第七話 彼女は傲慢で出来ている
花咲はしゅんとなりながらやっと止まったエレベーターへと進んでいった。
「しかしだな……」
さすがの僕も彼女の熱には後退せざるをえない。これ以上エリを待たせるのは――――。
「私は……」
彼女が僕の方を振り向いた瞬間、エレベーターのドアが開き中から人が出てきた。その顔は覆面を被っていて分からない。服装も明らかにこの学校の関係者のものではなかった。
「…………」
その人は、エレベーターから一歩降りてから全く動かなかった。
なぜか、嫌な予感がした。
「どうしました、雄大さん?」
花咲も僕の異変に気付いたのか、不思議そうに振り返った。その瞬間、覆面の左手に黒光りする何かが僕の目には映った。
「……殺す」
どこかで聞いたような言葉だった。しかしそれが昨日だったのか、一昨日だったのは、もしかしたら一週間前だったのか、それすらも分からなくなっていた。
それが花咲に向けられたとき、僕の身体は完全に凍り付いてた。
「あ……あぁ……」
花咲もあまりの恐怖で言葉になっていない。覆面から漏れる視線は完全に彼女の灯の命を映している。
「……しね」
その低く、悲痛な叫びにも似た重音を聴いた瞬間、僕は目をつむり、現実から逃げた。
目をあければ、赤い底の無い池に沈んだ花咲と、冷徹な目をした男がそこにはいる。きっと僕もここで殺されちゃうんだ……。こんな事なら、エリにもついて来てもらえば良かった……。
といまさら遅い後悔の念に沈んでいると遠くから声がした。僕はそれが花咲の声だと思って、両手で耳をふさいだがそれを二度目に聴いたとき僕は目を見開いてその現場をみた。
目を開くと僕の隣には恐怖で色を変えたまだ呼吸をしている花咲が、僕の手を握っていた。
「私は生きている、私は生きている……」
と彼女は、念仏のように口にしながらなんとか意識をそこに保っている。
不意に聞きなれたエンジン音が僕の耳に入った。音のする方を見ると、エレベーターホールに倒れた目だし帽の男と、あの電動ノコギリを手に持ったエリがいた。彼女のノコギリは音を立てながら彼の首筋すぐそこまで近づいていた。
「やめろ……やめろ、エリ!」
僕らの命を奪おうとした奴の命なんてどうでも良かった。でもこんなところで人間の無残な死に方を僕は見たくなかった。
しかし遅かった。エリの残酷に回るノコギリ歯は確実に殺人鬼の命を絶った。
僕たちはその瞬間また目をとじた。だが聞こえてきたのは肉が削がれる音ではなく、金属同士が擦れあう高い音だった。
「……私も舐められたものだな……」
とエリはエンジンを切りながら、ぽつりとつぶやいた。
「なに、が……?」
僕はおびえながら情けない声で彼女に尋ねた。まだ腰が抜けて動けそうにない。
「これは人間ではない……」
僕らからしたらどちらも人間ではない様に思えるが。
「……傀儡だな」
くぐつ……ってなんだ?
「動く人形の様なものだ。人を殺すことは出来るが、こいつらには血がながれていない」
まだ頭が混乱しているのかエリの言葉の意味すら分からなくなっていた。結局、彼は一体何者?
