第3話 曲芸団
2018/1/30 2時頃に追記しました。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
岩が小さく崩れ落ちる音が響き、いくつもの足音が徐々に彼らに近づいてきた。彼らもまたそれらに恐る恐る近づき、それらの様子を窺っていた。彼らのマントは何度もはためき、その布の上で光と影が踊っていた。
彼らが岩場で隠れていると、人の話し声が聞こえてきた。彼らは徐々に進めていた歩みを止め、衛次は未久を影の奥に潜めさせた。話し声はだんだん大きくなり、その内容が聞こえるようにまで近づいてきた。
「おーい、そんなにちんたらやってると次の目的地に遅れてしまうだろうが。遊んでねぇでさっさと来いよ」
その声の奥には楽しげな声が響いていた。その内の一人がその高らかな声のままその男に言った。
「団長、もう疲れましたって。一度休憩しましょ」
「さっき休憩したばっかじゃねぇか! 疲れたってんなら『遊び疲れた』だろ」
賑やかな声を聞き、衛次は未久を見た。彼女は少し不安げな顔をしつつも、彼に頷いた。それを見た彼は彼女の頭を自身のマントに押しつけ、その声の方へ向かっていった。
賑やかな声は衛次たちの姿を見つけ、驚いた声に変わった。
「おぉ? こんなところに人が? 珍しいですね、旅人ですか?」
先程の高らかな声の女性が大げさに遠くを見つめるような身振りをした。衛次は彼らに近づき、にこりと笑った。
「ええ、そうです。我々もまさかこんなところで人に会えるとは思っていませんでしたから驚きました。俺は衛次と言います。あなた方は商団ですか?」
女性は軽快に岩場から飛び降り、衛次たちのところまで近寄ってきた。
「いいや、うちらはそんなんじゃないよ。曲芸団ってわかるかい? 人間や動物が曲芸する集団だよ。うちらはここいらの地域を回ってやっているんだ。ところで、あんたの後ろにいるのは?」
衛次の後ろに隠れていた未久は少しびくつき、彼のマントの裾をより握りしめた。それを見た彼は少し言い淀んだ。
「ああ、こいつは……」
「女の子? かっわいいー! ねね、名前は何て言うの?」
テンションの上がる彼女は未久に近づき、未久は顔を強張らせ後退っていた。すると彼女の後ろから男が近づき、彼女の頭にげんこつが落ちた。
「この変態! その子が怖がってんじゃねぇか」
彼女はうずくまり、その後ろで男はため息を吐いた。目を丸くする未久を見た男はまた小さくため息を吐き、頭をかいた。
「いやぁ、すまねぇな。こいつ『超』が付くほどの子ども好きの変態でな。俺はガライ、この変態はシャリファだ」
ガライという男はシャリファの頭を押しつけ、無理矢理頭を下げさせた。衛次は少し頬を緩め、未久の背中を少し押した。
「こいつは未久です。少々人見知りだがよろしく」
未久は衛次の裾を握りながら彼を見上げた。彼は彼女を見下ろし、微笑みながら小さく頷いた。
その後一行は行動を共にし、ハマダの中を歩いていた。シャリファは未久にくっつき、列の後尾で一緒にいた。
「じゃあ、うちの仲間を紹介するね。この二人は双子のマライアとマシカ。専門は空中ブランコ」
シャリファは未久に仲間の紹介を始めていた。未久にとって曲芸団を見るのは初めてで、初めて聞く言葉がたくさんあることに興奮していた。
「空中ブランコって何ですか?」
「敬語なんてやめてよ。タメ口でいいよ。空中ブランコっていうのは――」
楽しげな声を列の先頭から気にしていた衛次に声がかかった。
「シャリファは馬鹿だが、とても面倒見のいいやつなんだ。俺が気づかない仲間の不調まですぐに気づくしな」
衛次は振り返り、ガライを見た。ガライは笑いながらも、少し悲しげな瞳をしていた。衛次は少し目を細め、彼に訊ねた。
「彼女に兄弟がいるんですか?」
ガライは少しの沈黙の後、静かに口を開いた。
「下に三人の妹と弟がいたらしい」
岩石の谷にいくつもの足音が響き、岩の上を砂が流れた。後ろから笑い声が響き、ガライの顔に影が落ちたように感じた。
「その下の子たちは疫病にかかって亡くなったらしい。皆二、三歳と小さかったようだ」
「そうだったんですか……」
衛次は口をつぐみ、下を向いた。それを見たガライは大げさに背筋を伸ばし、前を向いた。
「それであいつが言ってたんだ。『うちは病気を治せるような頭を持ってない。だから、苦しんでてもその苦しみを忘れられるくらい笑ってもらえることをしたいんだ』ってな」
衛次は顔を上げ、彼を見た。彼はニッと笑い、衛次の背中を叩いた。後ろから聞こえる笑い声は彼らの背中を押していた。
日が傾き、辺りを岩で囲まれた彼らから光が消えてきた。先頭を歩いていたガライは後ろに振り向き大声で叫んだ。
