第十一話 それでも彼女は彼を信じていた
暫く僕はその場に立ち尽くして、これからの事を考えてから指定された部屋に戻ってきた。そこは和室で案外、落ち着いたわびのある部屋だった。いかにも高級旅館って感じの部屋だ。
案の定、彼女もいて備え付けのお菓子とお茶を一人で食べていた。
「帰ったか」
「……おう、今帰った」
そう彼女は一言言ってまた手を動かした。
「エリ、先に帰ってたのか?」
僕は花咲と一緒に居た時、草陰から彼女が僕らを監視しているのを確認していた。そのためエリが先に帰っている事が不可解だった。
「う、うん。ちょっと早めに切り上げた。危険が周りにないと判断したから」
「そう……ならいいんだ」
それにしても部屋に帰ってきてから感じているこの違和感はなんなのだろうか?
僕は頭を振って違和感を振り払い、エリの正面の席に腰を下ろした。エリは上の空と言う感じで惰性で煎餅を齧っていた。
「…………」
このエリ、何か変だ。彼女と一緒にいた時間はまだ少ないが、確かに今僕の目の前にいる彼女はどことなく変だ、という思いは膨れ上がる一方だ。
「……どうした?」
僕がじっとエリの顔を見ると彼女はふと目を合わせて不思議そうに小さく首を傾けた。
「いや、なんでも……ない」
……気のせいか。確かに彼女の外見には一切変化はなかった。しかし不安にも似た感覚が身体から離れない。
「もう寝る。おやすみ」
この違和感という不快感から逃げるために、僕は布団に入った。すでに冬はそこまで来ており、掛布団一枚では寒い事に気づきタンスから毛布を取り出そうとした時また見覚えのある感触を背中に覚えた。
「……エリ?」
「なに?」
「なんで僕の布団に入っているんだ?」
「……なんとなく」
「世の中の女子高生はなんとなくで他人の布団に入って来るのか?」
背中を通して彼女のほんのりとした温もりを感じる。他人の温度を肌を通して感じるのを随分と懐かしく感じた。
「……ったく」
心臓の鼓動が高鳴るのを感じながら彼女と背中を合わせになった。
「…………」
気まずい。こんな感情をエリに抱くのは初めてだった。寝る前なのだから静かになって当たり前だが、僕にはその風が通り抜ける音だけが響く静寂が耐え難かった。
「な、なんで僕と劇がそんなにやりたいんだ?」
なんとなく今思っている事を口にした。
「その方が、貴方と一緒に居る時間が長くから」
「えっ……?」
僕は彼女の言葉にあらぬ期待をしていた。女を忘れたこの僕が。奇妙な事この上ないな。
「貴方の身を守りやすい」
……なるほど。僕はその返答になぜが少し安堵した。
「なんで僕のところに来た?」
「それは……」
エリは急に黙って、黙秘を続けた。前回、訊いた時には金のためと言っていたが僕はそれを信じていない。これだけ殺伐とした世界を生きる高校生が金だけのために動くとも思えない。……逆にだからこそ絶対に裏切らない金と言う権力に縋り付いているのか? やっぱり住む世界が違い過ぎて少しも理解できない。
「金のため」
やっぱり彼女が信用を置ける物は金しかないのか……。そう思うと彼女に少しは同情せざるを得なかった。これが彼女の世渡り方法なのかもしれない。
「……と未来のため」
と彼女は小さく呟いて、後ろから寝息を立てた。
「未来のためってどういう……」
思わせぶりな彼女の発言に僕は思わず振り返った。しかしそこには誰もいなかった。
「エ、リ……?」
直ぐに起き上がって周囲を見渡した。
どういう事だ? さっきまで確かに背中合わせで布団に寝ていたのに。今、目の前には誰もいない布団が少し距離を置いて二枚しかれているだけ。本来、エリが寝る筈の布団は敷かれた当時のままの状態だった。エリが寝ていた様子はない。
「なんだこれ……?」
僕は気味が悪くなって取り敢えず、部屋の明かりを付けることにした。
「あれ、付かないな……停電か?」
さっきまでついた筈の電気も点かない。しかもさっきから感じていた違和感がどんどん強くなり、それが恐怖の様な感情へと変化していた。
