第十四話 そして再び虚栄へ
自らの体にも目立った外傷はない。僕はため息をついて取り敢えず、自分の寝室部屋に戻る事にした。
さっきまでの惨劇とはうって変わって廊下も明るく、傀儡の姿も血の跡もなかった。いままでの光景が夢であることを祈ったが、僕の右手にさっきの指人形たちがはめられている事に気づいて、また身体に悪寒が走った。
部屋に戻るとエリの姿はなかったが、まだ敷かれたままの一組の布団が部屋の中心で寂しそうに並べられていた。
「なにがどうなっているんだ」
不意に後ろに殺気を感じて僕は瞬時に振り返った。そこには所々に赤の塗料がついたエリがいつもの調子で立っていた。目がすわっている。
「どっ、どうしたんだ?」
僕はさっきのフォースとの契約を思い出して思わず息を呑んだ。既に情報が漏れていたりして。
「危機は去った」
とだけ呟いて、またどこかに行ってしまった。
僕は彼女に全て見透かされているような気がして怖くなって布団をかぶった。とたんに身体中に疲れを感じて深い眠りについてしまった。
翌朝。部屋にエリの姿が無い事を確認して、朝一番にあの空間で無残に殺された花咲の無事を確認すべく、彼女の部屋に向かった。
豪華な装飾のされた扉の前で深呼吸した。ノックをしようとした時、部屋の中から声がした。
「雄大くん?」
その声は寂しそうに僕の名を呼んだ。
「そうだけど、よく分かったな?」
「私の夫ですもの。足音で分かりますよ」
「そうか。入っていいか?」
暫く沈黙があってから返事が返ってきた。
扉を開けるとそこはあの大きなリビングに負けない大きな空間があった。天井には和式の部屋には似合わない豪華絢爛なシャンデリアが、床には視界いっぱいに大理石が敷き詰められていた。いい趣味をしている。
「おーい。可奈子、どこに――」
僕が辺りを見渡していると、ピンクの胸の強調されたランジェリー姿の花咲が奥の部屋から出てきた。
「おはようございます、雄大くん」
その姿に動揺しながら僕は答えた。
「お、おはよう」
「朝食の時間にはまだ早いですよ? うちは時間に厳しくて、朝食は七時からと決まっていますので」
「いや、お前の元気な姿が急に見たくなっただけだから、すぐ帰るさ。じゃあ、朝食の時に」
僕が部屋から出ていこうとすると後ろから手首を掴まれた。その手はとても冷たくて、僕でも心配になってしまった。
「可奈子、お前なんでこんなに冷たいん――」
背中に何か大きな物体が二つ当たったような気がした。
「私、昨晩すごく怖い夢を見た様で、まだ震えが止まらないんです。助けて」
確かに花咲の小さな手は細かく震えていた。
「怖い夢って、どんな?」
すすり泣く音まで聞こえてきた。
「なぜか私が雄大くんを殺めようとしていてそうしたら後ろから誰かに首を切られて」
「え……っ?」
僕は花咲の話に恐怖を覚えずにはいられなかった。それは花咲の昨晩見たと言う悪夢が昨日、僕が経験した幻覚と酷似していたからに他ならない。
気づけば僕の手も震えていた。あれは本当にあった事なのか、幻覚だったのか、曖昧な現実と幻想の区別に足が地に着かない何とも言えない恐怖にいつの間にか、手の震えが止まらなくなっていた。
「なぜか自分が自分じゃなくなるような気がして、怖くて。だから雄大くんにそばに居て欲しいのです、ダメですか?」
「……いや、構わないよ」
カーテンの向こうが明るくなり始めているのを確認して、自分を落ち着かせた。あれは夢だ。あんな事、ある訳がない。
僕は振り返って彼女と目を合わせた。
「僕も昨晩怖い夢を見てね、人の温もりが欲しかったところだ。朝食の時間まで一緒に居よう」
僕の言葉に花咲は目を輝かせた。
「あ、ありがとうございます! わ、私」
僕は彼女の口を塞ぐようにキスをした。
