第六話 彼女は偽りで出来ている
午前の授業が終わり、昼食の時間。僕とエリは僕の数少ない友人と共に食事をとっていた。無論、僕の弁当はうちのシェフが腕によりをかけた最高級の弁当だ。
……全く同じ内容の弁当の持ち主がもう一人そばにいたが。
「しっかし、驚いたわー。まさか雄大がこんな可愛い子ちゃんと既に事を済ませていたなんて……。さっすが大企業の社長さんは違うわねぇ。うん、うん」
口の中に食べ物を含んだまま戯言を言ったのは、クラスのお調子者、米澤将だ。僕は無視して箸を動かす。
「ねぇ、今田さん。どう思います?」
米澤が意見を求めたのは学級委員、今田みなみ。冷静な口調で言った。
「まぁ、雄大も健全な男子高校生だ。別に女子に興味がないわけではないだろうな」
「そうっすかねぇ……。俺はてっきり、雄大が興味あるのって自分の会社の利益だけかと思ってたわー。すまんな、雄大」
こいつはさらりとひどい事を言ってくれる。しかし君のいう事の半分は事実だ。……なんてことは口が裂けても言えないが。
「まぁ、確かに雄大の浮かれた噂は聞かないな……。なぁ、花咲?」
と学級委員がさらに隣の女子に話しかけると、ビクッと大げさに反応して「はい……」とだけ、答えた。
「…………」
僕もエリも一切口を割らなかった。というか僕が割らせなかった。これ以上変な誤解を招かれちゃあ、今後の学校生活に支障をきたす可能性があるので彼女には一切の質問には答えないように口止めしておいたのだ。彼女には悪いがこうなってしまった以上、勝手に噂が消えるまで待つしかない……けど。
「しかし雄大にロミオは無理があるんじゃないっすかねぇ」
と米澤。
「確かに。あの時はなんとなくいけるような気がしたが、絵理はまだしも雄大にあの役はなぁ……」
その通りだった。花咲が準備よく用意していた脚本にはあまりに僕のイメージとはかけ離れた、純真無垢で愛すべき人一直線のロミオの姿があった。
あれは無理だ。それに今日から毎日の稽古も会社での業務があるため、そんなに参加できないだろうし。
「またみんなに掛け合って、役変更してもらおうか……。さっきはノリみたいなものだったし……」
たまには役に立つ米澤。
「雄大も乗り気じゃないみたいだしな……。よし、そうするか。いいよね、絵理さん?」
学級委員がエリに尋ねると衝撃の答えが返ってきた。
「私は……嫌です」
「うんうん、嫌だよね……ってえっ?」
思わず顔を合わせる米澤と今田。
「私はご主人様と劇を……やりたいです」
この言葉に教室が凍った。僕は思わず大声を揚げそうになる。
「……やっぱそうだよな。そうだよな! 今年のロミジュリはこのペアで決定だ! みんな、異論はないな!?」
その米澤の発言と共に教室は歓喜の渦に包まれた。
「はぁ……」
歓声の中、僕は溜息ついでにエリの方に目をやると、とやっぱり彼女は無表情で箸を動かしているだけだった。
放課後の校舎。これほどノスタルジーに駆られる場所も中々ないと思われる。窓の向こうの夕日は地平線の方へと沈んでいき、今まさにその瞬間を迎えていた。空を見上げれば少し赤の混じった紫の空が広がり、暗闇が支配する天上。僕らはそれを教室の窓から見ていた。
「えーっと……採寸はここまでねー。出演者は各自、台本を読んでくること。明日は読み合わせだからねー……それじゃあ、解散!」
学級委員の元気な挨拶と共に今日の稽古はお開きとなった。結局、演劇に出演することになった、僕らは放課後残って、採寸を行った。
クラスメートが教室から抜けていく中、今回の劇を提案した花咲は机の列を綺麗に整えていた。僕とエリも帰る支度を始めた。
「あの……」
突然、裏返った声が教室に響き渡る。既に教室に残っているのは僕とエリと花咲の三人だけとなってしまっていた。
「比企君……ちょっと、いいかな?」
エリよりも弱々しい声で、花咲は僕を呼んだ。
「別に……いいけど。何か用?」
僕が彼女に近づくと、彼女は慌てて言った。
