29.愚痴
「そんなもん、全部こじつけだ」
「私が魔法を知らないからって、でたらめ言って! こんなに不幸が続くのに、呪いじゃない訳ないでしょう!」
女は尚も金切り声を上げる。
「違うって、あれには呪いなんて掛かっちゃいない。そんなに言うってこたぁ、あんた、何か人から恨まれて、呪われる心当たりでもあんのかい?」
それまで怒り狂っていた女が、途端に口ごもった。
「い……いや、ウチは別に、誰かの恨みを買うような真似、しちゃいませんよ。でも、でもね、人間、なんで逆恨みされるか、わかんないでしょ? ウチの亭主が亡くなっても、暮しに困ってないこととか、お店が上手くいってることとか、立派な子供がいることとか、妬まれることなら、色々ありますし……」
「じゃあ、その妬んでる心当たりの奴に言えよ。俺は呪いを解く術は知らないし、関係ないだろ」
再び、女の頭に血が昇った。顔を真っ赤にして食ってかかる。
「どこの誰に妬まれてるか、わからないから困ってるのに! 魔法使いの癖に人助けしないなんて、やっぱりお前さんたちは化け物の親類じゃないのさ! 人間が不幸になるのが嬉しいんだろ!」
双魚は閉口した。
店主は、困っている部分だけを訳したが、口角泡を飛ばし、血走った目で双魚を睨みつける様子を見れば、言葉はわからずとも、罵られたことは察しがつく。
そもそも、「人間」は、ほぼ初対面で、無茶な要求をゴリ押しし、自分を口汚く罵る者を手助けするだろうか。
「なぁ、あんただったら、どうする?」
「私だって、そんなのお断りしますよ」
求められ、宍粟は蕎麦を手繰る手を止め、即答した。
「どこの誰かもわからないお人で、何で恨まれてるのか知らないなら、どんなとばっちりがあるかもわかりませんし……」
「な? そうだろ? 魔力があろうがなかろうが、厄介事はご免蒙るだろ?」
双魚は余程、誰か言葉のわかる者に聞いて欲しかったのか、愚痴を零し続ける。
「お前さんが困ってんのはわかったし、子供は気の毒だと思うよ。他人の不幸は俺もなるべく見たくない。でも、人にはできることと、出来ないことがあるんだ。気の毒だが、俺はあんたの力にゃなれん」
妙見の店主は、訳す前に聞いた。
「できないもんなのかね?」
「魔法ってのは、色々と分野があるんだよ。あんたらだって、そうだろう。機織りの職人と大工を入れ替えて、仕事が上手く行くと思うか?」
「いや、無理だろうな」
「そう言うことだ。呪いの専門は【舞い降りる白鳥】って学派の奴だ。俺は【霊性の鳩】。皿洗いやらなんやら、日常の用をする術くらいしか使わえねぇって、言ってやってくれよ」
女は、店主が丁寧に訳した説明にも、食ってかかった。
ケチ、嘘吐き、ズルい、人でなし、化け物……
人を「化け物」と罵ったその口から、雑妖が飛び出す。およそ、人に物を頼む態度ではない。
店主もうんざりし、提案した。
「その香炉、よくないものだってのは、間違いないんですから、お寺さんに預けちゃどうです? きっと中の妖怪をお祓いしてくれますよ」
だが、女はきっぱり拒んだ。
「寺になんて預けたって、どうにもなりゃしません! あいつら、金儲けしか考えてない生臭で、法力なんてカケラもないんですよ! 金だけ巻き上げられて、『お祓いできないくらい強い妖怪だから、ウチで預かり、厳重に封じます』とか何とか、尤もらしいこと言って、香炉も取り上げられて、泣き寝入りさせられるのがオチです!」
どうしても、双魚に無料で対処させたいらしい。
店主が小声で聞いた。
「双魚さん、お祓いの真似事なんかも、勿論、専門外だよねぇ?」
「あの程度の雑魚なら、俺でも倒せるが、香炉も壊れるぞ。まぁ、俺をボロクソに罵ってるみたいだし、助けてやる気にゃなれんがね」
店主はやや思案し、女に向き直って説明した。
「この人は、お祓いやらなんやらは、専門外なんだそうです。手を尽くせば、どうにか妖怪をやっつけることは、できるかも知れんが、香炉も壊れるそうです。お寺さんに預けても、ウチでお引き受けしても、大して変わりゃしませんよ」
「なんだ、やっぱりできるんじゃありませんか! 嘘吐き!」
どうやら、自分にとって都合のいい部分しか聞こえない耳らしい。
「私がこんなに困ってんのに、助けてくれないなんて、人でなしの化け物の癖に、ケチ臭いコト言って!」
女は激昂し、空になった湯呑を投げつけた。
双魚が、軽く体を傾けて躱す。後ろの柱に当たって砕けた。
甲高い音の後、水を打ったように座が静まり返った。女がハッとして、畳に目を落とす。
店主が抑えた声で退去を促すと、女は大人しく従い、香炉を包み直して持ち帰った。