「今日はここで野営するから、それぞれ準備にかかれ」
その言葉で曲芸団の一行はそれぞれ動き出した。指示を出すガライに衛次は近づき訊ねた。
「我々は……」
「ああ、別に何もしなくて構わないよ。一人や二人増えたところで、今までとそう変わりないからな」
彼らが少し話していただけで、すぐにテントが張り終えられていた。未久はシャリファに連れられ、あるテントに入っていった。衛次はそれを見送り、ガライと共に別のテントへ入っていった。
衛次たちは少し雑談をした後、彼は話を切り出した。
「実は俺はもう何十年も旅を続けているんですよ。それで各地で出会う人々にあることを訊いて回っているんです」
テントの中央に立てられた小さなろうそくの炎は揺らめき、彼らの頬を微かに照らした。ガライは両手を膝につき、少し身を乗り出した。
「ほう、それは何だい?」
衛次は一度目を伏せ、顔を上げて彼を真っ直ぐと見た。
「デウスの伝説について何か知っていることはありませんか?」
それを聞いたガライの瞳に映る炎が歪み、小さくなった。彼から目を逸らすことない衛次を目にし、彼の口から低い声が漏れた。
「なぜデウスのことなど聞くのだ?」
その声を追うようにして、外から大きな音が聞こえてきた。衛次は咄嗟にテントを飛び出し、未久のいるテントへと向かった。するとそこは荷物が散乱し、その端で少し倒れ込む未久の姿があった。
「ま、前髪にM字の分け目……」
「それから、色素の薄い目……!」
マライアとマシカは二人で手を組み、震えていた。未久のフードは取れ、頭が露わになっていた。それを見た団員は口々に言った。
「デウスだ」
ある人が足元に落ちていたマグカップを手に取り、彼女に向かって投げた。恐怖で固まった彼女を衛次が庇い、彼の頬にそれが当たった。彼の頬は赤くなり、口の端は血で滲んだ。それを見た人々はざわめき、物を投げた人は後退った。衛次は周りを気にすることなく、未久の目の前でかがんだ。
「立てるか?」
少女は小さく頷き、冷たくなった小さな手を彼の手に乗せた。彼は彼女を抱えるように立ち上がらせ、そのまま人々の中をかき分けていった。その先にガライが立っており、彼の眉間にはしわが寄っていた。衛次は彼を見てお辞儀をした。
「お騒がせして申し訳ありません。短い間でしたがお世話になりました」
そのまま彼の横を過ぎ去ろうとする衛次に声がかかった。
「そんな言葉だけでそのまま行けると思ってねぇよな?」
その言葉と共に未久の後頭部にピストルが向けられた。しかし衛次は気にすることなく、そのまま闇夜に消えていこうとした。それが頭にきたガライは引き金を引こうとした。すると上空からラナーハヤブサが急降下してきて、彼のピストルを奪って遠くへ投げ捨てた。彼は衛次たちに向かって飛んでいき、衛次の肩に止まった。それを呆然と見ていた団員は「デウスを庇うとか、あの男イカれてるだろ……」という言葉を漏らしていた。
衛次に肩を抱かれたまま一行から離れていく未久は一瞬振り返り、シャリファと目が合った。それに気づいた彼女はとても悲しげな瞳に心をえぐられるように感じていた。
その晩、衛次たちは歩き続け、月明かりしかないところで腰を下ろした。彼はそっと未久を抱き寄せ、背中を優しく叩いた。
「すまなかったな。また怖い思いをさせてしまった」
彼女は彼の胸の中でかぶりを振った。
「衛次さんが悪いわけじゃないです。悪いのは全部、私なんですから……」
彼女は彼の服にしがみつき、顔を埋めた。彼は目を細め、背を後ろの岩に預けた。
「確かにデウスを崇める人もいれば、嫌い蔑む人もいる。だからと言って、すべてお前が悪いわけではない。崇める人と蔑む人の違いを探す、それが俺たちの旅の目的だろう?」
彼女はすすり泣く声を漏らし、小さく頷いた。彼は首をもたげ、空を仰ぎ見た。
(十になる前の子には厳しい現実だよな)
雲一つかからない空には泣きたくなるほどきれいな星空が広がっていた。欠け始めた月の光は彼の傷を淡く照らし、彼女を抱きしめる腕の力を強くさせた。
それから彼らは約二週間歩き続け、目の前が開けてきた。そこから徐々に草木が多くなり、水の流れが目の前を通っていった。
「衛次さん、水! 水があります!」
はしゃぐ未久に衛次は困ったように笑った。
「ああ、そうだな。ということは――」
彼は顔を上げ、遠くを見つめた。それにつられ、彼女も彼の視線の先を見た。
「街は近くだ」
彼らは再び歩み始めた。その先が彼らにとって光なのか影なのか誰にもわからない。しかし彼らの目的が果たされるまで、彼らの旅は続くだろう。
次話「街」は2018/2/10(土)に更新します。