第十話 それでも彼はウソをつき続ける
その男とそいつを虜にした女の間に生まれたのがあの猫かぶり、花咲可奈子。一人娘だ」
僕は目の前で僕の話に耳を傾ける少女の様子を確認して話を続けた。
「要は簡単な話で、この巨大グループの一人娘の婿になってこの会社の跡取り、つまりはこの会社を比企グループが吸収しようって魂胆」
「その後は?」
「その後って……ああ、可奈子か。あんなの形だけ残して、あとは僕の自由にやらせてもらうさ」
「なるほど」
夜の涼しい風が彼女の少し青い長髪を揺らしてなんとも風流のある光景だった。ここの庭園も世話がよく行き届いている。
「なんで急にそんな事を訊いたんだ?」
普段こんなに胸のうちを話す人物はいないが、なぜかこの女には話さなくてはいけない……そんな気がした。こいつの口の堅さは一応、証明されている。
「じゃあなんで、貴方は私にこの話をしようと思ったの?」
エリの質問の意図がくみ取れず、エリの顔を見た。エリは少し欠け始めた月をぼんやりと見つめている。
「…………」
「つまり、そういう事」
なるほど……さっぱりだ。
「ところで、さっきのくぐつ……だっけ? あの術師は追えたの? なんか暫く姿見なかったけど」
エリが傀儡と姿を消してから、再び彼女の姿を見たのは花咲邸のロビーでの事だった。花咲はあからさまに驚いていたが、僕はそんなに驚きはしなかった。むしろいままでの奇行振りからいままでどこに姿を隠していたんだと聞き返すほどに。
「いや、姿は確認したが行き先は……」
と無表情のエリはそのまま僕と目を合わせた。ぼんやりとした月明かりに照らされて彼女の肌はさらに色白く見える。
「もしかしたらまた傀儡で……くそっ!」
次こそは本当に殺されるかもしれない。エリの時に比べて相手は得体の知れぬ物体を使っているし、本体は見つかってすらないし……。恐怖心はさらに大きなものへと変わっていた。
「怖いか?」
急に口調を変えてエリは言った。今までのが普通の高校生だとしたら、今の口調には明らかに殺意がこもっている。言葉にとげが見える。
「それはまぁ」
これで怖くないと言ったらよほどの命知らずか、ただの馬鹿だ。ただでさえ僕には何万と言う会社の社員たちの生活が懸かっていて、守らなきゃいけない物はたくさんあるってのに……。
「でもエリが守ってくれるんだろ?」
心にも無い事を言ってみる。しかし彼女に少ないながらも期待を寄せているのも事実だ。彼女はあの傀儡から僕たちを守ってくれたようだし。どうやったかは別として。
「私の本職を貴方は知っている」
エリは一切の感情を込めずにそういった。
「それってどういう――」
僕は言っているそばから自分のしている質問がいかに愚かな質問かと気付いてしまった。僕は彼女の本職を知っているではないか。ボディーガードでもなくただの大食いでもなく彼女は――――。
「殺し屋……」
その言葉が口から洩れた瞬間、僕は奇妙な感覚に襲われた。あの時、僕を襲った殺し屋が僕に殺しの命令をしろと言っている。これってつまり。
「私も殺し屋に狙われている」
そういう事か。依頼主を裏切り、しかもあろうことか殺しのターゲットに裏返るなんて……。よくエリも決断したものだ。
「別にそれは構わない。しかし今、私は雇われの身だ。身勝手な殺しは出来ない」
つまり、僕が殺しを命令すればあの得体の知れぬ傀儡使いを葬り去ることができる……と言いたいのか。
「どうするかは貴方しだい。私は貴方の命令に従うだけ。好きにするといい」
僕は……。
「あの傀儡使いを……」
僕はエリに殺しを……。
「ころ……」
僕はエリに殺しを命令……。
「…………」
彼女は僕の指示に従うと言った。だったら僕は何を恐れている? 彼女は言っていた。ミスは犯さないと。僕に火の粉が降りかかることはない……。なら僕は何に怯えているんだ? 僕は……。
「……捕まえろ」
僕は自分の言ったことをまた自分で確認するようにゆっくりと言葉を続けた。
「あの僕らを襲った傀儡使いを、捕まえるんだ。そして誰に指示されての事か吐かせる。そしてそこのボスを……叩く!」
「了解」
彼女は僕の命令に呼応するかのように力強く言った。
すると丁度、花咲昌三に用事で呼ばれていた花咲が廊下の向こうから駆け寄ってきた。
「雄大君! こんな女は放っておいて今から夜の散歩、行きましょう?」
「ああ……いいとも」
花咲はすっかりエリを目の敵にしていた。自分の命の恩人とも知らずに……。
夜の散歩と言っても箱入り娘の彼女が夜遅くに男と外に出られるわけもなく、花咲邸の庭園での夕涼みとなっていた。それでも立派なものでそこいらの公園よりかははるかに大きい。
「あの、雄大くん?」
「どうした?」
この女に下の名前で呼ばれるのは苦痛でしかなかった。しかし婚約破棄なんかをされては今までの努力が全部水の泡になってしまうのでぐっと抑える。
「あの女が言っている事……どこまでが本当なの?」
彼女は不安そうに僕の手を取りながら遊歩道を歩いていた。聞きたかったのはそんな事か?
