第6話 探しもの
2018/3/11 0時頃に追記しました。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
日が高く昇り、眩しく強い日差しの下、二つの足音は城から城下へと向かっていた。押し黙っている衛次の後姿を未久は怪訝そうな顔で追いかけていた。一瞬たりとも振り返らない彼に嫌気が差した彼女は立ち止まり、その背中に言葉を投げかけた。
「衛次さん、さっき言ってた『風の使者』って何ですか?」
彼は歩みを止め、やっと彼女に振り向いた。彼の背中を無理矢理押すように風が吹き、彼女のフードが頭から取れた。それでも微動だにしない彼女を見て、彼は目を伏せながらゆっくりと近づき、そのフードを再び彼女の頭に被せた。
「もうここは城下なんだ。王家がお前を攻撃してこなかったとしても、城下の人々の反応はまだわかったもんじゃない。無防備に顔を晒すんじゃない」
大きなその手は優しく彼女の頭を撫でた。しかしそれが余計に彼女の眉間にしわを寄せさせた。
「何を隠そうとしているんですか? デウスの私には話せないことなんですか?」
彼女の小さな手はマントを強く握りしめた。彼はしわが寄っていく彼女のマントに目を落とし、首筋に焼けるように強い日差しを感じた。じりじりと鈍い痛みが首から周りに広がり、彼の頭を重くさせた。彼はフッと軽く息を吐き出し、彼女の頭上に声を落とした。
「話せないわけではない。ただどう話せばいいのかわからず、言いかねていただけだ」
それを耳にした少女は目を見開き、パッと上を見上げた。その時にはもう彼は踵を返し、前へと進み始めていた。彼女は急いでそれを駆け足で追った。彼女が追いつくと、彼は彼女に振り返らずに話し始めた。
「俺が昔住んでいたところにはデウスについて書かれた書物があった。そこに書かれていたことはデウスの特徴、過去にあったこと、そしてデウスはこの世に三人存在するということだった」
彼女の前を行く彼のマントがなびき、彼の顔を何度も隠した。彼女から彼の表情が何一つわからないまま彼の話は続いた。
「その三人は空の神様カエルム、森の神様シーバ、海の神様マーレ。ここまでは前に話したな?」
やっと少し振り向いた彼に少女は無言のまま頷いた。彼はそれを確認すると再び彼女から顔を背け、前を向いた。
「彼ら、というより彼女らか。彼女らは何百年かに一度だけ現れる。シーバは五百年に一度であることはわかっているが、他のデウスについてはまだ詳しくわからない。それにいつから彼女らが現れるようになったのか、なぜデウスが生まれたのかわからない状態だ。デウスを嫌う者がいるのはおそらくそこに原因があるのだと俺は考えている」
上を見上げる少女の瞳に鋭い日差しが差し込んだ。しかしその視線の先にある顔には影が落ち、彼女はそれに言葉をかけることができずそのまま話が続けられた。
「そしてデウスにはそれぞれオーミエと呼ばれる相棒がいるらしい。それは確か――」
「待ってください!」
前しか見ていなかった衛次は未久の声で我に返り、彼女に振り向いた。そこには不満げな顔をした少女が立っていた。彼女はしかめっ面のまま声を尖らせて言った。
「デウスについては大体わかりました。でも、さっき言っていた『風の使者』は一体何のことなんですか?」
その言葉が彼の耳に届いて少し間を置いてから、彼は目を見開いた。
「その話だったな」
「……忘れてたんですか?」
「すっかり頭から抜けていた」
少女は怒りのままに拳を彼にぶつけた。彼はそれを腕で防ぎながら彼女に言った。
「もう俺だって歳なんだから許してくれって。それに頭から抜けていたって言っても、あながちオーミエの話と関係ないわけじゃないんだ」
それを耳にした彼女は拳の力を緩めた。
「どういうことですか?」
やっと痛みの雨から逃れられた彼はホッと息を吐き、身形を正しながら続けた。
「さっき言っていた『風の使者』というのは、あるデウスの異名なんだ。そのデウスは異名通り、それを自由に操ることができる。それで、またオーミエの話に戻すが、オーミエのそれぞれの名前は――」
彼が話していると、遠くから彼らを呼び止める声が響いてきた。
「あ、例の旅人さん!」
彼らは一瞬目を見開き、恐る恐る振り返った。
「例の……?」
そこには今朝方に会ったハフサがいた。彼女は子どものように目をキラキラさせ、喜色満面で丸い体を弾ませながら彼らに近づいてきた。
