7 16時頃に追記しました。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
いくつもの壁が空を遮り、地に影を落とした。影と影が重なる狭い路地で二つの視線が重なっていた。一つの視線は何かに怯え、そして迷っているようであった。それを見つめていた未久は恐る恐る口を開いた。
「あの……、話の流れを遮ってしまうかもしれないんですけど、さっきまでカエルムさんを追いかけていたのは一体何者なんですか?」
ラドメスは視線をカエルムから未久に移し、間を置いて笑い出した。それを見たカエルムはそっぽを向いて小さく呟いた。
「……うちの家臣よ。私が無断で城を抜け出してきたから、連れ戻すために追いかけてきてたの」
ラドメスは目にうっすら浮かんだ涙を拭いながら、彼女に続けて言った。
「そんで、こいつが追いかけられてる度に、俺が逃げる手助けをしてるってわけ」
「逃げる手助けって、え?」
彼らの言葉に動揺する未久にラドメスは再び笑い出し、カエルムは苦い顔をした。未久はパクパクと空回る口から何とか言葉を紡ぎ出して訊ねた。
「家臣から逃げるってそれはそれで、その……ヤバいんじゃないんですか?」
未久が真面目な顔をするもののカエルムの口から笑いのため息が漏れ出し、彼女は肩をすくめた。
「そりゃヤバイはヤバいよ。でも私だって人間なんだから自由になりたい時だってあるもの。それに、これはこれで一種の娯楽になっているのよね」
「娯楽?」
その言葉を聞いたラドメスは、先程とは対照的に大きく深いため息を吐いた。
「『今回、陛下が逃げ切れるかどうか』という賭け事だよ。……ったく、こっちは見つかったり捕まったりしたら終わりだってのに、呑気にそんなことしてんじゃねぇよ」
ラドメスは頭を抱えて俯いてしまった。それを見た未久は苦笑しながら呟いた。
「そんなに危ないなら、手助けするのを止めればいいのに」
それを聞いた彼は顔を上げて未久に耳打ちをした。
「できることなら俺だってそうしたいさ。だがな、手助けしなかったらこいつに殺されかねないし、かと言って手助けして見つかったら牢獄にぶち込まれかねないしで、手助けして逃げ切るって選択肢しか俺には残されてないんだよ」
そう愚痴をこぼす彼の後ろにカエルムの影が迫った。それに気づいた未久は「あ……」と言葉を漏らし固まった。彼が彼女の異変に気づいた時、背後から声が聞こえてきた。
「ラドメス、私が何をしかねないって?」
その声を聞いた彼は顔から血の気が引き、ゆっくりと振り返った。そこには笑みを浮かべつつも、指を鳴らしながら立っているカエルムがいた。彼は硬直しながら機械のように「ゴメンナサイ、何でもないデス……」と口にした。
それからカエルムはふぅと一度ため息を吐き、空を見上げた。空はいつものように青く、しかし壁に覆われてとても小さかった。その小さな空に一点の小さな鳥が通り過ぎた。その一点は大きな弧を描きながら旋回し、その空から消えていった。
「デウスじゃなかったら、私はもっと自由だったのかな……」
深い影から光を見上げる少女の言葉に未久は顔を上げた。そこには悲しげに輝く黄金色の瞳があった。彼女の胸では金具でつながれた羽根が揺れ、小さな金属音が空しく響いていた。そしてどこからか遠くから響く優しく、小さな鈴の音が未久の耳をかすめ、それが彼女の口を動かした。
「何か、あったんですか?」
その言葉でカエルムは視線を未久へと移した。二人の視線が重なり、沈黙が流れる。彼女らの髪が小さく揺れ、風と共にカエルムは口を開いた。
「私には生まれた時から自由なんてなかったのよ」
彼女の背後には光がありつつも、黄金色の姿に影を落とす彼女の過去が語られ始めた。
私が生を受けたのは今から十四年前の話である。私の両親は共に平民であり、とても裕福な暮らしをしていたとは言えなかった。そのような家庭に一人の子どもが誕生した。その子どもは髪も瞳も色素がとても薄く、黄金色に輝いていた。そして何より前髪にはM字の分け目があったことから、出生当初からデウスが戻ってきたと騒がれたらしい。その子どもが私である。
オラティオでは、カエルムが三百年に一度現れるという伝承があったことから、私は『カエルム』と名付けられた。そして、デウスがこの国に存在する場合、彼女が政を執り行うと定められていたため、私は誕生して数日後に女王の位に即位することとなった。しかし首も座らず、言葉も話せない赤子が政を執り行うことなどできるはずもなく、右や左がわかるようになるまで政は私の両親が執り行っていた。
月日は流れ、私は三つになった。王族の身として、私は朝から夜まで様々なことを勉強させられていた。それに嫌気が差していた時、ふと窓から城外の景色が見えた。そこで私は広場で遊ぶ子どもたちを見つけたことをきっかけに、城を抜け出すようになった。
初めは城外へのただの好奇心だった。三年間ずっと城内に閉じ込められ、外の世界など少しも知らなかったので、城外へ行くことは私にとって大きな冒険であった。しかし同世代の子どもたちと遊んだり、街の人々と関わったりしていくと、人と触れ合うことが楽しみになっていった。
それからよく城を抜け出すようになり、時々ある男が目の端に映るようになっていた。今考えると、その頃ほとんど追手が来てなかったのはその男のおかげであって、その男がラドメスだったのだと思う。その男と目が合うと彼は軽く手を振り、どこかへ消えていってしまっていた。当時私はその男を不思議に思っていたが、彼を追うようなことはしなかった。
街で遊び、皆と別れて城へ戻ると、毎度母にこっぴどく怒られていた。ちゃんと勉強しなくては立派な王族になれないだとか、言われたことをこなせないなんて王族の恥だとか様々なことを言われた。しかしそれらの言葉はどれも私の胸に突き刺さってこなかった。王族、王族、王族――それは私がなりたくてなったものではない。生まれた時から強制的にさせられたものだ。しかし私が王族なんてやめたい、と言ったとしてもそれは叶わないだろう。ただの人であったのなら新しい法などを定めてやめることができただろうが、私はデウスである。私がデウスである限り、誰も私を放してくれないとわかっていた。月日が経つにつれて、私は城内では考えることを放棄し始めていた。
そしてある時ふと気づいたことがあった。それは両親についてだった。年々彼らの服装は派手になっていき、彼らの顔つきが醜くなっているように感じた。当初政はまだ両親が執り行っており、私はそれを横目に見るだけだった。その彼らの服装が派手になっていくにつれ、彼らの態度が横暴になっているようであった。
私はそれから逃げるように街へ行くと、街は年々衰弱していっているように感じた。活気のあった街並みも閑散としていき、子どもたちの声で溢れていた広場もひっそりとしていった。街へ下りる度に胸がざわついていき、そしてある日昔の両親を知っているという人に出会った。その人に両親について訊ねるとこう言った。
「彼らは昔とても優しい人でした。誰かが困っていると必ず手を差し伸べてくれる人でした。しかし陛下が誕生なさって今の地位に就いてから、人が変わったように自身の欲のことしか考えなくなったのです。今まで貧しい暮らしをしてきたということもあって、裕福な暮らしに目がくらんだんでしょう。それからは……見ての通りです」
その人は寂しそうに街を眺めた。その時私は幼いながらも『王族』という身分の脅威を感じた。それから私はそれをより感じることになることをまだ知らなかった。
次話「『カエルム』」は2018/4/21(土)に更新します。