「んまぁ、一応、全部本当だよ」
だいぶ、内部事情は隠しているけど。
「えっ!? そうなの? てっきり私とお父さんを騙しているのかと……」
えへへ……と笑う少女。黒髪と暖色系の浴衣が和風の庭園証明に照らし出されて、高校の制服にはない不思議ででも優しい雰囲気を身にまとっている。
「まぁ、ボディーガードなんてそんなに大それた物ではないけどさ」
本職は人様に言えない様な事をしている。
「じゃあなんで、従妹がボディーガードなんて……」
「ほら、最近色々と物騒じゃない? これでも一応、僕も日本を担う大企業の社長だしさ。いつ命を狙われてもおかしくないし。だから少し、武術を習っていた彼女に僕の護衛をね」
本当にどうやったらあんな大きな重機を軽々しく持てるようになるのか、僕も知りたい。
「それって本当に役に立つの? 見たところ、ただのビッチにしか見えないけど」
まさかそこまで言うとは……今日の花咲はいままでの花咲とは一味も二味も違うな。
「ないよりマシかな程度だよ」
僕はだんだん質問に答えるのが面倒くさくなってきて、近くのベンチに腰を下ろした。もちろん、彼女の座るところにはハンカチをひいて。
「雄大君……」
「今度は何?」
ああ、喉乾いてきたな……。
「きっ……き……」
なんだこの女、ついにおかしくなったか?
「キス……」
「…………」
「キスを……しましょう」
「…………」
僕は思わず悲鳴を上げそうになった。なんで好きな女でもない奴とキスをせねばならんのだ! これだから最近の女は股が緩いって言われるんだ!
と精一杯の悪態を心の中で放ってからお得意の営業スマイルで彼女に尋ねた。
「……なんで?」
「だってそろそろキスに一つや二つ、しても良い頃合いじゃないですか……。早い人は次のステップも……」
と自分で言いながら花咲は顔を真っ赤にして両手で覆った。僕はそれを見てアホらしくなり、そっと立ち上がろうとした……が丁度奥に双眼鏡を片手に持った男の姿を確認してそれは諦めた。
もしここでキスをすればもっと婚約は確実なものになるかもしれない。それどころかあまりの嬉しさに会社の全権を僕にくれるかも……。
……ええい! こうなったらやるしかない!
既に花咲は唇を妖艶に僕に差し出していた。僕は自分の童貞唇に別れを遂げて彼女の滑らかな唇と重ねた。
初めてのキスだった。でも全く嬉しくなかった。それどころか唇を重ねている間、僕の心のどこからから悲しみにも似た寂しい思いが込み上げてきた。そして何かを失った音。
涙が出そうになった。でもそれを必死で堪えていた。男は泣かない。僕はあの日から泣かないと決めた。僕は涙も血も忘れて仕事だけに生きてきたつもりだったのに……またどこからか人間を拾ってきてしまった様だ。
やがて長い長いキスを終えると自分の頬が濡れている事に気付いた。生暖かい滴が頬を伝って芝生の上に落ちていく。僕は最初、我慢できなくなって泣いてしまったのかと思った。しかし、そうではなかった。代わりに花咲の瞳には涙が溢れていた。
「なんで、泣いているんだ?」
僕は自分も泣きそうなのを必死で堪えて訊いた。
「いえ、やっとここまで来たな……って思ったら、涙が出ちゃいまして……」
と彼女は涙を裾で拭きながら言った。
「ごめんなさい、変ですよね……。お化粧崩れちゃったので今日はここまでで失礼します。ではまだ明日。お休みなさい」
花咲はぺこりと礼をして一回腫れぼったい顔で笑顔を見せて僕の前から足早に去って行った。
彼女の笑顔を見た時、胸の奥がずきりと痛むのを僕は感じずにはいられなかった。




