第23話 キャロル
周りからいくつもの虫の声が聞こえ、遠くからはそれにささやくような波の音が聞こえる。地面に寝そべり空を見上げると、大きな何かが水しぶきを上げたような小さな星が数え切れないほど広がっていた。
歓迎パーティーはあれから程なくして終わり、島民はそのまま外で寝たり、家に戻って寝たり、各々の寝床に入った。未久とカエルムは外で横になり、押しては帰っていく音を静かに聞いていた。しかしカエルムが急に静かに立ち上がり、それを見上げるように未久も体を起こした。カエルムはそれに気づき、申し訳なさそうに笑いながら言った。
「ちょっと眠れなくて」
それから二人は集落から離れ、波打ち際を歩いた。細くなり始めた月が海の上に浮かび上がり出し、黒いうねりの上にその光が歪に映る。それでも光は真っ直ぐとそのうねりの上を走り、浜辺まで一本の道を作っていた。
カエルムはふと閉ざしていた口を開いた。
「なんか、例の姉妹のこと聞いたら思い出しちゃった、私が一人になった時のこと」
小さな波が打ち寄せ、二人の足を冷たい水が包み込む。そのまま引きずるように波が引いていくが、砂だけが流れ、残された砂が二人の足を埋めた。砂は何度振り払ってもなくなることはなく、逆に鬱陶しさが残るだけだった。
未久は俯き、足元を眺めながら呟いた。
「……あの話が本当なのか、またあの子に会って確かめられたらいいんだけどね」
その時、ある音が二人の耳に届いた。波の音でも、虫の音でもない――静かな優しい鈴の音だ。二人は顔を見合わせ、走り出した。小さな飛沫が上がり、砂浜に足が取られる。それでも二人は必死に砂浜を駆けた。
そして数メートル先にルクスが降り立つ姿が見え、二人の走るスピードが徐々に遅くなっていった。それと共に視線を横へと向けると、黒いうねりの中にまたそれとは異なる黒い塊を見つけた。その塊がゆっくりと動くと、再び鈴の音が聞こえる。それを見たルクスは、その塊に声をかけた。
「噂に聞いていた通り、相変わらずなんだな、キャロル」
黒い塊は小さな顔を上げ、月に照らされながら言った。
「あなたも噂通り、せっかちそうな方ですねぇ」
物腰柔らかそうに話すキャロルと呼ばれた塊はゆっくりと浜辺に近づき、二人の数メートル先にまで近づいてきた。二人は少し身構えたが、キャロルと呼ばれたそれは未久を真っ直ぐと見て言った。
「お久しぶりです。またお会いできてうれしいですよ」
その言葉に未久は目を見開いた。未久自身、言葉を話す動物に出会ったことなどない。ましてやキャロルと呼ばれる者などには会ったことなど一度もなかった。しかし未久の脳裏に何かが映し出された。目の前に広がる広大な海で――。
「キャロル!」
一瞬の映像にルクスの怒号が響いた。横を見ると、すごい剣幕でルクスがキャロルを睨んでいた。
「この子はまだなんだ。余計なことを言うな」
キャロルはルクスの怒りなど気にすることなく、あらぁ、と呑気に呟いてから謝った。
「ごめんなさいね。アタクシ、てっきりもうなってるのかと思ってましたから」
呆然とする未久の前で、キャロルは波に揺られながら再び彼女に話しかけた。
「それでは、あなたとは初めましてね。アタクシ、ステラーカイギュウのキャロルと申します」
それを耳にしたカエルムは、割って入ってキャロルに訊ねた。
「ステラーカイギュウって、ジュゴンとかマナティの仲間の? ってことは、鯨の仲間?」
キャロルはフフッと小さく笑って答えた。
「いいえ。アタクシたちは海牛類と呼ばれていて、鯨類とは違うの。鯨類はカバと同じ祖先だけど、アタクシたちと近い共通の祖先を持つのはゾウなのよ」
明確なキャロルの返答に、訊かれ慣れている質問だということが十分に伝わってきた。しかし未久はそれよりもずっと訊きたいことがあった。
「あの」
未久の声でキャロルの視線がカエルムから未久へ戻された。穏やかなその視線に少し恐れながら、未久は重い口を開いた。
「ルクスから、オーミエは絶滅種なんだって聞きました。ステラーカイギュウが絶滅した経緯を伺ってもいいですか?」