強くなっていく恐怖心で身体の震えが止まらない。僕は寒さを感じて、月明かりでなんとか足元から携帯を取り出した。一緒に寝泊まりしている執事を呼ぼうとしたのだ。それからどうするかはまだ考えていない。でもとにかく近くに誰か居て欲しかった。独りじゃ心細くて、恐怖に押しつぶされそうで。こんな感覚初めてだ。常に誰かに見られている様な恐怖。誰かに命を狙われているような恐怖。誰も近くにいない恐怖……。まだ冬でもないのに、僕の吐く息は真っ白だった。
震える手でなんとか執事に電話をかけた。コール音が静かに鳴鳴り響く。コールが途切れるまでの時間が永遠の様に感じられた。
プツリ。やっとコールが切れた。僕は思わず大声で話し始める。
「おい、小暮か? ちょっと伝えることが……」
僕は必死で電話口の向こうに話しかけた。しかし向こうから聞こえるのは留守番案内サービスの電子音だけ。
「なんなんだよ、クソッ!」
怒りに身を任せて、携帯を床に叩きつける。
その時、僅かに開いたふすまに月明かりに照らされて人影ができていた。それに気付いた瞬間、心臓が飛び出そうになる。今、近くに誰かがいるのはこの上なく心強いが、得体の知れぬ人物では無意味。僕は焦る気持ちを抑えて、人影に尋ねた。
「だ、誰……だ?」
言葉を口にした瞬間、自分の口の中に水分が全くない事に気付いた。
「…………」
しかし人影は答えない。というか全く動かない。
ここで最悪の可能性が浮上してきた。この人影がさっきの傀儡であった場合、近くにエリの姿はない。確実に殺される……。
そう考えたら、その人影から異様な殺気を感じずにはいられなかった。心臓の鼓動は最高潮に達した。
「こっこたえろ……」
必死で自我を保ちながら後ずさる。少しでも距離を取って……。
その瞬間ふすまが開いて外から人が入ってきた。
悲鳴が出るのを耐えてその姿を見た。しかし月明かりの逆光で彼の顔はもちろん、性別すら判断できない。
「…………」
「傀儡……かっ!?」
パチンと乾いた音が響いて、部屋に明かりが灯る。
「うぁあああああ!!」
急に視界が明るくなって、思わず悲鳴を上げてしまった。僕の大声に明かりを点けた本人もびっくりして、後ろに尻餅をついた。
「びっくりしたぁ……急にどうしたの?」
「はな……さき?」
「そうだけど……大丈夫? 大きな声出して」
それは僕の見る限り花咲の姿をしていた。僕は安堵の溜息と共にその場に座り込んだ。いつの間にかさっきまで肌に湿気の様にまとわりついていた恐怖がすっかり消えていた。
「雄大くんが急に大きな声上げたから私までびっくりしたよぉ……」
花咲は立ち上がって僕に手を差し伸べてきた。
「ほら、立ち上がって」
「あ、ああ……」
花咲の手を握って僕も立ち上がった。彼女の手が異様に冷たかったのは夜のせいか。
「こんな時間にどうしたんだよ、花咲?」
床に叩きつけた携帯は壊れてはおらず、しっかりと画面に一時二十三分と時刻を表していた。
いや、特に用がある訳ではないんだけどさ……と意味深な溜息と共に花咲。
「ぼ、僕もちょうど花咲と会いたいと思ってたところだ」
別に花咲でなくてもよかったという本心は言わない。
「そう……ちょうど良かった」
あれ……? 会いたかったなんて言ったら普段の花咲だったら顔を真っ赤にして喜びそうな感じだけど。
「うん……」
「あの、ちょっと歩かない?」
と悲しそうに花咲は言った。
「ああ、別に構わないけど」
僕たちは部屋を後にした。
廊下に出ると目の前には中庭があって、この寝室棟は廊下が中庭を囲むように出来ているのだと花咲が説明してくれたのを思い出した。
「あのさ、雄大くん。正直に話してほしいんだけどさ」
なにやら深刻そうな顔をして話す花咲。
「正直に、分かった。正直に答えよう」
僕は基本的には嘘はつかない。ついたところで嘘が利益になるとは到底思えないし、後々嘘がばれた場合、信用問題にかかわる。社会で最も大切なのは信用なのだ。信用はお金では買えない。
しかし花咲に関しては特別だった。彼女への自分の気持ちはベールで隠し、自分に嘘をついてきた。これは僕の未来のため、会社のためなのだ。僕の行動の大半はこの大義名分によって行われている。時には嘘も必要だと言うのが僕なりの考え方だった。
「それじゃあ、お願いね」
執拗に念を押す花咲。その姿に僕はあの男に似た狂気を感じた。
「私の事、本当に愛している?」