朝食の時にはエリも姿を見せていた。いつも通りの食いっぷりで彼女は遠慮と言う言葉をどうも知らないらしい。花咲は僕と目を合わせる度に幸せそうににっこりと笑って、本当に呑気な様子だったが、少なくとも僕の喉には食事は通らなかった。
結局、あの傀儡使いを倒す事はできず、更に悪い事に、新たな殺し屋とできもしない取引を結んでしまった。しかしあの場面で契約を断れば、僕の命はなかった訳だし、今現在としては良かったと言えるのかもしれない。
エリの顔を見ようと視線を向けるとちょうど目が合ってしまい、僕は気まずくなって直ぐに目を逸らした
食卓に花咲昌三の姿はなかった。なにやら朝早くに海外に飛んだらしい。既に社長の座とはいえ、まだまだ現役の頃と変わらない様子で働いていると花咲は言う。やはり伝説の異名は伊達ではない。
「どうした、さっきから私の顔ばかり見て。なにかついているか?」
急に食事を止めてエリが口を開いた。
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」
僕は恥ずかしくなって食べたくもない食事を無理やり口に運んだ。僕が昨晩経験した事はまだ誰にも言っていない。もしあれが本当にあった事で、もし僕があの取引について口外した場合、あの傀儡使いに何をされるか分かったものではなかったからだ。常に殺人鬼に監視されているような、そんな不気味な恐怖に耐えながら、少ない朝食をとった。
「雄大くん?」
気まずい空気の中、静寂を破ったのは花咲だ。
「どうした?」
震える声をなんとか押し殺す。
「今日、学校行くの忘れたりしてないですよね?」
「うん……って今日は日曜日だろう? 授業はないはずじゃあ――」
僕がそこまで言うと花咲は小さな溜息をついた。
「あの、今日はクラスの文化祭でやる劇の練習をするって今田さんが言っていましたよ? 聞いていませんでした?」
そういえばそんな事を言っていた様な気もする。
「そうだったか。すっかり忘れていたよ、ありがとう。……仕方ないな、僕も一旦、家に帰って支度する事にしよう」
執事を呼ぼうとおもむろに懐から携帯を取り出そうとすると花咲はそれを止めるように、大きな声で言った。
「あの、良かったらこちらの方で制服などは用意させてもらいますよ?」
「いや、でも悪いし。それに会社の事も気になるからさ」
そう言うのが早いか、リビングの奥から花咲家の執事と共に天縫学院の男物の制服がマネキンに着せられてやってきた。
僕は彼女のこういういらんお節介をするところが何よりも嫌いだった。彼女は僕のプライベートの事など一切考えちゃあいないのだ。彼女に必要なのは、“許嫁”と言う分かりやすいステータスと、この趣味の悪い大きな館だけだ。
小さく舌打ちをして、僕は携帯を閉じた。緊急の用事は残念ながら入っていなかった。
「分かった、ここまでしてもらえたなら僕もご好意を無下には出来ないな……じゃあ、お願い出来るかな?」
「はいっ! ……えへへ」
こっちの気持ちすら知りもしない様子で、彼女は満面の笑みを零した。
「どうしたよ、そんな嬉しそうに」
「いえ、やっぱり妻として夫の通学を送り出せる事が嬉しくて」
そしてこの婚約すらしていないのに勝手に家族面されるのも癪に触る。
「ああ、そう……」
返事も適当に席を立った。
ここで彼女の機嫌を悪くしては僕にとって損しか発生しない。女にもの一つも言えない情けなさにため息を漏らしつつ、着実に野望達成への土台を築くことにした。
「私はちょっと用事を済ませてから学校に向かう」
エリはそう一言だけ言って、また新しい皿に手を伸ばした。
「……なら、私と雄大さんは先に向かっていますね」
昨晩に比べて多少の余裕を持ちつつ、花咲はエリに返した。エリに対する対抗心からなのか、あんな事があった後なのに花咲はそれをおくびにも出さない。