二人の間に少しの沈黙が流れる。キャロルは未久の真剣な眼差しを見つめた後、再びフフッと小さく笑った。
「いいですよ。ただ……」
キャロルの視線が横へ流れる。皆が次の言葉を固唾を呑んで待っていると、キャロルは小首を傾げて言った。
「場所を少し移動してもいいかしら? ここだと浅すぎて辛いのよ」
全く深刻でない言葉に一同は大きなため息を吐いた。呆れるルクスは目を細めながら言った。
「もういっそのこと、陸に上がっちまえばいいじゃないか」
「いやよ。座礁なんてしたくないわ」
そのままキャロルは横へと泳いでいった。一同はその後へついていき、桟橋に辿り着いた。未久とカエルムは桟橋に腰かけ、キャロルの話が始まった。
「アタクシたち、ステラーカイギュウは北の海に生息してました。ここまでの会話などからわかると思いますが、アタクシたちは動きがすごく鈍いんです。これが絶滅した第一の原因です」
口調はとてもゆっくりだが、その言葉には重みがあった。緩やかな波のうねりを見ながらキャロルの話に耳を傾けた。
「そしてある日突然、アタクシたちの乱獲が始まりました。見ての通り、脂肪がたくさんあるので、燃料などにしていたのでしょう。しかし、それでもアタクシたちはヒトを警戒せず、また仲間意識も強かったので、仲間を助けに行きました。これが絶滅した第二の原因です」
キャロルは悲しむ素振りもせず、淡々と話した。ここまでの話を聞く限りだとキャロルは、絶滅は自分たちの責任だと言っているようにしか聞こえない。未久が顔をしかめていると、キャロルはその考えを見透かしたように笑った。
「なぜ自分たちを責めるようなことしか言わないんだろうって思っているでしょう? 身内ならそう思ってしまうかもしれないです。でもね、物事は客観的に見なければ、何も見ていないのと同じなんですよ」
キャロルはフフッと笑い、波と共に揺れた。しかし笑ったのはその一瞬だけで、キャロルの顔は厳しいものへ変わった。
「と、ここまでの原因はアタクシたちにありますが、最後の第三の原因はヒトにあります」
今までにない声色に、二人に鳥肌が立った。月の光が妖しく揺れる中で、キャロルの話が続いた。
「ヒトはアタクシたちを刺して殺していきました。ですが当時、ヒトは十トン以上もあるアタクシたちを運ぶ術を持っておらず、アタクシたちを殺すだけ殺して、そのまま帰っていきました」
「え?」
思いもしない展開に、二人は言葉を失った。しかしキャロルは目の前の二人の反応で顔色を変えることはなかった。カエルムは恐る恐るキャロルに訊ねた。
「食料にもされず、なんでそんな残虐なことをされたの?」
「その場ではされなかっただけよ」
変わらないそのゆったりとした口調がより怒りを感じさせた。
「アタクシたちは脂肪が多かったが故に、死んでも浮いたの。ヒトはそれを利用して、殺した個体が海の流れによって陸まで流れ着けばいいと考えた。でも一を殺して一が流れ着くとは限らない。だからたくさん殺して、そのうちのいくつかが流れ着けばいいと思ったのよ」
キャロルはここで大きく息を吐き、再び二人を見た。もうその時にはその瞳から怒りを探し出すことは難しかった。
「これら三つの原因によってアタクシたちは絶滅しました。これをどう捉えるかは聞き手のあなたたち次第です」
その言葉は大きな重りとなって、二人の胸の中に沈んだ。それは大きな想いを託されたような、重い荷を背負わされたような、どちらにせよ胸が苦しくなるものだった。
キャロルの言葉を噛みしめていると、少し遠くで何かが海から上がる音が聞こえた。そちらに視線を向けると、一人の人が波打ち際に立っている。その人は長い髪を高いところで一つに結い上げており、濡れた長い服の裾を絞っていた。
見たことのない風貌に目を凝らしていると、その人が振り返った。その人から美しく雫が滴り、妖しく光に照らされている。暗く、その髪が濡れていたが、未久にははっきりと見えた。その人の前髪にはM字の分け目があったのだ。
次話「恐怖」は2018/11/17(土)に更新します。




