第十五話 そして再び悪夢へ
「さぁ、早速ではあるが、台詞の読み合わせを始めよう」
僕はわざと大あくびをしながら、朝から元気にクラスを仕切るクラス委員を横目で見た。
「なんだ、雄大? もう朝の9時だというのに立派な欠伸をして。言っておくが、受験勉強で台本を読んできていないーなんて言い訳許さんからな?」
3-Sはこの学園の学力上位30名によって構成された集団であるが、
中には学力をトップクラスで維持しながらスポーツも全国クラスの者もいる。その最たる例が3-Sのクラス委員長である彼女、今田みなみであった。
彼女はクラスの中では成績下位であるものの、陸上でインターハイ準優勝の実績を持ち、進学先もどこだか陸上の有名な大学に推薦が決まっていたはずである。
そしてこのうんざりとするハツラツさを兼ね備えているのだから、このクラスのまとめ役に抜擢されるのも理解できる。
「花咲、お前は大丈夫だよな? 確か大学ももう決まってるんだろ?」
「えっ、はい。そうですね、一応、一通りは目を通してきました」
どこかうつろな目をしていた花咲に今田は少し不満そうだ。
「なんだ、花咲まで寝不足かぁ……? 先が思いやられるなぁ」
と不満をたらしながら、彼女は淡々と進行を進める。
「んで、読み合わせって誰が指導してくれるんだよ、いんちょ?」
「なんだ、私では不満か将?」
「いや、委員長じゃ無理でしょ、“繊細な”劇の指導は…」
将はあからさまに残念そうな溜息をついた。
「それはどういう意味か丁寧に教えてくださるかしら、米澤監督…?」
今田はにっこりと笑って将を問い詰めた。しかし瞳の奥は明らかに笑っていない。女とは怖いものだ、最近特にそう思うようになった。
「いや、だってなぁ。俺の言いたいこと分かるだろ、雄大?」
将は助けを求めるように僕に縋り付いてきた。
「そもそも僕はまだロミオ役を引き受けたつもりは……」
「ああん? ……なんだって?」
どすの効いた言葉で遮り、捕食者の様な目をして今田は僕に視線を向けてきた。
「……すまん。もう諦めたよ」
僕が根負けする女なんて世界広しといえど彼女くらいだろう……あと、エリくらいか。
「それでいい。しかし、私でも演技の指導は出来るが、3-Sらしい完璧な演技をしてもらうには私の指導では力不足感は確かに否めないのも事実」
とまだ根に持っているのか不気味な笑顔を崩さず将の方に顔を向ける。ヒッという小さな悲鳴がどこからか聞こえた。
「完璧な演技って、気を張り過ぎじゃないか、みなみは……」
と丁度教室に入ってきたのはあの憎き敵、学園主席の有栖川だった。
「お、生徒会長、ちょうどよかった。今、演技の指導が出来る人物を探していまして、誰か心当たりありませんか?」
今田は気兼ねなく有栖川に話しかける。僕はただ彼女の方をにらむ事しか出来なかった。彼女は僕の視線に気づいて一瞬だけ目を合わせて、笑って今田の方を向いた。
「だったら、適任者がいるだろう」
そういうの早いか、彼女の後ろから小さな人影が現れた。
「瑠璃、任せたぞ。お前もいい加減人前に立つことを覚えろ……いいな?」
有栖川はそう残して教室を後にした。
「……」
その人物は僕たちの前に立ち尽くすばかりで一向に口を開けようとはしなかった。無造作に伸ばした真っ黒な髪が彼女の顔を覆い隠し表情を読み取る事が出来ない。気まずい空気が教室を支配した。
その空気の中、一言目を発するのはやはり今田だった。
「初めまして瑠璃ちゃん、私は今田みなみ。仲良くしましょ?」
流石の今田も少し警戒しているのか言葉が固い。
「……」
要約の助け舟にも返答はなかった。
「き、緊張してるのかな? 俺は米澤将、米ちゃんって呼んでな?」
言葉を途切れさせないためか将も少し緊張した面持ちであいさつを続けた。
「…おい、雄大も挨拶しろ」
横から小さく耳打ちされて僕も慌てて固まった表情をほぐした。
「初めまして、比企雄大です。今回の劇の主演、ロミオ役です。演劇は初めての経験なのでどうかご指導よろしく……」
と僕がいつも通りの営業スマイルで挨拶を続けていると、どこからか絹が擦れるような音が聞こえてきた。
それが目の前の彼女の口から発せられたものだと気づくのに相応の時間を要した。
「くくくっ……貴方が“あの”比企先輩ですか……。随分と嘘がお得意なようですね?」
唐突な言葉にきょとんとした表情の一同。しかし、僕は言葉を発したという事実より、どこか聞き覚えがあるその声に対して背筋を凍らせていた。
「おお、やっと口を開いてくれたか。じ、じゃあ早速だが……」
今田がその場を繋ぎとめようとしたがそれを遮る様に彼女は続ける。
「少し、お時間を頂けますが、今田先輩? 私、そこの嘘つきに用がありまして……」
「ん? 雄大、なんだ知り合いだったのか。早くいってくれよ、ははは……」
こんなに挙動不審な委員長を目にするのは初めてだった。
「と、とりあえず私たちはこれからのスケジュールを確認してるから二人の用事を済ましてこい、な?」
今田は僕以外の二人を一緒に教室の奥へと押しやった。
「彼女となにがあったか、今は聞かない。とにかく彼女を説得してくれ。このまま演技の指導を受けれないと会長のメンツを私たちが潰すことになってしまう」
僕とのすれ違いざまに彼女は早口かつ小さく耳打ちした。
「いや、僕だってこんな子知りま……」
「ごゆっくり~」
今田はいかにも作りかけの笑顔を見せて将と花咲と一緒に教室の群像の中に消えていった。
僕がその背中を見ていると、ふと左手に何かの違和感を覚えた。
ドキリとしてあわてて左手を引き戻すとその指には見覚えのある指人形がはめられていた。
「やぁ、雄大クン……一晩ぶり」
振り返るとそこには、真っ黒な髪の間から不気味な笑みをこぼす後輩の姿だった。