「ちょっと、大事な、だーいじな用……かな?」
と窓際で外の景色を見ているエリの方に目をやった。
「ああ……エリね。分かった。少し、出ようか?」
「うん……」
彼女の言う事はなんとなく予想がついていたので、僕らはエリにばれないようにそっと教室から出ようとした。
「どこ、行くの……?」
やはりこの少女を出し抜くのは無理があった。
「いや、その……ちょっとな。花咲と二人でちょっと話したい事があるから、先に校門に行っててくれないか? 多分、執事の斎藤ももういると思うし……」
「お願いできないかな、比企さん?」
こんなお願いで彼女が僕から離れるとは思わなかった。しかし頼むという行為自体に意味があるのだと、自分に言い聞かせる。
もし、聞かれるような事があっても、いつかはばれる事だろうし……と半ば、諦めていたが意外にもエリは、
「分かった」
とだけ言って、あの学生バッグを背負って、教室から出て行った。
「珍しいな……」
なんて口からポロリと出るくらい衝撃の行動だった。
「珍しい……って?」
「ああ、なんでもないよ。さぁ、屋上にでも行こうか?」
そうして僕らも教室を後にした。
こんな時間だ。既に校舎には誰もいない。外もすっかり暗くなって、廊下の白い蛍光灯が不気味に僕らを灯してくれた。
「ねえ、あの子って本当は誰なの?」
いままで静かにしていた花咲が急にエレベーターホールで話し始めた。
「あの子って?」
「今、あの子って言ったら、比企さんしかいないでしょ」
「ああ……エリね。誰って……」
ここは仕方なく、ダミーの情報を伝えることにしよう。
「僕の従妹だよ。たまたまこっちに引っ越してきたらしくてね……。今は僕のマンションで一時的に寝泊まりしているよ」
ふうん……といままでの花咲とはうってかわって白けた相槌。
「じゃあ、あの自己紹介の時の契りとか……は? あれはなに?」
十本も通っているエレベーターが今日に限ってこの階に来るのが異常に遅い。こんな事、初めてだ。
「あれは……そのう……」
そこを突かれると痛い。多分、エリの言っていた契りとは契約書の事だと思うんだけど……そんな事を真面目に言ったら、従妹と契約しているとか、ややこしい事になりかねない。
僕は多少のイメージダウン覚悟で言った。
「それは、エリとやっている吸血鬼ごっこの事だな、多分。ほら、吸血鬼って我と血の契約が……みたいな会話するじゃん? あいつ、意外と子供っぽいところあってさーまだそれが抜けてないみたい、うん」
……自分で言っててこれは苦しいとやっと気付いた。明らかにそんな事をするようには見えない……失敗したか?
と不安混じりに花咲の方を見るとやっぱり白けた目で僕の方を凝視していた。
「吸血鬼ごっこ……不思議そうな子に限ってそれもあり得るか……」
意外に独りで納得してくれた。僕は安心して溜息がでた。
しかし相変わらず、エレベーターは一台もやってこなかった。
「じゃあ、浮気ってわけではないのね……」
どきりと心臓が高鳴る。既に喉はカラカラだった。声を出すのがやっと。
「もちろん……僕が愛しているのは、可奈子だけさ」
なんて、なんとかその場を繕う。
「そう、だよね! 良かった……お父様に変な報告をせずにすんで」
その言葉にさらに鼓動が早くなる。手も震えだした。
「もちろんだとも……全く、可奈子は心配性だなぁ……ははっ」
と棒読みの言葉が続く。
「ねぇ……」
急に左手に温もりを感じた。エレベーターホールの表示板にずっと向いていた視線を左にやると、そこには僕の左手を握って上目使いで、僕の方を見つめる少女の姿があった。
「私たちっていつになったら……」
その言葉にたらりと冷や汗が走る。
「ま、まだその時じゃないさ……。僕たちもまだ高校生だしね……自分の身分をわきまえないと、さ」
僕がなんとか作った偽物の笑顔を彼女に見せても、彼女は一向に引こうとはしなかった。
「私はもう……貴方のものなんですよ? 好きにしてくれていいのに……」