僕が混乱の最中、エリはまたノコギリのエンジンを入れて男の右腕を切断してこちらに投げた。
怯えながらもそれを見ると、そこには人間の生々しい腕も流血もなく人の腕を象った機械の様なものが転がっているだけ。
「これは……?」
切断面は強引に切られていたが、配線やらショートして火花の散ったコードで構成されている。
「それが影武者の正体。傀儡」
いつの間にか隣で怯えていた花咲は寝息を立てて眠っていた。
「僕たちを襲ったのは人間じゃなかった……ってこと?」
「そういう事になる」
エリは小さく溜息をついて無数の牙をもつ凶器を背中のバッグにしまった。なぜか少し悲しそうに見える。……いや、相変わらず表情の変化は乏しいけど。
「この傀儡は術者、言うところの操縦者がいなければ使い物にならない。つまりまだこの近くに術者……貴方とそこのクラスメートを襲おうとした張本人がいるはずなんだが……」
そこまで喋るとエリはむぅ……と黙り込んでしまった。
「じ、じゃあ、そいつを倒せばもう襲われることはないってことか」
そいつを追ってくれとエリに頼もうとした時、後ろから低い男の声がした。
「おい、そこの生徒! 大丈夫か!?」
後ろを振り返ると奥に教師が二人。この事態をどう説明しようかと悩んで、またエリの方を見ると既にそこにはあの傀儡とかいう人形も、エリの姿もなかった。
僕と花咲は倒れた時に軽く捻った手首を保健室で手当てしてもらって、学校を後にした。花咲も運よく襲われた記憶を失ってくれていたので、彼女が急に倒れたので僕がそれを支えてけがをした、という事にした。
別に隠しておくようなことでもなかったけど、僕自身としてもあんなに恐ろしい場面から少しでも逃げたくて、関わりたくない一心で、嘘をついてしまった。
「…………」
彼女はリムジンの中で黙って、ずっと膝の上で握った自分の両手を見つめたままだった。今、耳を支配しているのは静かなエンジン音だけ。
「次の信号を右だ」
「承知しました」
そんな僕と執事のやり取りだけが車内に響いている。相手が相手という事もあって、なんとなく気まずかった。
「……あの」
「ん? なにかな?」
僕がどうしようかと彼女の様子を窺っていると彼女の方から話しかけてくれた。
「ああ、喉乾いた? ならそこのクーラーサーバーからなにか飲み物でも取って――」
「今回のこと……」
僕が慌てて車内取り付けの冷蔵庫から飲み物を取り出そうとしたらその手をまた掴まれてしまった。今回は随分と力が強い。
「ああ、きみ……可奈子が倒れた奴ね。なーに、心配する事はない。ただの貧血だって保健室の先生が……」
「いえ、やっぱりお礼をさせてください! なんだかよく分かんないんですが、倒れる前、私すごく怖い思いをしていた様なきがするんです……」
「…………」
一瞬、真実を話してしまおうかと悩んだ。しかしそこまで怖い思いをしていたのならば、あえて思い出させる必要はないと判断した。
「でも私が起きたとき、目の前に私の手を握って必死で私の無事を祈っている雄大さんを見て、やっぱりこの人が夫で良かった……って思いました! そのおかげであの恐怖も振り払う事が出来たんですから。どうかお礼をさせてください!」
いや、それは本当に偶然僕が握った時に貴方が起きただけなんですけどね。やはり人間追い込まれると勘違いしちゃうな、うん。僕も気を付けないと。
「あの、雄大さん? 聞いています?」
「いや、聞いていますよ、もちろん! あっ、次のところ左に行ったら大きな門見えるからそこが花咲さんのお宅ね」
「承知しました」
執事に指示をだして、彼女に視線をもどす。ウザったい程に彼女の瞳は感謝の気持ちであふれていた。
「実はすでに、お父様に話をつけているんです。もう家では雄大さんのお迎えの準備ができている頃だと思いますが」
「えっ、そっそうなの……?」
「はい。私、勝手ながら少しでも雄大さんにお礼がしたくて……ダメ、ですかね……」
と彼女は僕に懇願の瞳でお願いしてきた。
うっ……そんな顔をされては断れるものも断れない。顔先十センチに顔のある彼女に向かって小さく頷いた。
「まぁ! 本当ですか! うれしい! では今日は私の豪邸で一夜を共に……」
「さすがにそれは……」
好きな女でもない奴と一夜を共にしたくない、と言う本音が出そうになるのをぐっと抑えて、これも会社のためだと自分に言い聞かせた。
「ダメ……ですか?」
彼女の顔を見る限り、この女に迫られて断る男の方がよっぽど馬鹿だと思う。それはもちろん彼女と言う人間だけを見ての判断であり、決して彼女の後ろにチラチラと見え隠れする巨富を含めてではない。しかし、僕にとってこの女との婚約は自分の財産を大きくするためだけにあるものであって、愛を育むためのものではない。
さっきの米澤ではないが僕の女性への興味は世の男子高校生のそれに比べると皆無に等しい。僕の心を満たすのはわが社の成長だけだ。
「まぁ、そのうちに……ですよ」
僕にはいつも以上の営業スマイルと共にそんな曖昧な返事をする事しかできない。




