第二話 彼女は契約と共に
「痛みは一瞬」
嫌だ……。死にたくない。
遠くの方で彼女の最期のささやきが聞こえた。
「じゃ、今度こそ……」
彼女のそれが僕目がけて振り落とされた――――。
「きっ、君を……雇う!」
その言葉が誰の口から放たれた言葉だったかなんて、今となってはどうでもいい。しかしその言葉に彼女の殺戮行為は中断された。それだけで十分だった。
「まだ、遺言が……?」
彼女は少し面倒臭そうにしながら殺戮道具を下してうるさいエンジンを切った。
「僕が……君を雇うよ……」
まだ心臓の鼓動が張り裂けそうな勢いで打っている中、僕は何とかそれを声にした。
「雇う……貴方が?」
しかし僕は何を言っているのか自分でも分からなかった。ただ一つ今の僕に分かることと言えば、僕の言葉が彼女の耳に届いている、と言う事だけだった。
彼女は不思議そうに僕を見つめた。
「……嫌かい?」
嫌だったら、僕はここで死ぬのだが。
「…………」
彼女は黙ったまま、宙を見つめだした。……この隙に逃げようか……。でも今の僕にもう走る気力すら残っていなかった。
「私は……」
少し彼女と間を取ろうとしてぎくりと顔を見る。
「雇われの身だ」
それを聞いて僕は収まりかけていた鼓動がまた早くなりだした事に気付いた。なんだ、当たり前じゃないか……僕は何を考えて雇うなんて言ったのだろうか。
「……だから」
「……だから?」
また黙る少女。ふと彼女の顔を見ようと上を見上げるとそこにもさっきと全く同じ様な電灯が立っていた。
「金額にもよる」
と無垢で汚れを知らぬ真っ黒な瞳がそこにはあった。
「…………」
多分、この人のクライアントさんは人を見る目が全くないのだろう。
「私は今、一千万で雇われている」
……は?
「それを上回る金額であれば私は構わない」
「……は? 貴方はいったい何を……?」
いきなり金の金額が出てきたので、一瞬なんの金額か分からなくなっていた。
「……私の月収だ」
「貴方の、月収。……一千万」
「そう」
「はぁ……」
僕の心臓はさっきとは違う意味でバクバクだった。
この少女はこんな事をして月収だけで一千万稼いでいるらしい。僕の月収の半分近い金額だ……。これだけ稼いでいる見た目高校生を僕は僕とあと一人しか知らない。
「君は……いくら欲しいんだ?」
一応、本人の希望も聞いてみる。
「……貰えるだけ」
可愛い顔して言う事はえげつなかった。流石の僕もこれには溜息をつかずにはいられない。
僕は息を整えて立ち上がり、お尻の埃を叩いてから彼女と視線を合わせた。彼女は相変わらず僕を見つめて離さない。まだ右手には巨大なノコギリが。
「その二倍……」
僕は自分の保身と命のためにお金を使うことに躊躇はしない。身体が資本だから。
「僕はその二倍で君を雇うよ……僕が死ぬまで」
いつもの帰宅時間より二時間近く遅れて僕は家に着いた。理由は言うまでもないのだが、このさっきから、僕の後ろにぴったりとついてはなれない少女のせいだ。
「なぜ……自分の家に帰らない……」
僕は若干の諦めを込めて彼女に言葉を送った。
「私は貴方の身を守る」
「それは分かった。だからって僕の家にまでついてくる必要はないだろう」
実際こうして彼女は僕の家の目の前までついて来ているんだから。
「どこにどんな危険がひそんでいるか、分からない」
後ろから僕の耳元で小さくささやいた。彼女の息が生暖かく僕の首筋を伝う。
「僕は今まで、君以外の人間から命を狙われたことが無い。……だから大丈夫だ。帰ってくれ」
「今度は雇う隙すら与えてこないかもしれない」
……確かに。それは怖い……というかこれ以上、殺し屋を雇うことは出来ない。まさか殺し屋がこんなに高額で雇われているなんて知りもしなかった。いや、雇おうなんて思った事すらないからなんだけど。
「……分かった。食事は君の入社祝いとして誘う事にしよう」
「…………」
「しかーし、食事をしたら帰る事。親御さんも心配するだろう。……いいな?」
あの暗がりでは彼女の服装までは目視出来なかったが彼女も僕と同じく高校生の制服を着ていた。……どこの制服かは分からないけど。
どちらにせよ、こんな悪趣味な少女にも親と言う奴がいるわけで、家に帰さなくてはならない。……親は子供がこんな仕事をしていると聞いたらどんな反応をするだろうか。少し気になる。
「親はもう……いない」
振り返って彼女の顔を窺うとどこか寂しげだった。顔は無表情のままだけど。
「それって……」
悪い事聞いたかな? でもこんな仕事しているんだ。なにかしら家庭に事情があってもおかしくはない。
「……私が殺した」
「…………」
やっぱり雇うの、やめようかな……。
オートロックの玄関を開けるとそこには黒いタキシードを着た初老の男が立っていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。……おや、そちらの方は?」
執事は僕の後ろの少女に不思議そうに視線を送った。
「ああ……僕の高校の友達。ゲストルームに案内してあげて」
「そうでございましたか。了解しました……お荷物、お預かりしましょう」
「うん、ありがとう」
教科書やら参考書やらが入った、高校生とは思えない見た目のバッグを彼に渡して、廊下を進んだ。
「……おい」
「……なに?」
僕は再び足を止める。まだ先に廊下は続いている。
「……なんでついてくる」
「だって私は貴方を守る」
「またそれか……。ゲストルームに彼が案内してくれるから、そこに行っててくれ」
僕はまだ玄関で微笑んでいる執事を指差した。
「だってどこに危険が潜んでいるか……」
はぁ……と盛大な溜息を嫌がらせに吐いてやる。
「ここには僕が信頼を置いているスタッフしかいない。……だから僕が殺される心配はない。安心してくれ」
「…………」
「な? ちょっと用事が済んだらすぐに部屋に行くから。お前も少し休みたいだろう?」
少女は少し黙ってから「うん」と小さく言って後ろの執事について行った。
僕はまた溜息をついて廊下の数ある扉の中で、一際大きな扉を開けて中に入った。そこは僕が普通の高校生から大企業の社長に変わる部屋だった。
そこでは大きな楕円のテーブルの周りに黒いスーツを着たいかつい男たちが二十人ほど座っていた。
僕の正面にはこれまた大きなプロジェクターに円グラフが映し出されていた。赤の比率は半分と近くを占め、あとの半分を黄色やら青やら他の色が支配している。僕は小さく舌打ちをして言った。
「第2四半期決算を始める」