「いやぁ、聞いたよ! あんたたちデウスなんだって? それならそうと早く言ってくれよ。あんな宿じゃなくてもっといいとこ紹介したのに。今朝も無礼なこと言ってすまなかったね」
彼女は衛次の背中をバンバンと叩いた。彼は背中を丸め、顔をしかめながら彼女を制した。
「いや、デウスなのは『俺たち』じゃなくてこいつだけです。それに俺たちはただの旅人なんですから、今のままで十分ですよ」
ハフサの勢いにたじろぐ彼を目にして、未久はぼそりと呟いた。
「衛次さんっておばちゃんに弱いよなぁ」
彼女は少し彼らから距離を置き、安全な場所からそれを観賞していた。それに気づいた衛次は彼女に振り返り、小声で叫んだ。
「『おばちゃんが』っていうよりも『おばちゃんの情報網』が俺にとっちゃ凶器なんだよ! そんなところで見てないでさっさと助けてくれ!」
未久はその言葉を聞くなり顔をしかめた。渋々どうにかしようと彼らにじりじりと近づくと、ハフサが急に振り返って彼女に笑いかけた。
「せっかくなんだから、今夜はあんたたちの歓迎パーティーを開こうじゃないか!」
その言葉に少女は呆然と立ちすくむも、彼女はお構いなしに彼らを抱え込み街中へと引きずられていった。
その晩、酒場では大人たちの笑い声が絶えなかった。その中心にいる衛次はどこか逃げ腰のまま彼らと笑っていた。その中で唯一の未成年者である未久は時折大人に構われ、少ししたらまた一人で中途半端に余った大皿を目の前にしていた。彼女はおもむろに席を立ち、アルコールの匂いで淀んだ部屋から出ていった。
外は昼間とは打って変わってとても涼しく、空がとても澄んでいた。酒場の灯りが漏れているせいか星はさほど見えず、ただ満ち始めている月の光がとても眩しかった。少女はそのままぼんやりと夜空を眺めていると、頭上から声が降ってきた。
「せっかくのパーティーなのに、なんで一人になっているの?」
未久は一瞬肩を震わせ、上を見上げた。すると、酒場の屋根の上には昼間に見た金髪の少女がいた。金髪少女は鋭い瞳を細め、月の光を光らせた。
「あなたは、女王…様……?」
その言葉を聞くと金髪少女は少し顔をしかめ、不機嫌そうに言った。
「女王様なんてそんな言い方しなくっていいわよ。あなたは旅人なんだし、私の名前を呼んで」
金髪少女は軽やかに屋根から降り、未久の前までやってきた。未久は目を丸くし、少し高鳴る鼓動を落ち着かせようとしながら言葉を口にした。
「名、前……?」
「そう、私の名前はカエルム」
その言葉を聞いた瞬間未久の鼓動は跳ね上がり、胸が熱く、苦しくなっていった。何にこんなにも胸が熱くなっているのかわかずにいる彼女は、その感情を抑え込みながらその名前を口にした。
「カエルムって……」
「そうよ。私が空の神様、カエルム。あなたは?」
金色に輝く瞳を細める少女を目の前に、未久は震える唇を必死に動かした。
「私は未久、です」
カエルムは一度目を丸くし、少し間を置いてからまた訊ねてきた。
「未久ね。で、あっちの方は?」
その問いに今度は未久が目を丸くした。
「あっち……とは何のことでしょうか?」
二人の間に沈黙が流れ、酒場の笑い声が空しく彼女らの間を割って入っていった。すると突然カエルムの顔が青ざめ、彼女から顔をそむけた。
「あ、ごめん。今のなし。何でもないから忘れて」
おどおどする彼女に少し親近感を感じた未久は自ずと笑いが漏れた。それを見た彼女は顔を緩め、微笑んだ。
「一対一であなたと話してみたかったの。まあ今回は自己紹介ってことで。そろそろ帰らないと、家臣に城を抜け出してきちゃったことバレちゃうから、そろそろ帰るね」
踵を返し闇夜に消えていこうとする彼女に、未久は不意に声をかけた。
「あの……!」
カエルムは足を止めて振り返った。しかし何かを言おうとしたわけでもない未久は自分の言動にも驚いて、頭の中が真っ白になっていた。ただ心の奥底で彼女に伝えようとしている何かがあるような気がしてならなかった。何かを言い淀んでいるように見えたカエルムは苦笑を浮かべて言った。
「また今度話しましょう。今夜はパーティーを楽しんで」
彼女は少し寂しそうな顔をして、軽く手を振ってその場を去ろうとした。それを見た未久は慌てて喉から出かかっていた言葉を口にした。
「私と一緒に旅をしてください!」
酒場から漏れ出す声があるものの、彼女の声はカエルムの耳に直接届いた。少女は目を丸くし、様々な光が反射する瞳を未久に向けた。未久もまた自分自身に驚き、顔をしかめていた。しかしその言葉は彼女がずっと探し続けていた言葉だった。
次話「歩幅」は2018/3/24(土)に更新します。